7話 白と水
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真っ白な霧が、辺りに立ち籠めていた。
白い薄布で覆い隠したように、そこには他に何もない。
上も下も、右も左も、広がるのは白練色の濃霧だけ。
やがて、その霧の中に、ぼんやりと人の姿が浮かんでくる。
白い世界に佇む、影。
それは、紗夜だった。
瞼を閉じ、そこに立ち尽くした紗夜は、やがてゆっくりと瞳を開ける。
長い睫毛がふ、と揺れて、漆黒の瞳が世界を捉えた。
黒の瞳に映る、白の世界。
何処までも、果てしなく広がる霧。
「―――……」
何の音も聞こえない。
何も見えない。
誰も、いない。
紗夜は、ふらりと一歩、足を踏み出した。
草履も履いていない素足が、見えない地面を踏みつける。
一歩、また一歩と、引きずるように歩いて行く。
景色は、何一つ変わらない。
ただ、白い霧の中を、進んでいるだけ。
怖くも、寂しくもなかった。
紗夜は、何も感じていなかった。
ただ自分がここにいる。
歩いている。
どこかに向かって、歩いている――…
紗夜が感じる事は、ただそれだけ
虚ろな瞳は、ぼんやりと前を捉える。
足だけが勝手に動いて、紗夜をどこかに連れて行く。
変わらない白を彷徨っていると、不意に、足が止まった。
「………」
花に留まった蝶が翅を動かすように、紗夜はゆっくりと、瞬きを一つする。
そうして紗夜が、ふっと瞳を開けたとき。
霧の向こうに、影があった。
灰色に浮かび上がる影に、紗夜は目を留める。
それは、微動だにせず、そこに佇んでいた。
紗夜の足が、再びゆらりと動き出す。
得体のしれない影に、近づいて行く。
霧が、一層濃く、深くなる。
影は、人の姿をしていた。
「…………――」
――……誰……――?
虚ろな心で、そう思ったその刹那――――
ズブッ――…と、足が水に浸かる。
肌に触れる冷たい液体の感触に、紗夜はゆっくりと視線を下に落とす。
先程まで紗夜が立っていた地には、いつの間にか水が溢れていた。
ゆらゆらと揺れる水面は、揺れる度に高くなり、紗夜の足を飲み込んでいく。
足首が、ふくらはぎが、膝裏が、水に浸かる。
水に圧されるように、紗夜の体がぐらりと傾いた。
そして――――…
紗夜の体は、そのまま水の中に引き込まれた。
視界が、鈍くて深い青緑色に変わる。
口から吐き出された空気の泡粒が、上から差す僅かな光を透かし、上に昇っていく。
静かに、体が沈んでいく。
でも、それでも――…
紗夜は怖くなかった。
息が出来ない苦しみさえ、感じることはなかった。
ただ、どこまでも、どこまでも深く、落ちていく。
つっ、と手を上へ伸ばすと、その時初めて“音”が聞こえた。
『――紗夜――』
透き通った声が、水の中に谺した。
紗夜はまたゆっくりと、瞬きを繰り返した―――。
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