弱味噌の師範
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「……ってわけだから、俺は寝る」
善逸がアオイの後を追って屋敷に戻ろうとするも、清治は袖を掴んで止めた。
「師範、明日俺と手合わせしてくれませんか?」
月明かりが清治の三白眼を照らし出す──。濁りのない真白い白目の中に、師範と認めた人間を真っ直ぐ見つめる黒目が光る。自信に満ちた切れ長の、刀のような鋭い目は、この時代にはもはやいなくなった武士道を極めた剣士を彷彿させる。
「先の藤襲山の最終選別は、正直言って俺には退屈な七日間でした。それまではほとんどが生きて帰れない、遺体になっても戻れないと育手から聞いていたので、俺は覚悟して山に入りました。でも実際は……こんな鬼に殺されちまう奴がいるのか? と思うような手応えだったんです」
それは単に鬼が弱すぎたからなのか、自分が強すぎたからなのか。
腕を試したいと思って試験を受けたはずが、かえって自分の腕に疑問を持ってしまったのである。
「俺は昔から足腰も強く、足も速かった。かけっこでは誰にも負けたことがなかったんです。体つきも、親父に似て身長も高く、筋肉も付きやすい体で。もちろん意識して鍛えていましたけどね」
二人は雨戸が閉められた縁側の沓脱石 にとりあえず腰かけ、声を潜めて話す。
「皇 君って出身はどこ?」
「清治 でいいですよ。実家は滋賀です。滋賀、知っていますか?」
「まぁ聞いたことくらいはある。大きな湖がある所だろ?」
「琵琶湖ですね。実家は滋賀で寺やってます。あそこは土地柄、昔から信心深い人が多くて。俺の家は代々寺をやってるんですけど、昔から薙刀とか弓道とか、そういう武道もやっていました。ずっと昔は信長を討つのに門徒と一緒に出陣した事もあったみたいです。そういう家だったから、俺も自然とそういう道に入りました」
幼い清治が初めて鬼の存在を知ったのは、十二歳の頃。目の前で、異形の生き物に父親が殺された時だ。
「以来、俺は親父の仇を討とうと各地を転々として、道場の噂を聞けば片っ端から門を叩きました。幼すぎるとか、態度が悪いとか、図々しいとか、紹介状がないとか、何かと理由を付けられて断られ、気が付いたら関西からこっちに流れ着いていました。歩いて来たんですよ、琵琶湖の見える古里からこの東京まで。やっとたどり着いた時、浅草の凌雲閣を見て感動しました。奮発して、雷門の前で記念に寫眞も撮ってもらったんですよ。そう言えば、道中で富士山にも登りました。道場以外で鍛える方法なんて、俺には何も思いつかなかった。登ればどうにかこうにか鍛えられるはず、ただそれだけでした」
清治は過去を語ると、遠く一点を見つめて物悲し気に話す。そこには元気で明るい清治という十四歳の少年の姿はない。
「でも親父さんが亡くなって、清治まで家を出たら、寺はどうしてるんだ?」
「叔父が手伝ってくれています。それに俺は次男なんで。歳の離れた兄がいるんですけど、兄がいるから俺は自由にこんな事をやっていられる。お袋は反対してたけど、兄貴は頼むぞって送り出してくれた。この間、鬼殺隊に入れたって文を送ったばかりで。今頃届いてるでしょうけど。きっと喜んでくれてると思います。そうだ、師範の家族は? 師範の出身は?」
──出身は新宿牛込。生まれた場所なのかどうか定かではない。正確には捨てられていた場所だ。当然、家族はいない。
そんな事実を言うのはいつも躊躇われる。不憫な境遇に誰もが憐れんでくれるが、善逸はそう思われるとより一層惨めなものとして感じてしまう。
善逸は炭治郎に出会うまで、この世で一番不幸なのは自分だと思っていた。生まれながらにして孤独な自分に、誰もが同情するのは間違いない。親に名を付けてももらえず、乳を含ませてもらったかも分からない。寒さで死なぬようにと、ただおくるみで包まれただけの姿で道端に転がっていたのだ。
だから最初から何もなく、何も失っていない自分よりも、家族とのささやかな幸せの日々を奪い取られた炭治郎の方が惨めに見えた。鬼を恨み、必殺の誓いを立てた人間の執念。何も得るもののないまま鬼殺を続ける自分と、鬼の頸を斬り取る度に一歩ずつ目的に近づいて行く炭治郎。それが悪い事とは思わないが、鬼を憎み続けなければいけない炭治郎が自分よりも不幸に見えた。
「俺の家族は、じいちゃんと兄貴。じいちゃんは、夏に桃がいっぱい成る山に住んでて、俺と兄貴はそこで修行した」
「おじいさんとお兄さんですか。って事は、もしかして師範も親を鬼に……?」
「いや。実は俺たち三人共、血は繋がってない。じいちゃんは俺の育手、雷の呼吸を使う、元・鳴柱だ」
「鳴柱……!」
少し前、関東へ入る前に噂で聞いた事があった。「その昔、鳴柱として活躍していた桑島慈悟郎という男がいる」と。
いろいろな呼吸を試してみたが、雷の呼吸に素質があると言われ、桑島の元へ行くといいと勧められた事があった。とはいえ桑島の居場所は誰も知らず、亡くなったという話も出ていない事から、どこか東京近郊にはいるものとされていたが、結局清治には見つける事ができなかった。その為、他の雷の道場で技を磨く事になったのである。
「もしかして、師範の育手は桑島慈悟郎という方ですか?」
「じいちゃんを知ってるの!?」
「いえ、名前だけです。お会いした事はありません。そっか、師範の育手は桑島さんなのか! これって……これってすごい事だ! 桑島さんは見込みのある剣士しか育てないって聞きました。そんな桑島さんに見込まれたお弟子さんに弟子入りできるなんて夢みたいだ!」
清治は感動を覚え、立ち上がってワイワイはしゃぎ出した。
「ちょっ! 静かに! シーッ! みんな寝てんの!」
「だから師範も弟子には厳しいんですね! そっか、桑島さんのお弟子さんなら仕方ない!」
「ばっ、俺は別に厳しくないよ! 怒られる身の気持ちはよく分かってるからね! でも常識的に考えて、こんな時間に騒ぎゃあ誰だって注意するでしょ! ましてやここ、一応診療所だよ? 俺たち以外にも重傷で寝たきりになってる隊士とかいるの!」
注意しながらも、善逸の声が一番大きく響く。結局またアオイが般若のような顔で飛んでやって来て、今度は強引に耳を引っぱられて屋敷に引きずり込まれ、各自の部屋に「朝まで出るな」と押し込まれた。
「やぁ、遅かったな、善逸」
「たっ、炭治郎。まだ起きてたのかよ」
「遅いから心配だったんだ。善逸は怖がりだし、何かあったのかと思ってさ」
そう言ってくれる炭治郎の隣の寝台では、伊之助が大きな寝息を立てている。伊之助はなぜか寝る時にも猪の被り物をして寝ているが、それがどうしても解せない。
炭治郎の寝台の傍らには木箱がある。その中から静かな禰豆子の寝息が聞こえてくる。
「禰豆子ちゃん、夜なのに寝てるの?」
「ああ、多分な。禰豆子はよく寝る子だから。そう言えば今日はずっと寝ているな」
「そっか」
「どうかしたのか?」
「いや──」
今日は一度も姿を見られなかった。一目でも顔を見たかったと思っただけだ。禰豆子を清治に会わせるわけにはいかない。もちろんかわいい禰豆子に清治が興味を持ってもらっては困るからだが、それ以外にも理由はある。禰豆子は鬼、それが分かれば、父親の仇だと思っている清治は禰豆子に刃を向けるだろう。
善逸は木箱をそっと撫でると、静かに自分の布団に滑り込み、明かりの紐を引く。
「炭治郎、お休み」
「ああ、お休み善逸」
炭治郎も禰豆子も、清治もアオイもお手伝いの子たちも皆、家族を鬼に殺されている。鬼殺隊はきっと不幸な人たちの集まりなのだ。鬼殺隊の戦いは、失ったものを取り戻す戦いではない。きっとみんな、同じ悲しみを背負う人がこの世からいなくなるよう願い、鬼殺に若い命を賭しているのだ。
善逸がアオイの後を追って屋敷に戻ろうとするも、清治は袖を掴んで止めた。
「師範、明日俺と手合わせしてくれませんか?」
月明かりが清治の三白眼を照らし出す──。濁りのない真白い白目の中に、師範と認めた人間を真っ直ぐ見つめる黒目が光る。自信に満ちた切れ長の、刀のような鋭い目は、この時代にはもはやいなくなった武士道を極めた剣士を彷彿させる。
「先の藤襲山の最終選別は、正直言って俺には退屈な七日間でした。それまではほとんどが生きて帰れない、遺体になっても戻れないと育手から聞いていたので、俺は覚悟して山に入りました。でも実際は……こんな鬼に殺されちまう奴がいるのか? と思うような手応えだったんです」
それは単に鬼が弱すぎたからなのか、自分が強すぎたからなのか。
腕を試したいと思って試験を受けたはずが、かえって自分の腕に疑問を持ってしまったのである。
「俺は昔から足腰も強く、足も速かった。かけっこでは誰にも負けたことがなかったんです。体つきも、親父に似て身長も高く、筋肉も付きやすい体で。もちろん意識して鍛えていましたけどね」
二人は雨戸が閉められた縁側の
「
「
「まぁ聞いたことくらいはある。大きな湖がある所だろ?」
「琵琶湖ですね。実家は滋賀で寺やってます。あそこは土地柄、昔から信心深い人が多くて。俺の家は代々寺をやってるんですけど、昔から薙刀とか弓道とか、そういう武道もやっていました。ずっと昔は信長を討つのに門徒と一緒に出陣した事もあったみたいです。そういう家だったから、俺も自然とそういう道に入りました」
幼い清治が初めて鬼の存在を知ったのは、十二歳の頃。目の前で、異形の生き物に父親が殺された時だ。
「以来、俺は親父の仇を討とうと各地を転々として、道場の噂を聞けば片っ端から門を叩きました。幼すぎるとか、態度が悪いとか、図々しいとか、紹介状がないとか、何かと理由を付けられて断られ、気が付いたら関西からこっちに流れ着いていました。歩いて来たんですよ、琵琶湖の見える古里からこの東京まで。やっとたどり着いた時、浅草の凌雲閣を見て感動しました。奮発して、雷門の前で記念に寫眞も撮ってもらったんですよ。そう言えば、道中で富士山にも登りました。道場以外で鍛える方法なんて、俺には何も思いつかなかった。登ればどうにかこうにか鍛えられるはず、ただそれだけでした」
清治は過去を語ると、遠く一点を見つめて物悲し気に話す。そこには元気で明るい清治という十四歳の少年の姿はない。
「でも親父さんが亡くなって、清治まで家を出たら、寺はどうしてるんだ?」
「叔父が手伝ってくれています。それに俺は次男なんで。歳の離れた兄がいるんですけど、兄がいるから俺は自由にこんな事をやっていられる。お袋は反対してたけど、兄貴は頼むぞって送り出してくれた。この間、鬼殺隊に入れたって文を送ったばかりで。今頃届いてるでしょうけど。きっと喜んでくれてると思います。そうだ、師範の家族は? 師範の出身は?」
──出身は新宿牛込。生まれた場所なのかどうか定かではない。正確には捨てられていた場所だ。当然、家族はいない。
そんな事実を言うのはいつも躊躇われる。不憫な境遇に誰もが憐れんでくれるが、善逸はそう思われるとより一層惨めなものとして感じてしまう。
善逸は炭治郎に出会うまで、この世で一番不幸なのは自分だと思っていた。生まれながらにして孤独な自分に、誰もが同情するのは間違いない。親に名を付けてももらえず、乳を含ませてもらったかも分からない。寒さで死なぬようにと、ただおくるみで包まれただけの姿で道端に転がっていたのだ。
だから最初から何もなく、何も失っていない自分よりも、家族とのささやかな幸せの日々を奪い取られた炭治郎の方が惨めに見えた。鬼を恨み、必殺の誓いを立てた人間の執念。何も得るもののないまま鬼殺を続ける自分と、鬼の頸を斬り取る度に一歩ずつ目的に近づいて行く炭治郎。それが悪い事とは思わないが、鬼を憎み続けなければいけない炭治郎が自分よりも不幸に見えた。
「俺の家族は、じいちゃんと兄貴。じいちゃんは、夏に桃がいっぱい成る山に住んでて、俺と兄貴はそこで修行した」
「おじいさんとお兄さんですか。って事は、もしかして師範も親を鬼に……?」
「いや。実は俺たち三人共、血は繋がってない。じいちゃんは俺の育手、雷の呼吸を使う、元・鳴柱だ」
「鳴柱……!」
少し前、関東へ入る前に噂で聞いた事があった。「その昔、鳴柱として活躍していた桑島慈悟郎という男がいる」と。
いろいろな呼吸を試してみたが、雷の呼吸に素質があると言われ、桑島の元へ行くといいと勧められた事があった。とはいえ桑島の居場所は誰も知らず、亡くなったという話も出ていない事から、どこか東京近郊にはいるものとされていたが、結局清治には見つける事ができなかった。その為、他の雷の道場で技を磨く事になったのである。
「もしかして、師範の育手は桑島慈悟郎という方ですか?」
「じいちゃんを知ってるの!?」
「いえ、名前だけです。お会いした事はありません。そっか、師範の育手は桑島さんなのか! これって……これってすごい事だ! 桑島さんは見込みのある剣士しか育てないって聞きました。そんな桑島さんに見込まれたお弟子さんに弟子入りできるなんて夢みたいだ!」
清治は感動を覚え、立ち上がってワイワイはしゃぎ出した。
「ちょっ! 静かに! シーッ! みんな寝てんの!」
「だから師範も弟子には厳しいんですね! そっか、桑島さんのお弟子さんなら仕方ない!」
「ばっ、俺は別に厳しくないよ! 怒られる身の気持ちはよく分かってるからね! でも常識的に考えて、こんな時間に騒ぎゃあ誰だって注意するでしょ! ましてやここ、一応診療所だよ? 俺たち以外にも重傷で寝たきりになってる隊士とかいるの!」
注意しながらも、善逸の声が一番大きく響く。結局またアオイが般若のような顔で飛んでやって来て、今度は強引に耳を引っぱられて屋敷に引きずり込まれ、各自の部屋に「朝まで出るな」と押し込まれた。
「やぁ、遅かったな、善逸」
「たっ、炭治郎。まだ起きてたのかよ」
「遅いから心配だったんだ。善逸は怖がりだし、何かあったのかと思ってさ」
そう言ってくれる炭治郎の隣の寝台では、伊之助が大きな寝息を立てている。伊之助はなぜか寝る時にも猪の被り物をして寝ているが、それがどうしても解せない。
炭治郎の寝台の傍らには木箱がある。その中から静かな禰豆子の寝息が聞こえてくる。
「禰豆子ちゃん、夜なのに寝てるの?」
「ああ、多分な。禰豆子はよく寝る子だから。そう言えば今日はずっと寝ているな」
「そっか」
「どうかしたのか?」
「いや──」
今日は一度も姿を見られなかった。一目でも顔を見たかったと思っただけだ。禰豆子を清治に会わせるわけにはいかない。もちろんかわいい禰豆子に清治が興味を持ってもらっては困るからだが、それ以外にも理由はある。禰豆子は鬼、それが分かれば、父親の仇だと思っている清治は禰豆子に刃を向けるだろう。
善逸は木箱をそっと撫でると、静かに自分の布団に滑り込み、明かりの紐を引く。
「炭治郎、お休み」
「ああ、お休み善逸」
炭治郎も禰豆子も、清治もアオイもお手伝いの子たちも皆、家族を鬼に殺されている。鬼殺隊はきっと不幸な人たちの集まりなのだ。鬼殺隊の戦いは、失ったものを取り戻す戦いではない。きっとみんな、同じ悲しみを背負う人がこの世からいなくなるよう願い、鬼殺に若い命を賭しているのだ。
