暗殺教室
E組はクラスの人数が他クラスよりも圧倒的に少ないため、クラス対抗の団体種目に参加しない。
しかしながら、今回の体育祭では男子のみの参加種目である棒倒しがA組対E組で行われることになっている。
そのために今、グラウンドにはA組の男子とE組男子が準備をしていた。
「に、しても…」
僕は片岡メグの隣でその様子を眺める。
「アンタなんでここにいるのよ」
じとりとイェラビッチ先生に見下された僕は表情も視線の向きも変えずに口を開いた。
『イェラビッチ先生は僕の教室で授業を受けるために座っている席に疑念を抱いたことはありますか?なくても構いませんが、僕の座席は奥田愛美の後ろです。あの席、正確には列は女子生徒の列になっているのに僕は転校してきてあの席へ座ることになりました。本来、僕は男子生徒なのであの席に配当されることはありません。けれど移籍時に少々不備があったようで僕の情報が女子で登録されてしまったみたいです。変更手続きを面倒で後回しにしていたんですが、おかげで今回の棒倒し僕は参加できず応援に回ることになりました。』
後回しにしてたのは面倒だからという理由だけではないが説明する必要はないだろう。
女子として登録されているということにか、堪えきれず聞いていた全員が吹き出し顔を覆い、その場に崩れた。
烏間先生は体裁か僕への配慮か顔を背けただけだったけど、残念なことに小刻みに揺れている肩は隠しきれていない。
今回の棒倒し、磯貝悠馬のバイトを黙認するという名目でA組がE組を打ちのめすのが目的だ。
そのために選ばれたこの棒倒しという競技。
グラウンドを見れば武装したA組の男子面々に最後の指示を出す浅野学秀が目に映った。
彼が舞台をこれにした決定打はきっと、僕がいないからだろう
良くも悪くも僕は彼のことをよく知っていて、彼は僕のことをよく知っている。お互いの行動パターンなんて息をするよりも想像が容易い。
彼はおそらく、使えるものは全て使う。
A組の戦法はともかく、E組の戦法は全て把握しているつもりだ。
そこから導き出される彼らの行動の対処は浅野学秀にしかできないやり方をする。
ならばそれは、確実に格闘技だ。
僕の知るところ彼が習っているもの、いたもので実践的に使えるのは柔道、空手だが、こちらの好戦具合により究めたものではないとはいえ合気道なんていうものも視野に入る。
なんて考えていれば久々になにかが滾った。
ぞくりとなにかが震え、口角が上がる。
こんな楽しそうなものに僕も参加したい。
きっとそう思うことは一般的に普遍で異常ではないと思ったからだ。
湧き上がる歓声にそっと目を閉じて目の前から視線をそらす。
棒倒しで勝ったのは圧倒的不利だと思われていたE組だった。
沸き起こる歓声は観客も当事者達からもで僕一人くらいが声を上げていなくても誰も気づかないだろう。
予想通り、周りは一人黙ってグラウンドを見る僕なんて気にも止めず盛り上がっていた。
「清水くんやったね!」
いつの間に近くにいたのか、茅野カエデがはしゃぎ声をかけてくる。
そうだねと笑って戻ってくる彼らを迎え入れた。
「…………」
「浅野くん大丈夫?」
最終種目、毎年恒例の種目に出場するため僕が待ち合わせ場所に行けば膝を抱えて座り込む浅野学秀とそれを心配する小林兼治がいた。
「あーさーのーくん」
近づいてみれはなにか浅野学秀は言っており、要約すると負けてしまったことに対する焦り、怒り、恐怖といったもののようだ。
「清水くん、これほっとくとまたなっちゃいそうだからお願いしてもい?」
その間に準備してくるからと僕の肩を一度叩いて任せたと走って行く小林兼治。
この役割分担もだいぶ慣れたものだ。
『悔やむのは構わないけど…浅野学秀、君は落ち込んでいる暇なんてないんじゃないのかな?今の君の姿を見られたのならばこのあと確実に会うであろう浅野學峯理事長や、君のために来てくれた四人の留学生にも顔が合わせられないだろう?
本音を言うのならば、君は善戦したと思う。結果主義の浅野理事長は納得しないだろうが僕も小林兼治もA組もE組も、責めたりしないよ。大丈夫、浅野学秀、いいかい、よく聞いて、ゆっくり息をするんだ』
隣りに座って冷たく少し震えている手を取り、額に滲んでいる冷や汗を拭ってやってから背中を撫でる。
普段よりもゆっくりな呼吸音を意識させるよう、乱れた呼吸音に耳を傾けた。
「っ、は…っ…はぁっ」
『そう、ゆっくり息をするんだ。しっかり吸って、吐いて』
小林兼治が気づいてついていてくれたのが功を奏したのかそこまで酷くはない。
「はぁ…っ、は……っ」
むしろまだああなる前で助かった。
「、…―昴」
落ち着いた浅野学秀が僕の名前を呼ぶ。
先程からタイミングをうかがっていた小林兼治も安心で息を吐いて隣にしゃがみ込み水筒を渡した。
「浅野くん、ゆっくり飲んでねー」
無言で浅野学秀は立てた膝の上に両手で受け取ったカップの中身を見つめる。
中身はほんのりと湯気が立ち上り、息を吹きかければ揺れてまた立ち上がった。
この時期にホットミルクはないだろうと思い中身を見ると、これは彼の得意なはちみつ入りのハーブティーのようだ。
少しずつカップに口付け飲み始めた浅野学秀に僕と小林兼治は目を合わせて頷いた。
椚ヶ丘中学体育祭で目玉種目といえばそれは対抗リレーと生徒は迷いなく言う。
対抗リレーの出場者がグループの色のはちまきを靡かせてグラウンドに集まりだす。
「おーおー、陸部にサッカー部にバスケ部に…」
グラウンドを眺める前原くんが引き気味に所属部活を言っていき、それを聞いたみんながこれまた引いてへーと相槌を入れた。
「ほんと、この競技は力の入れ方が違うよねー」
矢田さんがつまらなそうに頬杖をついて眺める。
「あら、この競技そんなに有名なの?」
「どうなの渚!」
今年初めて見るビッチ先生と茅野は僕を見て首を傾げた。
対抗リレーは1500mを3人から5人のグループで走る種目で、毎年メンバーは変わることが多いけど大体足の早い人たちが集まる。
去年は木村くんと女子で片岡さんが出てた気がする。
学年を問わないこの種目はちょっと特殊で、アンカーが400m走ること以外は誰が何m走ろうといい分担が可能なとこだ。
「へー、じゃ、去年誰が一位だったの?」
「え?えーと、誰だったかな…」
「あ、清水!」
吉田くんの声に顔を上げれば、さっきからずっと姿の見えなかった清水くんが額に少し長めの青色をした鉢巻をしてグラウンドに立ってた。
side Subaru
この対抗リレーに出るのは今年で二回目だ。
きゅっと緩んでいた小林兼治の青色の鉢巻を結び直す。
「清水くんにやってもらうと気がピシってするー!」
「そんなに結んでほしいなら僕が結んであげるよ、ほらこっちおいで小林」
「浅野くんこわいー」
目の前で繰り広げられる本人たちは至って真面目な茶番を見て笑った。
僕と浅野学秀が一年の頃、小林兼治はまだ入学していないため参加せず、二年からこの三人で組んで出場した。
僕達は今年卒業するため、小林兼治は来年どうする気なのだろう。
そもそも来年も地球があるかどうかわからないんだけどね
「じゃあ距離と走る順番確認するよ」
浅野学秀は小林兼治との茶番に飽きたのか向き直って説明を始める。
1500mを本来は5人、4人で分担するこの種目で3人なのは今年は僕達のグループだけだった。
「まずは小林が100m、次に昴が400m、僕が200m、小林が400m、アンカーに僕が400mだ。」
去年と同じ振り分けに特に異議はない。
スタートダッシュの得意な小林兼治を先に置き、肩慣らしも兼ねて浅野学秀が走り、僕は中継役。アンカーはもちろん浅野学秀だ。
「一位とろーね」
「何言ってるんだ。僕達が走るんだから一位以外ありえないよ」
それもそっかーとにこにこする小林兼治に僕もそうだねと返して集合場所に向かった。
side Gakushu
ぱんっと鳴り響いた音と共に風を切った小林は綺麗なスタートを見せた。
「見事なスタートで先頭は青チーム、続くは僅差で赤チーム、緑チームです。追いかける紫チーム、白チーム、黄色チーム頑張ってください」
実況の声と歓声を背景に駆けた小林は、一周走り終わり第二走者の昴にバトンを渡す頃には二位と50m程の距離をつけていた。
「青チーム第二走者清水くんに変わりました!
おお!これまた早い!」
バトンを渡した小林はふぅっと息を吐いて僕の隣に並ぶ。
その顔は汗をほんの少し滲ませてるだけの余裕あるものだった。
「小林、また本気じゃないでしょ」
ため息を小さくつきながら言えば小林は人懐っこく笑った。
「んー?清水くんも僕も頑張ってるよー?」
いつか、昴と小林が本気でなにか成し遂げようとする日は来るのだろうか
僕は眉間に少し皺を寄せて息をついた。
昴が400走ると周回遅れのチームが二つ出た。
二位に位置するのは陸上部で固めた赤チームでそれも半周以上の差がついてる。
バトンを受け取り僕は走りだした。
side Karuma
浅野がバトンを受け取り走りだす。
それまで小林と清水くんのつくった差にプラスしてぐんぐんた距離を広げてき、スタート地点と真逆の位置にある俺達の観覧席真ん前、半周100m走ったところで周回遅れの奴とすれ違う。
「あ」
他の奴らが気づくか気づかないかくらい微妙に、
「!」
前を走る周回遅れの緑のやつがスピードを落とした。
「浅野っ!」
それは周りから見てもわからない程度のことだけど、抜きにかかっていた浅野には大問題だ。
「ぅわっ」
避けようとした浅野が足の着地に失敗し、もろに足をひねってコケ膝をつく。
「先頭青チーム、浅野くんが転びました!後ろから赤チームが追い抜きついに逆転!その後ろから白チームが追い上げてきてます!」
白チームに抜かれそうなところで立ち上がった浅野が右足を一歩踏みだそうとして顔をしかめた。
後ろから来た白チームともうひとつの周回遅れの黄色が抜き際、白を目張りにして黄色が浅野の右足を踏んだのが見え、浅野が歯を食いしばった。
抜いていった赤、白、紫、黄色と原因の緑は共謀してるっぽい。
「なにあいつら最低っ」
「ありえねぇ!」
他のクラスの奴らは遠くて見えてないだろうこの行為に気づいてたのは俺達くらいで怒りをあらわにする。
「浅野がんばれ!」
磯貝がでかい声を上げ、クラスのみんなも次々に浅野を応援する。
浅野は痛みからか歯を食いしばって走りはじめたけどそのスピードはさっきまでとは比べ物にならないくらい遅く、ここからの追い上げは無理だと思う。
浅野がバトンを交換する頃には下手したら周回遅れになってるんじゃないか?
ふと、同チームの小林と清水くんが気になって顔を上げた。
side subaru―――…
競争心、それだけではなく本気というそれや勝利にこだわるというその気持ち、思考は、僕と小林兼治に欠落している感情で、僕達の中で唯一浅野学秀だけが失わなかった感情だ。
「ああ、なんだろうね、この気持ちは。ねぇ、清水くんどうしよう。僕は今、おそらくだけど腹が立っているんだ」
ちらりと隣を見れば小林兼治はいつもの笑顔を繕えず、口角だけを上げて服の裾を握っていた。
『…奇遇だね、僕も同じ』
半分足を引きずるようにしてコーナーを周り戻ってきた浅野学秀の姿を他色の鉢巻をした彼らが堪え切れないように笑んだ。
「ああ、ねぇ清水くん、僕さぁ、これはだいぶ許せないと思うんだよ」
『うん、僕もだ』
ちょっと、いいや、ここで負けるなんて許せない。
「浅野くんを頼んだよー」
小林兼治に頷いて一緒にバトンラインに近寄る。
「っこばやし」
帰ってきた浅野学秀からバトンをもらった小林兼治は膝をついてごめんと謝った浅野学秀の頭を撫でてから最初とはまったく別物の速さでトラックを走る。
二周分、彼に任せてる間に肩を貸して浅野学秀をトラック内に誘導した。
浅野学秀は痛みをこらえてるようで眉をひそめ、歯を食いしばっている。
『足、見せて』
「っ、」
触れると喉の奥から声が漏れだし、紐を解いて脱がせた靴を置いて靴下を下げれば痛々しいほどに赤黒く腫れていた。
ああ、だめだ。
「浅野くん大丈夫?!」
近寄ってきた養護教諭が目を丸くし救急箱をとりに走っていく。
「ごめん、僕が足引っ張っちゃって」
苦しそうに吐かれた謝罪に僕は彼の頬を両手で包み上げた。
瞳が潤んでいるのは罪悪感や痛み、悔しさなのだろうけどそれは間違ってる。
溜まり落ちそうになる涙を掬い笑った。
『謝る必要なんてない。安心して、……僕も兼治も、負ける気はないよ』
見開かれた目に僕は笑んで、立ち上がりアンカーの証である鉢巻と同色のビブスを着る。
僕の中でなにかがすとんと落ちた今、もうすでに負けるなんて選択肢はなかった。
大切な人を痛めつけられ泣かされ、黙っていられるほどに僕はできた人間ではなかったようだ。
「すばる…」
『大丈夫、僕らが一位以外ありえないよ。だから、笑って迎えてね』
スタートラインに立てば同じくビブスを着た他のアンカーがあからさまに目を丸くして僕を見る。
赤チームがアンカーにバトンを渡し、白チームも渡す。
小林兼治は周回遅れを解消し、黄色チームと緑チーム、紫チームを抜き去っていた。
「清水くん頼んだよ!」
『…ああ、』
バトンを受け取り地をけった。
side Nagisa
予想してなかった、っていったら嘘になるけど、本気の清水くんと小林くんはとてもすごくて敵に回したくないと思った。
浅野くんが満身創痍でバトンを小林くんに渡す頃には他のチームに抜かれきって周回遅れになってた。
それを小林くんは遅れを取り戻すだけじゃなく黄色、緑、紫まで抜いて清水くんにバトンを渡す。
清水くんは本来なら浅野くんが務めたアンカーのビブスを着ていて、走りだした清水くんもさっきまでとは比べられないくらいに速く、表情が違う。
今の二人は、
「あれが、清水の本気―…」
イトナくんが思わずと言った感じで言葉にしたそれは的確で、今の清水くんと小林くんは本気だった。
「清水くんかっこいい…」
「あの飄々としてる清水があんなに…」
「本気というか、あれ、キレてるわね」
みんなが目を丸くしたままで清水くんの変化を口に出す。
トラックを見れば清水くんは白も赤も抜いて、ゴールテープを一番に切って、そのまま小林くんと浅野くんのもとに近寄っていった。
side Subaru
「清水くん!」
「昴!」
どんっと同時にきた衝撃に堪えきれず後ろにのけぞりかけ腰を硬い地面に打ちつけた。
「ありがと、っ、小林、昴」
「僕はなんにもしていないよ。浅野くんが頑張ったから一位なんだ」
『兼治の言うとおりだ。君が頑張っていなければ僕も彼も走らなかった。
だから、お疲れ様。君が一位だ、学秀』
side Ren
見事二年連続一位をとっていった浅野と清水と小林のグループに僕達は賞賛と拍手を贈る。
「なぁ、俺気になんことあったんだけど」
順位発表を待たず、小林と清水に肩を貸りて歩きはじめた浅野を眺める。
ずいぶんひどくやられてるんだろうな。
「俺もだけど、…多分今は言わないほうがいい」
気づいてる瀬尾に小山が静止をかけ、荒木も僕も頷いた。
これ以上悪化しないよう口を噤む。
もしあれで浅野がどうしようもないくらい負傷していたなら、清水と小林が本気でキレただろう。
「美人の真顔は怖いからねー」
清水と浅野と小林の小学校以来の知り合いである荒木は思い当たるのか苦笑いをして眼鏡をなおす。
「ま、俺らがどーすることもできねーのは承知だけど、一応、なぁ?」
「うん、ちゃんと名簿は控えとくさ」
こういう時に立場が上だと色々と便利だ。
選手名簿を持つ荒木が笑う。
「あと半年、無事に終わるのか?」
小山の言葉に僕らは肯定も否定も返さずに、仲睦まじく一位を取っていった三人の背中を眺めた。
side Subaru
手当を終え、留学生の彼ら四人と理事長室に向かった浅野学秀と別れ、荷物をとりに戻ると向かいから僕の荷物を持った荒木鉄平が現れた。
「浅野は大丈夫そう?」
荷物を渡され彼の調子を聞かれ大丈夫と返せば安心したのか息を吐いた。
『君こそ、…あの子に変に目を付けられたりしていないかい?君だけと言わずあとの三人も入るんだけどね。』
「ああ、大丈夫、大丈夫。たぶんだけどね」
言い切れないのは彼が悪いわけではないから責めることはなくそうかいと笑って返した。
「清水たちこそ…そろそろやばいんじゃないか?」
鋭いねと苦味を含めて笑えば重く息を吐かれる。
あまりため息ばかり付いていると幸せが逃げると言うから控えたほうがいいんじゃないかな
「これ以上何かあったら、言えよな」
荒木鉄平が僕の肩を叩いて、耳元に口を寄せる。
「リストアップしといたから」
小さな声で言われたそれは僕と彼以外聞こえていないだろう。
「んじゃ、俺これからテープの編集とかあるから失礼するわ。」
また月曜日と手を振って彼は放送室のある東側に進み廊下を曲がった。
まったく、小学校から知っているだけあって彼は侮れないね。
受け取ってそのままにしていた鞄から携帯を取り出し電源を入れる。
本体スキャンが始まり、メールが数件と電話の不在履歴が数件表示されだす。
若干の躊躇いを覚えて不在履歴からではなくメールから確認するとE組の面々とA組の面々からで、一つ一つ見るのはやめ差出人のみを確認し一つ息を吐いてから不在履歴を確認した。
一番上の着信履歴以外は一緒のもので、最も新しく一つだけ名前の違うそれに折り返し電話をかける。
一つ、二つ、コール音を聞いているとぷつりと音が止んだ。
「お疲れ様、昴。どこにいるの?」
記憶に違わない低い声に安心して息を短く吐くだけの少しの間を置いてから返事をする。
『ようやく後片付けが終わったところでまだ学校だよ。今から荷物を持って出るところさ。そちらはもう家についたのかな?』
「ああ、もうすぐで家だよ、昴も早く帰っておいでね。」
今日は帰らないと行けないなと心中でため息をついてああ、と返す。
「それじゃあ―…ん?うん、そうだよ」
最後にまた後でとでも言おうとしてた言葉を遮り電話の向こう側で誰かが声をかけそちらに返事をする。
相手は、彼だろうか
「ごめんね、昴。じゃあ気をつけて帰っておいで。お疲れ様。」
『…―うん、ありがとう。
…彼にもお疲れ様と伝えといてくれると助かるよ。じゃあね』
言い逃げるようにしてぶつりと切った電話をポケットに押し込む。
はぁぁっと腹の底から空気と一緒になにか吐き出すようにため息をついた。
『帰らないと、ね』
『……これは、いったい…。ああ、いやうん、わかってはいるんだけど理解が追いつかないというか理解したくないというか、ねぇ、小林兼治?』
「清水くんこのあと暇?」
『いいや、少し用があって今日は家に帰ろうと思っていたんだがこれは放っておけないからやめておこうかと考えているところだ』
「じゃあお疲れ様パーティしようよー」
『うん、それもいいかもしれないね。浅野学秀も招いて行おうか?』
「僕ねー、新しいハーゲンダッツ食べたい」
「いい加減に現実見ろ」
隣にいた浅野学秀の言葉に僕と小林兼治は目を合わせて左右に首を振り諦める。
「いたそー。保健室開いてるかな」
『開いていないけどここに先生がいるのだから使用することは訳ないだろうね。ただ、この状態の彼らを運ぶ労力とその最中に他の人に見られる可能性を考えるとここに保健室から手当するための道具を持ってきたほうがいいかもね。
して、僕達は説明もなしで呼び出されたわけだが、この惨状を見るだけで経緯が読めてしまったよ。まったく、部屋に入れば若干涙目の浅野学秀が飛び出してくるし、交換留学生の彼ら四人はしまさに死屍累々、浅野理事長は僕達を見て目線をそらすだけだから本当に困った親子だと言ってもいいよね。
それにしても酷いね…そっちは頼むよ小林兼治。少し触るよ』
「ぅっ」
カミーユが呻く。患部は若干熱を持ってるようで触れた場所が腫れている。
隣でケヴィンを見て振り返れば小林兼治が残りの二人を診きっており、僕は保健室に向かった。
野暮用を済ませ、応急処置をするために必要であろうものを拵えて理事長室に戻れば小林兼治が一人にこにこと笑っており、怪我だらけの四人が目を覚まし現状を苦い顔で眺めていた。
「あはは、すんごい血なまぐさいね。これはもうハウスクリーニング頼むしかないかなー?
あ、ねぇねぇ、パーティのアイス代は浅野くんのお父さんもち?」
浅野學峯理事長と浅野学秀は目線を床に落として隅の方にいた。
「…飲食物も私が持とう…我が家でやっていいよ…」
「僕、サーティーワンのおっきいの!べりーのやつ食べる!浅野くんは?」
「………ショートケーキとシュークリーム」
「あ、僕さっき清水くんに何食べたいっていったんだっけ…そだ!せっかく体育祭のために来てくれたんだし、みんなもどーかな?」
話をふられた四人は視線を彷徨わせて僕を見た。
小さく息を吐く。
『ほら、小林兼治浅野學峯理事長を追い詰めるのはそこまでにしてくれないかな、今は彼らの処置が先だろう?僕はカミーユとケヴィンの手当をするからそちらは任せるよ?
浅野学秀と浅野理事長はそこにいてくださいね』
置いた救急箱から取り出したガーゼを濡らしながらふと、さっきの会話を思い出した。
顔を上げて浅野學峯理事長を見る。
『僕は飲み物、コーヒー牛乳がいいです、浅野くんのお父さん』
ひくりと口角を痙攣させた浅野学秀と苦い顔をした浅野學峯理事長は親子と思い出させるほどに似ていた。
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しかしながら、今回の体育祭では男子のみの参加種目である棒倒しがA組対E組で行われることになっている。
そのために今、グラウンドにはA組の男子とE組男子が準備をしていた。
「に、しても…」
僕は片岡メグの隣でその様子を眺める。
「アンタなんでここにいるのよ」
じとりとイェラビッチ先生に見下された僕は表情も視線の向きも変えずに口を開いた。
『イェラビッチ先生は僕の教室で授業を受けるために座っている席に疑念を抱いたことはありますか?なくても構いませんが、僕の座席は奥田愛美の後ろです。あの席、正確には列は女子生徒の列になっているのに僕は転校してきてあの席へ座ることになりました。本来、僕は男子生徒なのであの席に配当されることはありません。けれど移籍時に少々不備があったようで僕の情報が女子で登録されてしまったみたいです。変更手続きを面倒で後回しにしていたんですが、おかげで今回の棒倒し僕は参加できず応援に回ることになりました。』
後回しにしてたのは面倒だからという理由だけではないが説明する必要はないだろう。
女子として登録されているということにか、堪えきれず聞いていた全員が吹き出し顔を覆い、その場に崩れた。
烏間先生は体裁か僕への配慮か顔を背けただけだったけど、残念なことに小刻みに揺れている肩は隠しきれていない。
今回の棒倒し、磯貝悠馬のバイトを黙認するという名目でA組がE組を打ちのめすのが目的だ。
そのために選ばれたこの棒倒しという競技。
グラウンドを見れば武装したA組の男子面々に最後の指示を出す浅野学秀が目に映った。
彼が舞台をこれにした決定打はきっと、僕がいないからだろう
良くも悪くも僕は彼のことをよく知っていて、彼は僕のことをよく知っている。お互いの行動パターンなんて息をするよりも想像が容易い。
彼はおそらく、使えるものは全て使う。
A組の戦法はともかく、E組の戦法は全て把握しているつもりだ。
そこから導き出される彼らの行動の対処は浅野学秀にしかできないやり方をする。
ならばそれは、確実に格闘技だ。
僕の知るところ彼が習っているもの、いたもので実践的に使えるのは柔道、空手だが、こちらの好戦具合により究めたものではないとはいえ合気道なんていうものも視野に入る。
なんて考えていれば久々になにかが滾った。
ぞくりとなにかが震え、口角が上がる。
こんな楽しそうなものに僕も参加したい。
きっとそう思うことは一般的に普遍で異常ではないと思ったからだ。
湧き上がる歓声にそっと目を閉じて目の前から視線をそらす。
棒倒しで勝ったのは圧倒的不利だと思われていたE組だった。
沸き起こる歓声は観客も当事者達からもで僕一人くらいが声を上げていなくても誰も気づかないだろう。
予想通り、周りは一人黙ってグラウンドを見る僕なんて気にも止めず盛り上がっていた。
「清水くんやったね!」
いつの間に近くにいたのか、茅野カエデがはしゃぎ声をかけてくる。
そうだねと笑って戻ってくる彼らを迎え入れた。
「…………」
「浅野くん大丈夫?」
最終種目、毎年恒例の種目に出場するため僕が待ち合わせ場所に行けば膝を抱えて座り込む浅野学秀とそれを心配する小林兼治がいた。
「あーさーのーくん」
近づいてみれはなにか浅野学秀は言っており、要約すると負けてしまったことに対する焦り、怒り、恐怖といったもののようだ。
「清水くん、これほっとくとまたなっちゃいそうだからお願いしてもい?」
その間に準備してくるからと僕の肩を一度叩いて任せたと走って行く小林兼治。
この役割分担もだいぶ慣れたものだ。
『悔やむのは構わないけど…浅野学秀、君は落ち込んでいる暇なんてないんじゃないのかな?今の君の姿を見られたのならばこのあと確実に会うであろう浅野學峯理事長や、君のために来てくれた四人の留学生にも顔が合わせられないだろう?
本音を言うのならば、君は善戦したと思う。結果主義の浅野理事長は納得しないだろうが僕も小林兼治もA組もE組も、責めたりしないよ。大丈夫、浅野学秀、いいかい、よく聞いて、ゆっくり息をするんだ』
隣りに座って冷たく少し震えている手を取り、額に滲んでいる冷や汗を拭ってやってから背中を撫でる。
普段よりもゆっくりな呼吸音を意識させるよう、乱れた呼吸音に耳を傾けた。
「っ、は…っ…はぁっ」
『そう、ゆっくり息をするんだ。しっかり吸って、吐いて』
小林兼治が気づいてついていてくれたのが功を奏したのかそこまで酷くはない。
「はぁ…っ、は……っ」
むしろまだああなる前で助かった。
「、…―昴」
落ち着いた浅野学秀が僕の名前を呼ぶ。
先程からタイミングをうかがっていた小林兼治も安心で息を吐いて隣にしゃがみ込み水筒を渡した。
「浅野くん、ゆっくり飲んでねー」
無言で浅野学秀は立てた膝の上に両手で受け取ったカップの中身を見つめる。
中身はほんのりと湯気が立ち上り、息を吹きかければ揺れてまた立ち上がった。
この時期にホットミルクはないだろうと思い中身を見ると、これは彼の得意なはちみつ入りのハーブティーのようだ。
少しずつカップに口付け飲み始めた浅野学秀に僕と小林兼治は目を合わせて頷いた。
椚ヶ丘中学体育祭で目玉種目といえばそれは対抗リレーと生徒は迷いなく言う。
対抗リレーの出場者がグループの色のはちまきを靡かせてグラウンドに集まりだす。
「おーおー、陸部にサッカー部にバスケ部に…」
グラウンドを眺める前原くんが引き気味に所属部活を言っていき、それを聞いたみんながこれまた引いてへーと相槌を入れた。
「ほんと、この競技は力の入れ方が違うよねー」
矢田さんがつまらなそうに頬杖をついて眺める。
「あら、この競技そんなに有名なの?」
「どうなの渚!」
今年初めて見るビッチ先生と茅野は僕を見て首を傾げた。
対抗リレーは1500mを3人から5人のグループで走る種目で、毎年メンバーは変わることが多いけど大体足の早い人たちが集まる。
去年は木村くんと女子で片岡さんが出てた気がする。
学年を問わないこの種目はちょっと特殊で、アンカーが400m走ること以外は誰が何m走ろうといい分担が可能なとこだ。
「へー、じゃ、去年誰が一位だったの?」
「え?えーと、誰だったかな…」
「あ、清水!」
吉田くんの声に顔を上げれば、さっきからずっと姿の見えなかった清水くんが額に少し長めの青色をした鉢巻をしてグラウンドに立ってた。
side Subaru
この対抗リレーに出るのは今年で二回目だ。
きゅっと緩んでいた小林兼治の青色の鉢巻を結び直す。
「清水くんにやってもらうと気がピシってするー!」
「そんなに結んでほしいなら僕が結んであげるよ、ほらこっちおいで小林」
「浅野くんこわいー」
目の前で繰り広げられる本人たちは至って真面目な茶番を見て笑った。
僕と浅野学秀が一年の頃、小林兼治はまだ入学していないため参加せず、二年からこの三人で組んで出場した。
僕達は今年卒業するため、小林兼治は来年どうする気なのだろう。
そもそも来年も地球があるかどうかわからないんだけどね
「じゃあ距離と走る順番確認するよ」
浅野学秀は小林兼治との茶番に飽きたのか向き直って説明を始める。
1500mを本来は5人、4人で分担するこの種目で3人なのは今年は僕達のグループだけだった。
「まずは小林が100m、次に昴が400m、僕が200m、小林が400m、アンカーに僕が400mだ。」
去年と同じ振り分けに特に異議はない。
スタートダッシュの得意な小林兼治を先に置き、肩慣らしも兼ねて浅野学秀が走り、僕は中継役。アンカーはもちろん浅野学秀だ。
「一位とろーね」
「何言ってるんだ。僕達が走るんだから一位以外ありえないよ」
それもそっかーとにこにこする小林兼治に僕もそうだねと返して集合場所に向かった。
side Gakushu
ぱんっと鳴り響いた音と共に風を切った小林は綺麗なスタートを見せた。
「見事なスタートで先頭は青チーム、続くは僅差で赤チーム、緑チームです。追いかける紫チーム、白チーム、黄色チーム頑張ってください」
実況の声と歓声を背景に駆けた小林は、一周走り終わり第二走者の昴にバトンを渡す頃には二位と50m程の距離をつけていた。
「青チーム第二走者清水くんに変わりました!
おお!これまた早い!」
バトンを渡した小林はふぅっと息を吐いて僕の隣に並ぶ。
その顔は汗をほんの少し滲ませてるだけの余裕あるものだった。
「小林、また本気じゃないでしょ」
ため息を小さくつきながら言えば小林は人懐っこく笑った。
「んー?清水くんも僕も頑張ってるよー?」
いつか、昴と小林が本気でなにか成し遂げようとする日は来るのだろうか
僕は眉間に少し皺を寄せて息をついた。
昴が400走ると周回遅れのチームが二つ出た。
二位に位置するのは陸上部で固めた赤チームでそれも半周以上の差がついてる。
バトンを受け取り僕は走りだした。
side Karuma
浅野がバトンを受け取り走りだす。
それまで小林と清水くんのつくった差にプラスしてぐんぐんた距離を広げてき、スタート地点と真逆の位置にある俺達の観覧席真ん前、半周100m走ったところで周回遅れの奴とすれ違う。
「あ」
他の奴らが気づくか気づかないかくらい微妙に、
「!」
前を走る周回遅れの緑のやつがスピードを落とした。
「浅野っ!」
それは周りから見てもわからない程度のことだけど、抜きにかかっていた浅野には大問題だ。
「ぅわっ」
避けようとした浅野が足の着地に失敗し、もろに足をひねってコケ膝をつく。
「先頭青チーム、浅野くんが転びました!後ろから赤チームが追い抜きついに逆転!その後ろから白チームが追い上げてきてます!」
白チームに抜かれそうなところで立ち上がった浅野が右足を一歩踏みだそうとして顔をしかめた。
後ろから来た白チームともうひとつの周回遅れの黄色が抜き際、白を目張りにして黄色が浅野の右足を踏んだのが見え、浅野が歯を食いしばった。
抜いていった赤、白、紫、黄色と原因の緑は共謀してるっぽい。
「なにあいつら最低っ」
「ありえねぇ!」
他のクラスの奴らは遠くて見えてないだろうこの行為に気づいてたのは俺達くらいで怒りをあらわにする。
「浅野がんばれ!」
磯貝がでかい声を上げ、クラスのみんなも次々に浅野を応援する。
浅野は痛みからか歯を食いしばって走りはじめたけどそのスピードはさっきまでとは比べ物にならないくらい遅く、ここからの追い上げは無理だと思う。
浅野がバトンを交換する頃には下手したら周回遅れになってるんじゃないか?
ふと、同チームの小林と清水くんが気になって顔を上げた。
side subaru―――…
競争心、それだけではなく本気というそれや勝利にこだわるというその気持ち、思考は、僕と小林兼治に欠落している感情で、僕達の中で唯一浅野学秀だけが失わなかった感情だ。
「ああ、なんだろうね、この気持ちは。ねぇ、清水くんどうしよう。僕は今、おそらくだけど腹が立っているんだ」
ちらりと隣を見れば小林兼治はいつもの笑顔を繕えず、口角だけを上げて服の裾を握っていた。
『…奇遇だね、僕も同じ』
半分足を引きずるようにしてコーナーを周り戻ってきた浅野学秀の姿を他色の鉢巻をした彼らが堪え切れないように笑んだ。
「ああ、ねぇ清水くん、僕さぁ、これはだいぶ許せないと思うんだよ」
『うん、僕もだ』
ちょっと、いいや、ここで負けるなんて許せない。
「浅野くんを頼んだよー」
小林兼治に頷いて一緒にバトンラインに近寄る。
「っこばやし」
帰ってきた浅野学秀からバトンをもらった小林兼治は膝をついてごめんと謝った浅野学秀の頭を撫でてから最初とはまったく別物の速さでトラックを走る。
二周分、彼に任せてる間に肩を貸して浅野学秀をトラック内に誘導した。
浅野学秀は痛みをこらえてるようで眉をひそめ、歯を食いしばっている。
『足、見せて』
「っ、」
触れると喉の奥から声が漏れだし、紐を解いて脱がせた靴を置いて靴下を下げれば痛々しいほどに赤黒く腫れていた。
ああ、だめだ。
「浅野くん大丈夫?!」
近寄ってきた養護教諭が目を丸くし救急箱をとりに走っていく。
「ごめん、僕が足引っ張っちゃって」
苦しそうに吐かれた謝罪に僕は彼の頬を両手で包み上げた。
瞳が潤んでいるのは罪悪感や痛み、悔しさなのだろうけどそれは間違ってる。
溜まり落ちそうになる涙を掬い笑った。
『謝る必要なんてない。安心して、……僕も兼治も、負ける気はないよ』
見開かれた目に僕は笑んで、立ち上がりアンカーの証である鉢巻と同色のビブスを着る。
僕の中でなにかがすとんと落ちた今、もうすでに負けるなんて選択肢はなかった。
大切な人を痛めつけられ泣かされ、黙っていられるほどに僕はできた人間ではなかったようだ。
「すばる…」
『大丈夫、僕らが一位以外ありえないよ。だから、笑って迎えてね』
スタートラインに立てば同じくビブスを着た他のアンカーがあからさまに目を丸くして僕を見る。
赤チームがアンカーにバトンを渡し、白チームも渡す。
小林兼治は周回遅れを解消し、黄色チームと緑チーム、紫チームを抜き去っていた。
「清水くん頼んだよ!」
『…ああ、』
バトンを受け取り地をけった。
side Nagisa
予想してなかった、っていったら嘘になるけど、本気の清水くんと小林くんはとてもすごくて敵に回したくないと思った。
浅野くんが満身創痍でバトンを小林くんに渡す頃には他のチームに抜かれきって周回遅れになってた。
それを小林くんは遅れを取り戻すだけじゃなく黄色、緑、紫まで抜いて清水くんにバトンを渡す。
清水くんは本来なら浅野くんが務めたアンカーのビブスを着ていて、走りだした清水くんもさっきまでとは比べられないくらいに速く、表情が違う。
今の二人は、
「あれが、清水の本気―…」
イトナくんが思わずと言った感じで言葉にしたそれは的確で、今の清水くんと小林くんは本気だった。
「清水くんかっこいい…」
「あの飄々としてる清水があんなに…」
「本気というか、あれ、キレてるわね」
みんなが目を丸くしたままで清水くんの変化を口に出す。
トラックを見れば清水くんは白も赤も抜いて、ゴールテープを一番に切って、そのまま小林くんと浅野くんのもとに近寄っていった。
side Subaru
「清水くん!」
「昴!」
どんっと同時にきた衝撃に堪えきれず後ろにのけぞりかけ腰を硬い地面に打ちつけた。
「ありがと、っ、小林、昴」
「僕はなんにもしていないよ。浅野くんが頑張ったから一位なんだ」
『兼治の言うとおりだ。君が頑張っていなければ僕も彼も走らなかった。
だから、お疲れ様。君が一位だ、学秀』
side Ren
見事二年連続一位をとっていった浅野と清水と小林のグループに僕達は賞賛と拍手を贈る。
「なぁ、俺気になんことあったんだけど」
順位発表を待たず、小林と清水に肩を貸りて歩きはじめた浅野を眺める。
ずいぶんひどくやられてるんだろうな。
「俺もだけど、…多分今は言わないほうがいい」
気づいてる瀬尾に小山が静止をかけ、荒木も僕も頷いた。
これ以上悪化しないよう口を噤む。
もしあれで浅野がどうしようもないくらい負傷していたなら、清水と小林が本気でキレただろう。
「美人の真顔は怖いからねー」
清水と浅野と小林の小学校以来の知り合いである荒木は思い当たるのか苦笑いをして眼鏡をなおす。
「ま、俺らがどーすることもできねーのは承知だけど、一応、なぁ?」
「うん、ちゃんと名簿は控えとくさ」
こういう時に立場が上だと色々と便利だ。
選手名簿を持つ荒木が笑う。
「あと半年、無事に終わるのか?」
小山の言葉に僕らは肯定も否定も返さずに、仲睦まじく一位を取っていった三人の背中を眺めた。
side Subaru
手当を終え、留学生の彼ら四人と理事長室に向かった浅野学秀と別れ、荷物をとりに戻ると向かいから僕の荷物を持った荒木鉄平が現れた。
「浅野は大丈夫そう?」
荷物を渡され彼の調子を聞かれ大丈夫と返せば安心したのか息を吐いた。
『君こそ、…あの子に変に目を付けられたりしていないかい?君だけと言わずあとの三人も入るんだけどね。』
「ああ、大丈夫、大丈夫。たぶんだけどね」
言い切れないのは彼が悪いわけではないから責めることはなくそうかいと笑って返した。
「清水たちこそ…そろそろやばいんじゃないか?」
鋭いねと苦味を含めて笑えば重く息を吐かれる。
あまりため息ばかり付いていると幸せが逃げると言うから控えたほうがいいんじゃないかな
「これ以上何かあったら、言えよな」
荒木鉄平が僕の肩を叩いて、耳元に口を寄せる。
「リストアップしといたから」
小さな声で言われたそれは僕と彼以外聞こえていないだろう。
「んじゃ、俺これからテープの編集とかあるから失礼するわ。」
また月曜日と手を振って彼は放送室のある東側に進み廊下を曲がった。
まったく、小学校から知っているだけあって彼は侮れないね。
受け取ってそのままにしていた鞄から携帯を取り出し電源を入れる。
本体スキャンが始まり、メールが数件と電話の不在履歴が数件表示されだす。
若干の躊躇いを覚えて不在履歴からではなくメールから確認するとE組の面々とA組の面々からで、一つ一つ見るのはやめ差出人のみを確認し一つ息を吐いてから不在履歴を確認した。
一番上の着信履歴以外は一緒のもので、最も新しく一つだけ名前の違うそれに折り返し電話をかける。
一つ、二つ、コール音を聞いているとぷつりと音が止んだ。
「お疲れ様、昴。どこにいるの?」
記憶に違わない低い声に安心して息を短く吐くだけの少しの間を置いてから返事をする。
『ようやく後片付けが終わったところでまだ学校だよ。今から荷物を持って出るところさ。そちらはもう家についたのかな?』
「ああ、もうすぐで家だよ、昴も早く帰っておいでね。」
今日は帰らないと行けないなと心中でため息をついてああ、と返す。
「それじゃあ―…ん?うん、そうだよ」
最後にまた後でとでも言おうとしてた言葉を遮り電話の向こう側で誰かが声をかけそちらに返事をする。
相手は、彼だろうか
「ごめんね、昴。じゃあ気をつけて帰っておいで。お疲れ様。」
『…―うん、ありがとう。
…彼にもお疲れ様と伝えといてくれると助かるよ。じゃあね』
言い逃げるようにしてぶつりと切った電話をポケットに押し込む。
はぁぁっと腹の底から空気と一緒になにか吐き出すようにため息をついた。
『帰らないと、ね』
『……これは、いったい…。ああ、いやうん、わかってはいるんだけど理解が追いつかないというか理解したくないというか、ねぇ、小林兼治?』
「清水くんこのあと暇?」
『いいや、少し用があって今日は家に帰ろうと思っていたんだがこれは放っておけないからやめておこうかと考えているところだ』
「じゃあお疲れ様パーティしようよー」
『うん、それもいいかもしれないね。浅野学秀も招いて行おうか?』
「僕ねー、新しいハーゲンダッツ食べたい」
「いい加減に現実見ろ」
隣にいた浅野学秀の言葉に僕と小林兼治は目を合わせて左右に首を振り諦める。
「いたそー。保健室開いてるかな」
『開いていないけどここに先生がいるのだから使用することは訳ないだろうね。ただ、この状態の彼らを運ぶ労力とその最中に他の人に見られる可能性を考えるとここに保健室から手当するための道具を持ってきたほうがいいかもね。
して、僕達は説明もなしで呼び出されたわけだが、この惨状を見るだけで経緯が読めてしまったよ。まったく、部屋に入れば若干涙目の浅野学秀が飛び出してくるし、交換留学生の彼ら四人はしまさに死屍累々、浅野理事長は僕達を見て目線をそらすだけだから本当に困った親子だと言ってもいいよね。
それにしても酷いね…そっちは頼むよ小林兼治。少し触るよ』
「ぅっ」
カミーユが呻く。患部は若干熱を持ってるようで触れた場所が腫れている。
隣でケヴィンを見て振り返れば小林兼治が残りの二人を診きっており、僕は保健室に向かった。
野暮用を済ませ、応急処置をするために必要であろうものを拵えて理事長室に戻れば小林兼治が一人にこにこと笑っており、怪我だらけの四人が目を覚まし現状を苦い顔で眺めていた。
「あはは、すんごい血なまぐさいね。これはもうハウスクリーニング頼むしかないかなー?
あ、ねぇねぇ、パーティのアイス代は浅野くんのお父さんもち?」
浅野學峯理事長と浅野学秀は目線を床に落として隅の方にいた。
「…飲食物も私が持とう…我が家でやっていいよ…」
「僕、サーティーワンのおっきいの!べりーのやつ食べる!浅野くんは?」
「………ショートケーキとシュークリーム」
「あ、僕さっき清水くんに何食べたいっていったんだっけ…そだ!せっかく体育祭のために来てくれたんだし、みんなもどーかな?」
話をふられた四人は視線を彷徨わせて僕を見た。
小さく息を吐く。
『ほら、小林兼治浅野學峯理事長を追い詰めるのはそこまでにしてくれないかな、今は彼らの処置が先だろう?僕はカミーユとケヴィンの手当をするからそちらは任せるよ?
浅野学秀と浅野理事長はそこにいてくださいね』
置いた救急箱から取り出したガーゼを濡らしながらふと、さっきの会話を思い出した。
顔を上げて浅野學峯理事長を見る。
『僕は飲み物、コーヒー牛乳がいいです、浅野くんのお父さん』
ひくりと口角を痙攣させた浅野学秀と苦い顔をした浅野學峯理事長は親子と思い出させるほどに似ていた。
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