あんスタ


静かな夜は嫌いだ。

月一度くらい訪れる、風も少なく、月はあるのに暗く、ただ静けさだけが満ちたここは独りきりだと錯覚してしまいそうで心が痛み、手が震えるから。

息をしても冷たいばかりで苦しくて棺桶から這い出た。

日中は人であふれかえる教室の立ち並ぶ廊下に自分の足音だけを響かせて歩いて行く。時折暗闇に躊躇いそうになれば違う道を進んだ。

本校舎から外れ、ひっそりと体育館の脇に佇む建物からは光が漏れていて、息を吐いてからはっとした。

また、こんなところで何をしているんだろう

思わず足を止めてしまってどうするか視線を迷わせるよりも早く光が落とされた。

早くしないと帰ってしまう

扉が開いて向こう側から現れたそれの赤色の瞳が鈍く光ってこちらをとらえた。

驚いたように目を瞬いてから視線を巡らせて手招かれる。

『そんなところじゃ寒いでしょう?一緒にお茶でもいかがですか?』

閉じないよう押さえられた扉に息を吐いてから足を進める。再び光の灯された室内はまだ暖かく、肌をなでた空気はどこか香水が混ざってた。

『お掛けになっていてください』

椅子を引かれてそこに座る。足を上げて抱えて目を閉じる。向こう側から人の動く気配がしてほっとする。

耳を傾けていると足音が近づいてきて目を開けた。

差し出されたカップには琥珀色の液体が湯気をのほらせていてふわりと柔らかな薫りが届く。昔柑子が淹れてくれた紅茶と同じ匂いのするそれに何故だか涙腺が緩んで視界が歪んだ。

バレないようにカップに手を伸ばして口を付ければほんのり甘いそれは身体の中に広がって溶ける。口を一度離して、息を吹きかけてもう一度飲み込む。

時間をかけてティーカッブ一杯分を飲み切る頃には体は温まり、凍えて震えてた手もとまった。

「………馳走に、なった」

『はい、お粗末さまでした』

ようやく吐き出した言葉に向かいは嫌な顔一つせず微笑んで頷く。

『もう夜も遅いですから、そろそろお休みになられたほうがいいですよ?』

「…………―棺桶は、寒くてな」

間を持ってしまった言葉にまた微笑んで記憶に変わらない答えを吐いた。

『そうしましたら風邪を引いてしまわれると大変ですからうちの仮眠室で良ければどうぞお使いになってください』



『ゆっくりお休みください』

布団越しに頭を撫でられて目を瞑れば溢れた涙がこぼれて布にしみる。気づいているだろうに一度も触れてこないそれの距離感が心地よくて、手を伸ばして服を掴んだ。



意識がゆっくりと浮上して、目を開けると暗闇だった。被っていた布団から顔を出す。

記憶に違わない位置で、壁に凭れて寝息を立てるそれは今日も座ったまま眠っていてどう考えても疲れは取れないだろう。握ってしまっていたワイシャツは皺が寄っていて手は撫でてていたからか布団の近くで不自然に置かれていた。

また寝違えるんじゃないかと思えそうなくらい横に傾いた頭に晒された首筋は白く、唾を飲んでから目をそらす。

視界に入った左手に手を伸ばして触れれば冷えていて、前々から触れても起きないことは知っていたから指を絡めた。

指をなぞって擦る。柔らかく決めの細かい手触りは相変わらず手入れがしっかりされていて、女性のような手の中でも男らしく細くない節に触れた。

この手が髪を撫でて、触れるだけで心が満たされるんだから不思議だ。節をなぞって辿り着いた指の腹、少し硬いのにどうしてあんなに優しいんだろうか。

温まってきた指先に手を離して布団の中に戻る。息を吐いて寝返りを打つと湿った枕が頬にあたった。


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