イナイレ


夏な訳でもないのに暑い。垂れてきた汗を仕方なく拭って息を吐く。ついでに視線を上げるとグラウンドを走ってる緑色が見えて手元のブザーを鳴らした。

『ちょっとこっち来い』

「え?」

もう止めるのか?と言いたげな目に早くしろと手招く。渋々寄ってきた緑川に飲みものとタオルを投げつければ文句を言いながら受け取った。

「来栖、段々間隔が短くなってないか?」

水分を取った緑川は眉根を寄せていて、それに息を吐いて身体を眺める。

『気のせいだろォ。足、違和感は?』

「大丈夫だ」

『ふーん。ならもう一回だなァ』

「ああ!」

途端に顔色を明るくして飲みものとタオルを置いた緑川は弾むように走ってグラウンドに向かった。

手元のストップウォッチを動かして、時間を測りはじめる。減っていく時間はさっきより少しだけ長く設定してあって、目視してる緑川のペースは一定を保たせてるから遅くはなってないが息が上がるのが早くなってた。頬杖をついて、走る緑川の足元、腕、姿勢を確かめる。フォームに崩れはないし、体力だって最初に比べれば保つようになってる。

身についたそれをどう使うかは緑川次第で俺が口を出すところじゃないだろう。

風に靡いてる緑色の長い髪が、懐かしいな、なんて目を瞑った。







「っと」

『……まだ浮くなァ。もっと重心下げろォ』

大きく外れたボールを取り蹴り返す。

喧嘩慣れしてんからか、対人用の上に蹴りが向かう癖が一向に直らない。

「は、はい!」

指摘すれば少しは増しになったがやっぱり上がる。的も定まってないし、改善点は上げたらきりがないだろう。

「おー、やってるなー」

店の仕込みを終わらせたであろう、姿を現したおっさんに溜め息を吐いてボールを飛鷹に返した。

『じゃ、ゲーセン行くから俺帰んぞ』

壁に立て掛けておいたスケボーを倒し、イヤホンをポケットから出す。

「ありがとうございました」

「あまり遅くまでいるんじゃないぞ」

礼儀正しく腰を折った飛鷹に手を振って、返事はせずにボードを蹴った。


×


緑川と飛鷹の様子を見て、たまに誘われる虎の練習に付き合う。それなりにこそこそと多忙な日々が続いてた。

流石にリズムを急に変えすぎたのか、だるさを覚えはじめた体に今日はすべて休みにして、ぼーっと練習してる様子を眺める。

「よっ!」

「まだまだ」

すっかり年下らしくもイナジャパ面子に心を開いた虎が全体に混じって練習するようになって、

「飛鷹さんいきますよー!」

「っ」

「いてっ」

「わーっ!すみません!」

まだまだ初心者の飛鷹の技術的差から来る孤立が目立つ。

「ふっ」

飛鷹を鼻で笑ってる不動だが、漏れなくこいつも性格的問題で孤立していて、一見まとまっているように見えて実にこのチームはバラバラだ。

キャプテンの円堂はいい調子だ!と明るい顔をしていて、エースストライカーの豪炎寺は時折遠い目をしてる。鬼道はチームを動かすために必死で、基山と吹雪は各々仲間に声をかけて練習をしていて、全体を見てはない。雷門のときからちょこちょこ見えていた一年たちは全体的に風丸についていってるようで、風丸は年下の面倒を見るのに忙しそうで、そういえば最近話した覚えがないなと目を細める。

風で舞い上がってしまった前髪を押さえて、難しい顔をしてる道也に視線を移す。次の対戦相手の戦法上、走り込みや基礎練はほぼ役に立たない。目処がつかなかったのか、ゆっくり考えたかったのか、道也は早めに練習を切り上げた。

いつもより早く終わった練習に、サッカー馬鹿の集まりであるこいつらは自主練を続けて、見てるだけ無駄かなと立ち上がる。

ポケットの中で、忘れずにマナー設定にしてあった携帯が揺れて、イヤホンを片耳につけて通話に切り替えた。

『はーい』

「もしもしと答えなさい」

相手を見ないで出たら、冷静な女性の声が常套句を告げる。毎回同じ返事なのに笑ってればため息がつかれた。

「それで、伝えておいてくれたのかしら?」

『あー…』

「か・い・と・くん?」

『急に本題に入りやがってせっかちだなァ』

外をふらつこうかなと思ってて門に向けてた足を翻し、道也の部屋に足を進める。

『言うタイミングなかったんだよ』

「私が話してから一週間はあったはずだけど?…まぁいいわ、わかっていたから今電話したの」

グラウンドを背にして寮に入る。練習を考えるのに戻ったはずの道也は今頃自室にいるだろう。

近道のために食堂を開ける。

「あ?」

「あ!」

「あ…」

不動、円堂、飛鷹なんていう珍しいメンツの癖に馬鹿の一つ覚えみたいに揃ってる単語。異様な空気の悪さに眉根を寄せた。

「…―諧音くん?」

不審そうに、右耳のイヤホンから聞こえてくる声に携帯を口に近づけて間を突っ切る。物言いたげな視線が集まったから口を開いた。

『聞いてる。今向かってんし』

「ええ、本当に頼むわよ」

『へぇへぇ。瞳さんマジせっかち。モテねーぞォ』

「余計なお世話です」

通話を切り、視線を軽く後ろに向ければ三人はバラけて出ていったところだった。

それ以外は誰にも会うこなく無事に部屋の前について扉を一回叩く。

『いんのはわかってんだ、開けんぞォ』

開けば道也の姿はなくて空っぽの部屋に無駄足かよと舌打ちを溢した。待っていればその内戻ってくるかと部屋にあった道也作成ファイルを拾い上げ、ベッドに寝転ぶ。イヤホンを両耳にかけ音楽を流し込みながらページを捲った。

道也なりに色々とイナジャパの情報を纏めてるみたいで、1ページ目はキャプテンの円堂。ポジションの欄に目を瞬いて瞼を下ろす。

円堂ってリベロもしてたのか。







頬になにかが落ちてきて、目を一度しっかり瞑る。もう一度落ちてきた冷たいそれに今度は目を開いた。

『…………』

「…起きたか」

また落ちてきた水滴は鼻先に落ちて、こめかみを伝って流れてく。

ぼーっとする頭で手を伸ばして毛先に触れた。

『……風呂、…?』

「時間が空いたからな。」

『…ん、』

ああ、寝起きは頭が動かなくて参る。寝返りをうって、体勢を仰向けからうつ伏せにした。枕に顔を押し付ける。

「それで息ができてるのか」

『――~…』

くぐもった声で返せば道也が後ろで溜め息をついた。寝るときは大体仰向けだが、うつ伏せのが落ち着く。深呼吸して、思考がだいぶ戻ってきたところで体を動かし、横を向いた。

『……ふつか、ご、…試合…』

道也が目を見開き、眉間に皺を寄せる。さっさと拭けばいいのに、そのままにしてる髪から垂れた水滴が俺の頬に落ちてきた。

「試合って、どことだ」

『……新生イナジャパ……?』

「……そんな大切なことをなぜ今更…」

うっせーな、忘れてたんだよ。なんていつもなら言い返すけど、眠くてしゃべるのも面倒だ。

『だから、…つめてぇ…』

髪から垂れてきた水滴が目尻近くに落ちてきた。目をつむって、流れたのを確認してからもう一度開く。

『ちゃんと拭けよ』

「風呂から出たらお前がいたんだ。先に起こさないと話にならないだろう」

寝起きが悪いのは公認だから弁明のしようがない。また顔に垂れてきた水滴を、今度は道也が仕方なさそうに拭う。

「ねぇ、お父さ―………」

冬花は見た目と裏腹に存外せっかちな奴で。ノックの後に返事してないのに扉を開けた。

「どうした、冬花」

顔を上げ俺から手を離した道也に俺も起き上がる。

「あ、えっとね…大丈夫。私気にしないから」

『「は?」』

要件も口にしないで冬花は扉を閉めていった。

『彼奴なにしに来たんだァ?』

「知る訳がないだろう…」

顔を合わせて首を横に振った。







瞳さんの伝言はちゃんと伝えて、俺の仕事は終わったからゲーセンに向かう。

工事のせいで交通止めに遭い、いつもとは別の場所を通った。

『ア?』

赤い看板の店。扉を開けたままの軒先にしゃがみこむおっさんが視界にちらつく。

『おい』

胸を押さえ踞ってるこのおっさんはあれか、響木のおっさんだ。胸元を抑えて、奥歯を噛みしめて呻いてる。明らかに尋常じゃないその様子に焦りがうまれた。

「っ、ぐっ」

『救急車呼、』

発信しようとした瞬間、服を掴まれる。

「大丈夫、だ」

『今にも死にそうな面してほざくな』

重そうな体を揺らして立ち上がった響木のおっさんは、掲げようとしてた暖簾をしまう。今日は流石に開けないらしく、依然顔色の悪いそれに眉根を寄せた。

『通院してんのかよ』

「……いや…」

『死に急いでんのかァ?』

ダイヤルを消して近くの病院のページを開けばあっさりと予約が取れた。

『なら今すぐ行け。平日だし午後診療まだ混んでねぇだろォ』

止めようとして手を伸ばしたところで固まってたおっさんと目があって睨みつける。

『おら、行くぞおっさん』

「……勝手だなお前は」







おっさんを病院へ押し込み、中庭で時間を潰そうと足を運べば、よく似た兄弟が散歩していて、兄貴の方は車椅子に座り、サッカーボールを膝に乗せて笑ってた。内情は知らんが複雑そうなそれを横目に離れようとしたところでボールが足元に転がってくる。

「あ…」

弟のほうが蹴ったのか、俺を見て怯えたように声を漏らした。

『……』

ボールを足の甲で拾い上げ、頭で二回跳ねさせた後に膝に乗せて軽く蹴り返す。きちんと受け取ったと思うと目を点にしてから頭を下げて、兄弟は揃って目を輝かせた。

「ありがとう!」

「お兄さんサッカーするんですか!」

『…俺は、』

「もう一回!もう一回見せて!」

キラキラとした目で見られたら、何も言えなかった。

ボールを頭で跳ねさせて、背中に乗せたりして、膝上で受け取ったあとに後ろに蹴って踵で蹴り上げ前に回ってきたボールを足の裏で押さえた。

『ほら』

「お兄ちゃんすごい!」

「次背中乗せて!」

「そのあとリフティング!」

「ジグザグのもう一回みたい!」

もうどれくらいやってるかわからねぇし、同じようなことの繰り返しの割に飽きない子供からのリクエストは尽きない。

『注文多いなァ、お前ら…』

リフティングして、背中を通して、何か別にやろうかなと高くボールを蹴り、俺も跳ねた。

「来栖」

『っ!?』

唐突に耳に届いた低い声に一瞬体制を崩して、右足で蹴ろうとしてたボールをなんとか左足で掠める。勢いのまま反転しながら着地して、落ちてきたボールをおっさんが両手で受け止めた。

『…………』

「………」

「「「わぁ!!お兄ちゃんすごい!もう一回!!」」」

途中から目立つ頭したガキが増えリフティングしてやってればおっさんが来たことに気づかない大失態。

もうどうにでもなれとヤケになって、リクエストを捌いていれば若きサッカー選手志望の子どもたち三人は看護師に回収されていったから別れを告げて帰路につく。

「……子供好きなのか」

『んなわけねーだろ』

「あの三人にサッカー教えてただろ?」

『どっから見てやがった、てめぇ…、?』

睨もうとしたところで高架線下の小さなグラウンドに二つの人影を見つけ会話をやめる。目を凝らさずともオレンジのバンダナと紫色の独特な髪は見間違いようもなくあいつらだった。

「おお、彼奴ら、ここで練習してたのか」

言葉から察するに、円堂に練習を頼んだんだろう。一匹狼っぽい飛鷹を懐柔したのか、仲睦まじい様子に息を吐いた。

『円堂ウイルスの感染力すげぇなァ』

「おいおい、凄い言いようじゃないか」

イヤホンを耳にかけ、ずっと抱えてたボードを地面に置く。

「混ざってこないのか?」

『円堂ウイルスに感染したくねーしな』

引き止めるような言葉を無視して、音楽を流し始めたイヤホンを左耳にもつけ地面を蹴った。







少し早く目が覚めて、飯を食おうと食堂の扉を開く。一斉にこっちを見た視線に空気が途切れたのを感じた。

「「「……………」」」

また空気ぶっ壊したなァ。

朝飯食い終わってんだからとっとと食堂から出ていきゃあいいのに、なんか滅茶苦茶騒いでる。作戦会議らしいそれの議題は必殺技。さぁ、特訓だなんだと騒ぎ、出ていく全員。円堂が俺もと騒ごうとしてたけど風丸にさっさと引き摺られていった。







「すまない、また、ちょっとだけ、時間をくれないか?」

泣きそうで、それでいて今にも叫び出しそうな表情の緑川は冷静を心がけてるのか声色が低く硬い。

震えてる両手に目を向けて、逸した。

『いつ?』

「いつ、でも…いい」

唇を結んで黙ったから返事を悩んで、揺れる携帯がうるさい。

『寝る前、俺の部屋集合なァ』

「…わかった」

頷いた緑川はへらりと笑ってみせて、なんだからしくないなと思った。

だからと言うわけでもないが、練習の様子を注視していれば一応目立って変わったところはない。何に引っかかってるのか、少しでも分かればと思ったけど原因を探すのは難しそうだ。

気分を変えようとたまには飯を食堂で食べて、一息ついてからボールを片手に外に向かう。

「いいよもう!」

グラウンドで、叫んでる奴がいた。

一緒にいんのは、たしか基山で、エイリア()学園、もといお日さま園出身の二人がくっさい友情を確かめあってるところに出くわしてしまったらしい。美談に違いはねぇが滅茶苦茶気分が落ちた。

なにもかも気が失せて踵を返す。

つい五分前に出てきたばかりの部屋に戻って思いっきり扉を閉めると大きな音が響いて、持ってたボールを手放す。転がっていくのを感じながらベッドに倒れ込んだ。

友情とか、努力とか、必要なのに違いはねぇ。違いはないけど、今の俺は見たくなかった。

枕に顔を押し付けて、息を吐きながら目をつむって、早くなったまま治まらない心臓を落ち着けようとして、失敗する。段々強く、早くなっていく心音と息が苦しくて、呼応するように頭痛が誘発するから何も、考えられなくなる。

_痛い、辛い、寂しい。

余計なものが無くなって、空いた俺の中で暴れる感情は俺のモノに思えなくて、

_助けて、苦しい、ねぇ、―――。

はっと息を吐いたところで背が撫でられた。

「来栖…?」

ゆっくり、落ち着かせようとしてるのか不慣れそうに手が動く。

「大丈夫…、か?えっと、」

聞こえてきた声は聞き馴染みたものではなくて、求めてた半身の声でもないけど、そのまま意識を落とすには十分だった。

『かい、あ』

「え?」

手を伸ばして、逃さないように、捕まえて。

『、いあ…』

「え、あ、来栖??」

戸惑う声が聞こえてたけどそのまま目を瞑って、意識を落とした。


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