暗殺教室
『………ん…んん…?』
着信を知らせる音楽を鳴り響かせる携帯に寝ぼけながらも手を伸ばして、通話ボタンを押した。
『オリジナル
風邪ひきの時間』
あくびを噛み殺しながら必要最低限の持ち物として携帯電話と定期券、財布を持った僕は目的地の家、玄関先に備え付けられたインターホンを押す。
聞き馴染みのある音が響いて空気に溶けていき、少し待てば、がんっと物が落ちるような大きな音と低いうめき声の後に鍵が開いた。
普段は跳ね一つ無い橙色の髪は毛先が四方に跳ねあがり、凛々しいぱちりとした瞳はまぶたが下がっている。
階段を降りている途中で打ち付けたのか浅野学秀は体をさすってた。
『やぁ、おはよう浅野学秀。君は相変わらず寝起きが悪いみたいだ。それなのにお出迎えありがとうね。
今は五時二十分、今日は日曜日であるにも関わらずどうして僕は君の家を訪問しているだろう。五時前に電話で起こされ睡眠時間を削られて今にも倒れそうなくらいに眠い。僕も君と似て朝は苦手なのに目覚めのコーヒー牛乳も野菜ジュースも飲むことができず歩いてきた僕の今の気持ちをレポート用紙にまとめて提出しろということなのかな。寝ぐせが直りきっていないのは時間がなかったからだから、笑わないでくれよ?
というか、ずいぶん痛そうな音がしていたけど大丈夫かい?いい加減落ちないように気をつけるべきじゃない?』
「うるさいよ…」
眠さのピークなのか、ふらふらと頼りなさ気に揺れていた彼の体は話してる間に僕に寄りかかりあくびを噛み殺すことなく零して、僕の髪に触れ笑んでる。
僕の訴えは彼の睡魔に勝てないようだ。
「ぼくだって、いきなりでんわで起こされて昴きたらむかえにいけとか、いみわかんないっての…ふふ、すごいねぐせ」
寝ぼけすぎてひらがなの多そうな口調は甘えている時の彼にも似ていて頬がゆるんだ。
一段落したのか、僕の髪を遊んていた手が降りていき僕の首に回る。
「んー」
『ここで寝ないでくれよ?浅野学秀』
顔をすり寄せて目を閉じた浅野学秀は寝起きなことも手伝い体温が高く、僕まで眠気を誘われる。
このままじゃ玄関先で二人して寝入ってしまいそうだ。
『ほら、中に入らせてもらってもいいかな?』
「ん…」
腰に手を回して、非力ではないはずだけど長く持たない僕の体力で彼を抱いて扉をくぐった。
靴を脱いで敷居を跨げば、ぐっと首の後ろにかけられてた腕に力が入れられ下を見る。
眠そうな表情の浅野学秀が笑んでいて、短く唇を重ねてきた。
「おかえり」
幸せそうに言うものだから思わず僕までつられて笑い、額にキスを贈る。
『ああ、ただいま。』
髪を撫でれば目を細めて、猫ならば今にも喉を鳴らしそうなくらい気持ちよさそうな表情を見せた。
「このまま、二度寝する?」
『それはとても惹かれるけど、先に用事を済ませてからでもいいかな?』
「しかたないから、ゆるしたげる」
伸びてきた手がまた僕の寝ぐせを遊んで、くっついたままゆっくり階段をのぼる。
「まったく、僕のすばるを呼び出すなんて」
別れ際、浅野学秀の膨らんだ頬にキスをしておやすみと告げた。
あくびをして僕の髪を名残惜しそうに触れてから頷いた彼は少し離れた自室にふらふらと足取りが覚束ない様子で入っていく。
きっとあのまま眠るのだろう。
あの様子なら昼すぎまで眠っているであろう彼に後で布団に潜り込みあわよくば僕も二度寝させてもらうおと考えをまとめたところで扉に向き合った。
こんこんこんと三回ノックをすれば、向こうからどうぞと返事がきた。
失礼しますと断り開けた扉の向こうには、デスクの前にある椅子に腰掛けた浅野學峯理事長が笑んでいる。
どこか違和感を感じる笑顔に心中で首を傾げ、部屋の中心まで足を進めた。
「すまないね、こんな朝早くから呼びつけてしまって」
『いえ、お気になさらず。電話で起こされるなんていう珍しい体験ができたので。それで、電話口では告げられなかったのですがご用件はなんですか?浅野理事長』
「ああ、少しね…。ここは学校じゃないんだから理事長は付けなくて構わないよ、清水くん」
いくら学校ではないといえ、お世話になっている同級生の親を他になんと呼べば良いのか悩み、未だに呼び方を変えることができない。
それを気づいているのか最初一回は訂正を示唆するのにしつこくすすめてくることはない。
じっと座ったまま笑みを崩さない浅野理事長を眺めていると、その後ろのデスクに広げられたA4サイズの紙束が目に入った。
今の今まで仕事をしていたのだろうね
『日曜日だというのに自宅でも仕事なんて、学校運営というのは休む間もない忙しい仕事なんですね。休日なのにワイシャツ、スーツを着込んで……、ああ、もしかして…浅野學峯理事長、失礼しますよ』
止めていた足を動かし眼の前に立つ。
座っている彼を見下ろして、違和感の正体に気づき額に触れた。
「気づかれてしまったね」
指先から伝わる熱に眉をひそめて、よく見れば赤らんでいる頬や汗ばんだ首筋に頭を抱えたくなる。
『風邪を引いているのなら先に言ってくだされば準備もできたのに、まったく、熱まで出ているのなら仕事はしないでくださいと言っていますよね。ベッドまで動けますか?』
「座ってるのもやっとなんだ、手を借りてもいいかな」
『もちろんです。移動したら着替えましょう、その格好では汗も吸いませんし気持ち悪いでしょうから』
片腕を脇の下に手を入れて背中に回し、右側から引っ張るように支える。
離れていると言っても五歩、六歩の距離を時間をかけて移動しベッドの端に下ろした。
「服はそこの棚に」
指された先のタンスの棚を家主の了承を受けて開ければ寝間着が上下で入っていて一着持ち戻る。
ワイシャツの前ボタンに苦戦していた浅野學峯理事長の着替えを微力ながらも手伝いベッドに寝転がした。
「はぁ」
すっかり熱が上がったのか息を吐いて眉根を寄せた彼に時計を見上げる。
まだ六時にもなっていないんじゃ買い物に行こうにも開いている店は少ないだろう。
『少し待っていてください。タオルケットなど用意してきますので。くれぐれも仕事をしたりしようなんて思わないで寝ていてくださいね』
「ふふ、ずいぶん信用がないな」
前科持ちの人が何を言っても信憑がないんですと付け足して一度部屋を後にする。
キッチンで水とスポーツドリンク、バスルームでマフラーサイズのタオルとバスタオルを二枚ずつ持ち部屋に戻った。
息苦しそうに肩を上下させ目を薄めてる浅野學峯理事長の枕元に立つ。
『仕事をしていないようで安心しました。喉が渇いているのではと思うんですが、水かスポーツドリンクなら飲めますか?』
「…みずを」
上半身を起こすのを手伝い、渡す前に一度蓋を回してぱきっと音を鳴らしてから彼に渡す。
「ん」
ごくりと喉を鳴らし飲む拍子に口の端から水が零れおちた。
小さめのタオルでそれを拭いたあとに少し減った水を受けとる。
「ありがとうね」
『気にしないでください。遠慮はいりませんよ。気分が悪くなったらすぐに言ってください、手洗いも同様です。あと暑くはありませんか?』
「…寒い」
僕から見れは暑そうなのだけど、寒くて仕方ないのかかけたばかりのバスタオルと布団に丸まった。
手を伸ばして汗で張り付いた前髪を撫でる。
『ゆっくり休んでくださいね。』
「すまない、学秀をたのんだよ」
意識が限界だったのか、息苦しそうな寝息を立て始めた浅野學峯理事長の髪を数回すいてから立ち上がって部屋を後にした。
風邪というのは生活リズムの不摂生やストレスなんて色々な原因でひくものらしい。
特に浅野學峯理事長の場合は大きな仕事が終わったばかりの休暇に熱を出す。
そんなとき一般的、大多数は家族に頼ったりするのだろうけど、彼の場合息子ですら声をかけることを控え何故か僕に連絡が来る。
たしかにとてもお世話になっているし遠い間柄ではないとはいえ、息子よりも頼られているというか弱みを見せてもらっているこの状況はいかがなものなのだろう
コンビニエンスストアで必要なものをカゴに入れてレジに出す。
スーパーマーケットと違い、二十四時間営業の多いコンビニエンスストアは便利だ。一つ一つの単価を考えるとあまり多用したくはないけれどたまにはいいだろう。
行きに締めていった鍵を差し込み開ける。
まだ誰も起きていないのであろう物音は聞こえずキッチンに荷物をおいて階段を上った。
最初に訪れた時と同様に三回ノックをして開け入ったベッドの上では息を吐いて眠る浅野理事長。
乗せておいた濡れタオルはすっかり生ぬるくなっており、どかして代わりに買ってきた冷感シートを貼り付けた。
首筋に触れるとあまり熱は変わっていないようにも思えるけど、残念なことに僕に医療の知識はないから正確な温度まではわからず息を吐く。
時計を見上げてまだ寝付いてから三十分も経っていないのを確認して部屋を出た。
勝手知ったる他人の家と言わんばかりにキッチンに立って食事の準備を終え、冷たい飲み物と買ってきたものの一部を持って階段を上った。
一応ノックをして扉の外から声をかけ、なにも返ってこないことを確認し扉を開ける。
ベッドに近寄れば荒い息を吐いてる浅野理事長がちゃんと眠っていて汗ばんでる額をタオルで拭った。
買ってきたばかりの箱を開けて冷感ジェルのついたシートを半分に切って首筋に貼り付ければ身じろいで目を覚ました。
「……しみ、ずくん…おかえり…」
起こしてしまったことに若干後ろめたさはあるものの、余裕がなさそうに笑まれたのを無碍にすることもできずにいつものように笑って汗で額にはりついた髪をなでることで誤魔化した。
『はい。ただ今戻りました浅野理事長。ぐっすりと眠られていたようですが気分はいかがですか?飲み物も、食事も用意しましたけどもう少し眠りますか?』
「……みず、もらえる…」
体を起こすのを少し手伝いキャップを外したミネラルウォーターを口まで運んで傾ける。
眠り乾燥することで喉が渇いていたのか何度か喉を鳴らして水を飲んだのを見届けてキャップを閉めた。
「…清水くん、もう少し寝ても、かまわないかな…?」
『もちろんですよ。まだ昼前ですし、眠れるのならば今のうちに眠ってください。貴方の体調不良は寝不足も含まれているはずですから』
おやすみなさいと前髪を撫でれば小さく笑った彼はゆっくりと瞼をおろして、暫くすれば寝息を立て始める。
寝顔を眺めていればふいに睡魔が現れてあくびを噛み殺した。
時計を見ればまだ時計の短針も長針も揃って上を指すまでは時間が有り余っていてもう一度眠る浅野學峰理事長を見てから部屋を後にする。
静かに扉を閉めた後にその廊下を奥へ進み突き当りの部屋の扉をノックした。
こちらもやっぱり起きていないようで扉を開ければベッドの上で布団に入り丸くなってる浅野学秀がいる。
部屋の中に入ってベッド脇に立ち寝顔を盗み見ればやっぱり親子らしくとても似ていた。
眠ることで幼くなっている寝顔に頬を緩ませてから艷やかな髪を撫でればなにか口の中で言葉をかき混ぜながらうっすらと眉間に皺を寄せて瞼が上がる。
「……………すばる、?」
『なんだい?』
「…………ふふ」
髪を撫で回してる僕の手に自分の手を重ねて幸せそうに笑った浅野学秀は瞼をおろして手を握る。
僕も笑って繋がれた手を握り返し、携帯をサイドボードに置いてから布団の中に潜り込んだ。
擦り寄ってきた浅野学秀の髪を空いてる手で撫でながら伏せられて長いまつげを眺めればまだ眠っていなかったのか胸に額が押し付けられた。
「すばる、」
『どうしたのかな?』
「…ありがとね、僕じゃどうにもできないから、いつも…ありがと―…」
途切れながら拙く柔らかな言葉が吐き出されて最後には寝息を立て始めた彼に、今頃似た表情で眠りについてる血縁者を思い浮かべて思わず笑む。
『どういたしまして』
親子はよく似るものらしい。
弱みを見せるのが苦手なところも、お礼を言うときは顔を隠してしまうところも、眠り際には素直になるところも
少し仲違いしている彼らだけれど、いつか全てとまでいかずとも蟠りがなくなって、心の底から笑い合えるようになったのならばその時には僕も、振り回されてる彼も、僕の知り得る全員でどんなに浅野学秀が赤くなって怒ろうと、何年越しの親子喧嘩の終結を祝ってあげよう
だけどとりあえず今は、ぐいぐいと意識を引っ張ってきてる睡魔に従おう。
『おやすみ、なさい…』
(あとがき)
昔の書きかけをサルベージ&リメイク。切り際がわからないのでここで終了。
このあとは浅野理事長にご飯食べさせるシーンの予定だったけど文字制限。
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