我執の鬼
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蓮峰の太い頸は簡単には届かない。逃げてばかりの相手に、清治の腫れた足首はとうとう柔軟性を欠き、思うように技が決まらなくなってきた。痛みは集中力で紛れているが、感覚の鈍化が進んで地に足が着いているかもよく分からない。
獪岳は本当に鬼になってしまったのか。
額や鼻先から冷たい脂汗を噴き出しながらチラと視線を送るが、獪岳はゴロリと転がったままで動かない。
(生きとるよな……? 鬼が人を鬼にできるのは、聞くところやと限られた鬼だけのはずや。その限られた鬼が蓮峰やとは思わんけどな。こんな奴、鬼からも嫌われるで。ホンマに獪岳さんは鬼になったんか? ハッタリとちゃうんか? コイツは嘘つきや。何もかも嘘を言っとるんやないか? ホンマは桑島先生の脚もコイツがやったんとちゃうか?)
蓮峰は疑心する清治に刀を抜きながら笑いかけた。
「ハハッ、兄貴分が心配か? コイツは目ェ覚めたら途端に狂暴になって人肉を欲しがるで。ほれほれ、早よ逃げんと喰われるぞ?」
「この法螺吹きめ。獪岳さんが鬼になるわけなんかない!」
「そう思っとったら、そのうちどえらい目に遭うわ。でもな、ワシは嘘と坊主の頭はゆった 事がないんやで? ホンマやホンマ、今に分かるわ」
くだらない洒落に清治はますます気が立ってくる。体を満足に動かせず、獪岳の事も心配な中、さっきからずっと蓮峰に心を逆撫でするよう弄ばれている。
(コイツ、何ですぐに俺を殺さんのやろ。嬲 り殺しが趣味なんか?)
蓮峰は楽しんでいるように見える。そもそも殺す気があるのかもよく分からない。何度も人に化けて現れては、最後にとどめを刺さずに逃げている。本人も何がしたいのか分からないと言っていたが、ふざけて言ったのではなく本心だったのではないか。
「どや、この日輪刀。お前の刀よりもたんまりと血を吸っとるで。こいつもなぁ、ワシと同じで血が好きなんや。吸えば吸うほど強うなる」
刀というよりも棒に見えるような真っ黒な刀身には、薄っすら稲妻模様が走っている。それは元は明るい色だったようだが、変色してしまったようだ。全体的に光沢の一切ないその黒さは、血がこびり付いたような禍々しささえも感じる。
「違う。刀は剣士と一心同体だ。何度も何度も叩いて余計なものを飛ばし、鋼の純度を高めて強靭な刃にする。これを自己鍛錬と言う。剣を極めるのに要らないものは煩悩。妬み、驕り、執着、欲、傲慢、疑心、愚行……挙げればきりがない。それらを鍛錬で取り払い、技を磨く。痛くても苦しくても、楽な方に逃げてはならない。これは桑島先生の教えだ! 蓮峰、お前は修験者として修業しておきながら、そんな事も学んでないのか! お前は我執 に囚われた醜い生き物だ! 無間地獄へ落ちて性根を入れ替えろ!」
────雷の呼吸 陸ノ型電轟雷轟
────雷の呼吸 伍ノ型熱界雷
刀が風を斬り、互いの闘志がぶつかり合う。飛び散る火花と汗、その剣速はどんどん増していき、清治はかつての育手と打ち合いをした時の事を思い出していた。育手に太刀筋を全て読まれ、何をしてもやられてしまうもどかしさにだんだん苛ついてくるのだ。
そして乱れた心の隙につけ込まれる──。
「ィアァッ‼」
先に仕掛けていた清治は、激しい打ち合いの途中に踏ん張れなくなり、蓮峰に打ち上げられてしまった。
「カッ……ハッ……‼」
背中から地に落ち、息が吸えなくなる。地上で溺れそうになりながらも、すぐに立ち上がろうと起き上がって手をついた。
「フンッ。堪えきれんか、足が浮いとるぞ。どれ、息が吸えるようになるまで少し休憩や。もう少し骨のあるところを見せてくれや、小僧」
蓮峰は闇に姿を消した。鬼の情けなど不要とばかりに、清治は声にならない声を絞り出しながら刀を蓮峰の残影に投げつけると力尽き、また倒れた。
「皇さんッ‼」
聞き覚えのある声に清治はハッとする。
「……ッ!?」
「大丈夫ですか!? 捜していたんですよ……!」
隠の女性である。寺の境内に倒れる清治の姿を見つけて駆け寄って来た。苦し気に顔を歪ませながら何かを言おうとしている清治だったが、その必死な声なき訴えも届かない。
「起き上がれますか? 今、楠班の方々が怪我をしていて、皆さんで下まで運んでいるんです。……あれは獪岳さんですか? もしかして獪岳さんも怪我を? ちょっと見て来ますね」
清治は「ダメだ」と隠に手を伸ばす。しかし、その手は寸でのところで空気を掴んだだけで、隠は気付かず獪岳の方へと行ってしまった。
「獪岳さん? 大丈夫ですか? ……脈はありますね。ああ、血が……。こちらにも救護要請が必要ですね」
清治は這いつくばりながら隠の元へとズルズル動く。まだ呼吸が戻らない。額の汗が目に流れ落ちて沁みる。
「……女か。邪魔やのう」
離れて様子を見ていた蓮峰は低い声で呟いた。
────雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃
蓮峰の影はスッと消えると、今度は清治の顔の前を瞬きほどの速さで横切った。それに気付いた清治は、なけなしの息で声を張り上げる。
「────────ッ‼ 逃げろォォォォッ‼」
「皇さん、ダメですよ。怪我をしてるんですから動かな…………ッ⁉」
突如襲いかかった蓮峰の刃は、清治の目の前で無残にも隠の女性の腹部をバッサリと斬り裂いた。
清治は力を振り絞って立ち上がり、隠の女性へと飛び込んだ。夜空に向けて血を噴き出しながらよろめく細い体を、清治は両手で受け止める。
「……私、斬られたの……?」
震える小さな声。隠の女性の小さな手が清治の袖を力強く掴む。
「痛い……。皇さん、痛いよぉ……」
丈夫なはずの隊服ごと斬り裂かれ、本来なら見えてはいけないものまでもが見えている。
「何でここへ来たんですか! どうして……!」
「ハァッ……ハァッ……し……庄ちゃん…………庄ちゃんごめんね。お姉ちゃん……何の力にもなれな……かった」
「……⁉」
「お……父さんもお母さんも……庄ちゃんも……。結局私も鬼に……」
隠は清治の目をしっかりと見て唇を動かす。
「お姉ちゃん、ドジだよね……。いつもそうだった……。ハァッ……ハッ……庄ちゃんいつも言ってたね」
涙でいっぱいの瞳で清治は見つめられ、隠が誰に何を言っているのかを理解し、歯を食いしばる。うわ言を繰り返す隠の命はもう助からない……。そう思うと悔しさで震えてくる。
「庄ちゃん……お姉ちゃん……ね、庄ちゃん……によく似た隊士さんに出……会ったんだよ。すめ……ら……ぎさん……っていう、とっても……優し……」
隠はぼんやりと目を開いたまま息絶えた。清治の腕からガクリと手が落ちる。
清治は温かい血がドクドクと足元を覆うのを感じながら、ポタリと涙を落とした。隠の女性の名を呼んでやりたかったが、名前を訊いてみた事がなかった。同じ鬼殺隊の仲間なのに。任務にかまけて名前すら知らずにいた事に今さらながら気が付いたのだ。
「すみません、俺が弱いばっかりに……」
「キ……ヨ……」
背後で、目を覚ました獪岳の擦れた声があったが、清治は応えず泣き続けていた。
「揃って東京に帰ろうって……みんなで言ってたじゃないですかッ‼ みんなで一緒に……。何で……ウワァァァァァァァーッ‼」
清治の激しい慟哭は山中に響く。隠をグッと抱きしめ、その耳元で気の済むまで泣いた。
「……待っててくださいよ。俺が必ず一緒に東京に連れて帰りますから。さっさとあのクソったれを倒しますから」
────シィィィィィィ……
気を練る音。空気は既に張り詰めている──。
「獪岳さん、さっさと刀を拾って立ってください。アンタはまだ生きてる。アンタは鬼になんてなってない。生きてるから、アンタはまだ負けてない」
「……俺が……鬼に……?」
何の事か分からない獪岳は清治の声にぼんやりとした返事をする。
「さっさと立てェェェェェッ、獪岳ーッ‼ 立って俺と一緒にあのクソ野郎を殺そうって言ってんだよッ‼」
「⁉」
ニタニタと不気味な笑みを浮かべながら歩いて来る蓮峰。それに気付いた獪岳は顔色を変えて立ち上がった。
「行くぞ獪岳兄貴。やられたならやり返せ! それが男だろッ!」
「……キヨ」
────シィィィィィィ……
────シィィィィィィ……
「ほうほう、ようやく真髄を見せるっちゅうわけやな。女一人が死なんと火が点かんかったとは笑えるで。他にももっと殺したろか?」
蓮峰も刀を抜く。
「二人まとめて殺 ったるわ。始めるで」
吉野山は再び大きな雷鳴を轟かせた。
獪岳は本当に鬼になってしまったのか。
額や鼻先から冷たい脂汗を噴き出しながらチラと視線を送るが、獪岳はゴロリと転がったままで動かない。
(生きとるよな……? 鬼が人を鬼にできるのは、聞くところやと限られた鬼だけのはずや。その限られた鬼が蓮峰やとは思わんけどな。こんな奴、鬼からも嫌われるで。ホンマに獪岳さんは鬼になったんか? ハッタリとちゃうんか? コイツは嘘つきや。何もかも嘘を言っとるんやないか? ホンマは桑島先生の脚もコイツがやったんとちゃうか?)
蓮峰は疑心する清治に刀を抜きながら笑いかけた。
「ハハッ、兄貴分が心配か? コイツは目ェ覚めたら途端に狂暴になって人肉を欲しがるで。ほれほれ、早よ逃げんと喰われるぞ?」
「この法螺吹きめ。獪岳さんが鬼になるわけなんかない!」
「そう思っとったら、そのうちどえらい目に遭うわ。でもな、ワシは嘘と坊主の頭は
くだらない洒落に清治はますます気が立ってくる。体を満足に動かせず、獪岳の事も心配な中、さっきからずっと蓮峰に心を逆撫でするよう弄ばれている。
(コイツ、何ですぐに俺を殺さんのやろ。
蓮峰は楽しんでいるように見える。そもそも殺す気があるのかもよく分からない。何度も人に化けて現れては、最後にとどめを刺さずに逃げている。本人も何がしたいのか分からないと言っていたが、ふざけて言ったのではなく本心だったのではないか。
「どや、この日輪刀。お前の刀よりもたんまりと血を吸っとるで。こいつもなぁ、ワシと同じで血が好きなんや。吸えば吸うほど強うなる」
刀というよりも棒に見えるような真っ黒な刀身には、薄っすら稲妻模様が走っている。それは元は明るい色だったようだが、変色してしまったようだ。全体的に光沢の一切ないその黒さは、血がこびり付いたような禍々しささえも感じる。
「違う。刀は剣士と一心同体だ。何度も何度も叩いて余計なものを飛ばし、鋼の純度を高めて強靭な刃にする。これを自己鍛錬と言う。剣を極めるのに要らないものは煩悩。妬み、驕り、執着、欲、傲慢、疑心、愚行……挙げればきりがない。それらを鍛錬で取り払い、技を磨く。痛くても苦しくても、楽な方に逃げてはならない。これは桑島先生の教えだ! 蓮峰、お前は修験者として修業しておきながら、そんな事も学んでないのか! お前は
────雷の呼吸 陸ノ型
────雷の呼吸 伍ノ型
刀が風を斬り、互いの闘志がぶつかり合う。飛び散る火花と汗、その剣速はどんどん増していき、清治はかつての育手と打ち合いをした時の事を思い出していた。育手に太刀筋を全て読まれ、何をしてもやられてしまうもどかしさにだんだん苛ついてくるのだ。
そして乱れた心の隙につけ込まれる──。
「ィアァッ‼」
先に仕掛けていた清治は、激しい打ち合いの途中に踏ん張れなくなり、蓮峰に打ち上げられてしまった。
「カッ……ハッ……‼」
背中から地に落ち、息が吸えなくなる。地上で溺れそうになりながらも、すぐに立ち上がろうと起き上がって手をついた。
「フンッ。堪えきれんか、足が浮いとるぞ。どれ、息が吸えるようになるまで少し休憩や。もう少し骨のあるところを見せてくれや、小僧」
蓮峰は闇に姿を消した。鬼の情けなど不要とばかりに、清治は声にならない声を絞り出しながら刀を蓮峰の残影に投げつけると力尽き、また倒れた。
「皇さんッ‼」
聞き覚えのある声に清治はハッとする。
「……ッ!?」
「大丈夫ですか!? 捜していたんですよ……!」
隠の女性である。寺の境内に倒れる清治の姿を見つけて駆け寄って来た。苦し気に顔を歪ませながら何かを言おうとしている清治だったが、その必死な声なき訴えも届かない。
「起き上がれますか? 今、楠班の方々が怪我をしていて、皆さんで下まで運んでいるんです。……あれは獪岳さんですか? もしかして獪岳さんも怪我を? ちょっと見て来ますね」
清治は「ダメだ」と隠に手を伸ばす。しかし、その手は寸でのところで空気を掴んだだけで、隠は気付かず獪岳の方へと行ってしまった。
「獪岳さん? 大丈夫ですか? ……脈はありますね。ああ、血が……。こちらにも救護要請が必要ですね」
清治は這いつくばりながら隠の元へとズルズル動く。まだ呼吸が戻らない。額の汗が目に流れ落ちて沁みる。
「……女か。邪魔やのう」
離れて様子を見ていた蓮峰は低い声で呟いた。
────雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃
蓮峰の影はスッと消えると、今度は清治の顔の前を瞬きほどの速さで横切った。それに気付いた清治は、なけなしの息で声を張り上げる。
「────────ッ‼ 逃げろォォォォッ‼」
「皇さん、ダメですよ。怪我をしてるんですから動かな…………ッ⁉」
突如襲いかかった蓮峰の刃は、清治の目の前で無残にも隠の女性の腹部をバッサリと斬り裂いた。
清治は力を振り絞って立ち上がり、隠の女性へと飛び込んだ。夜空に向けて血を噴き出しながらよろめく細い体を、清治は両手で受け止める。
「……私、斬られたの……?」
震える小さな声。隠の女性の小さな手が清治の袖を力強く掴む。
「痛い……。皇さん、痛いよぉ……」
丈夫なはずの隊服ごと斬り裂かれ、本来なら見えてはいけないものまでもが見えている。
「何でここへ来たんですか! どうして……!」
「ハァッ……ハァッ……し……庄ちゃん…………庄ちゃんごめんね。お姉ちゃん……何の力にもなれな……かった」
「……⁉」
「お……父さんもお母さんも……庄ちゃんも……。結局私も鬼に……」
隠は清治の目をしっかりと見て唇を動かす。
「お姉ちゃん、ドジだよね……。いつもそうだった……。ハァッ……ハッ……庄ちゃんいつも言ってたね」
涙でいっぱいの瞳で清治は見つめられ、隠が誰に何を言っているのかを理解し、歯を食いしばる。うわ言を繰り返す隠の命はもう助からない……。そう思うと悔しさで震えてくる。
「庄ちゃん……お姉ちゃん……ね、庄ちゃん……によく似た隊士さんに出……会ったんだよ。すめ……ら……ぎさん……っていう、とっても……優し……」
隠はぼんやりと目を開いたまま息絶えた。清治の腕からガクリと手が落ちる。
清治は温かい血がドクドクと足元を覆うのを感じながら、ポタリと涙を落とした。隠の女性の名を呼んでやりたかったが、名前を訊いてみた事がなかった。同じ鬼殺隊の仲間なのに。任務にかまけて名前すら知らずにいた事に今さらながら気が付いたのだ。
「すみません、俺が弱いばっかりに……」
「キ……ヨ……」
背後で、目を覚ました獪岳の擦れた声があったが、清治は応えず泣き続けていた。
「揃って東京に帰ろうって……みんなで言ってたじゃないですかッ‼ みんなで一緒に……。何で……ウワァァァァァァァーッ‼」
清治の激しい慟哭は山中に響く。隠をグッと抱きしめ、その耳元で気の済むまで泣いた。
「……待っててくださいよ。俺が必ず一緒に東京に連れて帰りますから。さっさとあのクソったれを倒しますから」
────シィィィィィィ……
気を練る音。空気は既に張り詰めている──。
「獪岳さん、さっさと刀を拾って立ってください。アンタはまだ生きてる。アンタは鬼になんてなってない。生きてるから、アンタはまだ負けてない」
「……俺が……鬼に……?」
何の事か分からない獪岳は清治の声にぼんやりとした返事をする。
「さっさと立てェェェェェッ、獪岳ーッ‼ 立って俺と一緒にあのクソ野郎を殺そうって言ってんだよッ‼」
「⁉」
ニタニタと不気味な笑みを浮かべながら歩いて来る蓮峰。それに気付いた獪岳は顔色を変えて立ち上がった。
「行くぞ獪岳兄貴。やられたならやり返せ! それが男だろッ!」
「……キヨ」
────シィィィィィィ……
────シィィィィィィ……
「ほうほう、ようやく真髄を見せるっちゅうわけやな。女一人が死なんと火が点かんかったとは笑えるで。他にももっと殺したろか?」
蓮峰も刀を抜く。
「二人まとめて
吉野山は再び大きな雷鳴を轟かせた。
