11話 白の移り香
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―――――――――――……
体が、ゆらゆらと揺れていた。
僅かな風で揺れる水の動きに合わせて、上に下に、右に左に。
ゆらゆら、ゆらゆら。
水の中にある小さな波と共に、揺れる。
ただ目を閉じて、そこに沈んでいるだけ。
揺蕩っているだけ。
ただ、それだけ。
それだけなのに。
肌を通して伝わってくる。
これは、何?
紗夜は、ゆっくりと目を開けた。
また夢だ。あの夢だ。
頭の片隅で、そう思う自分がいる。
だが、今日はいつにも増して、紗夜の頭はぼんやりしていた。
この水の上に広がる白い世界のように、頭の中に靄がかかっている。
だから、肌に触れる“何か”を
伝わってくる“何か”を
表す言葉が見つからない。
大人しく、紗夜はその中を揺蕩った。
碧い水の上には、薄い光が差している。
白っぽい光は、水に合わせて揺れていた。
紗夜はぼうっとして、それを見つめる。
小さく口を開けば、空気が入ってきた。
いつまでも、そうしていた。
―――そう、いつまでも、いつまでも。
―――“私”はもうずっと、ここにいる。
紗夜は、ふとそう思った。
自分はずっと、この水の中にいる。
水の中に沈んで、いつも揺れている。
その事に、何の違和感もない。
――でも、それは本当に……?
霞みがかった頭で、紗夜は考える。
“私は、ずっとここにいた?”
――違う。私はここにいなかった。
私は、旅をしていたから。
彼とずっと、旅をしていた。
じゃあ、ずっとここにいたのは―――?
そう思った時、頭の中に浮かんで来る姿があった。
夢の中で会う、あの白髪の後ろ姿。
そうだ、あの人だと、紗夜は思う。
あの人は、ずっとここにいた。
そして今も、ここにいる。
“紗夜”は今、半分あの人なのだ。
それが分かったとき、全てが自然と分かっていた。
それはまるで、紗夜に元々あった記憶のように、何の抵抗もなく、頭の中に入ってくる。
目で光景を見る訳でもない、声がして教える訳でもない。
ただすっ、と入り込んできたように、“分かる”のだ。
“紗夜”は―――あの人は―――彼女は、ずっとここにいる。
時の流れのないこの世界で、ただ一人。
老いることも、死ぬこともないまま、
ただ一人で生き続けて。
この水の中に沈み、
揺れて、受け止めていた。
ここに流れてくる、沢山の―――。
――それが、“紗夜”の役目だった…――
終わらない、最早永遠とも言える命を使って、果たさなければならない役目。
だから、この肌に纏わりついているのは、流れて来た――それ。
それが何なのか――頭の中のずっと遠くでは分かっているはずのに、どうしても言葉が出てこない。
感覚的に何かを感じていても、“紗夜”の心は何も感じなかった。
まるで全ての感情が、心から切り離されてしまったかのように。
漂いながら、“紗夜”は上を見る。
先程と何一つ変わらない景色。
揺らめくこの碧は、彼女の見ているもの。
ずっと変わらない。
ずっと変わらない碧を、
ずっと見ていたときだった。
「……」
ふと、水の上――もっとずっと高い所に、“紗夜”は“何か”を見つけて、僅かに目を瞠る。
そして――それを見よう、と思うだけで良かった。
見ようと思ったその瞬間、それは眼前の碧の中に映し出される。
揺れる水中に、白く霞んで映った姿―――……
それは、紗夜自身だった。
「――!」
それを見た刹那、朧げだった紗夜の意識が、俄かに自我を取り戻す。
水に映った紗夜は、不安げな顔で空を―――殺生丸を見ていた。
それは、ここで奈落と対峙していた、あの時―――
あの時の紗夜だった。
心配そうに彼を見る、碧の中に浮かんだ自分を、“紗夜”は見つめた。
そしてその数秒の間に―――……
“紗夜”が見たのは、紗夜の記憶の断片だった。
紗夜が生まれてから、これまでに見てきた景色。
自分は何者で、これまで誰と出会って来たか。
何を経験し、何を感じて来たか。
そして、今何を感じているか―――
それこそ、紗夜の中に残っている強い記憶と心の殆どが、僅かな時を刻む間に“見えた”のだ。
自分の記憶を“見た”のだから、分かる。
これは、記憶を辿っているのではない。
“見られた”のだ。
「――――……」
それが分かった瞬間、紗夜の体が沈み始めた。
深い碧の水底に、体がゆっくり引き込まれていく。
肌に触れていた“もの”が、唯の水になった。
昇る幾つもの泡を見つめながら、紗夜は悟る。
夢の水を落ちるのは、これで最後だ、と。
彼女が、紗夜を呼んでいる。
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