陰と陽
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獪岳はその後どうやって店を出たか覚えていない。気が付けば、神楽坂の町の往来をフラフラと歩いていた。
(そんなはずはねぇって……。これは違う誰かの話だろ。あのババア、嘘ついて俺をおちょくってたんだ。クソッ)
気分が悪い。今夜はもう帰ろうと思っていると、背後から声をかけられた。
「あれあれあれェ~? 獪岳クン じゃありませんか。……おい、どうしたんだよこんな所で」
同期の隊士が他の隊士と二人で立っている。隊服の腰には刀、どうやら任務の途中のようである。
「お前さぁ、関西へ飛ばされてたんだって? ハハハ、あれってさ~、下っ端の隊士とちょっと扱いにくい中堅をわざと選んで送り込んだって話だったけど、まさか獪岳が混ざってたとはなぁ。いやぁ大変だっただろ? 鬱憤晴らしにこんな町で女郎遊びかよ。いいご身分だなぁ。俺はこれから任務だって言うのに」
この同期の隊士は、事ある毎に獪岳に敵愾心をむき出しにして嫌味を言う男だ。階級は同じ丁 。その腰巾着のようにお供している隣の下級隊士は、ニヤニヤと獪岳を蔑むかのように見ている。
「違ぇよ。テメェと一緒にすんじゃねぇ」
「ごまかすなよ。だってさぁ、見ちゃったんだもん。あそこの琴松楼からお前が出て来たのをさぁ。まだこんな時間だっていうのにお盛んだな」
「違ぇって言ってんだろうが‼」
虫の居所が悪い獪岳は、飛びつくように同期の胸倉に掴みかかり、間髪入れずに拳で顔面を殴りつけた。
「痛ってーな! いきなり何すんだよテメェ!」
「勝手な事言ってんじゃねぇッ‼ 俺ァ用事があったから店のババアに会ってただけだ!」
「何の用事だよ。女郎の身請けの願い出か? へへっ、いくら積んだんだよ」
「ふざけんじゃねーぞテメェ、殺されてぇのか?」
獪岳はまた殴る。そして殴られる。
往来のど真ん中で二人は取っ組み合いの喧嘩になり、警察を呼ばれてしまった。
「こらッ‼ お前らそこで何をしている!」
「ヤベッ‼ 刀持ってんだった! おい、逃げるぞ」
三人は散り散りになって逃げる。走って走って、坂を上り、坂を下り、小路を行くと寺があった。
真っ暗で静かで、人気ひとけのない寺の朱色の門の陰に獪岳は腰を下ろす。殴られた頬は腫れ上がり、唇が切れて血が滲んでいる。
「……ってーな。クソが」
顔を合わせる度に同期と喧嘩になる。ほぼ毎回向こうから喧嘩を吹っ掛けて来るのだが、売り言葉に買い言葉で、獪岳は完全無視できるほど大人になっていない。
「もし」
杖をついた白髪の老翁が声をかける。
「強盗か? いやはや、こんな若者までもが襲われるとは、この辺も物騒になったもんだ。どれ、怪我を見せてみなさい」
「……このくらい、何ともねぇよ」
「そう言わずに、よく見せてみなさい」
老翁は提灯で獪岳の顔を明るく照らす。獪岳は眩しさと恥ずかしさで顔を背けた。
「以前はスリが多くてな。酔っ払いがよくやられていたもんだ。それに鬼も出る。ハハッ……誰も信じないが、本当だぞ。……ああ、歯は折れていないようだ。歯は大事だからな。ほれ、わしみたいに上も下も一本ずつしかないような情けない歯になるんじゃないぞ」
「……」
歯抜けのおせっかいジジイ。獪岳はニッコリ笑いかけられて顔を引きつらせている。
「おや。その勾玉、見た事があるな」
「……えっ?」
「うーん、いつの事だったか……。昔、この寺の前に……そう、ちょうどこの場所だ。ここに男の赤ん坊が捨てられていて騒ぎになったんだ。その子のおくるみに勾玉一つと、善逸という字を書いた紙が入っていたんだ」
獪岳は目を見開いた。息が止まり、放心する。突然、嗚咽が怒涛のようにこみ上げて来た。
「お前さん、まさかその時の赤ん坊かね?」
──何も答えられない。獪岳は肩を震わせて、今にも溢れ出しそうな涙と戦った。
「……そうか。いやぁ良かった良かった。あの頃はまだ暑い時分だったしなぁ、あのまま誰にも拾われなかったら死んでいただろうに。こんなに立派に育って……。毘沙門天様のご加護があったんだろうな」
「うっ……うっ……」
「さあ、早く家へ帰りなさい。朝になったら一応医者に診てもらうんだぞ。男前が台無しだ」
老翁は獪岳の肩をポンポンと叩くと行ってしまった。
獪岳は耐え切れずに堰を切ったように大声で泣き出す。
「ウッ……ウオォォォォォォッ‼」
後悔した──。
なぜ真っ直ぐ家に帰らなかったのだろうと──。
知らなくてもいい真実を、なぜ探ってしまったのだろうと──。
後悔してもしきれない。獪岳はうな垂れて寺の石畳を何度も何度も叩いて泣き叫んだ。
(そんなはずはねぇって……。これは違う誰かの話だろ。あのババア、嘘ついて俺をおちょくってたんだ。クソッ)
気分が悪い。今夜はもう帰ろうと思っていると、背後から声をかけられた。
「あれあれあれェ~? 獪岳
同期の隊士が他の隊士と二人で立っている。隊服の腰には刀、どうやら任務の途中のようである。
「お前さぁ、関西へ飛ばされてたんだって? ハハハ、あれってさ~、下っ端の隊士とちょっと扱いにくい中堅をわざと選んで送り込んだって話だったけど、まさか獪岳が混ざってたとはなぁ。いやぁ大変だっただろ? 鬱憤晴らしにこんな町で女郎遊びかよ。いいご身分だなぁ。俺はこれから任務だって言うのに」
この同期の隊士は、事ある毎に獪岳に敵愾心をむき出しにして嫌味を言う男だ。階級は同じ
「違ぇよ。テメェと一緒にすんじゃねぇ」
「ごまかすなよ。だってさぁ、見ちゃったんだもん。あそこの琴松楼からお前が出て来たのをさぁ。まだこんな時間だっていうのにお盛んだな」
「違ぇって言ってんだろうが‼」
虫の居所が悪い獪岳は、飛びつくように同期の胸倉に掴みかかり、間髪入れずに拳で顔面を殴りつけた。
「痛ってーな! いきなり何すんだよテメェ!」
「勝手な事言ってんじゃねぇッ‼ 俺ァ用事があったから店のババアに会ってただけだ!」
「何の用事だよ。女郎の身請けの願い出か? へへっ、いくら積んだんだよ」
「ふざけんじゃねーぞテメェ、殺されてぇのか?」
獪岳はまた殴る。そして殴られる。
往来のど真ん中で二人は取っ組み合いの喧嘩になり、警察を呼ばれてしまった。
「こらッ‼ お前らそこで何をしている!」
「ヤベッ‼ 刀持ってんだった! おい、逃げるぞ」
三人は散り散りになって逃げる。走って走って、坂を上り、坂を下り、小路を行くと寺があった。
真っ暗で静かで、人気ひとけのない寺の朱色の門の陰に獪岳は腰を下ろす。殴られた頬は腫れ上がり、唇が切れて血が滲んでいる。
「……ってーな。クソが」
顔を合わせる度に同期と喧嘩になる。ほぼ毎回向こうから喧嘩を吹っ掛けて来るのだが、売り言葉に買い言葉で、獪岳は完全無視できるほど大人になっていない。
「もし」
杖をついた白髪の老翁が声をかける。
「強盗か? いやはや、こんな若者までもが襲われるとは、この辺も物騒になったもんだ。どれ、怪我を見せてみなさい」
「……このくらい、何ともねぇよ」
「そう言わずに、よく見せてみなさい」
老翁は提灯で獪岳の顔を明るく照らす。獪岳は眩しさと恥ずかしさで顔を背けた。
「以前はスリが多くてな。酔っ払いがよくやられていたもんだ。それに鬼も出る。ハハッ……誰も信じないが、本当だぞ。……ああ、歯は折れていないようだ。歯は大事だからな。ほれ、わしみたいに上も下も一本ずつしかないような情けない歯になるんじゃないぞ」
「……」
歯抜けのおせっかいジジイ。獪岳はニッコリ笑いかけられて顔を引きつらせている。
「おや。その勾玉、見た事があるな」
「……えっ?」
「うーん、いつの事だったか……。昔、この寺の前に……そう、ちょうどこの場所だ。ここに男の赤ん坊が捨てられていて騒ぎになったんだ。その子のおくるみに勾玉一つと、善逸という字を書いた紙が入っていたんだ」
獪岳は目を見開いた。息が止まり、放心する。突然、嗚咽が怒涛のようにこみ上げて来た。
「お前さん、まさかその時の赤ん坊かね?」
──何も答えられない。獪岳は肩を震わせて、今にも溢れ出しそうな涙と戦った。
「……そうか。いやぁ良かった良かった。あの頃はまだ暑い時分だったしなぁ、あのまま誰にも拾われなかったら死んでいただろうに。こんなに立派に育って……。毘沙門天様のご加護があったんだろうな」
「うっ……うっ……」
「さあ、早く家へ帰りなさい。朝になったら一応医者に診てもらうんだぞ。男前が台無しだ」
老翁は獪岳の肩をポンポンと叩くと行ってしまった。
獪岳は耐え切れずに堰を切ったように大声で泣き出す。
「ウッ……ウオォォォォォォッ‼」
後悔した──。
なぜ真っ直ぐ家に帰らなかったのだろうと──。
知らなくてもいい真実を、なぜ探ってしまったのだろうと──。
後悔してもしきれない。獪岳はうな垂れて寺の石畳を何度も何度も叩いて泣き叫んだ。
