暗殺教室



一言で彼を表すのなら、僕は自分が所有する数少ない語彙の中からでも躊躇いなく『××』と示すだろう。

最近ではそこからほぼ同義の意味を混ぜ恋愛感情故にそうなってしまった人達のことを表す言葉もあるらしいが、彼の場合はもとよりそうだったため当てはまりはしない。

ただ単に、僕がきっかけで抑制していたもののタカが外れてしまったためもとより成長、環境の変化で抑さえることができなくなっていたものがすべて僕だけに向けられ解放されたのだろう。

それは僕に『歪んだ愛情』として鋭くも鈍くも突き刺さり、傷口を抉り、

緩やかに囲い、

牽制を始める。




『…………』

「大丈夫?!」

「清水くん!」

「ひどい…!」

「あっちだよね飛んできたの」

「ああ」

目の前鼻先を掠めかけたそれは綺麗に校舎の壁に当たり砕けた。

僕が察して上体を逸らさなければ、今頃側頭部にあたりよくて脳震盪、最悪死亡していただろう。

「あたってない!?」

「清水くんっ」

「だ、だ大丈夫ですか?!」

一緒に歩いていた内の潮田渚、赤羽業が僕に駆け寄り、奥田愛美が戸惑っていて、磯貝悠馬と前原陽斗は気づいたらいなかった。

犯人捜しに向かったようだ。

怒りやら不安やらで瞳を潤ませかけている赤羽業の頭を撫で笑った。

『これでも僕は反射神経も運動神経にも自信がある方でね、避けたから当たっていないよ。ただ少し驚きが勝ってしまったけど。だからそんなに慌てる必要も心配する必要もないよ。ああ、いなくなってしまった前原陽斗と磯貝悠馬を捜しにいかないとね。』

僕の言葉を咀嚼するのに三人は少々の時間を有した。

「当たってない…」

「………」

「よかった…っ」

息を吐いた奥田愛美と、犯人の消えたであろう方を見つめる潮田渚、緊張の糸が切れたのか人目も気にせず抱きついてきた赤羽業。

僕は一人、投げられ砕けたそれを見つめていた。



「清水ほんとわりぃ…」

「犯人みっかんなかった…」

疑念と安堵を持った三人と再度目的地であるE校舎へと向かっていれば途中からいなくなってしまっていたE組男子きってのナイフ演習好成績、運動神経の持ち主である前原陽斗と磯貝悠馬が申し訳なさそうに肩を落として戻ってきた。

落ち込む必要性なんてないだろう

あれに犯人なんていないのだから




クラスにつけば異様な空気を纏う僕らに周りは感付き、そして事実を知り、とても盛大に憤った。

「あんたにレンガ投げたやつがいるって聞いたけど…心当たりないの?」

なぜかそれは瞬く間にE組教師にまで広がったようで、現在僕はイェラビッチ先生に尋問を受け、烏間惟臣先生に安否を聞かれ、殺せんせーに泣きつかれた。

「聞いたら避けなければ頭直撃だったそうじゃないの」

本当にどこから漏れてしまったんだろう。

頭に直撃と聞いたクラス内が余計に殺気を増した。

『避けれたので傷一つありませんから大丈夫ですよ。』

笑んで見せれば先程から離れようとしない殺せんせーがぷにょぷにょと不思議な感覚のする触手で頬をつついてきた。

「下手すれば死んでしまうところだったんです。君はもっと怒りなさい」

「全くだな。これが君に向かっての攻撃だろうと無差別の攻撃であろうとあってはならない事態だ。殺人未遂にあたるだろう。本当に怪我はないのか」

あの烏間惟臣先生にまで心配されてしまうだなんて僕の落ち度だ。

僕は答えずに笑えばまた怒られ心配される。

怒るもなにも、僕はそんな怒るようなことをされた覚えはないのだから、殺せんせーも愉快なことを仰る。




―side 渚

昨日飛んできたレンガは無差別かと最初僕は思った。

隣を歩いていたのが前原くんと赤羽くんだったから。

二人ともたしかに恨みをかったりするけど、レンガを投げられたあとのあの冷静な様子からしてなんとなく、清水くんはこうなることを察してたみたいに感じた。

その日の内にクラスメイト、先生たちの耳にそれは届き、パニックと化した。

言及を拒むあの笑顔は、気のせいじゃなきゃ清水くんは隠し事をしている。

でも清水くんならボロが出るなんてよっぽどじゃなきゃない

だから、清水くんの隠し事に気づいた僕たちはあえて聞かずに話してくれるまでまとうと決めた。

はずだった

『おはようございます。今日は遅れてしまってもうしわけありません。珍しくいつものコンビニエンスストアにコーヒー牛乳が売っていなくて捜し回ってしまったんだよね。結局見つからずに違うものを買ってみたんだけれど…やっぱり飲み慣れている物のほうがいいな。それにしても今日は殺せんせーとイェラビッチ先生による英語の授業だったのをすっかり忘れていたよ。楽しみだったんだけどね』

「清水…くん?」

英語の授業も終盤。

がらりと立て付けの悪い教室の扉が開けば、普段とは違う銘柄のコーヒー牛乳を片手にし笑った、頭と手首に包帯を、頬に大きな絆創膏を貼った清水くんが姿を現した。

「あんたなによその包帯!」

『少々事故に巻き込まれてしまいまして』

普段通りの笑顔に安堵しかけるどころか不信感と怒りがわいてきた。

「はぁ?!事故!?」

「清水くんその怪我どうなってるの!?」

「なんの事故に巻き込まれたんだよ!」

クラスの皆ががたんと椅子から立ち上がり詰め寄る。

『事故と言いっても交通事故のようなものに巻き込まれたわけじゃなくて、ただ人助けをしたら怪我をしただけの怪我も擦り傷と切り傷、軽傷だよ。手当てが少し大袈裟なんだ。問題なんてないよ』

笑む清水くんだが、ふと見たら殺せんせーが赤と黒の間の色をした頭で瞬時に近寄り、清水くんの傷を多分見て次の瞬間、清水くんごと消えていた。

「清水くんかっさらいやがってあのタコぉぉぉっっ!!」

珍しく叫んだのはカルマくんで、教室から飛び出していった。

カルマくん心配して手を伸ばした瞬間にさらわれちゃったからかな。

「なぁ、あれ普通の人助けしてできる怪我だと思うか?」

「「思わない」」

菅谷くんの問いかけに全員が答えを揃える。

「あいつ今まで悪目立ちもしないただの生意気な餓鬼だったのにいきなりなにがあったの」

「わかんねーから悩んでんのー、考えてよビッチ先生ー」

ぎゃーぎゃー騒ぐビッチ先生を皆しかとして考えてれば話に混ぜなさいと怒り始めた。

「お前たちには心当たりがあったりしないか?」

「俺はなんにも」

「清水が命狙われるようなことするわけないだろー」

「優しいし」

「面倒見いいし」

「頭いいし」

「「かっこいいし」」

「あ、女子の本音でたなー」

中村さんも女子だけど倉橋さんと矢田さんを茶化し始めた。

「ええ。わたしもそう思うから余計にどうしてなのかわからないのよね」

「清水くんって、喋り癖とか食に関しては独特なだけで人望もあるし、勉強もできるから非の打ち所がないっていうか…」

神崎さんと僕の言葉に皆が余計に悩んでしまう。

「というか、あいつ気味悪のよ」

「あーっ、ビッチが清水侮辱したー」

「ビッチ言うんじゃないわよ!じゃなくて、あんたたちもそう思わないの?」

「んー…」

珍しく先生らしく聞いてきた。

僕達はなんとも言うことができない

「そうだな、彼はどこか言うことなす事が嘘臭いときがある。俺も信頼はしているが信用はしきれていない」

そういえば、清水くんはどこに住んでて、音楽やテレビ、メディアはなにが好きなんだろう。

気づけば僕達は清水くんをなにも知らない。





「どういうことですか?」

『なにがでしょうか?殺せんせー』

彼からすれば、気づいたら目の前が保健室に変わっていた。それなのに顔色一つ変えずに笑顔だった。

「君は先程かすり傷と切り傷の軽傷だから心配はいらないといいましたね」

ええ、僕自身は大丈夫だと考えています。と笑みを溢す清水くんの包帯と絆創膏を剥がし、しっかりと校則を守ってズボンに閉まっているワイシャツをめくった。

「私はこれが軽傷には見えませんね。うまく手当てがしてあるためにわかりにくいですが…左足に重心をかけないようにしていますよね。」

打ち付けたような背中の赤黒い痣。ガラスの破片やナイフのような鋭角なもので切った切り傷。深く抉ったように皮膚がむけた擦り傷。 左足は捻ってあるようだ。

『左足ですか…たしかに軽くは捻りました。やはり殺せんせーにはわかってしまうものですね、参りました。
ですが……殺せんせー。』

笑った彼は私の名前を呼んで、更に笑んだ。

『たしかに人からみたのならば重傷かもしれませんね。けれど、僕にはこの擦り傷も切り傷も捻挫も全てが軽傷なんです。大丈夫なんですよ』

それは間違いなく、これ以上人を踏み込ませないためだけの笑顔。

「君は…」

『今日の一時間目は本当に遅れてすまってすみません。今後の授業には間に合うようコーヒー牛乳は諦めて来ますね。諦め時が肝心だとよく言いますし』

捲られたシャツをしっかりとズボンの中にしまいながら清水くんは私の言葉を遮った。

同時に軋む廊下をかける足音が聞こえ、扉があいた。

「死ねこのタコ!」

銃を乱射しながら清水くんの隣に並んだカルマくんがナイフをこちらに向けながら威嚇してきた。

「清水くんなにその頬っぺた!タコ!?あのタコがやったの!?」

絆創膏の下の切り傷を見たカルマくんはわざとらしく取り乱し騒ぎたてわたしに切りかかってきた。

「ちょ、私じゃないですっ」

「タコ!このタコ!」

本気のカルマくんの太刀筋は細かく、大きく、本気じゃないですか?!

ひぃーとナイフを避ける。

「あとで教えて」

耳の良いわたしだから聞こえるような小声で呟かれた言葉にやっぱりと感じた。

清水くんは喧騒に気を止めることなく頬の傷を隠すように絆創膏を貼っていた。





移動教室で綺麗な廊下をクラスメイトと歩いていると、ガシャン、ガシャンと何かが割れた音と急激に熱の走った側頭部。

少し前にいた――の頭に黒いものがあたり眼鏡がかしゃんと落ちる。どさりと紐を切れた人形が床に崩れ落ちる様子が見えた。

視界の反転とともに女子の悲鳴と隣の男子の俺を呼ぶ声を聞いて、俺の視界が霞んで意識が暗闇へと落ちていく。

「あさ…の…が―ぁ―…」

最後に溢した俺の言葉を、誰が聞いてどう事態が動くのか、そのときの俺にはわからない





大きなガラスが割れたみたいな音に僕もクラスメイトも気付いて担任も顔を上げた。

なんの音か、少し嫌な予感がして僕はふいに窓の外を見た。

見えたのはこちらに、正確に言えば僕に向かって飛んできた黒い塊。

軌道は確実に頭部で、咄嗟に頭を守ろうと手を出した。窓の割れた音とほぼ同じくらいに手首が鈍い音を響かせ熱が走った。

クラスメイトの悲鳴と担任が僕を呼ぶ声が聞こえたが、手首の痛みのあまりガラスの飛び散る床にうずくまる。

ガラスで切って血の流れる頬や膝、肩よりも、火でもつけられたみたいな手首の痛みが強く、皹がはいったか下手したら折れてしまってるだろう

痛みに歯を食い縛る僕は近付こうにもガラスで近寄れない先生とクラスメイトへ安否なんて伝える暇なんてなかった。





「ごめん、昴…ごめんね…っ」

ガラスの散乱する床に寝転がる体。

目の前に映る、切れた肌から流れる赤いものに視界を滲ませ、流すまいとしていたそれは目の縁から頬を濡らした。





「清水…が?」

目を見開いたのは僕達だけではなく、先生もだった。





配給された殺せんせー暗殺専用のナイフとモデルガン、空のコーヒーパックと中身の入ったパック、まだ飲んでいない紫の野菜ジュースのパックと空のパック、全てが入った袋を共有ごみ捨て場のゴミ箱に置いた。





「……なんだよ…これ…」

一人遅れてきた俺を迎えたのは、クラスメイトでもあのタコでもなくて、廃れた見た目だけど俺たちの大切な居場所だった筈の、跡形もなく壊された机と椅子、黒板に挑戦がスプレーで書かれたE組だった。





「はぁ…すまないね…清水くん、」

霞む視界の中で、最後に呟いたのが彼の名前だったことだけは覚えていた。





『………もう疲れてしまったんだよ、僕は。だから―…』



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