あんスタ(過去編)
2
直接アレに聞いたところでまともな答えなど返ってはこないだろう。ならば話に出てきていたキーマンのはずの彼らを御茶会に誘った。
「おちゃかいは『ひさびさ』ですね~?」
「急すぎて準備もままならなかったのだよ、まったく」
「またにいさんたちとお茶が出来て嬉しいナ」
「もうこんな機会ないかと思っておりましたからね!」
あいも変わらず元気なその様子にほっとする。目を細めて眺めていれば紅茶を一口飲み込んだ渉がカップをおいて微笑んだ。
「…さて?今宵魔王殿は何を思い私たちを呼び出したのですか?」
きちんと集まってくれた四人は俺の言葉を待つ。
少し喉が張り付いていて話し難かったから一度紅茶を飲み込んでから息をすった。
「知らなければ首を振ってくれて構わぬ。…お主ら、奇人排他過激派を知っておるか?」
三人は文字の響きに眉根を寄せたものの首を傾げ、その後に迷わず横に振る。
ただ一人、目を丸くしてからそらした夏目に嫌な予感がして、気づいた三人も夏目を見た。
「知っておるんじゃな」
「………―さぁ、なんのことかわからないナ」
問い詰めても口を割らない。
「兄さんたちは、知らないほうがいいヨ」
しまいには首を横に振って固く閉ざしてしまい、気まずい空気で唐突に鳴り響いた夏目の携帯に解散になってしまう。
残された俺達は息を吐いて、また今度と別れた。
夏目がなにか知っているのは確実なのに、どう問いただしたらいいのかわからない。
かわいい後輩を泣かせてしまうのはどうしても気が引けてしまい、言葉をかけあぐねる。
「零」
軽音部に静かに入ってきた渉は神妙な面持ちで、他の部員がいないことを確認するように視線を巡らせて近寄ってきた。
「零、これを」
差し出された携帯電話は渉のもので、表情から良くないものなのはたしかだったけど受け取って目を落とす。
チャットらしいそれは白地に黒の文字のシンプルなもので、相対するように侮蔑と憤怒、罵倒に塗れた言葉が並び立てられてた。
「なん、じゃ、これ?」
「…あのあと、少し気になって調べてみたんです。私の後輩の友達がこういった情報に強いらしく、幾つか潜り込んで見つけてくれた…夢ノ咲学園の裏掲示板の一つです」
「…………」
親指で画面をスクロールするたび送られていく文字に気分が悪くなってくる。
どれもこれも俺達五奇人を目の敵にしていてその中でも過激的な発言をしているものが目立った。
「それとなく英智に聞いてみましたが今は学園から離れていることも手伝って存在を知らないようでした。おそらく、右の…蓮巳敬人も知らないでしょう」
「………これは、いつからあったんじゃ?」
「遡れるだけ遡ってもらいましたが何度か増えたり書き手の派閥ごとに別れたりとしているようで最初がどこかはわかりませんでした。…それに、集団暴行や…言い難くはありますが、拉致をして弱みを握ろうとする話も上がっていて、その都度専用の場所を設けて話していたようです」
含めたらきりがないでしょうと眉間に皺を寄せた渉に、自身の携帯を取り出して招集をかけた。
待ち合わせ時間をひとりだけずらして、三人に送ったメールに隣りに居た渉が息を吐く。
「あの子は、何に巻き込まれてしまったんでしょうね…」
悩ましげな声に上の空で返事をしてしまい、肩に手を置かれた。
「零、貴方も含まれていますよ。…何に、巻き込まれているんですか?」
「…はて、なんのことやら」
「…―違いますね。何に、首を突っ込んでいるんです?」
「………なんと言ったらいいんじゃろうな」
揺れた携帯に視線を落とすと宗からで、今日の用事は済んでいるから早めにこちらに向かうらしい。
「のう、渉」
「いかがなさいました?」
「お主だけは、堕ちてくれるなよ」
「…………―その物言いは、随分と意味深ですね?」
まるで貴方たちはもう手遅れみたいですと目を細められて、なるべく自然になるよう視線をそらした。
早めに向かうと言っていた宗の隣には奏汰くんの姿もあって途中で会ったから一緒に来たらしい。
直接あの掲示板の内容を見せるのは躊躇いがあって幾つか固有名詞を出さない程度ぼやかして伝えれば思っていたよりも二人はあっさりと頷き取り乱すことなく話を理解した。
時間になって現れた夏目はどうにも顔色が悪く、椅子に座ると隣の奏汰くんがナッちゃんとすかさず呼びかける。
「きみはかげきはの『そんざい』をしっていたようですが…『なにも』されていませんか?」
「…………」
「小僧、この場合の沈黙は金ではないのだよ」
優しい奏汰くんと落ち着いた宗の声。しかしながらどちらも嘘や逃げを許さないそれに、夏目は視線を落として顔を覆った。
「一度、だけ、…何人かに囲まれて倉庫に連れてかれた」
小さく呟かれた、かすれた声は聞き逃してしまいそうなくらいで必然的に息を殺す俺達に気づいていないのか夏目は声量を変えず俯いたまま顔もあげない。
「手足を縛られて、猿轡をされて、見下されて…兄さんたちと違って、僕は力もないし、小さいから、簡単に…それで…ナイフをつきつけられたんだ」
ひゅっと息を吸った宗に小さく拳を握った渉。
「カメラを構えられてたし、たぶん、そういうことだったんだろうね」
震えてる声に奏汰くんは手を伸ばし背をさする。
「……もう、無理かなって思って、怖くて、」
「まさか、」
思わず声を上げた俺に夏目は首を横に振った。
「扉が開いたんだ。ぬいぐるみのマスクを被ったやつらがそこにいて、そいつらは僕を見つけると中に入ってきて近くにいるやつからのしていった」
少し震えのおさまった夏目は息を吐いたあとに紅茶に手を伸ばして口に運んだ。もう一度息を吐いて吸い、深呼吸をしたと思うとカップに目を落とした。
ただただ黙々と立ち回って、統率を失い始めたそれらに二人は手当たりしだいに、比較的背の低い小柄な奴が僕に背にを向けて立って次々と地に伏せさせていく。
気づいたころには全員が倒れてた。立ってたのはその三人だけ。乱入者の三人は奇妙なマスクを被っていてまるで安いきぐるみの頭部みたいだった。
犬と猫とたぶん熊で、着ぐるみみたいに大きく重たそうなそれをつけているにもかかわらず正確に敵をのしたそれは、今じゃ各々が好きに動いてた。
犬のマスクは回されてたカメラを叩き割って、伸びてる奴らの懐から抜き出した携帯もひとつずつ画面を割って水浸しにしてく。猫のマスクは自分の携帯を触ってたかと思えば顔を上げて、声も出さずに合図で指示を出した。
すかさず熊のマスクをつけてた奴はしゃがみこんで僕を担ぎあげ、四人で倉庫から足早に出た。
一応の配慮はあるのかもしれないけど俵担ぎのせいで腹部が圧迫されて苦しくて、だからといってまだ解かれてない拘束と猿轡に何も言うことはできない。
ふと、振り返れば後ろからついてきてたはずの犬マスクはいつの間にかいなくなってて担いでる熊と先頭を歩く猫、僕だけになってた。
入ったのはどっかの準備室で、僕を下ろすとさっさと熊は部屋を出て行ったから僕と猫だけになる。
マスクを取る気はないのか携帯に文字を打ち込んで見せられた。
さっき僕を襲ったのが奇人排他過激派って呼ばれてるやつらなこと、そいつらはそれぞれ個別のグループで行動してて、今回は僕を嫌っていたりしたやつらだったこと。
…―何度か、まだ表沙汰にはなっていないだけで兄さんたちにもリンチやレイプの計画が企てられて実行されてたこと。
ちょうど理解したタイミングを見計らったように猿轡を外される。
「君たちは、どうしてそんなことを知ってる」
聞けばまた携帯に文字が打ち込まれる。
こいつらはその都度、一つ一つ計画を潰してる反抗勢力らしい。
「…それは、…君たちは、何者なの?」
愛らしい猫のマスクは笑んでいたけど、この場にはひどく不釣り合いというか不気味で、結局いくら聞いたところで最後まで名乗らなかった。
“お疲れ様、もう大丈夫だから安心して”
代わりに打ち込まれ見せられた文に息を詰めれば僕の頭をなでてうつ伏せに転がす。咄嗟のことに反応できないでいると腕の結束バンドをはずれて、僕が顔を上げるより早く扉をあけて外から鍵をかけていった。
少し呆けてからあたりを見渡すと離れたところに鋏と絆創膏、消毒液が置いてあって、そこまで這った。
なんかちょっと芋虫みたいだなんて今なら思うけどその時は必死で、鋏を使って手と、足の結束バンドも切ったところでなんか急にホッとしちゃって、ちょっと泣いちゃった。
情けないことにたぶん十分くらいそこにいて、涙が収まった頃に絆創膏と消毒液で血が滲んだ場所を手当して立ち上がった。
外から鍵をかけてたけど、もちろん中からも開けられるようになってて、きっと、外から誰も入ってこれないようにしてくれたんだと思う。
耳を澄ませても外からは何も聞こえなくて、ゆっくり扉を開けて外を伺えば幸か不幸か図書準備室だった。
「だから近くにある隠し通路を伝って僕の部屋まで行って、…そこで一夜を明かしたヨ」
話している最中にも思い出してしまったのか少し震えたり小さくなった声に黙って聞いていた奏汰くんは肩を抱いていいこいいこと頭を撫で、宗が寄り添ってた。
「なんにもなかったから大丈夫だヨ!もう子供扱いしないでよネ!」
気恥ずかしそうに頬を赤らめて声を上げたけど振り払わないどころか宗の手を握っていて無意識らしい行動に渉と目を合わせて頷く。
今の話に出てきた、それにすべてがつながった。
お泊り会楽しそうじゃないですか?なんて笑った奏汰にのせられて全員で学院に泊まる事になった。
もう夜も遅いからとシャワーだけ順番に浴びる。寝床の準備をしていれば不意に影が落ちて、見上げたそこには微笑んでいるようで眉根を寄せた奏汰くんがいた。
「れいはもう『わかってる』んですか?」
視線を這わせても夏目はいないようで、宗もいないからきっと分担したんだろう。
息を吸って、吐くと同時に言葉を落とす。
「……確証はない」
少し悲しそうな顔をした奏汰くんは膝を折り目を合わせてきた。
「それは、ぼくも『しっている』ひとですか?」
脳内にちらつく赤い瞳と目の前の彼は似ても似つかない。
「…どうじゃろうな」
「……わたるもれいも、あのこも…みんな、『ひみつしゅぎ』で『こまってしまいます』ね」
呆れたようで悲しそうに笑った。
当事者のはずなのにいつまでも部外者であることが許せず、話を聞くに活発化してきているというその集団に行動は早くしたほうがいいだろうと見切りをつける。
業務のために昔もらっていた連絡先に言葉を入れれば、思っていたよりもずっとあっさり会う約束を取り付けられた。
「僕に用事と伺いましたが…いかがなさいましたか、会長」
生来の生徒会役員らしく、書類を持って行き来する忙しそうな姿を引き止めてしまったことに若干の負い目を覚えるも、声をかけられるのは彼しかいなかった。
「もう会長ではないぞ、ただの老害じゃよ」
「そんな悲しいことおっしゃらないでください。僕にとっては貴方が会長ですから」
笑みひとつ崩さずかけられた言葉に場違いにも涙を零しそうになる。歳をとると涙もろくなってしまっていけない。
けれど今は、それよりも確認しないといけないことがある。
「聞きたいことがあるんじゃが」
「はい?」
普段通り変わらない顔色、笑顔で聞き返され唾を飲んで、心の中だけで深呼吸をした。
「…奇人排他過激派について、話がある」
目を一瞬細め、口元だけ笑ったその表情はどうにもアレに似ていて背筋に冷たいものが走る。
ほんの一瞬だけで、すぐにいつもの笑みを携えたからなんとなく、見極められていたようにも思えた。
「……ふふ、貴方は本当に優秀なお方で困りますね。…この学園を改革なさっただけある」
否定も肯定もなく、ただ笑った彼はさてどうしましょうかと首を傾げた。
「それについて、僕に話す権限はありません。あなたの事ですからもうわかっているのでしょう?僕にできるのは取り次ぐことのみ、いかがなさいますか?」
忠実な彼らしく一つたりと情報を落とさない。笑顔を直視していられなくて、かと言って目を逸らしてもいけない気がして、彼の向こう側にいるであろうそれを思い浮かべて眉間に皺を寄せてしまった。
「……紅紫はくあと、話がしたい」
「かしこまりました。ただ、はくあくんは多忙なので返事にお時間を頂いてしまうかもしれません。ご容赦ください」
今度はこちらからご連絡を差し上げます。そういって一礼した柑子は背を向けて歩き始めた。
腕の中の荷物からして生徒会室に向かうんだろう。
息を吐き出す。ほんの数週間前まで後輩だった彼と話すことにこんな気力がいることだったなんて思わなかった。
力が入っていたらしい肩。握ってた拳を解くと汗をかいていて制服で拭う。
考えていたよりもあっさりと纏まった話は一時間もする頃には返事が来ていて、今日の夜、もしくは明日の昼ならばと選択肢が与えられていた。
一刻でも早いほうがいいだろうと夜を迷わず選ぶ。返ってきたそれには場所と時間が記載されてた。
一日がこんなに長く感じるなんて今までにない経験をした。
指定されていた体育館裏手、天文台に向かう。在学して長いつもりではあったけど、実際に足を踏み入れるのは初めてのここは今は天文部の所有になっているらしい。
ノックしたところで内側に扉が開いて、柑子が出迎えた。
「はくあくんは少し遅れてしまうそうなので、どうかおかけになってお待ちください」
案内された部屋の中、円状のテーブルに置かれた五つの椅子。そのうちの一つに腰を下ろすと用意されていたらしい珈琲が目の前に置かれて一礼して部屋を出て行った。
静けさが包み込む部屋の中で、顔を上げると天文台らしく空が見える。このあと降るという雨のせいか曇っていて星どころか月すら見えそうにない。
落ち着くために息を吐いたところで扉が三回叩かれ息を詰める。
扉が開いた。
『こんばんは。お待たせしてしまい申し訳ございません』
ゆるく微笑んだそれは普段見るものよりも柔らかく、どちらかといえば仮面をかぶっている学園内に近い。
「…そこまで待ったわけでもないから気にするでない。我輩こそ、呼びつけてしまってすまないな」
『それこそお気になさらないでください』
軽く返事をして椅子をひとつだけ間に挟んだ斜め向かいに座った。
すっと目を細められたあとに微笑まれる。
『…ふふ、貴方とこんなふうにゆっくりお話をする日がくるなんて思いもしませんでした』
薄暗い室内に紛れる黒髪と、光源に照らされて妖しく光る赤い目。
どこか面持ちが似ているはずなのに警戒心を抱いてしまうのはこやつの日頃の行い故だろう。
「……我輩も、今お主がここにいることに驚きを隠せぬ」
『そうですか?』
どこか楽しそうな面持ちでポットから自分の分をカップに注いで口をつけた。
感覚的に二口、カップを置いて頬杖をつくとこちらを見て笑う。
見覚えのある表情にやっと息ができて、唾を飲んだ。
「聞きたい、ことがあるんじゃ」
『柑子から伺っています。奇人排他過激派について、ですね?』
隠しも戸惑いもしない声にやけにむかむかして、カップに手を伸ばして珈琲に口をつける。
飲みなれたそれは柑子がいれたであろうもので、息を吐いた。
「……―やはりお主らが夏目を助けたんじゃな」
『ええ、まぁ結果としては…とだけ言っておきましょう』
ひどく曖昧な言い回しが気にならないわけではなかったけど、ここで追求したところでまともな答えが帰ってくる気もせず手を一度握ることで落ち着きを取り戻す。
敵地で、親玉を目の前にしての会談は気分がいいものではない。
「…―何故、奇人を助ける?」
『…何故でしょう?』
はぐらかすというより聞かれて自分でも答えが出なかったのか首を傾げたそれに眉間に皺が寄ってしまう。
「見返りもなかろう?」
『うーん、そうなんですよね』
あっさりと不思議そうに答えるものだからこちらが間違っているような気分になる。首を傾げて視線を落としたそれはどうにも不可解な表情で言葉を吐いた。
『別に貴方たちから感謝の言葉とか正義の味方なんて肩書がほしいわけではないんですけど…うーん、ここまで俺に利がないのに何故動いてるんでしょう?』
今回はお願いされた依頼なわけでもないしと零された言葉に思わず言葉を取り上げそうになったが息と一緒に飲み込んで、首を傾げ続けるそれに問う。
「………―本当に、何もないのか?」
『…―なんとなく、では駄目ですか?』
へらりと今まで見たこともないような不完全な笑顔に目が奪われた。
何一つとして信用のならないやつではあるけれど、この答えに嘘偽りがないことが読めてしまってなんと返すべきなのか言葉が詰まる。
「…そ、うじゃな、なんとなくで悪くはなかろう」
『…―そうですか。では、なんとなくでお願いします』
ほっとしたように表情を緩ませ笑みを繕ったそれに歪さを感じたけれど理由がわかるほど親しくもない。
胸だけじゃなく腹もきりきりと痛みを覚える。
それがなんとなく腑に落ちなくて、代わりに珈琲を飲んで誤魔化すことにした。ぬるくなりはじめた液体はすんなりと口から喉を通って落ちていき、息を小さく吐いているとああ、と声が聞こえた。
『バレてしまったので先にお伝えしておきます。これからは少し忙しくなるので…申し訳ないんですが貴方を構ってあげられる時間は少なくなるかと思います』
「……待て、別に我輩は全くもってお主にかまってほしくないのじゃが?」
目を細められて、見つめてきたそれにむず痒さとそれ以外にもなんとも言えない感情が溢れそうになる。
『ふふ、そうですか…それなら安心ですね。…けど、俺が目を逸らしてるからって勝手に消えてはいけませんよ?』
唇を噛んで目を逸らせばもう一度小さく笑われた。
『それともう一つお願いがありまして…この事をあの四人も含め誰にも言わないでください』
「…なにゆえ?」
『面倒事は避けたいのと…どこから話が流れてしまうかわかりませんので』
「………」
『きちんと貴方には経過報告いたしますのでお願いできませんか?』
「…………必ず、じゃぞ」
『ええ、もちろん』
優しく微笑んだその表情に、こいつもこんな顔なできるのかなんて息をのむ。
ただ憎むべきだけの相手だったはずなのに、どうしたらいいんじゃ
ふわりふわりと髪を優しく撫でる感覚に意識を浮上させられる。労られるような手つきが懐かしくも思えて、ずっと前から、この手を知ってる気がした。
『ああ、起こしてしまいましたか。…おはようございます』
部室の閉ざされてない窓から差し込む西日に照らされた笑みに目の色は赤というよりオレンジのような不思議な色味になっていて、意識は覚醒していたけど寝ぼけたふりを続けていれば髪を梳く手は離れなかった。
耳が慣れてしまったテノールは少し落ち着いた間合いと空気を纏って息と一緒に言葉を吐く。
『もうすぐ残党狩りも終わるでしょう。ただ、まだ不容易に人気のないところをちょろついたり奴らを刺激したりしないでくださいね』
二週間ぶりに鼓膜を揺らした声は溶けて消える。
ふいに鼻についた臭いに顔を上げれば手に巻かれた包帯と絆創膏が目について、視線をそらせないでいれば笑われた。
『さした怪我ではないのでそんな顔しないでくれますか?』
「……どんな顔をしておるのかのう」
『罪悪感に押しつぶされそうな顔…ですかね?』
悪戯気に微笑まれ髪に触れていた手が離れる。つい目で追ってしまい、行き着いた先で視線が合えば微笑まれる。髪に短く、一度だけ触れ離れていった。
『これが終わったら構ってさしあげますから、そんなに寂しそうな顔をしないでください』
「……あまり寝ぼけたことを抜かすでない」
『ふふ、…まだ片付いてないのに死亡フラグを自分から立てるのは俺らしくない』
息を吐いて立ち上がるとポケットに手を突っ込んでスマホを取り出す。少しの間視線を落として指を滑らせたかと思うと仕舞って、見下された。
『今日は中間報告にお邪魔しただけなのでこれで失礼しますね?』
「………もう、怪我をすんなよ」
こぼしてしまった言葉に不思議そうに目を丸くしたと思えば微笑まれる。
『心配してくれるんですか?』
「…………そうじゃない、ただ、その…なんでもない」
困ったように首を傾げられてもこちらのほうが訳がわからず首を傾げたい気持ちでいっぱいだ。
『…普通は俺の不幸を嬉しむべきだと思うんですけど…本当に面白い人ですね?』
「やはり先ほどの言葉は寝言じゃ、気にするでない。忘れろ」
『………―ふふ、従う道理はありませんね』
よしよしと頭を撫でられて今度は振り返ることなく足早に部屋を出て行ってしまった。
息を吐いてもう一度棺桶の中に倒れ込む。伸ばした手で自分の髪に触れて見たけどやっぱり何かが違くて、目を閉じた。
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