25話 籠を出た蝶々たち
【名前変換】
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
紗夜の魂が、肉体に戻るまでの間――…
紗夜は、白くさざめく世界の中を揺蕩っていた。水の中に身を浮かべているような、不思議な心地だった。
ゆらゆら揺れる体は温かく、微睡むように、紗夜は瞬いた。
ぼうっとした意識の中で、紗夜は最後に聞こえた人継の言葉を思い出す。
『―――紗夜、お前に見て欲しい。私の過去を…朝霞の過去を……。朝霞の果てない憎しみは、全て私のせいなのだ……―――』
父の言葉を反芻して、紗夜はまたゆっくりと瞬く。
どういう事なのだろう。
父の言葉の意味は……――全て自分のせいとは、どういう意味なのだろう。
何故、紗夜が生まれたのか。
人継と朝霞の間に、何があったのか。
生まれた疑念を思考する前に、紗夜はゆっくりと目を閉じた。
誰かにすっと、目蓋を下されたような感じだった。
そして不思議な事に、瞳を閉じているはずなのに、目蓋の奥に霞みがかった色のついた世界が見えて来たのだ。
始めは遠く、段々近く。
次第にその光景は目の前に迫って来る。
音が、香りが、感覚が、紗夜の体に蘇って来た。
そして、はっきりと感じたのだ。
紗夜のものではない記憶、感情を―――……
――――――――…
―――――……
―――十七年前、卯月―――…
長い冬が、ようやく終わりを告げようとしていた。
暦の上ではとっくに春は来ていたものの、空気の冷たい日は変わらず続き、最近になってようやく日の光の温もりを感じるようになった。
日は明るく大地を照らし、新しい命を育む。
冬に枯れていた木々も、その枝先に小さな緑の芽を付け始めていた。
誰もが焦がれた、春がやってきた。
人継は庭先に立って呼吸をし、自然の息吹を感じる。
鳥は歌い、花は揺れ、空は澄んだ蒼を湛えていた。
さあっと温かい風が吹いて、人継の髪を揺らしていく。
春の世界は美しかった。
全てが満たされていた。
だが―――…
人継は言い知れない感情を抱いて、目を細める。
それが自分の中で大きくなる前に、ああ、考えてはいけない、と人継は小さく頭を振った。
――そのとき。
「とうさま!」
舌足らずな、あどけない子供の声が聞こえて、人継はハッと我に返った。
声のした足元に目をやると、蓮がにこにこと微笑みながら、人継を見上げていた。
「どうした?蓮」
人継はその場に屈んで、蓮と視線を合わせる。
蓮は嬉しそうな顔をして、包むように合わせた両手を、人継の目の前に出した。
「見て、僕がつかまえたの」
蓮は興奮した様子でそう言うと、両手の間に小さく隙間を開ける。
「どれ…」
人継は、蓮の手の中を覗き込んだ。
薄暗がりの中、白い羽がか細くはたはたと揺れている。
蓮の手にいたのは、白い蝶だった。
「蝶々か…。蓮が捕まえたのか?」
「うん!とまっているところを、ぱっておさえたの!」
人継の問いに、蓮は元気いっぱいに頷いた。
その嬉しそうな笑顔に、人継も自然と顔を綻ばせる。
「すごいな、蓮。よくやったじゃないか」
「えへへ……」
人継が頭を撫でてやると、蓮は照れくさそうに笑った。
「まあ、二人で何をしているの?」
「あ、かあさま!」
屋敷の縁側からした母の声に、蓮はぱっと顔を輝かせ、母の元に走り寄る。
人継は蓮の姿を目で追い、縁側に腰を下ろした若く、美しい妻を見た。
桜は蓮を愛おしそうに見つめながら、その話を聞いている。
人継は無意識に唇を引き結び、二人を見ていた。
「――あっ!」
不意に蓮が驚いた声を上げる。
見れば、さっきまで蓮が捕まえていた白い蝶が、その頭上に舞い上がっていた。
どうやら、桜に見せる拍子に手を開きすぎてしまったらしい。
小さな檻から上手く逃げ出した蝶々は、羽を震わせながら青い空に高く高く飛んでいく。
やがて、その影は見えなくなった。
「あーあ……逃げちゃった…」
「残念だったわね…」
悲し気に俯く蓮の頭を撫でながら、桜が人継に目線を向けた。
人継は苦笑しながら、蓮の側に歩み寄る。
「蓮、蝶々は閉じ込めておいても、長くは生きられない。だから、空に帰してあげてよかったんだよ」
「…そうなの?とじこめておいたら、蝶は死んじゃうの?」
「ああ、空を飛べないと弱ってしまうんだよ」
「…そうなんだ…。じゃあ僕、逃がしてあげて良かったんだね。すぐに死んでしまったら、かわいそうだもの」
蓮はまだ少しだけ悲しそうに、けれど優しく微笑んだ。
人継は、眉尻を下げて頷く。
“とじこめておいたら、蝶は死んじゃうの?”
蓮のたどたどしい言葉が、耳に染みついた。
・