7話 雪と満月の夜
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過去は、いつも忘れた頃に思い出す。
悲しい過去は、記憶の中から消えてくれはしない。
鮮やかな爪痕はふとした瞬間に蘇り、心を縛る。
そんな分かりきっていたことさえ、忘れてしまっていたのだろうか。
過去に返すその晩は、静かに千歳に歩み寄っていた――――……
――――――………
――…十二月…――
寒い冬が、京に訪れた。
日暮れはすっかり早くなり、必然的に店仕舞いの時刻も早くなる。
すっかり人のいなくなった店で、千歳は空になった膳を一つ一つ手拭いで拭いていた。
――あれからひと月の間、空いた時間に稽古をつけてもらい、そのあと時間があれば屯所で食事の準備を手伝う、というのが千歳の日課になっていた。
初めは隊の人間以外は屯所に入るな!ときつく言っていた土方だったが、千歳や平助、原田、永倉も頼んでくれて、「勝手場だけだぞ」という言葉を貰えたのだ。
新選組の生活は千歳が思っていたよりも忙しそうであったし、稽古をつけてくれている斎藤に何かしらの礼をしたかったので、そうやって自分が役に立てるのは嬉しかった。
「次は、いつ行くんだっけ……」
ふと手を止めて宙を見上げ、指を一つ二つ折って数える。
そんな事をしていると、甚一郎が千歳に呼びかけた。
「千歳、ちょっといいかい」
「あ…はい、何でしょう?」
千歳が甚一郎を振り返ると、彼は持ち手のついた小さな鍋を持ち上げて、千歳に見せる。
「これを三郎さんの所に、届けてやってくれないか?」
「…三郎さんに…?構いませんが、何かあったんですか?」
千歳が首を傾げると、甚一郎は眉尻を下げて答えた。
「今日は、三郎さんが来なかっただろう?他のお客さんが言っていたんだが、どうやらこの寒さで風邪を引いちまったらしい。あの人は独り暮らしだから、食事の仕度も難儀だろう。だからおじやを作って、持って行ってやろうかと思ってね…」
「まあ…三郎さん、大丈夫でしょうか…。…分かりました、私、持って行ってきます」
千歳が頷いて鍋を受け取ると、甚一郎は申し訳なさそうな顔をする。
「すまないね、千歳。もう暗いから伊織に頼もうかと思ったんだが…あいつには先に別の用事を頼んでしまっていてね…」
「いいえ、大丈夫です。ここからそう遠くないですし、すぐ行って戻って来ます」
千歳はにっこり微笑むと、鍋の上に載せた木蓋を取って中を覗いた。
ふわりと昇った温かい湯気にのって、優しい出汁の香りと春菊の良い香りが広がる。
木蓋を再び載せて、千歳は傍にあった濡れた手拭いを掴むと、鍋の下をそれで押さえて立ち上がった。
「それじゃあ、行って来ます」
「ああ、くれぐれも気を付けてな」
「はい!」
千歳は甚一郎に見送られながら店を出て、その瞬間包まれた夜の空気の冷たさにふるっと震えた。
「寒っ……歩いてたら、冷めちゃう。危ないけど、走っていこう」
千歳は呟きながら、以前聞いていた三郎の家を目指して駆け出す。
転んでしまわないよう足元に注意しながら、手拭い越しに伝わる鍋の熱をじんわりと感じていた。
――――――……
「三郎さん、こんばんは」
三郎の住む長屋に着いた千歳は、木戸を開けて声を掛けた。
「千歳ちゃん…?どうしてここに…?」
丁度水を飲みに起き出して来ていたのか、いつもよりぼんやり顔の三郎が出迎える。
千歳は、彼の方に鍋を見せて言った。
「お加減はどうですか?三郎さんがお風邪だと聞いて、旦那さんが用意してくださったんです。お食事の準備も難儀でしょうから、もしまだ食べられてなければ、どうぞ召し上がってください」
「ああ…それは、どうもありがとう…。どうやら熱が出ちまってるみてえで、まだ何にも出来てねえんだ。頂くよ」
三郎は熱で辛そうにしながらも、嬉しそうに顔を綻ばせる。
食欲はあるようなので、千歳は安心して微笑んだ。
「良かったら、お布団の側まで運びましょうか?私、お茶も入れてきます」
「ああ、そうしてくれるかい?助かるよ、本当にありがとう」
千歳は三郎が寝ているらしい奥の間に行って、敷かれていた布団の傍に鍋を置く。
三郎は布団に足だけ突っ込むと、勝手場から持ってきた匙でゆっくりと食べ始めた。
その後千歳が熱いお茶を持って行ったときには、鍋の中は半分程にまで減っていた。
千歳は三郎にお茶を渡しながら尋ねる。
「お茶、どうぞ。…三郎さん、もういいんですか?」
「ああ、明日の朝の分に残しておこう。それより千歳ちゃん、本当にありがとう。旦那にも良く言っておいてくれ。…さあ、余りここにいて、風邪が移っちゃあいけない。早くお帰り」
甚一郎は弱々しく微笑んで、茶を飲む。
千歳は少し思案したが、勝手場で洗い物が溜まっていたのが気掛かりになって、三郎を窺い見た。
「…あの、三郎さん。もし良かったら、勝手場のお椀、私洗っておきましょうか?他にも、何かやる事があれば、私やっておきます」
「え…?いやぁ、いいよ千歳ちゃん。そこまでやってもらっちゃすまないから…」
「いいえ、お気になさらないで下さい。三郎さんは、うちのお店の常連さんですから」
「…千歳ちゃん……。それじゃあ、椀だけ頼めるかい?すまないなぁ…」
「はい!」
千歳は笑顔で大きく頷くと、勝手場に戻って洗い物を片付けるのだった。
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