2話 天生牙の導く先
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ザアアッ――……
木々が風で揺れ、木の葉が耳障りの良い音を立てる。
夜が明け、日が昇り、殺生丸は邪見に留守を言いつけた場所に舞い降りた。
燃え尽きた焚火を囲むようにして、まだ眠っている三人の姿が目に映る。
殺生丸は、静かにそちらに歩みを進めながら、邪見とりんがぐっすり寝入っている様子を見た。
それから視線を移し、殺生丸は愛しい女の側に歩んで、静かに片膝を着く。
紗夜は長い睫毛を伏せて、小さな寝息を立てながら眠っていた。
呼吸に合わせて、華奢な肩がゆっくり上下するのを見て、殺生丸は息を付く。
あれから―――……
朝霞との戦いがあって、紗夜が一度死んだあの後から――
殺生丸は、紗夜の眠る姿を見る度に、彼女が呼吸をしているか、確かめる癖が出来てしまった。
あの時も、紗夜は今と同じように、穏やかで、美しい顔をして眠っていた。
だから、紗夜が瞳を閉じて眠っている姿を見れば、例え大丈夫だと分かっていても、その生を確かめずにはいられない。
そしてその度に、今紗夜は生きているのだと、何度も瞳に焼き付け、胸に刻みつける。
「………」
殺生丸は目を細め、それから右手を紗夜に伸ばした。
瞼に掛かる前髪を払い、白く滑らかな頬に指先を滑らせる。
――奈落を追う旅を再開し、殺生丸は留守をする事が多くなった。
ここ最近は気になる臭いもするので、その頻度は高い。
従って、紗夜と過ごす時間も殆どなかった。
紗夜は何も言わないが、内心では寂しさを感じているかもしれない。
殺生丸自身も、紗夜をすぐ側に置いておきたい気持ちはある。
だが――――……
殺生丸は、そこまで考えてゆっくりと立ち上がった。
――天生牙が、再び震動している。
殺生丸に、行け、と促すように。
殺生丸はもう一度紗夜を見下してから、ゆっくりと、森の奥へと歩き始めた。
朝日が木の隙間を縫って、森に差し込んでくる。
眩しい光の中を、殺生丸は歩いて行く。
その光にいつも浮かぶのは、紗夜の柔らかで、幸せそうな笑顔だ。
―――…紗夜――…お前は、ただの人間の女になった…。
殺生丸は、胸の内で呟いた。
――殺生丸にとって何より強いのは、紗夜を巻き込みたくない、という想い。
以前は、朝霞の呪いで自らの意志は反映されないとは言え、紗夜には身を守る結界があった。
それは、紗夜に敵意を向ける意識を感じ取り、攻撃を退け、紗夜の身を結果的に守っていた。
だが、今の紗夜には結界も、妖怪にとって有益な力も、何もない。
今の紗夜は、殺生丸ならば死なない程度の傷でさえ死んでしまう、か弱い人間の女だ。
そして紗夜は、ただの人間の女になれた生を喜んでいる。
そんな紗夜を、血生臭い自分の戦いに巻き込みたくはない。
もう二度と、あんな想いをしたくはなかった。
殺生丸がそう強く想いながら、歩を進めていたとき―――
「――殺生丸様…!」
「―!」
背後から聞こえたのは、今しがた考えていた紗夜の声。
殺生丸は足を止め、ゆっくりと背後を振り返った。
こちらに追いついた紗夜は、走って来たのか、少し呼吸を乱している。
「…起こしたか」
殺生丸がそう問えば、紗夜は顔を上げ、首を緩く横に振った。
「いいえ、大丈夫です…。それより殺生丸様…、またどこかに行かれるんですか…?」
紗夜は心配そうな瞳を揺らし、殺生丸を見上げてくる。
真っ直ぐなその瞳が、愛おしい。
殺生丸は右手の甲で、先程もそうしたように、紗夜の頬をすっと撫でる。
「…様子を見に来ただけだ」
「…っ…」
殺生丸が静かにそう言うと、紗夜は僅かに頬を染め、こちらから視線を逸らして、俯いてしまった。
――この姿を、側に留めて置けたら――
一瞬、そんな想いが殺生丸の中を過ったとき。
「……」
腰に差した刀が――…天生牙が、再び震えた。
それは昨日よりも、先程よりも強く、殺生丸を急かすように、震動している。
――行け、ということか――…
殺生丸は目を細め、紗夜に揺れた手をゆっくりと下した。
すると、不意に離れた殺生丸を不思議に思ったのか、紗夜が顔を上げる。
そして、殺生丸の視線が注がれる先を辿った彼女は、天生牙を見てハッと息を呑んだ。
「…殺生丸様、刀が……」
「……ここ暫く騒いでいる。何かが近い」
「……」
殺生丸が答えると、紗夜は天生牙と殺生丸を見比べ、黙り込んでしまう。
何かを考えているようだが――その瞳から、特別に強い感情は読み取れない。
――天生牙の震動と、この臭いの先にあるもの――
昨夜調べて、殺生丸には見当が付いていた。
方々から漂ってくる妖怪達の血の臭い――…それは、首を斬られた妖怪たちの、体から放たれている臭い。
この天生牙が導くものは、きっとその先にある。
妖怪は下等な、しかも首のない妖怪だ。
殺生丸にとっては、危険などないに等しい。
――確かめれば、直ぐに帰って来られる。
殺生丸は紗夜を見つめ、震えを治めるように、天生牙の柄に触れた。
「お前はここで待っていろ」
殺生丸は紗夜に静かにそう告げ、踵を返す。
そして一歩を踏み出した、その時―――
「!」
不意に、引き留められる感覚があった。
殺生丸は目を見開き、後ろを振り返る。
見れば、俯いた紗夜が、殺生丸の着物の袖を、控えめに掴んでいた。
ぱっと顔を上げた紗夜と、目が合う。
「……あ……」
紗夜は、自分でも困惑しているのか、小さな声を漏らした。
そして、殺生丸を引き留めた自分の手を見て、慌てて握った着物を放す。
「ご、ごめんなさい……!何でもないんです…!…気を付けて、行って来てください…」
紗夜は俯いて頭を下げ、ぎゅっと、その小さな手を握った。
伏せた瞳が、揺れていた。
悔いるような、嫌悪するようなその瞳の中に、静かに横たわる、寂しさ。
先程まで無かったその色を、殺生丸は見つけてしまった。
けれど紗夜は、決してそれを口にしない。
危険な場所に行くわけではない。
確かめれば、直ぐに戻ってくる。
殺生丸は瞬くような短い時間、想って、気付けば声を出していた。
「……紗夜、お前も共に来るか」
「…!」
殺生丸がそう告げたとき、顔を上げた紗夜の表情は、驚きに満ちていた。
だが、すぐに瞳を輝かせ、
「はい…!」
と、大きく頷いたのだった。
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