師範の一閃
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「借金取りに追われてた⁉」
善逸が今の自分とはそう変わらない年齢で、すでに借金をしていた事に清治は驚いた。それもいろんな女性に過剰に貢いだり、悪い女性に騙されて金品を搾取されていたりしたと言うではないか。気になるところだが、一体何があってそうなったのか、踏み込んで訊いてまたへそを曲げられたら堪らない。
『ケッ、あの紋逸が男なんかに金貸すわけねぇだろ』
何気なく伊之助が言った言葉を思い出す。
『師範! 蹴ってください! その婆さんを蹴るんです!』
『むっ、無理だよッ! 女の人を蹴るなんて!』
『そいつは人じゃない、鬼です! このままじゃ殺されてしまいます! 早く!』
『わぁぁぁぁぁ清治ー‼ できないっ、俺にはできないんだよぉぉぉっ!』
姥鬼と対峙した時も、善逸はなぜか積極的に戦おうとしなかった。鬼殺隊士たるもの、刀を取られたとしても、勝負は継続しなければならない。取られれば取り返すまで、どんな手を使ってでも諦めてはいけないのだ。
そんな事は誰に言われるまでもなく当たり前の事なのだが、善逸はそうではなかった。清治の言葉すらも受け入れなかった。
一旦腰を引いたら元には戻らない。それが「弱味噌」と揶揄される要因なのだろうが、ここへきてようやく背景が見えてくる。もしかすると、善逸は女性に対して何か特別な感情があるのではないか。
「師範、お母さんが欲しかったですか?」
女性に執着するような行動、女性である鬼に手出しをするのを拒んだ行動。それらには何か共通点があるように思えた。
「何だよそれ。何でそんな事を訊くんだよ、バカじゃねぇの?」
寝そべって星空を見る瞳。その瞳には一度でも父や母の姿を映した事があるのだろうか。
産まれて間もなく、まだ目も開いていないうちに捨てられたのであれば、その小さな瞳に最初に映った世界はどんな世界だったのか。
清治にとって、善逸という人間は怒りっぽく、愛想も悪く、どこか冷たい人間に思えていた。ところが蓋を開けてみれば、何だかんだと人懐っこくて面倒見も良い。結局裏表もよく分からない変わった人間だと片付ける事もできるが、絶望と希望の狭間を必死で生きている人間のようにも見える。
得られないだろうと思いながらも得ようとし、得ようとしても結局得られずにいる。それはきっと命だけしか持たずに産まれた時から、繰り返し繰り返し行われてきた事なのだろう。
清治が目の前で父を失っても、こうして強くいられるのは他にも家族がいるからだ。たとえ心が折れて実家に戻ったとしても、そこには母や兄、叔父がいてちゃんと帰る場所があるが、善逸には帰る場所も迎えてくれる人もおらず、育手を頼るしかない。だがそれは鬼殺隊としての絆だけで繋がっているもので、刀を捨ててそれが切れてしまえば、単なる知り合いになってしまう。
怖かった時、悲しかった時、嬉しかった時に優しく抱きしめてくれた存在──。幼い頃のそんな記憶を忘れなければ、人は一生強く生きられる。それがいなければ、得ようとして一生探し求めてしまう。善逸が女性に対する特別な感情があるのは、親の愛、特に母親の愛情を知らずに育ったせいなのだろう。
善逸は鬼に恨みなどはなく、単に助けてくれた育手に報いたいという思いで鬼殺隊士をやっているだけだが、それを辞めたとすれば帰る場所はない。仲間がいても、隊士であればこその繋がり。真の心の拠り所がなければ、産まれた時と変わらずずっと孤独なままである。
「何だよ、急に話さなくなって。俺が捨て子だからって嫌になったか?」
「いえ。そんな事で嫌いになるわけないじゃないですか。俺の家は寺だから、そういう身寄りのない子に親父は無償で字や算盤を教えていました。おふくろは湯浴みもさせて、飯も食わせていました。俺もよく一緒に遊んだものですよ。師範もその子たちと同じように育ったのだと知って、むしろ親近感が──」
「俺にはそんな事をしてくれる奴なんていなかったよ」
善逸の声は暗かった。怒りさえ感じるような声だった。
「人なんて平等じゃない。だから俺みたいな奴は這い上がるしかねぇんだよ。孤児だからって、みんながみんな都合良く周りにそんなふうに構ってくれる大人がいるわけじゃねぇよ。俺の周りは優しい奴ばっかじゃなかった。捨てられたのは新宿の牛込だぜ? 知ってるか? そこがどういう場所か」
「……いえ、俺はあまり東京の事はまだ……」
「花街だよ。そんなとこにいた産まれたばかりの赤ん坊なんて、どんな奴が母親なのか大体の予想がつくだろ? ガキがいていい街じゃない。厄介でしかねぇだろ、ガキなんていちゃ商売にならねぇ」
花街──。そこがどういう場所か当然清治でも分かる。つまり善逸は花街で働く女性が産んだのだという事だろう。となれば、相手となった男性はどこの誰かは特定できない。
逃げ出せもせず、ろくな食事も与えられず、自分一人が生きていくだけで精一杯。それでも花街の女性は男性客にとって常に現人 のようでなければならない。それが子を孕んで産み落とすなどあってはならない事なのである。
「遊びに来る奴が赤ん坊を拾うか? 育てようと思うか? ましてや男児だぞ? 女ならそのうち店に出せるだろうけど、男はそうじゃねぇ。大人だろうが子供だろうが、金を落とさねぇ男なんてあの街にいたって厄介なだけなんだよ」
心の奥底に眠る境遇への怒り。やり場のないそれを語れば、善逸の語気は自然と強くなる。
「……ごめん、別に清治が悪いわけでもないのにな。気にしないでくれ、もう昔の事だから」
「いえ」
「まぁ、そういう奴なんだよ、俺は。親の中では捨てた時点で俺はそもそもいなかった事になってる。だからいつ死んだっていいんだよ、俺は。誰も悲しまねぇし。だからちょうどいいだろ? 隊士っていう職業は」
「悲しみますよ、俺が。師範とはまだ出会ったばかりだけど、死なれると悲しいです。知ってる人が死ねば、俺は悲しいです。蝶屋敷へ行く途中に会った旅のじいさんも、さっき助けたあの女の子も、その親父さんも、もし死んでしまったら俺は悲しいです。死ぬって事は、消えてなくなるって事です。鬼はすぐ消えちゃいますけど、人だって死ねば時間をかけて消えていきます。消えるのはその人の存在だけじゃなくて、周りの人の記憶の中からもそのうち消えていくんです。こんな悲しい事がありますか?」
「清治……」
声を震わせて反論する清治。善逸は起き上がって名前を呼んだ。今にも泣き出しそうに眉を歪めている。
「優しいんだな、清治は」
「何言ってんですか。師範だって優しいですよ。普通ならグレていてもおかしくないでしょう? 俺思うんです。師範は周りにそんなに親切な人はいなかったって言うけど、そんな事はないと思います。師範が今生きているのは、その証じゃないですか。誰かが気にかけてくれたから、こうして大きくなれたんです。優しくされたから、師範も優しいんです。人はみんな瞳に鏡を持っています。映った物が自分を作るんです」
弟子のくせに生意気にも清治は善逸に説いている。善逸もそう思ったのか、いや、その考えはすぐに改めたが、何だか恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「バーカ。俺の事なんて大して何も知らねぇくせに。後で痛い目に遭うぞ? お前の鏡はろくでもねぇ奴を映してんだからな」
「でも何だかんだ言って握り飯をくれたじゃないですか。それに、師範は────」
師範は俺の目標です──と言おうとして、清治は口をつぐんだ。
「……何だよ、言えよ」
「いえ、障りがあると困るので言いません。それより、師範の育手の桑島さんってどこにお住まいですか? 一度ご挨拶に伺いたくて」
「はぁ? 何でさ。あんな怖いじいちゃんの所に行ったら、何されるか分かんないよ!」
「大丈夫ですよ。同門ですし、師範に弟子入りしたって言えば、きっと俺の事も可愛がってくれますって」
「……いや、どうかな。俺に弟子入りしたなんて言ったら、お前は馬鹿なのかって叱られるよ。ゲンコツ食らうかもしんないよ?」
「いいですよ。師範も食らったゲンコツなら、俺も食らってみたいです」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
善逸は頸を傾げた。
「師範、見てください。日が昇って来ましたよ」
清治が指す方向には太陽が顔を出していた。この瞬間が、鬼狩りにとっては安堵の瞬間である。ようやく長い夜が終わり、緊張が解ける瞬間でもある。
「きれいっすね」
「……ああ」
朝日が二つの紅顔を明るく照らし出す。
二人でこうして朝日を見た時のこの感動を、清治は生涯忘れる事はなかった。
第一部 輝きわたる一閃 ──完──
善逸が今の自分とはそう変わらない年齢で、すでに借金をしていた事に清治は驚いた。それもいろんな女性に過剰に貢いだり、悪い女性に騙されて金品を搾取されていたりしたと言うではないか。気になるところだが、一体何があってそうなったのか、踏み込んで訊いてまたへそを曲げられたら堪らない。
『ケッ、あの紋逸が男なんかに金貸すわけねぇだろ』
何気なく伊之助が言った言葉を思い出す。
『師範! 蹴ってください! その婆さんを蹴るんです!』
『むっ、無理だよッ! 女の人を蹴るなんて!』
『そいつは人じゃない、鬼です! このままじゃ殺されてしまいます! 早く!』
『わぁぁぁぁぁ清治ー‼ できないっ、俺にはできないんだよぉぉぉっ!』
姥鬼と対峙した時も、善逸はなぜか積極的に戦おうとしなかった。鬼殺隊士たるもの、刀を取られたとしても、勝負は継続しなければならない。取られれば取り返すまで、どんな手を使ってでも諦めてはいけないのだ。
そんな事は誰に言われるまでもなく当たり前の事なのだが、善逸はそうではなかった。清治の言葉すらも受け入れなかった。
一旦腰を引いたら元には戻らない。それが「弱味噌」と揶揄される要因なのだろうが、ここへきてようやく背景が見えてくる。もしかすると、善逸は女性に対して何か特別な感情があるのではないか。
「師範、お母さんが欲しかったですか?」
女性に執着するような行動、女性である鬼に手出しをするのを拒んだ行動。それらには何か共通点があるように思えた。
「何だよそれ。何でそんな事を訊くんだよ、バカじゃねぇの?」
寝そべって星空を見る瞳。その瞳には一度でも父や母の姿を映した事があるのだろうか。
産まれて間もなく、まだ目も開いていないうちに捨てられたのであれば、その小さな瞳に最初に映った世界はどんな世界だったのか。
清治にとって、善逸という人間は怒りっぽく、愛想も悪く、どこか冷たい人間に思えていた。ところが蓋を開けてみれば、何だかんだと人懐っこくて面倒見も良い。結局裏表もよく分からない変わった人間だと片付ける事もできるが、絶望と希望の狭間を必死で生きている人間のようにも見える。
得られないだろうと思いながらも得ようとし、得ようとしても結局得られずにいる。それはきっと命だけしか持たずに産まれた時から、繰り返し繰り返し行われてきた事なのだろう。
清治が目の前で父を失っても、こうして強くいられるのは他にも家族がいるからだ。たとえ心が折れて実家に戻ったとしても、そこには母や兄、叔父がいてちゃんと帰る場所があるが、善逸には帰る場所も迎えてくれる人もおらず、育手を頼るしかない。だがそれは鬼殺隊としての絆だけで繋がっているもので、刀を捨ててそれが切れてしまえば、単なる知り合いになってしまう。
怖かった時、悲しかった時、嬉しかった時に優しく抱きしめてくれた存在──。幼い頃のそんな記憶を忘れなければ、人は一生強く生きられる。それがいなければ、得ようとして一生探し求めてしまう。善逸が女性に対する特別な感情があるのは、親の愛、特に母親の愛情を知らずに育ったせいなのだろう。
善逸は鬼に恨みなどはなく、単に助けてくれた育手に報いたいという思いで鬼殺隊士をやっているだけだが、それを辞めたとすれば帰る場所はない。仲間がいても、隊士であればこその繋がり。真の心の拠り所がなければ、産まれた時と変わらずずっと孤独なままである。
「何だよ、急に話さなくなって。俺が捨て子だからって嫌になったか?」
「いえ。そんな事で嫌いになるわけないじゃないですか。俺の家は寺だから、そういう身寄りのない子に親父は無償で字や算盤を教えていました。おふくろは湯浴みもさせて、飯も食わせていました。俺もよく一緒に遊んだものですよ。師範もその子たちと同じように育ったのだと知って、むしろ親近感が──」
「俺にはそんな事をしてくれる奴なんていなかったよ」
善逸の声は暗かった。怒りさえ感じるような声だった。
「人なんて平等じゃない。だから俺みたいな奴は這い上がるしかねぇんだよ。孤児だからって、みんながみんな都合良く周りにそんなふうに構ってくれる大人がいるわけじゃねぇよ。俺の周りは優しい奴ばっかじゃなかった。捨てられたのは新宿の牛込だぜ? 知ってるか? そこがどういう場所か」
「……いえ、俺はあまり東京の事はまだ……」
「花街だよ。そんなとこにいた産まれたばかりの赤ん坊なんて、どんな奴が母親なのか大体の予想がつくだろ? ガキがいていい街じゃない。厄介でしかねぇだろ、ガキなんていちゃ商売にならねぇ」
花街──。そこがどういう場所か当然清治でも分かる。つまり善逸は花街で働く女性が産んだのだという事だろう。となれば、相手となった男性はどこの誰かは特定できない。
逃げ出せもせず、ろくな食事も与えられず、自分一人が生きていくだけで精一杯。それでも花街の女性は男性客にとって常に
「遊びに来る奴が赤ん坊を拾うか? 育てようと思うか? ましてや男児だぞ? 女ならそのうち店に出せるだろうけど、男はそうじゃねぇ。大人だろうが子供だろうが、金を落とさねぇ男なんてあの街にいたって厄介なだけなんだよ」
心の奥底に眠る境遇への怒り。やり場のないそれを語れば、善逸の語気は自然と強くなる。
「……ごめん、別に清治が悪いわけでもないのにな。気にしないでくれ、もう昔の事だから」
「いえ」
「まぁ、そういう奴なんだよ、俺は。親の中では捨てた時点で俺はそもそもいなかった事になってる。だからいつ死んだっていいんだよ、俺は。誰も悲しまねぇし。だからちょうどいいだろ? 隊士っていう職業は」
「悲しみますよ、俺が。師範とはまだ出会ったばかりだけど、死なれると悲しいです。知ってる人が死ねば、俺は悲しいです。蝶屋敷へ行く途中に会った旅のじいさんも、さっき助けたあの女の子も、その親父さんも、もし死んでしまったら俺は悲しいです。死ぬって事は、消えてなくなるって事です。鬼はすぐ消えちゃいますけど、人だって死ねば時間をかけて消えていきます。消えるのはその人の存在だけじゃなくて、周りの人の記憶の中からもそのうち消えていくんです。こんな悲しい事がありますか?」
「清治……」
声を震わせて反論する清治。善逸は起き上がって名前を呼んだ。今にも泣き出しそうに眉を歪めている。
「優しいんだな、清治は」
「何言ってんですか。師範だって優しいですよ。普通ならグレていてもおかしくないでしょう? 俺思うんです。師範は周りにそんなに親切な人はいなかったって言うけど、そんな事はないと思います。師範が今生きているのは、その証じゃないですか。誰かが気にかけてくれたから、こうして大きくなれたんです。優しくされたから、師範も優しいんです。人はみんな瞳に鏡を持っています。映った物が自分を作るんです」
弟子のくせに生意気にも清治は善逸に説いている。善逸もそう思ったのか、いや、その考えはすぐに改めたが、何だか恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「バーカ。俺の事なんて大して何も知らねぇくせに。後で痛い目に遭うぞ? お前の鏡はろくでもねぇ奴を映してんだからな」
「でも何だかんだ言って握り飯をくれたじゃないですか。それに、師範は────」
師範は俺の目標です──と言おうとして、清治は口をつぐんだ。
「……何だよ、言えよ」
「いえ、障りがあると困るので言いません。それより、師範の育手の桑島さんってどこにお住まいですか? 一度ご挨拶に伺いたくて」
「はぁ? 何でさ。あんな怖いじいちゃんの所に行ったら、何されるか分かんないよ!」
「大丈夫ですよ。同門ですし、師範に弟子入りしたって言えば、きっと俺の事も可愛がってくれますって」
「……いや、どうかな。俺に弟子入りしたなんて言ったら、お前は馬鹿なのかって叱られるよ。ゲンコツ食らうかもしんないよ?」
「いいですよ。師範も食らったゲンコツなら、俺も食らってみたいです」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
善逸は頸を傾げた。
「師範、見てください。日が昇って来ましたよ」
清治が指す方向には太陽が顔を出していた。この瞬間が、鬼狩りにとっては安堵の瞬間である。ようやく長い夜が終わり、緊張が解ける瞬間でもある。
「きれいっすね」
「……ああ」
朝日が二つの紅顔を明るく照らし出す。
二人でこうして朝日を見た時のこの感動を、清治は生涯忘れる事はなかった。
第一部 輝きわたる一閃 ──完──
