17話 信頼
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今しがた、目の前にいる千歳から放たれた言葉に、斎藤は思わず息を呑む。
「……今何と言った…?」
何かの聞き間違いではなかろうか。
そう思って斎藤が問い返せば、千歳は申し訳なさそうに眉尻を下げ、けれど真剣な眼差しで訥々と話した。
「…ご無理を言って申し訳ありません…。でも……あの男は恐らく、あの晩池田屋にいた長州藩と、何らかの関わりを持つ浪士です…。
だから、日頃から長州の浪士を取り締まっている皆様の所に置いて頂ければ……両親を殺した男の手掛かりを、掴むことが出来ると思うんです…。だから……どうか、私を屯所に置いて下さい、お願いします…」
千歳はそう言うと、畳に両手を付き、深々と頭を下げる。
「………」
斎藤は困惑に瞳を揺らしながら、頭を垂れた千歳を見下した。
確かに、千歳の気持ちは理解出来る。
親を殺した男に、よく似た男――。
そんな存在に出会ってしまえば、気になるのは当然だ。
もう二度と会いたくない、と恐怖して終わる者もいるだろうが、親の仇を見つけたい、と思ったとしても、何もおかしくはない。
自分の親の命を、奪われたのだから。
それに千歳の言うように、あの夜、池田屋の裏を通っていたその男が、口にしていたという「長州の会合」とは、恐らく池田屋の会合の事で間違いないだろう。
だから、その仇に似た男が長州藩と関わりのある人物だと千歳が推察するのも、ごく自然の流れである。
そして、長州の過激派浪士を捕縛する機会が多い新選組にいれば、その男の手掛かりをいつか掴むことが出来るかもしれない、と思うのも、不思議ではなかった。
だが―――……
斎藤はこの突拍子もない願いを聞いて、初めに思った事を口にする。
「……仇を見つけたとして……あんたはどうするつもりだ?親の仇を討つつもりか?」
「…!」
まだ頭を下げたままの千歳に、斎藤がそう問いかけると、千歳が僅かに息を呑んだのが分かった。
千歳は緩慢な動作で顔を上げると、逡巡するように斎藤を見やってから視線を外し、ゆっくりと答える。
「…分かりません…。敵討ちをしたところで、もう何も戻らないことは、分かっています……。でもただ……あの夜、私の両親を殺したのが誰なのか…――それを知らなければ、私は前には進めない…。それだけは、はっきりと感じています」
「………」
その言葉を聞いて、斎藤は沈黙した。
もし千歳が「仇を討つのだ」と答えたら、即座に無理だと言うつもりだった。
千歳の温厚な性格を考えれば、それは絶対に出来ないと思っていたからだ。
だが彼女は、敵討ちが目的ではないと言う。
己が前に進むため――過去を清算する為に、仇を知りたいのだと。
確かに当事者からすれば、そう思うものかもしれない。
けれど……それを知った時、千歳はどうなるだろう。
より、辛い想いをする事になるかもしれない。
殺したいと思うほど、仇が憎くなるかもしれない。
知らなければ良かったと、後悔するような事が起きるかもしれない。
―――そうなるよりは、このまま、普通の町娘でいた方が、きっと千歳は幸せだろうと、斎藤には思えた。
斎藤は心を落ち着けるように、小さく息を付いて、口を開く。
「…仇を見つけて前に進みたいという、あんたの気持ちは分かる…。だが、あんたが新選組に来るという話は、賛成出来ない」
「………」
斎藤がはっきりそう言うと、千歳は悲し気に眉根を寄せて、俯いた。
まるで、そう言われる事は分かっていた、という様子である。
一先ず、こちらの話を遮る様子がない千歳を確かめて、斎藤は言葉を続けた。
「…もし仇を見つけられたとしても…あんたが前に進めるという保証はない。寧ろ、後悔するのではないかと、俺は思う。
それに、あんたは女子だ。そもそも屯所に身を置く事は出来ない。訳あって雪村は我々が預かっているが……男装をして、自由のきかぬ日々を、あんたが好き好んで送る必要はあるまい。
親の仇を見つけたいと想う気持ちは分かるが……ここで普通の女子として暮らした方が、きっとあんたの親も喜ぶはずだ」
「………っ…」
そう言った時、俯いていた千歳から、押し殺した息が漏れた。
さらりと、胡桃色の髪が小さな肩から滑り落ち、千歳の顔に影を作る。
彼女の表情を確かめる事が出来ず、斎藤は膝に置いた拳に力を込めた。
千歳の気持ちを思えば、酷だった。
親を殺され、その仇に似た男に京の町で遭遇し、怯えながら―――
それでも、その仇を見つけ出そうと決意して、千歳は斎藤に話したのだ。
斎藤が反対する事は分かっていたようだし、彼女の両親の気持ちだって、優しい心根の千歳なら、容易に分かる事だろう。
だがそう思い至っても、願わずにはいられない程に、千歳の中でその“過去”は、濃く暗い影を落としている。
そう思うと、千歳の願いを退ける事が、幾ら彼女の為だと分かっていても、流石に胸が痛んだ。
斎藤がそう思いながら、いつの間にか伏せていた瞳を上げたとき。
俯いたままの千歳が、肩を小さく震わせて、ゆっくりと口を開いた。
「――………私も…ずっとそう思っていました…。“普通の女”として、ここでこうして、優しい人に囲まれて……幸せに暮らしていた方が良いって…。本当は今でもまだ、少しそう思う気持ちはあります…。……でも……――」
千歳はそこまで言うと、一度強く唇を引き結ぶ。
そして、重ねた両手をぎゅっと握り締めると、顔を上げて、まるで耐え兼ねたように、その想いを吐き出した。
「…でも…っ……私は“普通の女”としては、生きていけないんです…!本当はもう…家族を失ったあの時から、“普通”に生きていくことなんて出来なかった……!そんなこと……ずっと前から、分かっていたのに…」
千歳は震えた声でそう言って、涙ぐんだ瞳を伏せた。
「怖くて……自分を失くしてしまいそうで、ずっと逃げていたんです…。母は、私を守って死んだのに……。私はずっと、現実から目を逸らして、生き続けてしまった…。
でも、仇に似たあの男と出会って……もう、逃げられないと思ったんです。向き合わなければ、ずっと苦しいままだって……」
千歳は涙を流すまいとするように、きつく唇を食んで俯く。
斎藤は、初めて聞くような千歳の悲痛な声に、姿に―――
悲しげに眉を寄せ、目を細めた。
七つの時に親を――しかも目の前で殺されたというその傷は、まだ、千歳の心の奥底を抉り続けている。
千歳は、いつも笑顔だった。
藤屋で絶えず客に呼ばれている時も、屯所で彼女を知る幹部と話している時も、斎藤と言葉を交わす時も。
そんな暗い過去があることなど、微塵も感じさせない、陽だまりのように明るくて温かい笑顔だった。
だが、千歳の言葉を聞いた今ならば、何となく分かる。
きっとその笑顔は、受け止めきれなかった傷を、自分でさえ見つけてしまわぬように、心の深い所に仕舞い込んだ結果なのだ。
笑って悲しい事を考える人間はいない。
だから彼女はいつも笑って、悲しみに目を向けず、生きてきたのだろうと思った。
――けれど――……
やはり、千歳の意を汲む事は出来ない。
千歳の事を、真に考えてやるのなら。
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