9話 心許す場所
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朝―――――……
日が昇る少し前から千歳は起き出して、勝手場でいつものように仕込みを始めた。
黙々と野菜を切り続け、笊は大根や白菜、小松菜で一杯になっている。
千歳は葱を切り始めて、ふと手を止めた。
『流石だな』
新選組の屯所の勝手場で葱を切っていたとき、そう言って微笑んでくれた斎藤の顔を思い出す。
「……はあ…」
千歳は人知れず溜息を付いて、再び包丁を動かし始めた。
あの事件から、早くも十日以上過ぎていた。
屯所を出たあの後……。
千歳は店に戻り、甚一郎、マツ、伊織に酷く心配された。
甚一郎は、自分が使いにやったせいだと言って、半分涙目になっていたぐらいだ。
約束通り新選組からは使いが来て、「千歳は浪士の斬り合いの現場に居合わせ、怪我はないものの卒倒して寝込んでしまったので、目が覚めるまで屯所で預かっている」と、連絡が来たらしい。
皆、千歳の無事を喜んでくれて、千歳も生きて帰れて良かったと安堵したのだが……。
千歳の心のわだかまりは、そう簡単には消えてくれない。
定期的に隊士が千歳を監視に来ると言っていたが、まだ誰も来た様子はないし、千歳も、あれから一度も屯所を訪ねてはいなかった。
斎藤にあそこまではっきり言われてしまっては、流石に行きようがない。
あの夜千歳が見た“人ではないもの”―――……
新選組の隊服を着た“それ”は、新選組に隠されている秘密。
“それ”を見てしまった千歳は、新選組幹部陣の厚意で、ここに返してもらう事が出来た。
だが……これ以上の秘密を知ってしまえば、きっともう次はない。
千歳も、それは分かっているつもりだ。
だから、斎藤が屯所に寄り付くなと言うのも、関わりを持つなと言うのも、道理は分かる。
斎藤の言っている事は、千歳の命を守るうえで真っ当な答えだ。
でも、例えそれが正しかったとしても……―――
それは、千歳の心にとっては正解ではなかった。
彼等と…斎藤との関わりが完全に絶たれたのだと思うと、心が沈んでしまう。
千歳とて、死にたいわけではない。
何の為に生きているのかと問われるとすぐには答えられないが、簡単に死んだりして、自分の命を無駄にしてはいけないと思っている。
だが、彼等ともう二度と会わない、話す事もない、というのはどうにも違う気がしたのだ。
あんなものを見てしまったし、いざとなれば千歳の命を奪うかも知れないと、分かってはいるのに。
どうしてだか、千歳は彼ら、新選組を嫌う事が出来ない。
――斎藤さんが渡してくれたあの襟巻も……やっぱりもう返す事は出来ないのかな……。
千歳は、洗濯して部屋に置いたままの斎藤の白い襟巻を思い出す。
それを見る度、二月の間垣間見た斎藤の表情が過った。
稽古をしているときの真剣な顔。
あの夜“あれ”を殺した、冷たい瞳。
千歳に向けてくれた穏やかな微笑。
千歳を助けてくれた、後ろ姿も。
もう二度と、見ることはない。
そう思うと、胸が締め付けられた。
――…せっかくまた、出会う事が出来たのにな……。
新選組の皆の事。
斎藤の事。
悶々とする千歳には、もう一人、気になる人物がいた。
―――雪村千鶴。
千歳は、不安げに父の事を話していた千鶴の顔を思い出す。
千歳より一つ年下で、一人で江戸から京に父親探しに来た少女―――。
千歳は彼女の名に覚えがあったが、彼女は千歳の名を聞いても心当りはないようだった。
確信を得た訳ではない。
千歳の考えが当たっているのかは分からないが、もしそれが見当違いでないならば……―――。
千歳と彼女が巡り合ったのは、単なる偶然ではない気がする。
彼女はあれから、どうなってしまったのだろう…。
無事、生きているだろうか。
父親に会えただろうか…。
気にはなっても、確かめる術がない。
「……はあ……」
鬱屈とした気持ちを吐き出す為、千歳がもう一つ大きな溜息を付いた時。
「どうしたんだい、そんな大きな溜息ついて」
唐突に背後からマツの声がして、千歳は驚いてついうっかり、手を滑らせてしまった。
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