ヒロアカ 第一部
「出久」
母さんの呼びかけに出久は焼き魚を箸でつまんだまま動かない。
「出久?」
燃え尽きているような、目が虚ろなわけではないけど焼き魚と微笑み合っているその様子は流石に見過ごせず、心配そうな母に箸を置いた。
『出久』
「あ、なに!?」
弾かれたように顔を上げた出久に母さんは安堵から息を吐く。
「何じゃないわよ。魚と微笑み合って…」
「う、うん、ごめん」
出久は二日目の実技試験が終わってから様子がおかしい。途方に暮れているような、なにか悔いているのか意識を飛ばすことが多く、今だってたぶんシャツが裏表なのに気づいてない。
聞いた話だと仮想敵というそれぞれの大きさ、特徴のロボットを撃破した数を競ったらしいけど、生憎、出久と勝己は別会場だったそうで様子はわからないらしい。出久が呆けて口に出さない今、つまりはもう試験結果が来るのを待つしかない訳だけど試験はすでに二週間前の話だからそろそろ来てもいい頃なのに音沙汰はない。
今日もフラフラと歩いて自室にこもってしまった出久に息を吐いて、立ち上がる。学校は休みだし、俺も特にやることはない。それでもじっとしているのはなんとなく嫌で母さんに声を軽くかけて外に出た。
財布と携帯をポケットに入れて歩く。すでに合格通知をもらったのか浮かれ気味の学生らしき人影が多く、時折会社員が足早に道を抜けていく。
「ちょいと、そこの御仁」
不意にかけられた声。同時にぴとりと背中に体が押し付けられて体温が移る。
「俺とランデブーしようぜ」
『あまり遠いところまでは難しいけど、どこまで行く予定?』
「そこの公園」
『オッケー』
背中から気配が消えて横に立つ。黒いパーカーのフードを目深にかぶっているせいで顔ははっきりとは見えないものの、パーカーにジーンズの姿は見ているだけで寒い。首元から長めの布地を取り払って、首元にかけて巻き付けた。
『風邪ひくからマフラーくらいつけたほうがいいと思うよ』
「俺が今更風邪なんかひくか」
『そんなのわからないだろ?』
二周してあまった布地を交差させて緩く結ぶ。出久がすると天使っぽい巻き方のそれは、可愛さの欠片もない。
少し歩いたところで先程から見えていた目的地の公園につく。流石にこの寒さと平日の朝に近い昼のせいか、人気はなく、少しさびれたブランコが風に揺れてるだけで他に音を発するものはない。
迷わずふらふらとベンチに向かう彼についていき、途中にある自販機にお金を入れる。二つ、缶が出てきたことを確認してから隣に座った。
『どっちがいい?』
「…モカ」
伸びてきた手にブラウンの缶を渡す。俺は必然的に残った方のカフェラテの封を空けて口を付ければ液体が体を温めながら通っていく。同じように隣でカフェモカに口をつけて息を吐くとフードで隠された瞳で俺を睨むように見据えるから笑いかけた。
『久しぶり。元気にしてた?』
「…忙しかった」
『そっかー』
「……………」
俺から話題を振らなければ会話が始まらないけど、弾ませる気がないのか長い会話が続いたことはない。それは声をかけてくる時は妙にテンションが高いのに返事が淡白なせいだったり、これ以上深く聞いてくるななんて空気や言葉が返ってくるせいだったりする。
『今日はなんであんなところに?』
「これから忙しくなるから、今のうちに見ておこうと思って」
『へー。良いものはあった?』
「ない。驚くほどにしょうもない世の中でどいつもこいつも平和ボケしてて腹立たしい」
『そう』
一ヶ月に一度ほど、よくわからないタイミングで顔を合わせる彼のことは名前以外詳しいことは知らない。仕事や家の話ははぐらかされるか黙るかで聞いていい雰囲気ではないし、個性はなんとなく察しているものの俺から聞くようなことでもない。いつだってフードを目深に被っていて人目を避けるように路地裏や、あえて雑踏の真ん中にいる彼は表の人間ではないんだろう。
「お前、中三だったよな」
不意に向こうから質問が飛んできて、珍しいなと思いながら頷く。膝に肘を立てて、缶を持つ方とは逆の手の甲に顎を置くと覗き込むように俺を見あげた。
「学校決まったのかよ」
『受けはしたけど、まだ結果が届かない』
「ふーん。…落ちたらどうする気だ?」
『あー…考えてなかったけど…母さんに悪いからバイトしながら卒業認定受けようかな』
そうか、何も考えてなかった。専願で雄英受けてるし、俺が落ちたら出久は泣くかもしれない。国公立の定員割れは、今から出願して間に合うのだろか
「…………もしお前がやることねーなら、俺のとこに来い」
『…雇ってくれるってこと?』
「そんなとこ」
『業務内容は?』
「俺と手駒の中間役」
『初っ端から中間管理職って、俺、期待されてる?』
「ああ、いい働きを見せてくれよ」
『うん、落ちたらってことで。ありがとう』
自分から話そうとしない仕事を誘ってくるなんて、天変地異の前触れだろうか。そもそも誘ってもらったってどんな仕事をしてるかもわからないのにとりあえず中間管理職しろっていうのはかなりの難易度だ。それでも、必要として声をかけてくれるのは少し嬉しい。
笑えばさっさと目線が逸らされた。ついでについていた頬杖も外して、巻いたマフラーに顔を埋める。フードとマフラーのせいで顔のほとんどが見えないせいでだいぶ不審者らしい見た目だ。
もそもぞとパーカーの中を探ってそこから出てきた右手は中指だけ上げるような不自然な格好で黒色の携帯を持ってる。一連の動作を眺めてればマフラーから少し顔を上げて俺を見据えた。
「携帯」
『あ、連絡先?』
「そ」
電話番号が聞かれたから番号を伝えて、代わりにチャットアプリのIDをもらう。“とむとむ”と表示された真っ黒のアイコンに吹き出せば背を叩かれた。
「俺にも色々あるんだよ」
『知ってる』
吹き出したのは不問にしてくれるのか、目線を落として息を吐くと携帯をしまう。そのままポケットに手を突っ込んだまま息を吐くと立ち上がった。
「帰る」
『ん。またな』
「おう」
猫背気味な姿勢のまま、さっさと歩いて公園を出ていく。カフェモカはきちんと持って帰ったようで隣に缶はなく、俺も立ち上がった。
揺れる携帯には雄英から合否通知が届いたと母からで、今から帰ると返して歩き始める。駅二つ分も離れていない距離だから、20分もしないで家についた。
鍵を開けて家に入るとリビングには母さんがいて、目が合うなり封筒がさしだされる。
「出久は今部屋で見てるよ!出留も見てきな!」
『ここで見るからいいよ。別に普通科は特殊演出とかないだろうし』
封筒を受け取り、いつもの椅子に腰を下ろす。紙を片側に寄せて来られた封筒の端を切って、中から三つ折りの紙を取り出す。少し分厚い紙は開くなり合否通知と大きくタイトルがついていて、読み進めて一枚目を母さんに渡す。
慌てて受け取ったのを確認してから二枚目に目を落とす。どうやら試験の採点結果らしいそれはきちんと各学科、全ての点数が連ねられていて、まぁこんなものかと三枚目、四枚目も眺めていく。
「出留!」
『ん?』
勢い良く顔を上げた母さんはぶわりと涙を溢れさせて、苦笑いを浮かべる。
「おめでとう!!!」
『ありがとう、母さん』
「あの雄英に受かるなんて…!あとは出久ね!」
『ん。出久は大丈夫だと思うけどね』
五枚目の今までと違った内容に眉根を寄せてから、まとめて折りたたむ。母さんの手元にある一枚目以外を封筒に戻したところで叩きつけるような扉を開く音がして出久が飛び込んできた。
「母さん!兄ちゃん!やったよ!!」
嬉し泣きか、母さんと同じように涙を零しながら笑う出久にもう我慢の限界だったのかわんわんと泣き始めた母さん。つられて更に涙をこぼす出久を手招いて抱きとめた。
『おめでと!よく頑張ったな!出久ぅ~!』
「兄ちゃぁあん」
『春からまた一緒に学校通えるね~』
「、っ、よかったああ!!」
ぼたぼた涙をこぼしてそれを袖口で拭く。ちょっと阿鼻叫喚に近いその絵面に苦笑いを浮かべて、鼻をかむ母さんの隣に出久を座らせる。揺れてる携帯を取り出して見ると同じく今日通知が来たらしい勝己から合否を問われていて返せばすぐに既読がついて、短く言葉が返ってきた。
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