我執の鬼
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足を引きずりながら山道を来た清治は、変に山が静まり返っているのを不審に思って寺の門の陰に隠れた。
烏龍 の話では獪岳が鬼と戦っているという話だったが、どうもそのような気配はない。
(まさか……)
もう勝負はついてしまったのだろうか。胸騒ぎがして息苦しくなる。
恐る恐る境内を覗く。等間隔にある灯篭は全て元の高さの半分ほどに崩れ落ちているが、確か昼間はそんな事にはなっていなかったはずだ。石畳も所々ひび割れてボコボコと穴が空き、戦闘が行われていたと言われれば納得できるような状態である。
そこには獪岳の姿も、鬼の姿もない。
(西側を守っていた楠班も全滅……やなくて、今は戦闘不能と言わなあかんな。まだ死んだとは限らん。この静けさ、もしかすると東側の班もやられたか……? 獪岳さんは一体どこへ行ったんや。急いで捜さなあかん)
空を見上げるが、捜すにも明かりがない。鬱蒼 とした山の中、空には月もなく頼れる光がないのだ。
(ん……? この音は……)
ブオーと山に響きわたる低い法螺貝の音に、清治は背後を振り返った。
音に驚いた野鳥が、短い囀 を残して真っ暗な空へと飛び立つ。
音はこだましただけか──。背後からの音ではないと気付き、耳を澄ませてどこからの音か目を凝らす。
修験者の多い吉野山では、特段珍しい音ではない。実際、ここに滞在する中で何度かこの音を聞いた事があった。だが、獣の咆哮のようなこの音は、この静かな宵の口においては少々不気味な雰囲気を醸すのに一役買っているようだ。それは、山に鬼が出ると言われて久しい今となっては、夜間に 修行しているはずのない修験者を思えばこその理由である。
ならばあの厄介な化け鬼か。
清治はしゃがみ込んで立て膝をすると、右ひざに歯を当てて力一杯ガブリと噛みついた。
「うっ……!」
噛みついたまま、ギリギリと歯ぎしりのように強く肉を噛む。やがてヒリヒリと痛みを感じ、皮膚へとじんわりそれが広がった。おそらく内出血、またはジワリと血が滲んでいるに違いない。
だがそれで良かった。地に足を着くたびにズキズキと熱を持って燻ぶる捻挫の鈍痛を紛らわす為には、他の何かで痛みをごまかす必要があった。それも全集中の状態に入るまでの凌ぎだが──。
清治は意を決し、寺の門をくぐる。
すると先程の法螺貝は急を告げるよう、けたたましく鳴り響いた。
「やって来たな小僧」
寺の裏山の杉の木の先端に人影がある。梢はおよそ人が立てるような場所ではないが、ゆらりゆらりと揺れながら、鷺 が羽を大きく広げたかのような真白い装束の天狗が獲物を じっと見下ろしている。
「……蓮峰!」
「ハハハハハ……! そこにおれ」
蓮峰は天狗面を投げ捨てて言い放つや否や、黒い何かを抱えて木からドスンと飛び降りた。そしてそれをゴロリと転がす。
「……⁉ 獪岳さんッ!」
清治はぐったりと動かない顔中血まみれの獪岳を見て、すぐに駆け寄った。
「待てやッ!」
「‼」
蓮峰の短く太い声が清治の鼓膜を揺らす。言われるがまま足はピタリと止まったが、ただならぬ雰囲気の獪岳を見て、清治は険しい目つきで蓮峰を睨んだ。
「この男──、獪岳とやらはワシに降 る言うさかい、盃を交わしたんやが気ィ失ってもうたわ」
「下る……? 鬼になるという事か?」
「強くなりたい……その願いを聞き届けてやろうと思ってな。どや、ワレも一緒に」
「誰が鬼になんかなるか!」
「雷の呼吸、ただそれが使えるだけでも早業を誇るもんやが、使い手が鬼となってはもはや至高の領域……。雷神の如き、まさに神技 や。誰がそれを止められるんかのう、ハハッ」
蓮峰は瓢箪 から盃に酒を注ぎ、グイとそれを飲み干す。ニタリと笑うとその歯は濃ゆい何色かに染まっていた。
「人間の髑髏 っちゅうのはちょうどええ塩梅でな。この綺麗な曲線……酒を入れて一息に飲むのにちょうどええ大きさや。見てみい、このひび割れもまるで白薩摩の貫入 のようやで」
悪趣味であるのはもう知っている。そして酒と称して何を飲んでいるかも判っている。蓮峰はその趣味の悪い骨盃 を自慢げに見せつけたが、清治は一切の興味も持たない。
「アンタの手の物、それは獪岳さんの刀じゃないか! 返せ!」
「……ええのう、日輪刀。なんちゅう綺麗な稲妻模様や。ホンマにええのう」
「鬼のくせに何言ってんだ! 早く返せ!」
蓮峰は獪岳の日輪刀を獪岳の方へ放り投げる。
「せやけど、桑島慈悟郎の刀……あれはもっと綺麗やった。これよりも、もっともっと綺麗な稲妻模様やった。それを使うあの人は、まさに雷神のような人やったが脚を失った。……ワシのせいでな」
「⁉」
蓮峰は清治の顔色が変わるのを見て、ニヤリと笑った──。
(まさか……)
もう勝負はついてしまったのだろうか。胸騒ぎがして息苦しくなる。
恐る恐る境内を覗く。等間隔にある灯篭は全て元の高さの半分ほどに崩れ落ちているが、確か昼間はそんな事にはなっていなかったはずだ。石畳も所々ひび割れてボコボコと穴が空き、戦闘が行われていたと言われれば納得できるような状態である。
そこには獪岳の姿も、鬼の姿もない。
(西側を守っていた楠班も全滅……やなくて、今は戦闘不能と言わなあかんな。まだ死んだとは限らん。この静けさ、もしかすると東側の班もやられたか……? 獪岳さんは一体どこへ行ったんや。急いで捜さなあかん)
空を見上げるが、捜すにも明かりがない。
(ん……? この音は……)
ブオーと山に響きわたる低い法螺貝の音に、清治は背後を振り返った。
音に驚いた野鳥が、短い
音はこだましただけか──。背後からの音ではないと気付き、耳を澄ませてどこからの音か目を凝らす。
修験者の多い吉野山では、特段珍しい音ではない。実際、ここに滞在する中で何度かこの音を聞いた事があった。だが、獣の咆哮のようなこの音は、この静かな宵の口においては少々不気味な雰囲気を醸すのに一役買っているようだ。それは、山に鬼が出ると言われて久しい今となっては、
ならばあの厄介な化け鬼か。
清治はしゃがみ込んで立て膝をすると、右ひざに歯を当てて力一杯ガブリと噛みついた。
「うっ……!」
噛みついたまま、ギリギリと歯ぎしりのように強く肉を噛む。やがてヒリヒリと痛みを感じ、皮膚へとじんわりそれが広がった。おそらく内出血、またはジワリと血が滲んでいるに違いない。
だがそれで良かった。地に足を着くたびにズキズキと熱を持って燻ぶる捻挫の鈍痛を紛らわす為には、他の何かで痛みをごまかす必要があった。それも全集中の状態に入るまでの凌ぎだが──。
清治は意を決し、寺の門をくぐる。
すると先程の法螺貝は急を告げるよう、けたたましく鳴り響いた。
「やって来たな小僧」
寺の裏山の杉の木の先端に人影がある。梢はおよそ人が立てるような場所ではないが、ゆらりゆらりと揺れながら、
「……蓮峰!」
「ハハハハハ……! そこにおれ」
蓮峰は天狗面を投げ捨てて言い放つや否や、黒い何かを抱えて木からドスンと飛び降りた。そしてそれをゴロリと転がす。
「……⁉ 獪岳さんッ!」
清治はぐったりと動かない顔中血まみれの獪岳を見て、すぐに駆け寄った。
「待てやッ!」
「‼」
蓮峰の短く太い声が清治の鼓膜を揺らす。言われるがまま足はピタリと止まったが、ただならぬ雰囲気の獪岳を見て、清治は険しい目つきで蓮峰を睨んだ。
「この男──、獪岳とやらはワシに
「下る……? 鬼になるという事か?」
「強くなりたい……その願いを聞き届けてやろうと思ってな。どや、ワレも一緒に」
「誰が鬼になんかなるか!」
「雷の呼吸、ただそれが使えるだけでも早業を誇るもんやが、使い手が鬼となってはもはや至高の領域……。雷神の如き、まさに
蓮峰は
「人間の
悪趣味であるのはもう知っている。そして酒と称して何を飲んでいるかも判っている。蓮峰はその趣味の悪い
「アンタの手の物、それは獪岳さんの刀じゃないか! 返せ!」
「……ええのう、日輪刀。なんちゅう綺麗な稲妻模様や。ホンマにええのう」
「鬼のくせに何言ってんだ! 早く返せ!」
蓮峰は獪岳の日輪刀を獪岳の方へ放り投げる。
「せやけど、桑島慈悟郎の刀……あれはもっと綺麗やった。これよりも、もっともっと綺麗な稲妻模様やった。それを使うあの人は、まさに雷神のような人やったが脚を失った。……ワシのせいでな」
「⁉」
蓮峰は清治の顔色が変わるのを見て、ニヤリと笑った──。
