暗殺教室
当学校においての体育祭では、近年珍しく棒倒しといった危険性が示唆され姿を消す競技の他に個人競技にパン食い競争、障害物競争、借り物競争なるものがある。
勿論そこにはクラスだったり学年対抗のリレーや綱引きのようなものもあるけれど。
それら競技に一クラスごと大まかに2、3人の人数を選出する決まりだ。
AからD組までの30人前後のクラスであれば一人あたり1競技、多くても2競技出るだけで済むのだが人数が他クラスの約半分なE組ではそうもいかない。
最低でも一人2種類以上の競技に出なくてはならない。
前原陽斗と磯貝悠馬、杉野友人、片岡メグ、岡野ひなたといった運動の得意な人達は勿論、潮田渚、茅野カエデのようなあまり目立たない人、堀部イトナまで駆り出される。
「運動量やばいよね」
隣の席に座っている赤羽業は先程から勧誘を熱心に受けているにも関わらず全てかわしていて未だに出場競技が決まっていない。
「清水くんなに出るの?俺一緒がいいんだよね」
赤羽業同様、僕もまだ決まっていなかった。
『一緒にかい?それはまた無茶なことを言うね。恐らく…いや、ほぼ9割の確率で運動神経の良い君と比較的良い方な僕は離されると思うんだ。
現に今も殺せんせーと烏間惟臣先生が自動的に僕らを違う競技に割り振っている』
「はぁ!?」
「清水は長距離で赤羽は短距離に…」
「いえいえ、ここはあえてカルマくんをリレー、清水くんを障害物競争へ割り振って…」
僕と赤羽業の名前が行き交う状況に、当然納得のいっていない赤羽業は待ったの声をかけた。
残念なことにというか、やはりというか、結局一時間では全員の出場競技は決まらなかった。
「昴、これね」
『―ああ、なるほど。君は今年もこれに出たいのかい?僕は構わないけどもう一枠は…うん、もう空欄が一つしかないね。彼は既に承諾済みで僕が最後な訳か。君も仕事が早い』
渡された紙一枚に目を通して最後の記入すべき欄に僕の名前を書き込む。
出場者が全員決まっていないのにも関わらず承諾の証である体育祭運営委員会委員長と担当教諭からの判子、サイン入りだ。
なんて怪現象だろうね
「昴」
『なんだぃ――…?』
書き終わりボールペンをノックし顔を上げた瞬間、視界が暗くなった。
目の回りに伝わる他人の体温に、目が手のひらで覆われたのは容易に観測できた。
『…―浅野学秀?』
「このまま聞いて、返事してね」
塞がれた視界の中、目の前に座っていた浅野学秀が立ち上がったのが感じ取れる。
彼が僕に理解できないことをすることはほとんどない。
長い付き合いの統計上ではあるから流石に未来のことまではわからないけれど、それでも僕は彼の行うことを想像するのは困難じゃなかった。
なのに今ばかりは参ったと言いたくなるくらい、彼の考えていることもしたいこともわからない。
「昴、今楽しい?」
唐突に投げ掛けられた質問は酷く抽象的で捉えようがなかった。
『今…とは、この状況のことかい?』
「ううん、違う、今だよ。
昴、楽しい?」
このままではきっと堂々巡りになるだろう。
彼が何故そんな不的確なことを問うて来たのかはわからない。
でも、彼の言う“今”はなんとなく、感じ取れた。
『そうだね…楽しい、かな』
「居心地は?いい?」
『…良くも悪くも言い難い。
君やA組に良いところがあるように彼らには彼らの良いところがある。価値観の相違は僕に新しいモノを見せてくれるし一概には言えないよ』
「授業は?」
『個性の強い生徒の特徴を殺すことなく、逆に生かし育てる。わかりにくいけれど、知識をひけらかすだけの講義中心じゃないことは確かだ』
なるほど、いい教師だね。と肩を揺らす浅野学秀が考えていることはやはり掴めない。
「教師は?」
『君見たことがあるだろうけれど中々の指導力を持つ方々だ。特にイェラビッチ先生は数ヵ国の言語を会得している強者で僕もその勤勉さを見習わないとね』
そんな気もないんでしょとまた肩を揺らした。
『たしかに、勤勉は言い過ぎたかな』
「うん、正直でいいね。」
『僕は君に嘘をついたことなんてないよ』
「僕だってないけど。」
今まで立っていた浅野学秀が動いて、背中に熱が伝わり耳元に吐息がかかる。
「クラスメイトは?」
『クラスメイトかい?そうだね…君も知り得ていると仮定し人選して話すなら、たとえば隣の席の赤羽業はやはり秀才故に非凡でその機転や発想には毎度驚かされる。
たとえば学級委員の磯貝悠馬は期末テストの社会科で君や荒木鉄平を抜き一位に輝くだけの知識や知ろうとする意欲は僕にないものだから正直言って欲しいくらいに羨ましい。
たとえば寺坂竜馬。君はあまりかかわり合いがないかもしれないが知っているだろう?彼は強者から敗北者へと転落した悔しさを知っている。だからこそなにより貪欲で僕たちにはない思考を持っていて、尊敬している』
次は誰を言おうかとしたところで器用に僕の両目を塞いだまま抱きついていた彼が動く。
首筋がほんの少しだけ、小さく痛んだ。
「…僕が言わせてるに違いはないんだけど…次々に僕じゃない名前が出てくると腹が立つ。ちょっと黙ってて」
なんて勝手だと人は言うだろう。
僕は口を閉じて彼の言葉を待った。
三回の呼吸の後に深く息を吐き微笑が鼓膜を揺らす。
「クラスでうまくやっていけてるなら良かった」
『僕を受け入れてくれたE組は寛容だからね。…それにしても珍しいね。そんなことを君が口に出すだなんて。』
「うん?
別に、深い意味はないよ。」
視界を遮られてからほとんど彼の考えていることが理解できなかったわけだけど、今、浅野学秀が普段の表向きな笑顔を携えていることは解った。
近々、また何かが起こりそうだ
「昴、次が最後ね」
変わらず耳元で話す浅野学秀の吐息がむず痒く、静かで凛とした声色に口角が上がった。
『そうかい。少しこの状況を楽しんでいたのに寂しいね。その質問に答えたら目隠しは外されるんだろ?
さて、この流れできたら質問はまたE組関連かな?』
「…―ねぇ、昴」
とても静かな問いに、僕は漸く閉ざされた視界の意味を知った。
「どー思う?」
はっとした何て言うものを久々に感じた。
「清水?」
声をかけてきた磯貝悠馬と前原陽斗が不思議そうにしている。
今は総合の授業中でグループに分かれ調べ学習をしているところで、意見を聞いてきていたようだ。
「ぼーとしてんけど大丈夫か?」
ぺたぺたと前原陽斗に頬をつつかれ、磯貝悠馬に窺われる。
『ああ、うん、体調は何でもないよ。話を聞いていなくてすまないね。三人で行動しているのに足を引っ張ってしまってる。今は何をしていたんだったけ……うん、職業についてだったようだ。僕としたことが全く話を聞いていなくて本当に申し訳ない。将来の夢についてだったかな?今度の社会見学に下調べだったね。普通ならば中学二年生で社会見学で職業体験をするのに珍しい学校だ。それもこれも進学校故に修学旅行の準備であまり時間を使わないからだろうね。まぁ、僕としてはどちらに時間を裂いたとしても構わないんだけれど』
机の上に置いたままの紙を取り上げ眺める。
配られてからほぼ手のつけていない用紙には、僕の名前とグループの隣に目の前の二人の名前が書き込まれていること以外に違いはない。
二人の用紙には既に15行程度の内容が書かれていた。
時計を見れば開始してから20分程経っている。
どれだけ僕は呆けていたんだろうね
「体調悪くねーならよかったけど…」
「清水がぼーとしてんなんて珍しいな」
依然として僕の頬をつついている前原陽斗が首をかしげている。
僕はただ笑って返した。
「清水くーん」
後ろから楽しそうに弾んだ声がかけられる。
それに目の前の二人はまたかと息を吐いた。
「今日の放課後遊びいこーぜ」
赤羽業とその隣に立った菅谷創介に肩を組まれる。
今は授業中なのに何故こんな風に別件で話せるほど周りが騒がしいんだろうか
漸くおかしいことに気付き見渡せば、殺せんせーと烏間惟臣先生、イェラビッチ先生が何やら騒いでおりその周りで野次をしているクラスメイトたちが目に留まった。
軽い学級崩壊じゃないのかな
「いらっしゃいませ」
我らがE組の学級委員である磯貝悠馬は齢15にして個人経営の喫茶店にてアルバイトをしている。
アルバイトというのは正式には15歳の誕生日後、最初の3月31日までは原則として働くことができない。
彼はまだその規定をクリアしていないのだが、僕はそこまで厳格になにかをいうつもりはない。
家庭の事情と言うものだろう
そもそも担任教師の殺せんせーが黙認しているのに僕が口を出す理由なんてないよね
「あ…清水…」
『やぁ、磯貝悠馬。ウェイター姿も中々様になっているね。流石としか言えないよ。』
「あ、うん、ありがとな!」
照れ臭そうに頬をかきはにかんだ磯貝悠馬はやはりイケメンという部類に入るのだろう。
周りでも彼目当てで来ている女性客が笑顔で見つめている。
一緒に来ている茅野カエデといった女子たちも見とれていた。
「ご注文はお決まりですか?」
他のみんなはもう既に注文済みで、僕だけ何も考えず見ていた。
サービスで出されたケーキを食べる前原陽斗に渡されたメニューに目を通してから口を開く。
『そうだったね、僕は…―』
「ああ、昴は僕と交換するからキャラメルラテとウインナーコーヒーって決まってるんだよね」
何故だろうね、ここでは聞いてはいけないはずの声が聞こえているよ
僕の手からメニューが取り上げられる。肩に置かれた手が、僕を彼らを引き剥がすように感じた。
「これで二度目の重大校則違反。見損なったよ磯貝くん」
「情報通りバイトをしてる生徒がいるぞ」
「いーけないんだぁー磯貝くん」
寄りにもよって四人のお供をつけて現れた浅野学秀に僕はため息を小さく溢す。
E組の面々は目を見開いていた。
どうしてこのタイミングなのか今すぐにでも彼と話がしたいね
常連の女性客が磯貝悠馬への態度に怒りを露にしたが、なんていえばよいのだろう、榊原蓮の言葉に宥められてしまっていた。
瀬尾智也と荒木鉄平の両者にサイドを固められ、僕も含めたE組クラス生たちが外に出る。
「キャラメルとウインナーって相変わらず甘いよな」
『僕も浅野学秀もコーヒーは苦手だからね。小山夏彦が依然ブラックコーヒーを飲んでいるのを見たときには驚愕したさ。 どうしてあんなに苦いものが飲めるんだろうね』
闘志を示せば今回のこと不問にすると話す浅野学秀の姿をどこか遠くから見つめ、荒木鉄平と会話をする。
今度に行われる体育祭の男子クラス別団体競技の棒倒しがターゲットのようだ。
「またやるんだな」
『彼は負けず嫌いだからね…。この場合、あのやる気を見るにまた浅野理事長に何か言われたようにも感じるけど…』
苦笑いを見せる瀬尾智也に僕は言葉を濁す。
前期期末試験で敗北したのは余程堪えていたようだ。
中立にいる僕が何かを言うことも思うこともできないけどね
「あ、清水このあと暇なら久々に家こね?」
『それはとても楽しそうでひかれるね。最後に君の家に伺ったのはもう半年は前だし親御さんにも挨拶をしたい。
でもまぁ…彼と彼ら次第になってしまうかな』
「清水!帰って作戦たてよーぜ!」
「昴、久々に甘いもの食べにいこうよ」
反対側からかけられた二つの声に荒木鉄平も苦笑い、視線が頑張れと応援してきていた。
「横から口を出さないでもらえるかな?昴は僕とでかけるから」
「は?別にまだ清水行くなんて言ってなかったじゃねーか」
どうも僕のはっきりしない態度がいけないのは昔から悪いところだとは思っていたけどまさかここまでくるとはね
前原陽斗と浅野学秀の睨み合いに潮田渚と榊原蓮が間に入ろうとするが失敗していた。
「どうすんだ?」
「清水くん…」
呆れ気味な瀬尾智也と不安そうな茅野カエデの目を向けられる。
僕に選べだなんて、随分酷なことを強要してくる。
心底参ったと今すぐにでも両手をあげたいところだがそんなことをすれば浅野学秀からの鉄槌と小言は免れない。
「あれ?清水くんこんなとこでなにしてるのー?」
場違いに明るい声と背中の重みは空気を凍らせた。
息を吐き、思わず上がってしまった口角を隠さずに彼の頭に手を伸ばした。
『見ての通り、といってもきっと君のことだから予想斜め上の解釈をすることだろうから説明をしておくけど、喫茶店で休憩していたら浅野学秀たちが来てね?まぁ、それは置いておいて、今は僕がどちらと一緒に放課後を過ごすかで揉めている…といっては聞こえが少々悪いね。決まらないから話し合いの最中だったんだ。
それはそうと、君の家はこっちじゃないのにどうしてここにいるんだい?お疲れ様、小林兼治』
頭を撫でて髪をすけば、擽るような小さい笑い声を上げてみせた。
「うんー、清水くんお疲れー」
耳元に口を寄せ息を吹き掛けるような距離での会話に、やっぱり少々むず痒く、いい加減故意のような気がしてきた。
「今日はここの近くにあるバケツプリンアラモード食べ来たんだー!」
『それはとても美味しそうだね。でもバケツというととても一人じゃ食べきれない上にアラモードというからには大変な量があることが察せるね。まぁ、近頃は冷たいものを控えていたようだからご褒美、ということなら許すけどね?無理はしちゃ駄目だよ?』
「清水くんもってもてだねー」
『うん?そんなことは決してないから誤解はしないでくれよ?』
「あ、清水くんー」
ついっと指先が僕の首筋をなぞった。
小林兼治の口調から、嫌な予感しかしない
「この赤いの、刺されたの?」
周りには聞こえないよう、小さく囁かれた言葉にそういえば今なぞられた場所はと思い出す。
『なんていえばいいのかな…刺されたわけではなくてね…つくばまれた、というか…察してくれるとありがたいね』
「えへへ、うん、察したー」
『ありがとう。いい子だね、君は』
「うん、僕いい子だもん」
睨み付けてくる浅野学秀の目と、困惑と疑惑と何かが混ざった皆に目を向けるのを放棄し、小林兼治と他愛もない会話を続けた。
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