生きてさえいれば
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いつもと変わらない静かな朝──。
朝餉をとったら、兄貴は山を下りる。俺は少しだけゆっくりと──、ほんの少しだけゆっくりと朝餉の支度をしていた。
『何じゃ清治、早くせんか。何をもたもたしとる!』
『じいちゃん……! 味噌って……あれっ、どこだっけ?』
いつも朝餉を作るのは俺のはずなのに、味噌の在り処が分からない。
『戸棚にあるだろうが! チッ、寝呆けてんのかよッ!?』
朝稽古を終えて外で行水を済ませた兄貴が、手拭いで体を拭きながら入って来て怒鳴る。俺は、傷一つないしっかりと鍛え上げられたその躰 に自然と目が行く。俺にはまだまだ兄貴のような筋肉は付いてない。
『あっ‼ 鍋が噴きこぼれる!』
蓋と鍋の隙間からブクブクと泡が噴き出して来た。俺が慌てて蓋を開けると、蓋に載せてあったお玉が土間に落ちた。
『わっ‼ お玉が落ちちゃった! あーっ‼ 砂が付いちゃった! アチッ!』
『何をしとるんじゃ、清治! 今日は獪岳の初任務の日じゃ。縁起の悪い事をするな!』
『だっ、だってさぁ……』
そう、藤襲山での入隊審査に合格した兄貴は、俺とじいちゃんの元を去って行く。これからは町で家を借り、そこで一人暮らしをするらしい。
晩のうちに兄貴は出立の支度をしていたけど、荷物と言ってもほとんど何もない。せいぜい着替えくらいだから、風呂敷一包みにしかならない。
兄貴にとっては命と日輪刀さえあればいいんだろう。そうそう、首元にある勾玉の首飾りも。誰かにもらった物なのかな、あれだけはいつも肌身離さず身に着けてる。もしかして親の形見……? 怖くて訊いた事ないけど。
いや、ちょっと待てよ。普通に過ごしてるけど何かおかしくないか? 朝起きてから、俺は俺じゃないみたいだ。俺はいつからここにいる? いつからこの三人で過ごしてる? 俺はどこから来た? 俺の生まれは牛込の……いや違う、俺は滋賀で生まれたはずだ。
『何をボーっとしてんだよ! 早く飯作れよカス!』
『獪岳ッ‼ 口が悪いぞ!』
カス? 違う、カス呼ばわりされてるのは俺じゃないはずだ。……でも、だったら誰なんだ? ここでこう呼ばれるのは俺くらいだよな? 他には誰もいないんだし。
『えっ……?』
よく見れば、俺の袖は山吹色に三角の鱗模様。目にかかった前髪は……これって金髪か? 俺は黒髪、それに羽織は青だったはずだ。何かがおかしいぞ。
俺は動揺しながらも、言われた通りに戸棚の甕 から目分量で味噌を掬い、鍋の中で溶いた。茹で過ぎて豆腐が崩れてる。
(これが俺だって? これは俺じゃないだろ? 俺はあの人 と入れ替わったのか? いや、あの人 って誰だよ!)
俺は小鍋に醤油で煮てある鮑 小鉢に盛る。朝から鮑とは豪華だよな。鮑はじいちゃんに言われて俺が昨日買って来た物だ。町ではなかなか売ってなくて、日本橋の魚河岸まで行ってやっと手に入れたものだ。魚河岸のおやっさんに鮪 のヅケを「食ってみろ」って一切れ食べさせてもらったのは二人には内緒。口福だった。
他には昆布と鰹節の佃煮、そして白飯ではなく栗ご飯に味噌汁に漬物。俺が作ったのは味噌汁と栗ご飯だけで、後は晩のうちにじいちゃんが仕込んでおいた物だ。栗は今は季節じゃないけど、去年の秋に拾って乾燥させた物を水で一晩ふやかして使い、ちょっと色は薄いけどおいしそうに炊き上がってる。
じいちゃんの話では「鮑(打ち 鮑)栗(勝ち 栗)養老昆布(喜ぶ )」という縁起を担いだ献立らしい。これらは戦国時代の戦の前に必勝祈願として食べられてた物だけど、じいちゃんは今の時代でも食べやすい献立にしたらしい。ついでに鰹節も勝男武士という事で、力強さや勝利という意味もある。
俺がいつかここを出る時も、じいちゃんはこれを作ってくれるのかな。いや、そんな日はきっと来ないだろうけど。欲を言えば俺は鮑より鰻 がいいな。隊に入ったら、俺の階級が「鰻のぼり」に上がって行くようにって。でもやっぱ鰻じゃだめかな。多分俺は鰻みたいにヌルっと鬼の前から逃げちゃうだろうから。
朝餉をとったら、兄貴は山を下りる。俺は少しだけゆっくりと──、ほんの少しだけゆっくりと朝餉の支度をしていた。
『何じゃ清治、早くせんか。何をもたもたしとる!』
『じいちゃん……! 味噌って……あれっ、どこだっけ?』
いつも朝餉を作るのは俺のはずなのに、味噌の在り処が分からない。
『戸棚にあるだろうが! チッ、寝呆けてんのかよッ!?』
朝稽古を終えて外で行水を済ませた兄貴が、手拭いで体を拭きながら入って来て怒鳴る。俺は、傷一つないしっかりと鍛え上げられたその
『あっ‼ 鍋が噴きこぼれる!』
蓋と鍋の隙間からブクブクと泡が噴き出して来た。俺が慌てて蓋を開けると、蓋に載せてあったお玉が土間に落ちた。
『わっ‼ お玉が落ちちゃった! あーっ‼ 砂が付いちゃった! アチッ!』
『何をしとるんじゃ、清治! 今日は獪岳の初任務の日じゃ。縁起の悪い事をするな!』
『だっ、だってさぁ……』
そう、藤襲山での入隊審査に合格した兄貴は、俺とじいちゃんの元を去って行く。これからは町で家を借り、そこで一人暮らしをするらしい。
晩のうちに兄貴は出立の支度をしていたけど、荷物と言ってもほとんど何もない。せいぜい着替えくらいだから、風呂敷一包みにしかならない。
兄貴にとっては命と日輪刀さえあればいいんだろう。そうそう、首元にある勾玉の首飾りも。誰かにもらった物なのかな、あれだけはいつも肌身離さず身に着けてる。もしかして親の形見……? 怖くて訊いた事ないけど。
いや、ちょっと待てよ。普通に過ごしてるけど何かおかしくないか? 朝起きてから、俺は俺じゃないみたいだ。俺はいつからここにいる? いつからこの三人で過ごしてる? 俺はどこから来た? 俺の生まれは牛込の……いや違う、俺は滋賀で生まれたはずだ。
『何をボーっとしてんだよ! 早く飯作れよカス!』
『獪岳ッ‼ 口が悪いぞ!』
カス? 違う、カス呼ばわりされてるのは俺じゃないはずだ。……でも、だったら誰なんだ? ここでこう呼ばれるのは俺くらいだよな? 他には誰もいないんだし。
『えっ……?』
よく見れば、俺の袖は山吹色に三角の鱗模様。目にかかった前髪は……これって金髪か? 俺は黒髪、それに羽織は青だったはずだ。何かがおかしいぞ。
俺は動揺しながらも、言われた通りに戸棚の
(これが俺だって? これは俺じゃないだろ? 俺は
俺は小鍋に醤油で煮てある
他には昆布と鰹節の佃煮、そして白飯ではなく栗ご飯に味噌汁に漬物。俺が作ったのは味噌汁と栗ご飯だけで、後は晩のうちにじいちゃんが仕込んでおいた物だ。栗は今は季節じゃないけど、去年の秋に拾って乾燥させた物を水で一晩ふやかして使い、ちょっと色は薄いけどおいしそうに炊き上がってる。
じいちゃんの話では「鮑(
俺がいつかここを出る時も、じいちゃんはこれを作ってくれるのかな。いや、そんな日はきっと来ないだろうけど。欲を言えば俺は鮑より
