あんスタ
2
遊び疲れて呼んだタクシーに乗る頃には日も傾き始めてた。
「ふふ、『たのしかった』ですね…♪」
乾ききれず少し湿った髪が頬に当たる。まだ塩素の匂いがした。
『そうですね。機会があればまた行ってもいいかもしれません』
「ことしのなつも『おわり』ですね…もっとはやく『いっしょに』いけばよかったです」
眠いのか瞼が降りかけて口調もどこかゆるく、普段よりもはっきりしない。
水に入って動くのは思っていたよりも体力がずられていたようで身体は重いし日に当たった肌はヒリヒリする。はからずとも瞼が重くなってきてて、とんと右肩に重みが増した。
微睡んでいるのかなにか呟いていたと思うと小さく笑う、
「ありが、とう…ございます…さいこうの…たんじょうび…―になりました―…」
幸せそうに笑って吐かれた途切れ途切れの言葉を頭の中で復唱し、目を瞬き思わず顔を向ける。
残念なことにすでに寝息を立ててるその人に息を吐いた。
『まったく…そういうことは先に言っておいてください』
眠気も怠さも消し飛んで一度目元を擦る。この人の大切なことを最後に言ってくるこれは、いつまでたっても慣れそうにない。
『…―あの、すみません、少し寄ってもらいたい場所があるんですが平気ですか?』
息を吐いて言葉を告げれば、なんとなく話を聞いていたらしい運転手は快諾してくれた。
帰り道から少し遠回りのルートを走ってもらい、目的の店近くで一度俺だけ降りる。熟睡してるその人は一瞬身じろいだけれど持っていたリュックと俺の上着をかけておけばまた眠りについたから足早に店に入って用を済ませ戻った。
ハザードをたいて待っていてくれた運転手に礼を言って、帰路に向かう。家の前まで送ってしまうときっと気にするだろうから、深海家の裏手、一本隣の通りで止まってもらう。
『起きてください、つきましたよ』
「ん~…」
『はぁ、深海さん、よだれ垂れてます』
後少しで俺の方を濡らそうとしてた口元を袖口で拭えば潰れたみたいな声を出して眉根を寄せた。
「ん…おうち、ですか?」
『はい。貴方のご自宅です。裏側に止まってますけど、歩くのが辛いなら表に回ってもらいますか?』
とろりとしてた寝起きのまぶたがゆるく上がり首を横に振る。
「……いいえ、ここで『だいじょうぶ』です」
荷物を背負い直して開けてもらった扉から一度出る。事情を話していたからまたハザードをたいて待っていてくれるようで、一緒に表に回った。
荘厳な佇まいの家。出入り口が見える場所で足を止めたから俺も足を止めた。
「きょうはほんとうに『たのしかった』です。ありがとうございました♪」
家が近いからか少し控えめな音量の声。疲れているようだけど目はさめたのか微笑むからさっき買ったばかりの袋を持ち上げた。
『急だったので、やっつけになってしまってすみません』
「………?」
『誕生日、おめでとうございます』
目を丸くして、恐る恐る伸びてきた手が袋を受け取る。中を見ていいのかと迷うように視線を上げたから促せばそっと手を入れて小さめのぬいぐるみを持ち上げた。
「ぼくに、ですか?」
『はい、なんか貴方みたいだったので』
「……なるほど。ぼくは『きみ』からみてこんな『かわいい』ってことですね」
『すみません、冗談です。目についたので買ってきました。そちらはおまけです』
「それはぼくが『かわいくない』ってことですかね…?」
一瞬頬を膨らませて、次には笑うからなんとなくすっかり乾いて少しばかり跳ねてしまってる毛先をなでた。
「まぁいいです―…まだ『いって』いませんでしたね、ありがとうございます」
『ふふ、どういたしまして。今日はプールに入ってますからしっかりお風呂でお湯浴びてくださいね』
「ん~、もうねむいですけど、そうします。きみもきちんと『ひやして』くださいね。『いたそう』です」
ぬいぐるみをしまって空いた右手が俺の頬に触れる。ヒリヒリとしてる肌は熱を持っているからか一瞬離れてからまた添えられた。
「ほんとうに、ありがとうございます」
何故か泣きそうに笑うから、添えられてる手を取って繋いで代わりに俺の右手を彼の頬に添える。
俺と違って熱くない肌に心地よさを覚えて息を吐く。
『…―いつか…もしも、時間が合えば…また、行ってもいいかもしれませんね』
結われていた唇が一瞬緩んで、丸くなった瞳に光が反射した。
「………―『かならず』また、『いっしょに』いきましょうね」
さっきと違い眉間に皺を寄せず微笑んだその人の目の縁に涙が貯まるから指先でぬぐって手を離す。
家の方に明かりが灯った気がしたから一歩下がり距離を取る。正門側で声が聞こえてきたことにぴくりと肩をゆらしたその人に苦笑いを浮かべた。
『貴方も眠そうですし、タクシーも待ってもらってるのでそろそろ帰りますね』
「はい、『なごりおしい』ですけど、あまりここにいて『みられて』しまうのもきみによくありません」
がちゃりと聞こえる施錠をといた音に、最後彼の髪に触れてから笑う。
『深海さん、おめでとうこざいます。おやすみなさい』
「ありがとうございます…おやすみなさい、はくあ」
小さく手を振るその人に、扉が開く気配がしたから短く手を振るだけにして角を曲がり振り返ることなくタクシーに飛び乗った。
「アレ?これはにいさんノ?」
いつものように噴水で遊んでいるかと思ったけど日差しの関係か引きこもっていたらしい部室は相変わらず物が散らかってる。
いや、いくらかは前よりマシになっていて、どうやらボックスを用意して必要なものを仕分けてあるみたいだ。
その中で、どのボックスにも分類されず机の上に鎮座した可愛らしいかめのぬいぐるみをつつく。指で押すとほんの少しくぼんで、離せば元に戻った。
「はい、『ぼくの』ですよ~」
にこにこと笑ったにいさんは片手に頼んでいた物が入っているらしい小箱を抱えていて、どうにも上機嫌だ。
「可愛いネ。どこで買ったノ?」
「『いただきもの』です」
「え?これ?」
「はい。『ぷれぜんと』なんです♪」
にこにこ、いつも浮かべてるものより柔らかくて血の通った暖かなその表情に見ている僕も感化されて微笑む。
少し顔を合わせて笑いあっていればにいさんはそうだと両手のひらをあわせた。
「なっちゃんの『おたんじょうび』はいつですか?」
「え、?僕は二月だヨ…もしかしてにいさん誕生日だったの?」
「そうですね~。『いちおう』そうでした」
「これは誕生日プレゼントってこと?!…いつだったの?」
「はちがつのさいごのほうだったので、なつやすみちゅうですよ?」
「うわぁぁ、リサーチ不足…」
「『あのこ』のおたんじょうびはなにをしましょう…。いまから『たのしみ』です♪」
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