暗殺教室
浅野学秀宅に昨日はそのまま泊まり、一緒に登校していた。
家に帰らず来たため今着ているワイシャツは浅野学秀の物である。
若干小さいねと溢せば朝一番に睨まれてしまったが
横に並んで歩く彼を見れば機嫌がよくなったようで、昨日よりも数段纏う空気が柔らかい。
「昴」
不意に視線を合わせた浅野学秀は笑んで僕の名前を呼ぶ。
なんだい?と返せば満足そうに笑みを溢しなんでもないよと彼は視線を戻した。
「朝から仲良しだね。清水くん、浅野くん、おはよー」
背中にかかった重みと耳元で聞こえる声に僕は笑い、浅野学秀は目を細め眉を上げる。
「小林、何やってるの朝から」
「眠いよー、おんぶして」
威嚇する猫のように眉間に皺を寄せ眼光を鋭くした彼を介しない小林兼治は腕を回し体重を寄りかけてきた。
『おはよう小林兼治。君も朝から元気だね。
うん、僕は別に君を背負うくらいならば体力的に構わないんだけど隣の彼の視線が痛いから少し遠慮したいかな?また今度にしようか。
それはそうと君は相変わらずすごいよね。こうもタイムリーに現れるだなんてとても偶然には感じられない。察知能力が長けているなんて次元ではなさそうだ』
「ぅー…浅野くんが怒るの嫌だな…ならまた今度だね」
僕の首筋に顔を埋め擦り寄せると離れ無邪気に笑った小林兼治。
聞き分けがいい子だと頭を撫で浅野学秀へと目線を移す。
彼は普段の対人用の笑顔を貼り付けていた。
「別に怒らないけど?ただ単にどうやって小林の家にあるアイスを溶かそうか考えるだけで」
「清水くんー、もー浅野くん怒ってるよー」
『そのようだね。これは困った。どうしようか小林兼治?今後自粛しなければ彼は本気で君の家にあるアイス類を溶かしてしまいそうだけど』
寒気のするような笑みの浅野学秀とやだーと笑いながら僕に助けを乞う小林兼治と共に学校へとまた歩き出した。
遅刻してしまってはもともこもないからね
昨日は図書室にも理事長室にもいかずによかったと登校してから思ってしまった。
「なんでも言うこと聞くって賭けをしてさ」
磯貝悠馬がひきつった笑みを浮かべ頬を掻く。
『…賭け…かい?それは話を聞く限り五英傑の彼らと、というよりもA組とE組がクラスで対決するといった内容のようだけど…。参ったね。この賭けをどういった経緯で契約を結び内容を確立したのかもう少し詳しい話を聞きたいところなんだが…それは今は聞かないでおこう。
こちらからは何を要求するつもりなんだい?』
五英傑と賭けだなんて昨日の図書室で一体何があったんだろうか
殺せんせーと話をしていた赤羽業も賭けを怪しんでいるのか訝しげにしている。
「勝ったら何でもかー…」
倉橋陽菜乃が柔らかい雰囲気で学食の使用権とかかなと笑った。
ポケットに入れている携帯が震える。
「ヌルフフフ。それについては先生に考えがあります。これを寄越せと命令するのはどうでしょう?」
学校案内のパンフレットを開き指差した殺せんせーにクラスメイト達は目を見開いた。
「君たちは一度どん底を経験しました。だからこそ次はバチバチのトップ争いも経験して欲しいのです」
教壇に立ちそう解く殺せんせーの言葉を聞きながら携帯を見つめる。
浅野学秀からのメールは今このタイミングに来たことを考えればあまり見たいものではなかったけれど、開けばやはり予想通りに賭けについてのことで、A組の要求は“協定書に同意をする”ということだった。
続く協定の内容を確認するが、一先ず生徒同士の遊びの範疇で収まっていることに安堵する。
やろうと思えば民法を修めている彼なら法の抜け穴を探し触れないギリギリの案を書いてくる。
だからといって事態は全くもって好転はしていないんだけれど、むしろ悪化しているね
全50項目の中に混ざった幾つかの異質な項目に笑みを固める。
特に、この“E組の隠し事を禁じる”という項目にはどうも裏があるようにしか思えない
聡明な彼のことだ。浅野理事長のE組へおける異様な介入に不信感を抱かないわけがない
恐らく彼はE組をだしに浅野學峯理事長を支配することを目論んでいるのだろう
教壇に立つ殺せんせーを見据え小さく息を吐いた。
“全くもって賭けだなんて面倒この上ない。”と、普遍的には感じるのではないかと考えたからだったんだけど、僕自身が思っていないことが誰にも伝わる訳はなくただ終了のチャイムが鳴るのを待っていた。
今回の試験はただでは終わらないだろうと感じてはいたけれど、何故こうなったのかと少々首を捻りたくなる。
「A組とE組が賭けかい?」
出された紅茶を口に含んでいればどこか楽しそうに笑んだ浅野學峯理事長が首を傾げてみせた。
もう知っているだろうに浅野理事長あっての浅野学秀。性格が悪いよね
『昨日の放課後、図書室で決まったみたいですよ。
試験においてA組とE組、5教科でより多く学年のトップを取ったクラスが負けたクラスにどのような事でも命令できる。といったものらしいです。浅野学秀の提案で勝者は敗者に一つだけ命令できるに変更されたようですが。
僕は両者の命令内容を知ってますが聞きますか?』
目の前に座る浅野理事長は優雅に笑んで楽しみが減るから取っておくよと首を横に振った。
室内に静けさが戻ってくる。
ぬるめの紅茶が注がれたカップにもう一度口付けた。
「清水くんは今回の試験、どうするつもりなのかな?」
カップから口を離すと同時に投げ掛けられた問いに視線を戻す。
向かいの彼は通常の笑みから含みを消し去っていた。
視線を逸らすことなく笑んで口を開く。
『そうですね…。彼らの遊戯に支障がでない程度には解答欄を埋めるつもりです。貴方がもしよろしければ、前回と同じようにさせていただきたいです』
浅野理事長は言葉を咀嚼しているのか暫く黙り、立ち上がった。
てっきり理事長席に戻るものだとばかり思っていたのだが思い違いだったようだ。
僕の隣に腰を下ろす。
これは所謂カップルシートなんていうものかな?
隣に座った浅野學峯理事長を見上げれば視線が合ったところで微笑まれる。
「今度の試験では君の順位は出さないから一枚だけ解答用紙を渡すことにする。そこで君の学力が衰えていないことを証明してくれないかな」
順位を出さないのならばたしかに彼らの遊戯に支障は出ない。おまけに浅野学秀から睨まれることはないだろう
『僕なんかの我が儘を聞いてくださって前回同様とても感謝しています。ありがとうございます』
「構わないよ」
更に笑んだ彼の右手が僕の頬に触れた。
冷たい指先に体温が奪われる。
「君はこの学校の優等生であり、それ以前に私の愚息の友人だからね。私は君のことを学秀と同じくらい大切に思っているよ」
浅野学秀は知らないだろう。浅野學峯理事長がどれだけのことを言おうとやはり父親であることを
緩んだ表情の彼に何も答えず笑みだけを返す。
支配、打算、戦略、黒いものが思考を占める彼にだって自分の血が流れている息子が嫌いになれるわけがない
ただ、お互いがお互いを見下してはいるけれど
コンコンと扉をノックする音に浅野學峯理事長は顔を上げ、眉を一瞬ひそめた。
もう一度鳴ったノック音に彼は通常の笑みを浮かべ僕から手を離し立ち上がった。
「どうぞ」
短く答えながら理事長席に座る。
失礼しますと固い声で入ってきた黒いスーツを纏う人影には見覚えがとてもあり、あちらも僕を見て眉間に皺を寄せた。
そんなきつく睨まれてもね
理事長室を一緒に出れば隣に立った烏間惟臣先生は僕をいまだ鋭いままの目付きで見据えた。
「なにをしていたんだ?」
さて、この場合はなんて答えたらいいんだろうね
『何をしていたかと問われてしまうと返答に悩みますね。僕はただ浅野理事長と紅茶を飲んでいただけなので。強いて行動に理由をつけるのならばお茶会をしながら世間話をしていた。でしょうか。
烏間先生もお仕事大変ですね。交渉も仕事内容のようで』
理事長室に現れた烏間先生は人工知能である自律思考固定砲台、通称律さんの期末テストへの参加について話していた。
気づいていたというよりもそうだろうと確信していたが、流石に人工知能の彼女が参加することは認めてもらえなかったようで、代わりに彼の直属の上司の娘さんを代役に使うことで決まったようだ。
あの浅野學峯理事長の憐れみの目には烏間惟臣先生も堪えていたみたいだけどね
「仕事だからな」
自嘲気味に吐き捨てた彼は僕を真っ直ぐ見たまま口を開いた。
「清水、君は何を考えているんだ?」
意図のつかめない抽象的すぎる質問に笑顔が固まる。
『何を…、ですか?一体僕に聞きたいことがなんなのかがわかりませんけれど…。
僕は深いことは何も考えてませんよ。ただ僕の周りの人達が平穏に幸せに過ごせたらいいなと思っているだけで、今ならばそうですね、主にE組へスペクトルを向けています。彼らの成長には目を張りますし価値観の相違なんていうのが新鮮ですから』
偽りなく答えたつもりだったんだけれど納得してもらえなかったようだ
小難しい顔をしている。
たっぷりと間を置き、表情を変えないままで烏間惟臣先生は口を開いた。
「清水、一体君は…―」
「清水くんお疲れさまー」
烏間先生の言葉を遮るかのように背中にかかった重みと熱、鼓膜に届いた声に僕は息を吐く。
『僕はたった今大切な話をしていたのに君はもう流石としか言いようがない。
どうしたらここまでタイミングを諮れるんだい?
まさかとは思うけど盗聴器なんてものを仕込んではいないよね。ああ、誤解はないだろうけど一応言っておけば勿論これは冗談だ。 君にはそんなものが無くても空気を壊せるだろうから
とは言っても、挨拶してくれること自体は嬉しいんだけどね?君こそ学級でこんな時間まで集まりでもあったのかな?お疲れ様、小林兼治』
抱きついてきている彼は背伸びでもしているのか頭が僕の肩上にあり、黒く若干癖のある彼の髪を撫でた。
「清水くんは今から帰りー?」
『そうだよ。もうするべきことは全て済ませたからね。購買でコーヒー牛乳と紫の野菜ジュースを買ったら一人で下校しようとしていたところだ』
「うん。今まで学級で勉強会してたんだよ」
『来年は受験生だからね。準備するに越したことはないだろうけれど適宜に休息を取ったほうがいい。勉強のしすぎで体調を崩してしまってはもともこもない』
「清水くんのところの担任さん…ですよね?初めまして、二年の小林兼治でひゅ、です」
「……………ああ、担任をしている烏間だ…。」
突然話の矛先が向かってきたためか、それとも突然に現れた彼を見てか、烏間惟臣先生は呆けており長めの間を置いていつもの目付きに戻った。
「清水くん一緒に帰ろー。で、今浅野くんいないし朝話してたやつー」
『うん。一人で下校は楽しみが少ないからね。一緒に帰るとしようか。浅野学秀がいないのならおんぶをしてもいいかな。約束ではないけれど今度にと言ったからね。ただ荷物を持ってもらうことになるけどそれでもいいなら。だ。
急で悪いんですが僕は後輩と帰りますので失礼しますね。また明日学校で、烏間先生』
頷き僕の荷物を取り上げた小林兼治を見て笑んで、すっかり話から置いていってしまっていた烏間惟臣先生に挨拶をする。
「おんぶー」
『少し待ってくれてもよくないかな?
それよりも先に君も挨拶をしなよ。挨拶は大切だよ?』
急かされながらしゃがみこみ、息をはけば背中に重みと熱がかかり立ち上がった。
「先生さよーなら!」
「……ああ、さようなら」
僕の背中の上から上機嫌になった小林兼治の挨拶がかかり良くできたねと笑う。
聞き分けのよいいい子だ
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