暗殺教室
期末試験が終われば時間も置かずに終業式が行われる。 この学校は今時珍しく三学期制だ。 きっとこの長い終業式を過ごした後に人によっては努力の証を、自分の立場を、とてもいらないゴミを貰うんだろう。
僕達は山の上から本校舎体育館へ移動する。
普通ならばここですべてを一度清算し、夏休みの宿題や夏期講習、余裕のあるものならば旅行へと行くだろうがその有意義な時間のため、潮田渚たちE組にはやるべきことがあった。
生徒たちの歩く中に浅野学秀を含む五英傑たちの姿を見つけ寺坂竜馬、以下三名がにたりと口角をあげながら呼び止める。
「何か用かな。式の準備でE組に構う暇なんて無いけど」
明らかに苛つき気のたっている浅野学秀のまわりには顔色の悪く唇を噛んでいる面々がいて、磯貝悠馬を先頭に片岡メグや前原陽斗が彼らの行き先を塞ぐ。
「浅野。賭けてたよな、5教科を多く取ったクラスがひとつ要求できるって」
一人勝った浅野学秀以外は歯軋りをする。
格下と思っていた…いや、思っているE組に負けたことを彼らのプライドが許さないのだろうけど、あまり歯軋りをすると噛み合わせや歯並びが悪くなってしまうよ?
「要求はさっきメールで送信したけどあれで構わないな?」
「5教科の賭けを持ち出したのはてめーらだ、まさか今さら冗談とか言わねーよな?」
ふむ。理路整然としている磯貝悠馬も中々だが啖呵をきる寺坂竜馬も威勢がよくて素敵だ。
臆することなく自分の意見を言えるというのは将来に生きる。
遠くからやり取りを眺めつつ考えていたのがいけなかったのか、こちらに気づいた浅野学秀が眉間の皺を深くし睨み付けてきた。
なんだろう、怖い
「しーみずくん」
とんと肩を叩きながら愉快そうに声を弾ませているのは振り返らずともわかる。
僕も大概慣れてきたものだ。
彼は後ろからひょいっと赤い髪を見せた。
「またコーヒー牛乳?」
『うん、僕にとってなくてはならないものだからこれは。君もイチゴ牛乳が好きだろう?同士だね?なにか連盟でも組もうか。僕はネーミングセンスなんていうものが皆無だからその場合君に連盟名は考えてもらうことになるけど』
ああ、もしかしたら本校舎で飲食していたから浅野学秀は睨んできていたのか
飲食禁止だったかな?校則はちょっと目を通していないけれどそんなことなかった気がする。
「イチゴ牛乳は好きだけど、コーヒー牛乳も嫌いじゃないよ」
喋るために離していたストローを彼はくわえコーヒー牛乳を飲んだ。
飲んだあとにいたずらっ子みたいな表情を見せる。
『…どちらもおいしいからね、全人類とは言わないけど万人受けするものだ。コーヒー牛乳は大正9年から売り出したわけだからそれほど歴史が古いわけではないけどここまで残っているのだから人気飲料だと僕は思っているよ。ロードアイランド州の公式飲料ともなっているし…』
もう少し話を続けようとした僕の口に赤羽業は何かを含ませ唇に親指をあててきた。
心なしか彼の目は僕を睨むように細く鋭い。
口へ入れられた三角形で中心の膨らんだものを舌の上で転がすと遅れて甘味がきた。
イチゴ飴かな
「清水くんってば話長いよね。俺とか渚くんと喋るときもそうだしいつもそうなの?」
からころと飴を転がしながら彼を見つめる。
少々膨らんだ頬を見るにどうやら話が長すぎたようで飽きたみたいだ
唇に置かれていた赤羽業の手をとり微笑む。
『こう話が長くなってしまうのは僕の悪いくせだと自分でもしっかり思っているよ。今のところは仕方ないと許容してくれると嬉しいな。
で、僕の話が短い時はいかという質問だよね?それは【ある】だ。僕も頭の回らないときや空気を読むこともあるからね』
答えを聞き、向こうから指を絡め手を繋ぐように握ってきた。
また少し話が長くなってしまったが今回は気に障っていないようだ
「ふーん。清水くんが短く話終わらすことなんてあるんだー」
『勿論』
笑ってからコーヒー牛乳を飲む。
あと半分くらいか
その間彼はじっと僕の手元を見ていて繋いだ手は離す気がないらしく痛くない程度にぎゅっと握られている。
『飲むかい?』
「ぁー」
返事の代わりに小さく開けられた口からは苺みたいに赤い舌と白い歯が覗いた。
口へストローをやればちゅーとコーヒーを吸っていく。 半透明のストローを上っていた液体が彼が口を離すとパックの中に戻っていった。
にこりと笑う彼はなんとも愛らしい。
なんて思っていると後ろからとんっと肩が叩かれた。
「いつまで外いんだよ二人とも。早くはいんねーと怒られっぞ」
茶化して笑うのは岡島大河で確かに回りにはもうE組の面々の姿はない、
「あれ?カルマ珍しいな」
中に入れば驚いた様子でにかりと笑った磯貝悠馬に少し不機嫌な赤羽業はむっとして返す。
「だーってさ、今フケると逃げてるみたいでなんか嫌だし」
聞いた磯貝悠馬は頭の上にクエスチョンマークを浮かべるがもう話は終わったとばかりに赤羽業は切り上げて僕の隣を陣取り、むふぅっと満足気に彼は息を吐く。
A組とトップ争いをしたE組、正確にはトップ争いで勝ったE組を下等だと揶揄するテンプレートは恐ろしく受けが悪く僕は目を細めた。
奥田愛美や中村莉桜、磯貝悠馬。一位はとれなかったものの神崎有希子と潮田渚もとても頑張っていた。
そして少しベクトルは違うが同じように努力し成果をだした寺坂竜馬、吉田大成、村松拓哉、狭間綺羅々も称賛に値するだろう
殺せんせーいわく立ち直りの早い挫折をした赤羽業の今後も楽しみである。
ゆっくり彼らの堂々と顔を上げている後ろ姿を見つめ最後に隣の赤羽業に視線を映せば彼はにっと笑ってきた。
笑顔が可愛らしかったから、片手を上げ赤い綺麗な髪を撫でる。
気恥ずかしいのか頬に朱がさすが、目を軽く細めた様子から見るに嫌がられてはいないようで僕はのせた手を動かしていた。
その様子も、先程の僕と赤羽業のやりとりも彼が見ていて眉間に彫ってあるのかというほど皺を寄せ、痛めそうなくらいに歯を噛み締めていたことにも僕は気づかなかった。
気づけ。と言うのも難しい話だが
E組へと戻れば烏間惟臣先生に待機を命じられていたイェラビッチ先生と殺せんせーが暇そうに生徒の帰りを待っていた。
一人一冊と差し出された本の表紙には夏休みの栞と書いてある。
厚みは教卓の横幅と同じくらいあり歴代の広辞苑を纏めて一冊にしたような風貌。
前回の修学旅行の栞と同じく殺せんせーはこういったものを作るのがすきのようだ。
僕が栞をぱらぱらと捲っている間に話は進んでいたみたいでみんなはA組との賭けで勝ち取った椚ヶ丘中学校特別夏期講習沖縄離島リゾート2泊3日のパンフレットに釘付けだ。
「ふん」
「楽しみだな!」
「ええ」
「おう!」
後ろで我関せずと自席に座っていた彼も満更ではないようで頬を緩める。
「楽しみだな!清水!」
菅谷創介と杉野友人の満面の笑みに頷き返した。
花丸と二重丸の書かれた紙吹雪の中、彼ら(僕もだが)は一学期を終わらせ下校した。
『と、思ったのだけどどうして僕は校門まで戻ってきたところで君に校舎裏まで手を引かれてかたんだろうね。僕が反抗してたら拉致だよ?流石に中学生のやることだから警察は動いてはくれないだろうけど一応犯罪だと今後のためにも君には覚えておいてほしい。
君にはどうでもいいことかも知れないけどもう今日と明日の分のコーヒー牛乳を確保しないといけないから僕はコンビニエンスストアかスーパーマーケットへ行きたいんだ。だからといって君の話を聞かないというわけではないから安心してくれよ?
ああ、また前置きが随分長くなってしまった。思ったことが口から出てしまったよ。コーヒー牛乳の件は完璧に蛇足だった。時間を奪ってしまってすまない。
それはそうとどうして僕を連れてきたんだい?僕に話でもあったのか、浅野学秀?』
僕のことをここへ連れてきた張本人は唇を結い眉間には皺を寄せている。
浅野学秀は少々気難しい少年ではあったけれど理不尽ではなかったはずだがどうしたのだろう。これは。
初夏をとっくに迎え所々ではセミの鳴き声が聞こえる。最近の気温は少し高く梅雨は晴れたものの湿度も高く蒸し暑い、僕は薄手の指定ワイシャツ、長袖を着ているが彼は半袖に厚手の生地の指定ワイシャツを見にまとい露出した日焼けしらずの白い腕を鳩尾の前あたりで組んでいた。
美人の怒った顔は怖いというのはよくいったもので確かに浅野学秀の鋭い目で睨み付けられたら普通なら怖じけづく。
また浅野學峯理事長になにか言われたのだろうか?
『よくわからないけれど、機嫌がよくないね。
紛らわすのにその行為へ走る気持ちはわからなくもないが、あまり歯を強く噛むのは痛めるしやめたほうがいいよ』
彼の結われた唇を指の腹でなぞる。
二、三度撫でたところで彼は小さく口を開け赤い舌を見せた。
「ぁ」
その様子はコーヒー牛乳を上げるときに赤羽業が見せた仕草に少し似ていて、挑発的で睨み付けてくる瞳とまだ眉間に寄せられた皺を見るにどうやら彼は赤羽業と僕のやりとりを見ていて怒っていたらしい
人差し指と中指を口へ突っ込むとは少し語弊があるが入れるとがじがじと噛まれた。
血は出ない程度に加減されているが地味に痛む。
第一関節と第二関節の間をがぶがぶと噛んでる浅野学秀の眉間の皺はまだ深い。
彼の組まれていた腕はほどかれ、片手で僕のワイシャツの裾を握りしめもう片手で僕の手を取り繋いできた。
咀嚼していると勘違いした脳は唾液線へ指令をだしたらしく口の端から唾が少しずつ垂れていく。
『少々指が痛いがまあいいよ、君の歯並びが悪くなるよりはね。
随分と可愛い対抗を見せてくれているけど別に君は彼と同じじゃないんだからそんな張り合う必要はないだろ?』
繋いでいる手の指を絡め握り、口の端から流れる唾液を舌で舐め取る。
離れ際に笑って眉間に寄せられた皺へ口付けを贈れば彼の雰囲気が和らいだ。
『僕が指を噛ませるのもわがままを聞くのも君だけだよ浅野学秀』
指を引き抜き短く唇を重ねた。
『ね?わかる?』
浅野学秀はいつもの自信に溢れた笑み、頬を赤らめるオプション付を見せ繋いでる手を握り返す。
「ふん、言われなくてもそんなことはわかってるさ。誰が赤羽を妬むか。僕が彼より劣ってるわけないからな」
『そうだね。それでこそ君だ』
彼は笑ってから、ちらちらと空いている僕の手を見ている。あれも見ていたのかと笑いよしよしと頭を撫でた。
満足そうに目を細める浅野学秀からして合っているみたいだ。
『浅野学秀』
「なんだ」
『このあとは暇かい?』
「…、今日から家には三日間僕だけだ」
『それはつまらないね。遊びに行ってもいいかな』
「……、手土産持参なら」
『そうだね。和菓子か…洋菓子』
「チョコレートケーキとティラミス」
『とショートケーキだね』
約束を取り付けながら彼の頭を撫でていれば「ん。」と彼は返事をした。
あーあ、やんなっちゃう
校門の見える木の上でいつのまにか消えていた彼を待っていた。
みんなはもうこれから始まる夏休みに期待に胸を膨らませながら下校していってて人影なんてない。
いちごみるく飴を転がしながら次はいつ口に入れてやろうかと考える。
あの不敵な笑みをどうやって崩してやろう
聞こえてきた足音に意識を戻すとそこには待っていた清水くんと、その隣を歩く浅野がいた。
『僕は生憎宿泊の予定などなかったから着替えもなにも持参していないんだ。一度家に寄ってから向かうよ』
「…別に僕の服でいいだろ」
『そうかい?君がいいなら。お言葉に甘えてこのまま帰ろうかな』
「ケーキ」
『勿論だよ。忘れてないさ。新しく教えてもらったお店があるんだがそこはコーヒーに力を入れているらしくてね、ティラミスが絶品らしいよ?どうしようか、このあいだのチョコレートケーキがおいしかった店かそこか』
「………」
『僕の家に寄らないなら時間も浮くし両方寄って帰ろうか』
「ああ。」
『…―コーヒー牛乳』
「…ふふ、…家にあるからそれまで我慢してよ」
『…30分前飲んだばかりだし少しくらいなら…』
「そうそう。ね。」
その後もなにか喋りながら仲良く門を出ていった二人は道を曲がっていった。
なんだろう、違和感もあるけど清水くん、短く話せるんじゃんか
二人の消えていった道を見ていると、胸焼けをしたみたいにちょっとむかむかした。
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