あんスタ(過去編)


「…………大丈夫かなぁ」

小さすぎて、きっと誰に聞かせる気でもなかったんだろうその零れた言葉は今まで一緒にいて聞いてきたどんな言葉よりも感情が篭ってた。

もしかしたらセナは春先で情緒でも不安定なのかもしれない

書類から顔を上げる。

「なんだセナ?なにか心配事か?」

「…別にぃ」

ふいっと顔をそらして、もういつものセナになってたから首を傾げた。

気性の荒い猫みたいなセナはいつだってつっけんどんな態度を取るけど、何かあればどこかにその予兆を見せる。

今は本当に何もないのか、いつもの整った表情のままでスマホをいじり始めたから俺も何度やっても慣れない書類を片付けるため視線を手元に落とした。


【紅紫一年・冬】


Knightsはもう駄目かもしれない。いや、大丈夫、セナなら、セナならきっと、セナと一緒にナルとリッツもKnightsを守ってくれる。

俺なんかがいなくてももう大丈夫のはずだ。

いつ消えようか。そんなことばかり考えるようになったのは奇人たちの処刑が終わった頃で、終戦したばかりの学園内には負けた者たちの死体が積み重なって道端に捨てられてた。

表面上平和を取り戻したように見える学園はただ実際は誰も彼もが目をつけられないように息を殺しているか死んでしまっただけで静まり返ってるだけ。

比喩ではなく殺し合いのライブに今日はギリギリ勝ちを収めて、首の皮一枚繋がったKnights。眠ってしまったリッツと個人の仕事でそのまま学園を出たナルとは分かれなんとなくたまり場にしてるスタジオに向かった。

先を歩くセナは俺よりか幾分しっかりとした足取りで歩いてはいたけど疲れているのは目に見えて、昔なら談笑しながら帰った道のりは静けさに包まれ、ひんやりとした空気が肌を刺す。

目をつむってでも辿り着けるくらいに通っているスタジオまであと少し。日もすっかり落ちて薄暗い廊下に二つ分の足音だけが響く。歩くたびに揺れるセナの髪を眺めて歩いていると、不意に動きが止まった。

不思議に思ってセナの横に並べばセナは眉間に皺を寄せていて、視線の先を追う。視線の先、俺達のスタジオの前には人影があって、足音に気づいたのかゆっくり項垂れてた頭が上がる。

薄暗い廊下に遠目。黒髪と赤色の瞳に一瞬リッツかと思ったけど、それはすぐに間違いだと気づく。

「こんなところでなにやってんの、アンタ」

セナの刺々しい声が静寂を切り裂いた。

余裕も配慮もなにもないその声。はからずとも俺まで視線を鋭くしてしまう。

見つめたその先、そいつは普段の表情はどこかに置き忘れたように瞳をゆらしてた。

『いず、みさん』

「、」

これは、いけないやつだ。

このままじゃこいつは壊れる。

透明の水が赤い瞳から零れ、真っ白い頬を伝う。同じように血の気が引いて薄い桃色の唇は震えていて、紡がれた名前はかすれてた。

セナは目を見開いて言葉を失って、それは唇を噛むと何故か歪な笑顔を繕った。

『いずみさん、あの、おれ、』

瞬間、隣りに居たセナは駆けるような早さでそいつに近寄り、微笑んだ。

「…今のしろくんはダメだねぇ。ほら、おいで」

とても優しい声にぐしゃりと繕おうとしてた表情を崩す。

崩れるようにして腕の中に落ち着いたそいつの頭を撫でるセナはどうにも見たことないくらい優しい顔をしていて、抱きとめられたそれは声も上げずにぼろぼろと水をこぼす。

とても綺麗なそれに、目も思考も心も、全てが奪われた。

「大丈夫、大丈夫」

『ん、っ』

「しろくん、お兄ちゃんがいるからね」

落ち着かせるように酷く慣れた手つきで髪を撫でて慈しむように声をかける。少しでも力を入れたら粉々に砕けちってしまいそうな危うさは今まで見てきたそいつのどれとも重ならなくて、俺はその場から動けなかった。

ちょっとでも物音を立てたら最後、こいつは壊れてしまうんじゃないか。人間がそんな音一つで壊れるわけないのに、そんな馬鹿なことを思ったら息を潜めて二人を見つめるしかない。

溢れる涙は止まることを知らないようにセナの服を濡らしていって、力はあまり入っていないけれど縋るようにセナのブレザーを白い指先が掴む。

支え合うというよりは一方的に寄りかかるような、そんな割合で静かに泣きつくそいつに、セナは服が汚れることも厭わないのか一緒に廊下に座りこんだ。

「しろくん、どうしたの?悲しいの?」

どれくらい時間が経ったんだろう。途方もなく長い時間だった気がする。涙が枯れたのか溢れなくなってもそれは変わらずセナの胸元に耳を立てていて、セナも一定の速度で髪をなでてた。

『…っ…ううん…』

「それじゃあ疲れちゃったの?」

『……んん…』

小さく漏れた否定の言葉。穏やかさを保つように髪を撫でながらセナは優しい声で問いかけを続ける。

「お兄ちゃんには言いたくない?」

『……―おれ、わるいことをしてて…』

ぼそりと零された。久方振りのきちんとした言葉の文にうっすらとセナの眉間に皺が寄る。意味を考えるような間を置いてそう、と短く返してた。

「それで辛くなったの?」

『……―ん』

小さな子が返すように、そのまま顔をセナの胸元に押し付けて今までブレザーの裾を摘んでた手を背中に回して掴んだ。

ぽんぽんと頭からそいつの背中に場所を移してなで始めたセナは優しく優しく問いかける。

「それはどうしてもしろくんがやらないといけないこと?しろくんじゃなきゃ駄目なの?」

相手を楽な方に流そうとする、甘やかすそんな言葉は初めて聞いたかもしれない。セナの発言に驚きから固まっていれば妙な間を置かれた。

小さく小さく、息を吸う音がする。

『……………―おねがい、されたから』

返ってきた言葉の意味は俺にはわからなかったけど、正しくセナに伝わったようで、ぐっと何かを堪えるように歯噛みしたセナは二呼吸、自身を落ち着かせるように息をして腕の中のそれを抱きしめた。

「…―そう。」

わかったと息を吐いて目を瞑ったセナの表情は晴れない。

それでも声色だけは取り繕われたように穏やかで背を撫でる手に乱れはなかった。

「大丈夫、俺がいるよ。…ほら、今だけは嫌なこと全部忘れな。アンタはただの弱い弱い…泣いてばかりで俺の可愛い弟のしろくんだよ」

『っ、はい…』

甘ったるい言葉に気を許したように言葉をもらして、次第にずるずると力が抜けていく。

いつの間にか潜めてた息は止めてしまってたようで、息をした。

「不思議な…やつだな」

「………なに、まだいたの」

衝動と好奇心に任せて、泣き疲れたのか眠りについたそれを覗きこめばセナは眉間に皺を寄せて息を吐く。

しゃがみこんで顔を隠してしまってる前髪に指をかける。泣いて赤い目元。眠ることで幼く見える表情。唯一の拠り所を逃さないとでも言いたげに縋る白い手。

辛い、辛いと言葉には出さず泣いてたその姿は思い出せば心臓が締め付けられるようで、普段の表情とのあまりの差も毛嫌いしてた心はすっかり消え失せてた。

「強いかと思ったら、随分やわい」

ぽんぽんと猫を撫でるように少し優しく髪を撫でればぎゅっとセナのブレザーを握る手に力が入る。

どんな目を向けてたのかはわからないけど、セナはそんな俺を見てモノ言いたげな顔をした後に息を吐いた。

「自覚してる分どっかの誰かさんよりマシだけどぉ?」

いつものセナの嫌味混じりの声。お互いにライブの疲れなんてどっかに吹っ飛んでいってたから俺は笑った。

「誰のことだ??」

「さぁねぇ。てゆーか、あんま騒がないで、起きちゃうでしょ」

お兄ちゃんというよりはお母さんみたいだ。むっとして腕の中のそれを守るように俺を睨みつけてくるから苦笑いを返す。

「でも、このままここにいるわけにもいかないだろ~?とりあえずスタジオ入らない?」

「……はぁ、手伝ってよねぇ」

「おう!」

「だからうるさい!」

セナのほうが声でかいけどっていう言葉は呑み込んで、随分とガッツリと寝入ってるらしいそいつを四苦八苦しながら運ぶ。体重は軽かった気がするけど、意識のない人間を運ぶのは難しかった。

今日丸一日使用されてないからひんやりとした空気のスタジオにとりあえずさっきと同じようにセナはそいつを抱っこして座りこむ。俺は一回離れて暖房を入れて、ついでにセナがマメに洗って取り替えてるタオルと、目についた使えそうなもの全部持って戻った。

「これだけあるし、くっついて寝れば寒くないだろ!」

「はぁ、まさかこんな硬い床で寝る羽目になるとはね…」

くまくんじゃあるまいしとぼやくわりに愛おしそうにそれの髪を撫でて、大判のタオルをまずは床に敷くとさっさと靴を脱がし、自分の分も脱いで一緒に寝っ転がる。

上から俺とセナのジャージ、それ以外にも置いてあったナルとリッツのジャージの上着とついでにユニット衣装の上着、タオル、着てきてたコート。あるもの全部掛けていけばセナは息を吐いた。

「馬鹿じゃないのぉ?それじゃ暑いし、アンタが着る分がないでしょ」

「おっと、そうだな!」

電気を消してから、ちょっと悩んでセナの隣じゃなくてすでに眠りについてるそいつの隣りに腰を下ろす。半分に分けた残りのある物を掛けていって、用意が終わる頃には暖房が効き始めて部屋の中はちょうどよく暖かかった。

俺ももぞもぞと足を動かして靴を脱ぎ、ついでに靴下も脱げばちょっと開放感に包まれて深呼吸をする。

不意に、甘いようで甘ったるくはない、あまり嗅いだことがないけど嫌いじゃない匂いが鼻に届いて、辿ればそれは隣からだったらしくすんすんと鼻を鳴らしてるのに気づいたセナの視線が暗闇でもわかるくらいに突き刺さった。

「なにやってんの?」

「珍しい匂いだなーって」

「…こいつの香水は独特だからねぇ」

「嗅いだことない匂いだな」

「…そうだね」

「でも、いい匂いだ」

「…………アンタ、こいつのこと嫌いじゃなかったっけ?」

訝しむような声色にあまり大きな声で笑うと怒られるから小さな声で笑ってまぁなと返す。

「嫌い“だった”ってことにしといてくれ」

「………あっそ」

話は終わりなのか短い言葉のあとになにも音はしない。真ん中で小さいけれど穏やかな寝息だけが聞こえるから、なんとなく背中に張り付くように寄り添って目を瞑った。



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