月の贈り物 前編
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暖かな日が差す、ある日の午後の事…―
村から少し外れた所にある小さな屋敷では、穏やかなこの日には似つかわしくない、辛そうな咳が、絶え間なく響いていた。
「っ、げほっ…けほ…っ」
「大丈夫…?紫野…」
心配そうな表情を浮かべる母に、紫野は精一杯笑って見せた。
「大丈夫よ、母様。そんなに心配しないで」
そう言うと、母は苦笑しながら頷き、ゆっくりと腰を上げる。
「…じゃあ、ゆっくり休んでちょうだいね」
「はい…ありがとう、母様」
母が部屋を出て行き、襖がピタリと閉まると、紫野はごそっと布団を抜け出した。
そして、庭と隔てられた方の襖をそっと開ける。
少し肌寒かったが、どうしても外が見たかった。
肩に掛けた着物の打掛を引き合わせながら、紫野は麗らかな光が差し込む庭を眺める。
庭には、たくさんの花が咲いていた。
どれも、紫野の心を慰めるための花。
赤や黄色や橙色、今の季節は、桃色の花もある。
明るい色の花々は、紫野の気持ちを少しだけ明るくさせてくれた。
「今日も綺麗…」
紫野は微笑んで呟きながら、庭の中で一番の存在感を示す、大きな池を眺める。
池には、紫野のいる所からは見えないものが映るのだ。
ずっと向こうの方の空だとか、屋敷の塀の外の木だとか、夜になれば、部屋から月だって見れる。
そうして庭を眺めるのが、紫野の日課だった。
けれど、それしかなかったのが事実である。
紫野は、生まれつき体が弱かった。
子供のころから何度も風邪を引き、流行病にかかっては治ることを繰り返し、今は肺の病を患っている。
幸い、紫野の父はこの村の地主だったので、紫野は医者に診てもらえる事が出来た。
自分は、幸せな方なのだ。
貧しい村人は、病気になっても医者に診てもらえないし、薬も買えない。
だから、自分は感謝しなければいけないのだ。
けれど…―
紫野は、外の世界を一度も見たことがない。
この、塀に囲われた庭だけが、紫野の“外”だった。
だから、こんなことを考えてはいけないと思いつつも、紫野は、外の世界に居る村人が羨ましいと思ってしまう。
色々なものを見ることが出来て、体の許す限りは、どこへでも行けるのだから。
紫野はぼんやりと池を見つめて、それからゆっくりと襖を閉めた。
のろのろと布団に横たわり、見飽きた天井を見る。
――…いつまで私はこうしているんだろう…。
…ひょっとしたら、一生このままかもしれない。
何も見ないまま、何も知らないまま、この小さな世界だけで、私の一生は終わるのかもしれない…―――
そう思うと、いつも泣きたくなる。
死ぬことが、恐くなる。
同時に、とても悔しかった。
どうして自分は、こんなにも体が弱いんだろう、と。
けれど、いくら考えたって、仕方がない。
紫野はふうっと長い息を吐くと、少し咳を繰り返して、眠りについた。
―――今晩、彼女の運命を変える出会いがあるとも知らずに…―――
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