イナイレ


夕暮れ時に賑わう商店街を抜けたところにある店の扉を開けた。中から溢れてくる空腹を刺激させる料理の香り。昔ながらってほど古くはないけど、新しくはない洋食屋。

「いらっしゃ…あら、諧音くんじゃない」

迎えてくれたのは人の良い柔らかい笑顔をした女性はあの頃と変わってないように見える。

正しく俺の名前を読んでくれたことに頬が緩んで、自然と笑みがこぼれた。

『こんちは、お久しぶりです』

頭を軽く下げてから椅子に座る。

「本当、久しぶりね。ずっと会いたかったのよ。元気だった?」

グラスと手拭きを渡して微笑む女性から目線を外しながら口を開く。

『色々…忙しかったから。元気だった』

最後に来たのは何時だったか

ボードを壁に立て掛けて、イヤホンを外してから女性と軽く話す。当たり障りなく、けれど俺の話を聞いてくれるその人といるのはいつだって柔らかく心地良い。

「――――!」

喋ってるとキッチンの方からまだ声変わりのしていないくらい高めの幼い男子の声が聞こえてきた。

耳を傾けていたわけじゃないからなにを言ったのかまでは聞き取れなくて、それでも俺に対して向けられた言葉じゃないだろうから相手を見る。

『バイト?』

聞き覚えのない声に隣の女性へと声をかければ微笑まれた。

「息子よ」

ふふと笑い声を転がす。

『息子って…、たしか虎…虎、んん、ごめん、なんだっけ…?』

「あらあら、あんなに遊んでくれたのに」

古い記憶を引っ張りだす。昔よく来ていた頃に遊んだ、俺の3つ下の子供の顔も名前も、あいにくと思い出せなかった。

声の主がキッチンから顔を覗かせる。

「まだ忙しくないんだから母さんは寝てて…あれ?来栖さん?!」

『あ?』

女性を呼び戻していた声は何故か俺の名前を呼ぶ。顔を上げればそこにはエプロン姿の宇都宮がいた。

宇都宮虎丸とフルネームを思い出して、それから、俺がなんて呼んでたか思い出して手を叩く。

『ああ、虎か…』

「く、来栖さんがどうしてここに…」

『食事に』

吃りつつ怯えるように眉を下げてる虎から当たり前のことを聞かれて、眉間に皺を寄せる。

「え?!ご飯食べに来たんですか!?」

『それ以外食堂になにしに来るんだよ』

「それは、その、ううん、」

「さて…諧音くん、どっちにする?」

戸惑う虎を睨む俺に、微笑みながら問う女性に一瞬なんて答えるべきかわからず固まる。どっちなんて選択肢を与えられてもなにを聞かれたのか、即座に理解できなかった。

二秒くらい間を開けて、探り出した記憶の中にあった言葉を答えれば女性は笑う。首を傾げてる虎の背中を押して一緒にキッチンへと消えていった。

こんなことで動揺するなんて、ばかみたいだ




「お、お待たせしましたー」

キッチンから皿を持って現れた虎はまだどこか吃り気味で、普段通りに仕事したらいいのにと思う。

『ああ、ありがとォ』

テーブルの上に置かれた皿にはミートソーススパゲティが盛られていて、上にオムレツが乗ってる。

フォークでスパゲティを一口分に巻いてから運ぶ。4分の1くらいそのまま食べてからオムレツを割って卵と一緒に食べる。もう半分食べたところで一度口を拭き、水を飲んで口を開いた。

『なんか用か』

「あ、え、あの、」

ずっとカウンターの方からちらちらと視線を送ってきてるのは最初から気づいてた。随分と挙動不審で怪しい。慌てふためくだけで言葉を発しない虎に溜め息をついてから再びスパゲティを口に運び始めた。

食べ終わって口を拭ってると、虎が唸るのをやめて声をかけてきた。

「あ、あの」

『なんだよ』

目を向ければ虎は合った目線をそらして頬をかきながら、顔を見ないで口を開く。

「えっと、母に聞いたんですけど、来栖さんって常連さんなんですね」

『最近は来てなかったけどなァ』

残ってた水を飲むと虎がおかわりをついでくる。別にいらなかったんだけどまぁいいかと口をつけて置いた。

「来栖さん専用の裏メニューがあって俺ビックリしました!」

それは俺たちもはじめの頃には驚いたし遠慮したけど、いつの間にか慣れてむしろこれが当たり前になってた。

未だに頬をかいてる虎はなにか言いよどんでいて、待つ間につがれた水を半分減らす。

「そ、それでなんですけど…来栖さん……」

漸く口を開いた虎だったが初期設定のままの携帯の着信音が鳴り、遮られた。

『あ、わりぃ』

マナーモードにし忘れてた。虎は首を横に振り、どうぞ出てくださいと促す。店内には俺以外の客が今はいないから、操作して耳に当てた。

『なんだァ』

電話越しに聞こえてきたのは道也の不機嫌な声で、いまどこにいると低いテンションで聞かれる。

『虎んとこの店。飯食い終わったしもう帰るんじゃね、多分』

「まったく、諧音、お前今何時だと思って、」

最後に付け足した言葉が気にくわないようで、なんか言ってたけど面倒になって通話を切って終わらせる。マナーモードにしてからポケットにしまった。

『ん、待たせたなァ。虎。で?なんだって?』

「え、あ、はい!あの、うええ!?」

『はぁ?』

目線を右往左往させながらぱちぱちとまばたきを繰り返す虎を見つめるのに飽きて、残ってる水をまた半分飲んだ。

「あ、えと、いや、なんでもないです…」

『はぁ?いいから言えよ』

「ははい!あの、よろしければ手伝ってもらえませんか!?」

『あ?主語がねぇ。もう一回、やり直せ』

最近は主語を忘れる奴が多すぎる。虎の頭を小突き促せば額を擦りながら口を開く。

「その、店を手伝ってもらいたいんです!あの、最近俺だけじゃ間に合わなくて、母さんにまで手伝ってもらうことが多くて…それで…その……」

尻すぼみな声に話を理解した。

たしかにあの人は体調が悪そうに見えたし、こいつまだ小学生なのに一人で切り盛りなんて辛いだろう。

この店も昔からあって常連客が多いとはいえ、収入を得ていくためにはある程度の労働力が必要なはずだ。

考えるために黙ってる俺になにか勘違いしたのか、虎は肩を落として小さくなる。

「す、すみません…迷惑ですよね…」

『別にいーけどォ。何時からだァ?』

「いきなりすみませ…うえええ!!?いいんですか!!??」

『随分とオーバーリアクションだなァ?』

コップの中の水をすべて飲み干したところで、虎がまた水をつごうとしたからもう一度額を小突いてやった。


×


店を出て歩いているとまた電話がかかってきた。また道也かとも思ったが出たら最近会ってない大学生からで、ちょっと色々話があるからと、誘われて向かった。

話しなんていっても最近あったちょっとした出来事をぽつぽつと話すだけで、本題は別にあって、話もそこそこに手が伸ばされたから一緒にベッドに転がる。

ベッドの上ですやすやと眠る男はわかっていても歳上には見えないくらい童顔で、幼いそれが人を引っ掛けるのに使われてるけど中身は大変奥深くて可愛げがないのを知ってる。

疲れてるらしい様子に起こさないよう着替えを済ませて、髪を撫でててから上着を羽織る。

「んん…、…?かいちゃん…もうかえっちゃうの…?」

後ろから喘ぎすぎて掠れた声がかけられて、上半身だけ振り返る。

『今日は帰んねぇと怒られんだよ。じゃ、またなんかあったら呼べよ』

「やだなぁ…かいちゃんお見通し?」

『慣れてんからなァ』

男の髪を軽くすいてから、赤くなった目元を撫で立ち上がる。

「うん。またすぐ呼ぶね?」

『おー』

「はぁー…かいちゃん…一番の男にしたいなぁ…」

『それ何人の奴にいってんだァ?』

切り返せば男は自嘲して、ばいばい。またね。と手を振るから、額に唇を寄せればすんなりと眠りについた。

可愛い顔していてそれを自他認めるからこそ武器にして、それなりに人を手玉にとっているけれどたまに失敗するらしい。

再起不能な痛い目とまではいかなくても多少面倒事があったりとか、不安が産まれた時に穴を埋めるようにひっつきたがるところはちょっと似てる。

ゆっくりと歩きながら寮に戻れば、部屋に通じる廊下に仁王立ちの道也がいて、そういえばマナーモードにしっぱなしの携帯を見ていなかった。連絡もいれてないし、見てないだけで着信酷そうで、息を吐いて前を通りすぎ部屋に入ろうとしたところで手首を掴まれた。

『俺、疲れてんしねみぃーんだけど』

「…俺は、帰ってくるのは五時間前だと聞いていたんだが…?」

『あー、そう苛々すんなよ。色々あったん…っ』

言葉を言い終えるか終えないかで、掴まれていた手首が力強く引かれ壁に背中を打ち付けた。

掴まれた手首はじりじりと痛んでる。

『いってーなァ…なにキレてんだよ』

ぎりぎりと締め付けられる手首に眉をひそめてから見上げれば思ってた以上に近い距離に道也はいた。

『……壁ドンとか俺する側でされんのとか論外なんだけど』

「………いいか、諧音、冗談抜きで俺はキレてんだ」

がちめなトーンになんだかテンションが下がる。こんなことならあのまま朝まで寝てりゃよかった。

「こっちは心配してるんだぞ。お前、夜にはほとんどと言っていいくらいに帰ってこないし昼からゲームセンターに入り浸ってるわ、食事も睡眠も省くなと何回言えばわかる」

『明日からは虎んとこで店手伝う』

「また勝手に決めて…」

片方の眉だけあげ口の端をひくりと痙攣させる。別にそれなら健全だろ。

『道也がなんか言ってくる必要ねーじゃん』

「最初にも言ったがな…俺はお前が心配なんだ、諧音」

『は?人の話聞けよ。心配されることなんてねぇって………あ?』

苛つくあまり、冷静になった俺は視界の端にちらつく影を見つけた。

「どうした、諧音」

訝しげに眉をひそめた道也の声と同時に影は消えていった。何故か慌てた様子で誤解と面倒事の気配がしたから顔を上げる。

『サッカー馬鹿も夜ふかしすんだなァって思って』

見られていたと伝えれば、道也は目を見開いた後にため息をついて手首を拘束していた力を抜いた。

「もういい。今日はもう休んで明日は朝から練習に参加しろ」

『起きれりゃなァ』

「しろよ」

『しゃーね』

曖昧に承諾すれば道也は息を吐いて廊下を歩いていく。闇に紛れ背中が見えなくなったところで俺も部屋に入りベッドに潜り込んだ。

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