あんスタ
『ターンのタイミングは問題ないけど、停止までが遅いね。もっと引いた足を軸に寄せるのを意識して回ってみて』
じっと僕の足を見てた紅紫くんがすらすらと僕の課題を指摘する。再びかかり始めた音楽。言われたとおりに意識して回れば視界がいつもより早く移ろってぴたりと止まれた。
『うん、いい感じ。じゃあここの次のところまで一回頭から通そうと思うけど、水分補給する?』
「っうん、お水飲む…」
頷いた拍子、流れてきた汗を拭って近寄れば僕の汗の量に目を瞬いて彼は申し訳なさそうにタオルを差し出した。
『気づかなくてごめん、また無理させちゃったね』
「大丈夫…、僕が体力ないだけだから、……―お水おいしい」
渡された柔らかくていいにおいのするタオルで汗を拭きつつペットボトルに口をつける。喉を通って身体に澄み渡る冷たい水に息を吐いた。
「覚えが悪くてごめんね」
『まさか。遊木くんは飲み込み早い方だと思うよ』
だから自信持ってねと紅紫くんが笑う。
あの日から少し経って、皆と比べて上達しない部分に悩んでた。振り付けは頭に入ってるし、漣くんたちからの指導で確かに良くはなってる。
でも、普通よりいいだけじゃ駄目だからと入れた連絡に、ちょうど学園に来る用事があったという紅紫くんがレッスンを見てくれることになった。
用意された振り付けと音楽、ライブのテーマを見て、僕の踊りを一度全部見た紅紫くん。
どこに記憶してたのかってくらいに的確に僕が悩んでたところもそうでないところも指摘してくれてまだ一時間も経ってないはずなのにすでに汗が流れ落ちてしまってる。
予想していたけど、それ以上にハードだ。無駄がない分内容が濃すぎて苦しい。大神くんたちの特訓とは全く違う。
何度も息をして、また落ちてきた汗を拭ってくれた手に顔を上げた。
息を吸う。
「続き、お願いできるかな!?」
見上げた紅紫くんの目に汗まみれの僕が映る。どうにもひどい顔をしてる僕に彼は微笑んだ。
『もちろん。再開しようか』
鏡張りの壁。息を吐いてから目の前を見ると僕が映って、その向こうに紅紫くんが映ってる。
曲がかかり始めて足に力を入れ床を踏む。音にあわせてステップを踏んで、紅紫くんに教えてもらったところは外さない。ターンがちゃんと曲にハマったからその分後の動きも余裕を持って大きく踊れた。
すべて踊りきって終わった曲にスニーカーが滑る音が響く。
目を瞬いて振り返ればどこか難しい表情をした紅紫くんがいて首を傾げた。
「僕、できてなかった?」
『…うんん。さっきのターンとかもすごく良くなってた』
考え込むように唇を噛んだと思うと紅紫くんは僕から一度視線を外して目を閉じる。
『……これ、ステージどれくらいの広さかわかる?』
「え?えっと、まだステージは出来てなくて聞いてないよ」
『………出演するのは君たち四人と、そこにプラスして二人…間違いはないよね』
「う、うん、そうだよ」
『……………』
また口を閉ざしてしまった紅紫くんは携帯を取り出すと指を数度動かしていたと思えば棚の上に携帯を置いた。
さてと言葉をこぼしたと思うとストレッチを始める。下半身、そのあとに腕の筋も伸ばしたと思うと僕を見た。
『あまり一人で踊ってても距離感がつかめないだろうから、僕が隣やるよ』
「……………、…え?」
『ん?』
首を傾げた紅紫くんはきょとんとしてて心臓が違う意味で痛くなった。
「え、え??!紅紫くんと踊るの!?僕が?!!」
『うん?何か変なこと言った?』
「変っていうか、恐れ多いっていうか?!」
『煽てたって何も出ないよ?』
「全部本音だよ?!そ、それよりも紅紫くんまさかフリ全部覚えちゃったの!?」
『うーん、付け焼き刃だから、間違えたらごめんね?』
「………うんん」
悩むような素振りのあとふふっと軽やかに笑うから、たった五、六回しか流れを見てないのにフリを覚えてしまった紅紫くんのセンスと圧倒的ポテンシャルの高さにお腹が痛くなってしまう。
準備体操はもういいのか、靴紐を結び直した紅紫くんをみつめる。
「えっと、本当にいいの?」
『駄目なところがないよ?』
あの紅紫くんの隣に並ぶ。それがどれだけ光栄なことか、恐れ多くて死んじゃいそうだ。
それでも心臓が高鳴って足が進む。横に立って目を合わせた。
「お、お願いします!」
『……?うん。はじめようか』
不思議そうに目を丸くしたあとに笑い音楽を流し始めた。
とんとんとリズムを踵でとったと思うと紅紫くんは僕と全く同じステップを踏む。
「っ!」
全然、違う
さっきまで踊れてたと思ったけど、隣に人がいるだけで距離感も考えないないし、圧倒的な存在感に押される。
なにもかも、持って行かれそうになる。
曲が止まると同時に膝をつく。垂れてきた汗が床に落ちて上がった息のせいで喉が痛い。
『うーん。やっぱり…振り自体は問題ないけど、こればっかりはみんなでやってもらうしかないかな…』
落ち着いた紅紫くんの声が落ちてくる。タオルで汗を拭われ、飲み物が渡された。
「はぁ、はっ、」
『大丈夫?』
「も、紅紫くん、すごいし、ひ、ぱられてしんじゃうかとおもった…」
『ふふ、大げさだよ』
眼鏡が外されて柔く顔の汗も拭かれる。
『僕が口を出せるのはここまでかな。さすがに全体のバランスは見ないとわからないし、あの三人とEveの人は僕とやり方が違うと思うからあまり荒波を立てるのもね』
「……うん…」
渡されたボトルのキャップを捻って喉を潤す。何回か息をすれば次第に心臓の痛みも収まってまっすぐ紅紫くんを見上げられた。
「…ほんと、紅紫くんすごい!僕よりも断然ステップが軽やかだったしターンもすごくきれいだね!!」
『そ、うかな?』
「うん!背中に羽でもついてるの?!体重ないんじゃないの!?」
『えっと、平均体重はあるよ?』
「うっそだー!?」
思ったよりも声が大きく出て目を丸くされる。はっとして苦笑いを返せば頭を撫でられた。
『僕は丁寧で柔軟性のある遊木くんの踊りのほうが見ててきれいだし好きだよ』
細められた目に、たった今おさまったはずの心臓が煩くなって顔が熱くなる。
「っ、あああ、あり、がとう」
なんかもういろいろ反則だ
『無理に詰め込んでもした仕方ないから今日はここまでにしておこうか。あとは一回みんなと合わせてみてね』
「ふ、ぁ~…い」
その場に倒れて仰向けになれば汗をかいて濡れたシャツが背中に張り付いた。でも肌に触れた床が冷たくて気持ちいい。
肩で息をして、ペットボトルを首筋に押し当てる。結露のついたペットボトルはひんやりとしてて落ち着く。
足音が遠ざかったから閉じてしまってた目を開けて音を探すと紅紫くんが置いていた携帯を拾い上げていて目を通してた。
時計は開始したときからふたつ分と少し短針が進んでいて、もうあと何十分かで三時間だった。
『一回外出てくるね。戻ったら掃除しよう』
「あ、僕一人で大丈夫だよ!」
『ふふ、遠慮しないで。二人で使ったんだから二人で掃除するべきでしょ?だからそれまで休んでてよ』
慌てて上半身を起こした僕に紅紫くんは微笑んで部屋を出ていく。ぱたんと控えめに音を立てて閉められた扉にまた床に体を預けた。
荷物はそのままだし本当に戻ってきて一緒に掃除もしてくれる気なんだろう。頭が上がらない。
「ほんと…すごいや…」
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