柱たちの胸
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寺を囲っていた石垣だけが残り、すっかり伽藍堂 のようになった寺の敷地。吉野という土地柄、さぞかし歴史があった寺なのだろう。いつの時代からの物か分からないが、頑丈な基礎部分だけが地面に残っている。
清治は急に実家の寺が懐かしくなった。兄・正治 とはよく境内で鬼ごっこをして駆け回ったものだ。二人で灯篭によじ登っては父親に叱られ、お堂の屋根の大棟 の上で遠くの花火を眺めては叱られ、仏様へのお供え物をこっそりくすねて半分こ。大体の事は清治が率先してイタズラをして大人しい正治が付き合わされる流れだが、父親に叱られた時は正治が率先して謝っていた。やんちゃな清治は叱られても口答えをするので、その方が穏便に済むからだ。
隊士になると志してから、一度も実家に帰っていない。育手の元にいる時は何度か正治と文を交わしたが、今は住所もないので途切れたままになっている。
叔父がいるので寺の事は大丈夫だと思うが、任務を終えて東京へ戻る事になれば、できれば途中に滋賀の実家に寄って元気な姿を見せたいと思っている。奈良からならばそう遠くはない。そう願っても、そんなわがままをきっと言い出せないまま、東京へ戻る事になるのだろう。
(そういや師範と住む借家も探しとらんかったな。あの人、蝶屋敷の人にわがまま言うて迷惑かけとらんやろか)
蝶屋敷と言えば旨い飯にあの苦い薬である。成分・効能ともによく分からないあの薬は、食後に茶としても提供される物だが、怪我をした隊士にはもっと苦い薬が用意されていると言う。「死んだ者もびっくりして生き返るほど」と評される薬を怪我をした清治の師範は毎食飲まされているのだろうが、あの泣き虫の師範は耐えられるのだろうか。逃げ出したくてもあの折れた足では逃げられまい。
清治は何としてもあれを味わいたくないがために、絶対に怪我をしないようにしようと心に誓っている。
「おいキヨ、アイツら遅くねぇか?」
獪岳は不審そうに班員たちが向かった先を見る。すっかり見通しが良くなった寺の敷地であっても、焼け残る石垣の向こうまでは見えない。
「クソでもしてんのか?」
「全員がですか? そりゃ尻が六つ並んで圧巻の眺めでしょうね。桃みたいに」
「バカ野郎、桃が食えなくなるだろうが! ……まさか脱走したとかって言わねぇよな? ちょっと見て来るからお前はここを見張っとけ」
「ちり紙でも持ってってあげたらどうですか?」
「チッ、ふざけろ」
獪岳はすくっと立ち上がって石垣の方へと歩いて行く。その後ろ姿を目で追った。
(脱走ねぇ……。そんな事したら柱合会議でひどい目に遭うに決まっとるわ。下手すりゃ斬首やで。柱はなんや変わりもんばっかや言うし……。まぁあの音柱もなかなか怪体 な人やったよな。あんな感じの人が他にもおるなんて恐ろしいわ)
宇髄が引退して柱は七人になった。誰かが新しい柱に就任したとはまだ聞いていないが、清治ら下っ端の隊士たちには誰がなろうとさほど影響はない。ただ柱は若年層で埋められており、入隊してすぐに頭角を現して柱になっている事を考えれば、駆け出しの隊士にとっては憧れを抱きつつも雲の上の存在である。
そんな事を考えていると、一瞬だが隊士たちの声が聞こえた。ワーワーと騒いでいるようなものだったが、ずいぶんと楽しそうに聞こえた。
(笑い声……? あーあ、あんなにはしゃいどったら獪岳さんの雷が落ちるわ)
同じように獪岳もまた班員たちの声に気が付いた。ああだこうだと騒ぐ声は、ふざけた末のちょっとした言い合いのようにも聞こえた。
(……チクショウ、アイツら何やってんだ!)
怒鳴る寸前の獪岳は、前方の石垣から刀を握る血だらけの手が見えてハッとした。
「ヒッ、ヒィィィィィィィィ~ッ‼ 助けてください‼ 助太刀を‼」
ズルズルと這いつくばりながら石垣を乗り越えてこっちに来る隊士が現れた。それは柏班の隊士で、さっき憚りに行ったうちの一人だった。
「班長、助けてください‼」
フラフラになりながら、頭から血を流してほうほうの体 で走って来る。
「……あ? 何だよその血」
「鬼です! 鬼ですッ! この奥で‼ 山の奥で! 元・水柱が鬼になった! 天狗! 水の呼吸! 鱗滝!」
そう叫ぶと、血だらけの隊士はバタリと倒れ込んだ。
「おいっ、どうした! 何があった!」
「みんな……やられて……」
「ああっ⁉」
異変に気が付いた清治も駆けてくる。倒れた隊士は頭だけではなく、背中もバッサリと斬られていた。
「どこだ烏龍! うりゅうーッ‼」
獪岳は叫んだ。烏龍はまた麓の隠の元へ行っているので近くにはいない。
「おいっ、おいっ‼ しっかりしろ!」
「獪岳さん、行きましょう! きっと蓮峰だ!」
とうとう鬼が現れたのだ。清治は急かすように獪岳を誘った。
「でもコイツをこのままにしておいていいのか? 他の奴らはどこだ! 誰かにコイツを何とかしてもらわねぇと! 気絶してるぞ!」
「だったら俺が先に行ってます! 烏龍はすぐにまたやって来ると思うので、救護を呼ぶよう伝えてください!」
清治は刀を腰に差して、すぐさま駆けて行く。
「くそっ! 何やってんだよお前! 小便に行って鬼に襲われるなんて、間抜けにもほどがあるぜ……!」
獪岳は、怪我を負った隊士の上着を脱がせて、それを一番出血の多い背中に押し当てて止血した。
清治は急に実家の寺が懐かしくなった。兄・
隊士になると志してから、一度も実家に帰っていない。育手の元にいる時は何度か正治と文を交わしたが、今は住所もないので途切れたままになっている。
叔父がいるので寺の事は大丈夫だと思うが、任務を終えて東京へ戻る事になれば、できれば途中に滋賀の実家に寄って元気な姿を見せたいと思っている。奈良からならばそう遠くはない。そう願っても、そんなわがままをきっと言い出せないまま、東京へ戻る事になるのだろう。
(そういや師範と住む借家も探しとらんかったな。あの人、蝶屋敷の人にわがまま言うて迷惑かけとらんやろか)
蝶屋敷と言えば旨い飯にあの苦い薬である。成分・効能ともによく分からないあの薬は、食後に茶としても提供される物だが、怪我をした隊士にはもっと苦い薬が用意されていると言う。「死んだ者もびっくりして生き返るほど」と評される薬を怪我をした清治の師範は毎食飲まされているのだろうが、あの泣き虫の師範は耐えられるのだろうか。逃げ出したくてもあの折れた足では逃げられまい。
清治は何としてもあれを味わいたくないがために、絶対に怪我をしないようにしようと心に誓っている。
「おいキヨ、アイツら遅くねぇか?」
獪岳は不審そうに班員たちが向かった先を見る。すっかり見通しが良くなった寺の敷地であっても、焼け残る石垣の向こうまでは見えない。
「クソでもしてんのか?」
「全員がですか? そりゃ尻が六つ並んで圧巻の眺めでしょうね。桃みたいに」
「バカ野郎、桃が食えなくなるだろうが! ……まさか脱走したとかって言わねぇよな? ちょっと見て来るからお前はここを見張っとけ」
「ちり紙でも持ってってあげたらどうですか?」
「チッ、ふざけろ」
獪岳はすくっと立ち上がって石垣の方へと歩いて行く。その後ろ姿を目で追った。
(脱走ねぇ……。そんな事したら柱合会議でひどい目に遭うに決まっとるわ。下手すりゃ斬首やで。柱はなんや変わりもんばっかや言うし……。まぁあの音柱もなかなか
宇髄が引退して柱は七人になった。誰かが新しい柱に就任したとはまだ聞いていないが、清治ら下っ端の隊士たちには誰がなろうとさほど影響はない。ただ柱は若年層で埋められており、入隊してすぐに頭角を現して柱になっている事を考えれば、駆け出しの隊士にとっては憧れを抱きつつも雲の上の存在である。
そんな事を考えていると、一瞬だが隊士たちの声が聞こえた。ワーワーと騒いでいるようなものだったが、ずいぶんと楽しそうに聞こえた。
(笑い声……? あーあ、あんなにはしゃいどったら獪岳さんの雷が落ちるわ)
同じように獪岳もまた班員たちの声に気が付いた。ああだこうだと騒ぐ声は、ふざけた末のちょっとした言い合いのようにも聞こえた。
(……チクショウ、アイツら何やってんだ!)
怒鳴る寸前の獪岳は、前方の石垣から刀を握る血だらけの手が見えてハッとした。
「ヒッ、ヒィィィィィィィィ~ッ‼ 助けてください‼ 助太刀を‼」
ズルズルと這いつくばりながら石垣を乗り越えてこっちに来る隊士が現れた。それは柏班の隊士で、さっき憚りに行ったうちの一人だった。
「班長、助けてください‼」
フラフラになりながら、頭から血を流してほうほうの
「……あ? 何だよその血」
「鬼です! 鬼ですッ! この奥で‼ 山の奥で! 元・水柱が鬼になった! 天狗! 水の呼吸! 鱗滝!」
そう叫ぶと、血だらけの隊士はバタリと倒れ込んだ。
「おいっ、どうした! 何があった!」
「みんな……やられて……」
「ああっ⁉」
異変に気が付いた清治も駆けてくる。倒れた隊士は頭だけではなく、背中もバッサリと斬られていた。
「どこだ烏龍! うりゅうーッ‼」
獪岳は叫んだ。烏龍はまた麓の隠の元へ行っているので近くにはいない。
「おいっ、おいっ‼ しっかりしろ!」
「獪岳さん、行きましょう! きっと蓮峰だ!」
とうとう鬼が現れたのだ。清治は急かすように獪岳を誘った。
「でもコイツをこのままにしておいていいのか? 他の奴らはどこだ! 誰かにコイツを何とかしてもらわねぇと! 気絶してるぞ!」
「だったら俺が先に行ってます! 烏龍はすぐにまたやって来ると思うので、救護を呼ぶよう伝えてください!」
清治は刀を腰に差して、すぐさま駆けて行く。
「くそっ! 何やってんだよお前! 小便に行って鬼に襲われるなんて、間抜けにもほどがあるぜ……!」
獪岳は、怪我を負った隊士の上着を脱がせて、それを一番出血の多い背中に押し当てて止血した。
