長次の姉は時に優しく時に厳しい
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五年前・壱華と長次が一年生の頃。
夏休みに入り、家に帰るべく壱華は長次と共に町を歩いていた。
弟が逸はぐれないように手を繋いでいると、買い出し中の半助と会った。
「「土井先生!」」
「おっ! 長次、壱華も。家に帰るところか?」
「はい。長次が迷子にならないように手を繋いで帰ります!」
あまりに堂々と言うので、長次は恥ずかしくなる。
「な、ならないよ…」
大好きな土井先生の前で子供扱いされ、長次は口を尖らせる。
そんな姿に、半助は笑って二人の頭を撫でた。
「土井先生もご自宅に帰られるんですか? 私たちの家はここから西に行くんです」
壱華があっちだと指差し教えていると、ふいに左手がガクンと下がる。
何事だと目を向ければ、長次が蹲うずくまっていた。
「長次!? どうしたの!」
「っ…お腹が痛い…」
「大変だ! うちはこの少し先だから、私の背に…いや抱えて行く。壱華は逸 れないよう付いて来てくれ」
「はい!」
半助は蹲る長次を横抱きにし走り出す。
ハラハラしながらも共に走り出す壱華は、泣きそうになっていた。
そして急いだ為に割とすぐに長屋へ到着すると、長次を厠の前で降ろし促す。
「あまりにつらかったら、中にある鈴を鳴らせばいい」
長次はつらそうに顔を顰めたまま頷き厠へと入る。
「慣れない生活で気を張っていたんだろう。疲れが出て腹にきたのかもしれない。…壱華、大丈夫だから中で待とう」
「……先生、私、何も気付かなくて…。長次はずっと我慢していたのかも」
声は震え大粒の涙を流す少女は、随分と心配性のようだ。
半助は何度も頭を撫で彼女の手を引く。
「君は何も悪くないよ。きっといきなり痛くなったんだ。戻ったら水を飲ませて休ませよう。今布団を敷くから…」
そう言いながら長屋の戸を開けた半助と、同時に顔を上げた壱華が固まる。
それもそのはず、何せ室内は荒れてゴミ屋敷同然になっていたからだ。
着物は脱ぎ捨てられ、書物は乱雑に床に散らばり、食器類も食べたまま、布団も敷きっぱなしである。
「ひゃあ!! な……何ですかこれ!?」
「しまった忘れていた!」
半助は慌てて戸を閉めようとするも、素早く壱華に阻まれる。
完全に開け放った戸の前に立ち、半助に詰め寄った。
「土井先生!」
「な、なんだ」
「部屋をこんなに汚くして、まさか前に帰ってからずっとこのままなんですか!?」
「いや〜…」
しどろもどろな半助に壱華は容赦なく畳み掛ける。
「これは由々しき事態です! 長次が見て真似したらどうするんですか!? 戻る前にすぐに片付けますよ!」
急いでとまるでどちらが大人なのかわからないほど、壱華はてきぱきと手前から物をどかしていく。
「先生、何を呆けているんですか! 先に布団を干してください!」
何もしようとしない半助に布団を干させ、食器と汚れ物の洗濯をと指示し、自らは手拭いで口を覆い片付けを始める。
早くきれいにし、体調の悪い長次を休ませなければ。
いやそれよりもまずこの汚部屋を見られるわけにはいかない。
「すごい埃! 土井先生ったらもう…!」
憤慨しながらも手を動かしていると、戸口で物音がし振り返る。
するといくらか顔色の良くなった長次が驚愕の表情で立っていた。
「あっ長次! 見ちゃだめ!」
「ここ…土井先生の家なの?」
箒 を振り回しだめだめと慌てる壱華だが、時すでに遅し。
室内を見回し言葉の出ない長次は、尊敬する担任の意外な一面を見た。
するとそこへ汚れ物を洗い終えた半助が戻る。
「長次、腹の具合はどうだ? 顔色はさっきより良さそうだな。水を飲むといい」
「…ありがとう、ございます。お腹は大分よくなりました」
井戸から汲んでいた水を差し出せば、長次は素直に礼を言いそれを飲んだ。
「あの、それよりこれはどういう…?」
室内に目を向ける長次に、半助は悪びれもなく笑う。
「いや〜参ったな。部屋が汚れてるのをすっかり忘れていて、壱華と掃除していたところなんだ。長次は念のため少し休んだ方がいい。隣のおばちゃんに頼んで来る」
半助はその場からいなくなろうとするが、背後から着物を引っ張られ振り返るとそこには鬼がいた。
「土井先生──!!」
可愛らしい少女の面影は消え、般若のような形相の壱華。
「長次が見ちゃったじゃないですか!! もし真似してこんな汚部屋になったらどうしてくれるんですか!? 大人なんですからもっとしっかりしてください!」
「まあまあ。壱華は手厳しいな」
どんなに怒ってもまだ十歳の少女は半助には子供にしか見えないので、真剣にとらえていない。
それにしてもこの子は弟のことばかり心配しているなと、双子なのに偉いなと呑気だ。
「笑ってる場合じゃありません! まさか学園の教師長屋も汚部屋なんですか!? だめ! だめです」
「姉さん、落ち着いて。汚くしたら小平太にも迷惑がかかるから、ぼくはいつも整頓を心がけてるよ」
興奮する姉を宥める長次は、絶対真似しないから大丈夫だとはっきり告げる。
その姿に壱華は感激だ。
「長次──! なんていい子なの。そうだよね、長次は土井先生みたいにだらしない大人にはならないに決まってる」
「さすが、長次もしっかりしてるなあ。二人とも優秀で私は鼻が高いよ」
些か、いや大分呑気な半助は、薦められて教師になったのはよかったとしみじみ浸っている。
先ほどから当事者が一向に悪びれない為、ここで壱華の我慢の限界が超えた。
大きく息を吸い込むと、長屋全体に声が響き渡る。
「土井先生!! さっきからどうしてそんなに呑気でいられるんですか!? 私は真剣に先生の今後を心配しているんです。このままではお嫁さんも来てくれません。もう二度と汚さないように私が片付けのやり方を教えます。それとこんな汚部屋であることは他の一年生には絶対秘密にしてください。特に仙蔵はああ見えてズボラなところがありますから、真似してズボラに磨きがかかるかもしれません。同室の文次郎は仙蔵の溜まった洗濯物を洗ってあげてるんですよ。ですから…」
壱華の説教は止まらず、いつの間にか他の住人も出てきて半助のだらしなさは長屋中に広まってしまった。
結局、休んでいられなかった長次と隣のおばちゃんも巻き込み、四人で部屋を片付けたのだった。
夏休みに入り、家に帰るべく壱華は長次と共に町を歩いていた。
弟が逸はぐれないように手を繋いでいると、買い出し中の半助と会った。
「「土井先生!」」
「おっ! 長次、壱華も。家に帰るところか?」
「はい。長次が迷子にならないように手を繋いで帰ります!」
あまりに堂々と言うので、長次は恥ずかしくなる。
「な、ならないよ…」
大好きな土井先生の前で子供扱いされ、長次は口を尖らせる。
そんな姿に、半助は笑って二人の頭を撫でた。
「土井先生もご自宅に帰られるんですか? 私たちの家はここから西に行くんです」
壱華があっちだと指差し教えていると、ふいに左手がガクンと下がる。
何事だと目を向ければ、長次が蹲うずくまっていた。
「長次!? どうしたの!」
「っ…お腹が痛い…」
「大変だ! うちはこの少し先だから、私の背に…いや抱えて行く。壱華は
「はい!」
半助は蹲る長次を横抱きにし走り出す。
ハラハラしながらも共に走り出す壱華は、泣きそうになっていた。
そして急いだ為に割とすぐに長屋へ到着すると、長次を厠の前で降ろし促す。
「あまりにつらかったら、中にある鈴を鳴らせばいい」
長次はつらそうに顔を顰めたまま頷き厠へと入る。
「慣れない生活で気を張っていたんだろう。疲れが出て腹にきたのかもしれない。…壱華、大丈夫だから中で待とう」
「……先生、私、何も気付かなくて…。長次はずっと我慢していたのかも」
声は震え大粒の涙を流す少女は、随分と心配性のようだ。
半助は何度も頭を撫で彼女の手を引く。
「君は何も悪くないよ。きっといきなり痛くなったんだ。戻ったら水を飲ませて休ませよう。今布団を敷くから…」
そう言いながら長屋の戸を開けた半助と、同時に顔を上げた壱華が固まる。
それもそのはず、何せ室内は荒れてゴミ屋敷同然になっていたからだ。
着物は脱ぎ捨てられ、書物は乱雑に床に散らばり、食器類も食べたまま、布団も敷きっぱなしである。
「ひゃあ!! な……何ですかこれ!?」
「しまった忘れていた!」
半助は慌てて戸を閉めようとするも、素早く壱華に阻まれる。
完全に開け放った戸の前に立ち、半助に詰め寄った。
「土井先生!」
「な、なんだ」
「部屋をこんなに汚くして、まさか前に帰ってからずっとこのままなんですか!?」
「いや〜…」
しどろもどろな半助に壱華は容赦なく畳み掛ける。
「これは由々しき事態です! 長次が見て真似したらどうするんですか!? 戻る前にすぐに片付けますよ!」
急いでとまるでどちらが大人なのかわからないほど、壱華はてきぱきと手前から物をどかしていく。
「先生、何を呆けているんですか! 先に布団を干してください!」
何もしようとしない半助に布団を干させ、食器と汚れ物の洗濯をと指示し、自らは手拭いで口を覆い片付けを始める。
早くきれいにし、体調の悪い長次を休ませなければ。
いやそれよりもまずこの汚部屋を見られるわけにはいかない。
「すごい埃! 土井先生ったらもう…!」
憤慨しながらも手を動かしていると、戸口で物音がし振り返る。
するといくらか顔色の良くなった長次が驚愕の表情で立っていた。
「あっ長次! 見ちゃだめ!」
「ここ…土井先生の家なの?」
室内を見回し言葉の出ない長次は、尊敬する担任の意外な一面を見た。
するとそこへ汚れ物を洗い終えた半助が戻る。
「長次、腹の具合はどうだ? 顔色はさっきより良さそうだな。水を飲むといい」
「…ありがとう、ございます。お腹は大分よくなりました」
井戸から汲んでいた水を差し出せば、長次は素直に礼を言いそれを飲んだ。
「あの、それよりこれはどういう…?」
室内に目を向ける長次に、半助は悪びれもなく笑う。
「いや〜参ったな。部屋が汚れてるのをすっかり忘れていて、壱華と掃除していたところなんだ。長次は念のため少し休んだ方がいい。隣のおばちゃんに頼んで来る」
半助はその場からいなくなろうとするが、背後から着物を引っ張られ振り返るとそこには鬼がいた。
「土井先生──!!」
可愛らしい少女の面影は消え、般若のような形相の壱華。
「長次が見ちゃったじゃないですか!! もし真似してこんな汚部屋になったらどうしてくれるんですか!? 大人なんですからもっとしっかりしてください!」
「まあまあ。壱華は手厳しいな」
どんなに怒ってもまだ十歳の少女は半助には子供にしか見えないので、真剣にとらえていない。
それにしてもこの子は弟のことばかり心配しているなと、双子なのに偉いなと呑気だ。
「笑ってる場合じゃありません! まさか学園の教師長屋も汚部屋なんですか!? だめ! だめです」
「姉さん、落ち着いて。汚くしたら小平太にも迷惑がかかるから、ぼくはいつも整頓を心がけてるよ」
興奮する姉を宥める長次は、絶対真似しないから大丈夫だとはっきり告げる。
その姿に壱華は感激だ。
「長次──! なんていい子なの。そうだよね、長次は土井先生みたいにだらしない大人にはならないに決まってる」
「さすが、長次もしっかりしてるなあ。二人とも優秀で私は鼻が高いよ」
些か、いや大分呑気な半助は、薦められて教師になったのはよかったとしみじみ浸っている。
先ほどから当事者が一向に悪びれない為、ここで壱華の我慢の限界が超えた。
大きく息を吸い込むと、長屋全体に声が響き渡る。
「土井先生!! さっきからどうしてそんなに呑気でいられるんですか!? 私は真剣に先生の今後を心配しているんです。このままではお嫁さんも来てくれません。もう二度と汚さないように私が片付けのやり方を教えます。それとこんな汚部屋であることは他の一年生には絶対秘密にしてください。特に仙蔵はああ見えてズボラなところがありますから、真似してズボラに磨きがかかるかもしれません。同室の文次郎は仙蔵の溜まった洗濯物を洗ってあげてるんですよ。ですから…」
壱華の説教は止まらず、いつの間にか他の住人も出てきて半助のだらしなさは長屋中に広まってしまった。
結局、休んでいられなかった長次と隣のおばちゃんも巻き込み、四人で部屋を片付けたのだった。
