19話 さようなら、仮初の幸せよ
【名前変換】
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
温かな日の光に包まれた、穏やかな日々。
庭には美しい花が咲き乱れ、小鳥が楽しげに囀っている。
過ぎ去っていく風は優しく、心地良かった。
―――そんな幸せな毎日を、七つの紗夜は安穏と過ごしていた。
「兄様、今日は何をして遊ぶの?」
幼い紗夜は、四つ年上の兄――蓮の顔をにこにこと見上げながら、その袖を引く。
「紗夜、今日は遊ばないんだよ。そろそろ楽の練習もしなきゃね」
苦笑しながらそう答える蓮に、紗夜は視線を落とした。
「…私、楽の練習きらい。だって、笛もお琴も上手に弾けないんだもん」
「そんなことないよ。まだ、練習をあまりしてないだけ。
ほら、母様に教わっておいで」
「はあい…」
紗夜は少ししょんぼりしながら、蓮に連れられて縁側に座って二人を見ていた母の元に行く。
「まあ紗夜ったらそんな顔をして。私とのお稽古が嫌なの?」
「上手に弾けないから、練習したくないんだって」
母が冗談交じりに問えば、蓮が答えた。
すると、母は笑みを浮かべながら紗夜の手を優しくとる。
「大丈夫よ。練習すれば、あなたも上手に弾けるようになるから、ね?」
「……うん!」
母に頭を撫でられて、紗夜はにっこりと微笑んだ。
そうして、紗夜がさっそく屋敷の中に入って琴の用意をしていると、奥から父が出てくる。
「あなた、今日はお帰りになりますか?」
「ああ、今日はこの辺りの村を回るだけだから、夕方頃には帰るよ」
父は母に柔らかく答えると、紗夜が琴をつついているのに気が付いた。
「…紗夜は琴の練習をするのかい?」
「はい…あんまり上手じゃないから…」
紗夜の父は忙しい人で、都まで出仕をすることも多く、家に帰らないことも頻繁だったので、紗夜はあまり父と話したことがない。
元から、あまりおしゃべりな人ではないこともあって、紗夜は父と話すのに慣れていなかった。
それでも小さな声で紗夜が答えると、父はしゃがんで紗夜の頭を撫でる。
そして、紗夜のその黒い瞳を、何も言わずただじっと見つめた。
「…父様?」
紗夜が小首を傾げると、父ははっとした様子で、頑張りなさい、と微笑んで屋敷を出て行った。
それから紗夜は、昼過ぎまで母と琴の練習をし、母からの許しが出たので、蓮と遊びに出かけた。
「兄様、お花見に行きたい」
「うん、いいよ」
紗夜は蓮に手を握られながら、屋敷の裏手にある小高い丘の花畑へ向かう。
一番上に着くと、風の中でたくさんの綺麗な花が揺れていた。
「今日もきれーい!!」
紗夜は花畑の中に飛び込むと、白くて小さな花に顔を近づける。
花の甘い匂いに、気持ちが安らいだ。
蓮は、日課になりつつある妹の行動に微笑むと、彼女の近くに腰を下ろす。
「そういえば、あと三日だね。紗夜の誕生日」
「うん!今年で八つだよ」
「八つか…。もうそんなに経つんだなぁ…」
蓮は感慨深そうに呟くと、段々暮れていく茜色の空を見上げた。
「兄様?どうしたの?」
紗夜が目を細める蓮に問いかけると、蓮は何でもないよ、と呟いて、ゆっくりと立ち上がった。
「もう帰ろうか。直に夜になるから」
紗夜は来た時と同じように蓮に手を引かれ、丘の道をゆっくり下りて行った。
いつの間にか日は落ちてしまい、空には幾つもの星が瞬いている。
「あ…兄様――」
「ん?なあに?」
蓮が言葉を切った紗夜を見ると、彼女の小さな指が、空を真っ直ぐ指していた。
その指し示す先を見てみると、あと数日で満ちるかのような
月―――…
「…………」
それを見て、蓮は少し険しい顔をした。
「……兄様…私、またお寺に行くの…?誕生日でも?」
くい、と袖を引かれて紗夜を見ると、不安げに俯いている。
蓮は眉尻を下げて、妹の目の高さにしゃがむと、その肩を包むように押さえた。
「…そうだね。お誕生日でも、行かなきゃいけないよ。
満月の夜は、怖い妖怪がたくさん襲ってくるんだから…」
「うん……」
蓮の言葉に、紗夜は小さく頷く。
蓮は悲しげに瞳を細めて、小さな妹を抱き締めた。
「大丈夫だよ、紗夜。僕も一緒にいるから…。必ず、紗夜を守るからね…」
紗夜は包まれる温もりに少し安心して、もう一度、ゆっくりと頷いた。
月は、冴え冴えと、冷たく空に輝いていた。
・