暗殺教室
人一人を背負い歩くのは中々骨が折れる上に人目をひく。
「清水くんー、家でアイス食べてかない?」
耳元で言葉を発せられかかる息がくすぐったい。
小林兼治自身に悪意はないのだろうから何も言わないけれどね
『新作のアイスでも買ったのかい?ならばお邪魔しようかな。久しぶりに君の親御さんにも挨拶をしたいし君のアイスの食べ過ぎを防ぎたいからね』
「やった」
嬉しそうに短く言葉を発した彼は僕の肩に顎をのせて静かになる。
彼の家はもう目の前に見えていた。
「……なんか、止めらんなくてわりぃ」
電話の向こうの彼は溜め息を溢しながらとても申し訳なさそうに謝ってきていて、僕の方が思わず申し訳なくなってしまった。
彼はぶっきらぼうと言うには些か許容しきれないくらいに口が悪いけれど、常識はある人間だ。
流石にこの事態が不味いのではないかと察したようで僕に連絡をくれたのだから。
「清水くんなに話してるのー?」
隣にいたはずの小林兼治が楽しそうに笑みながら僕の首に後ろから腕を回し背中に体重を預けてくる。
さっきまで背負っていたのにまた背負うのかい?
『来週末の中間期末テストの話だよ。A組とE組の方で面白い話が出ていてね。僕は中立だからA組の動向のほうも教えてもらっているんだ』
「テスト嫌だなー」
納得したのか小林兼治は背中に寄り掛かったままアイスを口に含み始める。
白桃の薫りが鼻孔を掠めた。
電話の向こうにいる彼がまたかと息をはいているのを察し僕は口を開いた。
『わざわざ教えてくれてありがとう。気になっていたから助かったよ。浅野学秀も承認したんだから君が気に病んで謝ることはないさ。精一杯知力を尽くし試験頑張ろうじゃないか。応援しているよ瀬尾智也。』
「病んでねーよ。
……あ、…I support you.」
敵に塩を送られた気分だ。
切る間際に早口で告げられた声援に笑んで携帯を置く。
日頃突っ張りの強い彼からすれば恐らくあれが精一杯の応援だったのだろう
「あ、清水くんに聞きたいことあったんだよね、僕」
一人言のように発せられた言葉と共に、背中から熱が消え正面に小林兼治が座った。
アイスは食べ終わったようで、右手で木の棒をもてあそんでいる。
「僕は二年生だからよくわからないけど、今年の三年E組、去年とはちょっと違うよね。どうして?」
垂れ目気味な大きい瞳が僕を捉えた。
従順そうに見え好奇心と察知力に長けている彼ならE組の違いに気づくのも無理はない
手を伸ばし彼の黒く、癖で跳ねている髪を撫でた。
『内緒だよ。』
笑めば彼も笑う。
「やっぱりそういうと思ったやー」
このような些細なことで一々気分を害するような性格をしていない小林兼治は笑って正面から抱きつく。
スキンシップの多い子だね
「あ、浅野くんからメール来てる」
『浅野学秀からかい?僕の両手は塞がっているから内容を読み上げてもらってもいいかな?』
いつの間に取り出したのか、僕の携帯を見ていた小林兼治からの知らせに首を傾げる。
何か用があったのかな
「内容なくて写真が添付されてるだけー」
ますますどんな用件があって連絡してきたのかがわからず、僕の膝に座った小林兼治と携帯を覗いた。
『……ああ、なるほどそういうことなんだね。道理で写真が添付されているだけなわけだ。本文のないメールという時点で気づけばよかったよ』
「ぅー…浅野くん怒ってる?」
『だろうね。きっと彼のことだ。今頃ここにつくんじゃないかな?アイスは先程全て食べた訳だから溶かされることはないだろうけれど、何か別の物が代わりに手元からなくなりそうだ』
怖いよー…と僕の胸に顔を擦り寄せ笑う小林兼治の頭を撫で、一階から聞こえてきた呼び鈴の音に僕も口角を上げた。
「人の目がある場所で何をしてるんだって言ってるんだよ?僕は。馬鹿なの?ねぇ?前にも怒ったよね?」
足の痺れに堪えているのか、小林兼治の笑顔がひきつっている。
対し、笑顔の浅野学秀は対人向けの笑顔を張り付け憤りを声色に乗せていた。
「浅野くんごめんなさいー…」
「語尾伸ばすな。まったく、これだから小林と昴を二人にできない」
胸下で組んでいる腕の右手に握られているのは浅野学秀自身の携帯電話であり、恐らく画面は僕に送られてきたメールに添付されていた写真と同じものが表示されているのだろう。
「で、昴何笑ってるの」
笑顔を無くし、きつく睨まれ両手を上げた。
『あまりにも君と彼のやりとりが愉快だったからね。僕はどうやらこの三人で仲良くなんていうのが好きみたいだ。小学校からの付き合いで気心が知れているなんていうのも理由の一つだろうけど、やっぱり一番は二人の口論は口論になりきれないことだね。見ていて微笑ましい。
今度の試験が終わったらまた三人で出掛けようか。最近は個別にばかり出かけていたし、久し振りに三人で過去を懐かしむのもいいかもしれない』
「僕も三人でいるの好きだよー。清水くん、浅野くん、アイス食べいこ?」
「まぁ、嫌じゃないけど…、でもアイスって…」
毒気が抜かれたのか、首を傾げる小林兼治を見つめ浅野学秀は息をはき僕の隣へ腰を下ろした。
「アイスだめ?」
『君がアイスを食べ始めると僕たちも付き合うだろう?毎回その都度僕たちのどちらかは体調を崩す事態に陥っているからそろそろ自制をしなさいと彼は言いたいんじゃないのかな?』
「放って置くと昴も小林も食事を摂らないからね。アイスもコーヒー牛乳も禁止にしようか」
「やだー」
『…うん、それは少し困るかな?』
苦笑いをする僕と、首を左右に振った小林兼治に彼は悪戯気に笑んでみせた。
家に帰り、来たメールを確認して携帯を置く。
一人の部屋はとても静かで開け放っている窓からは人の話し声や車の通りすぎていく音が流れ込んできていた。
冷蔵庫を開け紫の野菜ジュースを1パック取りだし閉める。
備え付けのストローを抜き取りさして口に運んだ。
口内に溜まり喉を下っていった冷たい液体に目を一度閉じ視界をログアウトする。
人というのは良くできたもので、視覚を奪えば代わりに嗅覚や聴覚、味覚、触覚の機能を向上させていく。
先程よりも研ぎすませた感覚により外の喧騒が耳に届いてきていた。
それらを全て記憶するかのように頭へ情報が流れ込む。
通る車の数、近所で集まり話す主婦の声、散歩中の犬が鳴き呼応するように鳴く他の飼い犬、
硬い机の上に置いた携帯が着信を知らせる。
ゆっくりと目を開き飲み終わって空になったパックをゴミ箱の中へと入れ携帯を取り上げた。
携帯なんていう無機質な物体のディスプレイに映された文字に息を吐き、ただ携帯が鳴り止むのを待つ。
15秒、30秒、1分、流れる音楽が4周したところで電話は自動的に切られた。
留守番電話サービスなど設定していない僕の携帯には着信履歴だけが残る。
2分45秒間の呼び出しに今日も息を吐いた。
一つ、僕の知ってることを貴方に話そうと思う。
え、聞きたくない?いいからいいから。ほんとすぐ終わるからちょっとだけ。ね?お願い。
僕の知っている『彼』と「彼」と、「もう一人」の御話しについてなんだけど
誰が誰だかわからない?大丈夫、すぐわかるはずだから
うん、絶対にわかるよ。
まずは「彼」のこと。
僕が初めて会ったときは今と違って、目付きもあれほど鋭くなかったし眉間に皺も寄せてなかったかな。笑顔も結構綺麗だったし。まぁ、支配者っぽい思考はあったけどひねくれたツンデレくらいだったし。
ツンデレがわからない?気になるなら携帯がパソコンで検索かけたら一発でわかるから調べてみてよ
昔はもっと色白で儚い感じだったから女の子みたいで僕初めて会ったときに間違えちゃったくらい可愛かったんだよね。あ、これ本人に言うとすっごく怒られるから内緒だよ?
じゃあ次は『彼』のこと。
少なくとも僕が会ったときにはあんなに笑顔を張り付けた人じゃなかった。
誰にも心を読まれないようにするためだけにつけられた仮面がなく、管を巻くみたいな長い話も掴めない話し方もしない、ただ、ちょっと偏食家で不器用な男の子。
うん、『彼』に心当たりがあったみたいだね?
今と同じく癖っ毛な髪がもう少し短くて無表情だったかも。
今で言うなら多分、……ああ、僕は貴方と共有している人物を知らないから例えられないや
あ、そうそう、『彼』は少し可笑しかったんだよね。
酷い物言いじゃないか?そんなことないよ。本人にそう言えば苦笑いして頷いてたから自覚があったみたいだ。
約束も会話もちゃんと覚えていてくれるから僕にはとても合った人だったけど
こんがらがるからこれ以上登場人物を増やすんじゃない?わがままだなー。大丈夫、もう終わるからこの御話しは。
最後は「もう一人」の話。
どうしてこの子だけ彼じゃないのか?だって同じだと僕がわからなくなっちゃうからさ
それだけの理由?うん。それ以外にもあるけど…僕はその子が嫌いなんだよね。
随分はっきり言う?
だって嫌いなんだもん
脱線しちゃったけど話を戻そうか
僕があの子に会ったのは…あれ?いつだったかな
怒らないでよ。僕は記憶力が悪いんだ
……ん、ああ、そうそう、会ったのはえーと…僕ほんとあの人嫌いなんだよねー…あ、あれだ、今から5年くらい前。
三人の中で会ったのは一番最後。第一印象は嫌い。第二印象は苦手。
なんで嫌いから苦手になったのか?嫌いは深みもなく一つしか意味を持たない言葉なんだよ。苦手には嫌いも不得手も含まれる言葉で僕は関わっていく間に一言では表せないくらいに嫌いで苦手になっちゃったんだ。
え?話がややこしい?
……日本語嫌いなの?勉強今度一緒にする?冗談だけど。怒らないでってば
この子は今も昔も変わらず“歪んでた”かな?
そうだよ。歪んでるの。
いつだってにこにこしていて誰にでも愛されようと、違うや、愛されている
そんな奴いない?そうだよ、普通はいない。誰にでも愛されるなんて難しい、難関で有名な大学の入試を小学生にやらせるくらいの難問だ
例えがわかりづらい?僕苦手なんだこーゆーの
ま、そんな大多数に愛されてるその子が『彼』も「彼」も僕も勿論苦手で本来ならあまりかかわり合いになりたくない感じの子なんだ…けどそこは並々ならぬ事情っていうもののせいで関わることを余儀なくされた。
その並々ならぬ事情ってなにか?ちょっとまだ秘密かな。貴方が…ううん。貴方達が気付いたまたその時に御話しするね?
きっとそう遠くない話だから
話を戻すと、あの子はとても、それはもう凄く歪んでて、それだけならばまだしも“とある人”に恋をしたんだ。
だから登場人物を増やすな?うーん、増やしたつもりないんだけどな…ってだけ言っとくよ
“とある人”に恋をしたその子はそれまでよりも更に歪んでいってた。回りのその子を愛しちゃってる人達は気づいていなかったけど。
なんで僕は気づいたのか?
……これはちょっと言うのが恥ずかしいんだけど僕もその“とある人”のことが好きなんだ。 だから向けられてる視線の意味に気づいたっていうか…
ライバル?うーん、そうかもね。でも、その“とある人”にも凄く大切に想ってる人がい…四角形なの!?って驚きすぎだよー。あ、もう、ちょっと乗り出さないで
別に四角形って言っても…なんでそんなこの話題になった瞬間食いついてくるの?
はぁ。脱線しちゃうし僕も貴方も飽きてしまったようだからもうこの御話は終わりにしようね
『彼』と「彼」と「もう一人」。その三人を忘れないでいてほしいんだ。
四角形は完璧についでだから。最初のとこだけ覚えておいて。
これで僕の御話しは終わり。付き合わせちゃってごめん。長かったでしょ?見ず知らずの僕の御話しを聞いてくれてありがとう。
え?僕が誰かって?
うーん、そうだなー…
……まだ、秘密かな?
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