18話 想いのままに向かう足先
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その晩――…
千歳はやはり、窓辺に座って夜空を見上げていた。
部屋には灯りを付けていないので、星がよく見える。
夏の蒸した空気も、多少は和らいでいた。
千歳は面を上げて、空に輝いている大きな星を、一つ、二つと数えて眺めながら、頭の片隅では、斎藤に言われた言葉を思い出していた。
『…仇を見つけて前に進みたいという、あんたの気持ちは分かる…。だが、あんたが新選組に来るという話は、賛成出来ない』
斎藤は静かに、少し言いづらそうな面持ちでそう言った。
彼がそう言うであろうことは、千歳も分かっていた。
斎藤は真面目で、冷静で、基本的に合理的な考え方をする人だ。
だから、如何なる理由があろうとも、女である千歳が新選組に厄介になりたいと言い出せば、彼が反対する事は目に見えていた。
それに、斎藤はとても誠実な人である。
千歳の気持ちを理解しながら、それでも“普通の女子として暮らした方が良い”と言ってくれたのは、きっと千歳の事をちゃんと考えてくれたからだろう。
――そんな斎藤だからこそ、千歳は彼に話したかった。
信頼している彼をおいて、他に相談する相手はいないとさえ、思っていた。
けれど、やはり上手くはいかなかった。
斎藤に願い出たのは、単なる思い付きでも、軽い気持ちでもない。
千歳なりに前に進む方法を考えた末に、出て来た答えだった。
だが思い返せば、それは余りにも性急で、自分勝手な考えだ。
多少剣の心得はあるものの、これまで安穏と生きていた千歳が、彼等の中に加わったところで、役に立てる訳もない。
千歳にとっては、仇を見つけられるかもしれないから、という理由があるが、彼等にとっては、千歳を屯所に置く利点など何もないのだ。
千歳が幾ら己の想いを述べた所で、彼等にとって迷惑にしかならない事は、明白だった。
「………」
千歳は、音が出ない程小さく、溜息を付く。
あの鬼に出会って――これまでとは違う、何かを変えられるような気がしていた。
あの男の言っていた通り、千歳が本来いるべき場所は、ここではない。
ここは優しくて、幸せで、温かい、千歳の大切な居場所だ。
いつまでも、この場所にいたいという気持ちも、勿論ある。
――でも、人間でない千歳は――
更科家の鬼である千歳は、いつまでもここにいてはいけない。
そして、ここではない“場所”に行くのなら、千歳は全てを知る必要がある。
あの夜、千歳から当たり前の生活を、幸せな未来を奪った鬼が、誰なのか――……
それを確かめなければ、千歳はいつまでも前に進めない。
人間にも、鬼にもなりきれず、
ずっと、苦しいままだ。
だから、逃げるのはもうやめようと思った。
鬼としての自分の宿命と、向き合ってみようと思った。
でも―――……
――…逃げ続ける事しか出来ないのもまた、私の定めなのかもしれない…。
千歳は、目を伏せてそう思う。
十年間―――…
忘れよう、逃れようとしてきた日々に、ようやく終止符を打つ決意をした。
だが、その矢先でその想いを砕かれて、こうして迷ってしまうという事は、そんな決意などしたところで、元々無意味なのかもしれない。
――だとしたら千歳は――……
一生、人間のフリをして、ここで生きていくことになる。
甚一郎やマツや伊織と笑って、ここでこうして働いて。
時折、彼等に人と偽ってしまっている罪悪感や、どうしても人にはなれない疎外感を抱き続けたとしても――…
その日々は、とても幸せに思える。
ならば斎藤の言うように、ここで“普通の女”として暮したって良いではないか。
――そう思うのに。
『千歳。あなたは更科家の――…鬼一族の宝。あなたがその血を守るのですよ。誇りを持って』
そう、言い聞かせるように言っていた母の言葉が、一度思い出したあの言葉が、何度も何度も、頭の中で繰り返される。
ずっと、胸の奥にしまっていた言葉。
声は思い出せなくても、その言葉を思い出すと、どうすればいいか分からなくなる。
どう生きていく事が正しいのか、分からなくなる。
女鬼として――しかも特別な女鬼として生まれた自分が、その責務も果たさずに、“人”として生きていいのだろうか。
そんな想いに、苛まれるのだ。
――でも――……
逃げ続ける事もまた、定めだと言うのなら――……
このままでも、いいのかもしれない。
千歳はぎゅっと、両の手を胸の前で握り締めた。
――……明日からは、お店に戻ろう。
大丈夫…。十年間、私は“人間”だった。
また、忘れてしまえばいい。今までそうし続けてきたように、忘れて、考えないようにして、笑っていれば―――私は、“普通の女”でいられる―――…。
自分に言い聞かせるようにそう言って、千歳は視線を下ろし、部屋の襖を見つめた。
明日から店に立つならば、まず三人に謝らなければならない。
ずっと皆に店を任せきりで、心配も沢山かけてしまった。
だから謝って、また明日から頑張るという事を伝えて来よう。
千歳はそう思って立ち上がり、ゆっくりと襖を開けた。
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