16話 逃れ得ぬ定め
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―――――――――……
十年前の、あの夜―――…
その部屋に辿り着いた時、屋敷の中は気味が悪い程、静まり返っていた―――。
断末魔に起こされて、千歳が真っ先に向かった部屋――…
――それは、大好きな父と母が眠っているはずの、寝所だった。
ここに来るまでに見てしまった、血溜まりの中に転がる沢山の死体。
既に体はガタガタ震え、心臓がどくんどくんと脈打って、息をする事もままならない。
そんな状態で千歳は、父母のいる部屋の前に、立ち尽くしていた。
半分だけ開いた襖の向こうには、ここよりも深い闇が落ちている。
見てはいけない、と本能が言っていた。
けれど部屋の中からは、僅かな声が、息が聞こえてくる。
誰のものかも分からない。
でもそれが、父と母のものであればいいと、願うような気持ちで、千歳は襖に近付いた。
暗い、暗い、部屋の中。
窓から差す朧な月明かりが、薄っすらと部屋の中に差し込んでいる。
千歳は息を殺して、その闇をじっと見た。
部屋の奥で動く影が、二つ。
手前で動かない影が、一つ。
布団の上に仰向けで転がった、大人の体。
その顔を見て―――
『――――!!!』
千歳は、思わず悲鳴を上げそうになる口を、両手で押さえた。
――…父上……!!!
心臓を貫かれ、そこから赤黒い血をだらだらと流した父が、布団の上で死んでいる。
顔面はもう蒼白で、口から泡立った血を吹き零し、目を剥いて絶命していた。
その変わり果てた父の姿に、千歳の頭の中は真っ白になる。
それでも―――……
母だけは、と縋るような想いで部屋の奥に視線を移すと、そこには――――……
見知らぬ黒髪の男に、両腕を縄で縛られ、組み敷かれて―――。
首筋に刀を宛がわれた、母がいた。
目に飛び込んできたその姿に、手で塞いでいたはずの千歳の口から、驚愕の息が漏れ出る。
『―――――っ……!!』
千歳は思わず後退り、ドン!と強く、背を廊下の壁に打ち付けた。
だが、背に感じた痛みも、自分が立ててしまった物音にも、千歳の注意が向く事は無かった。
父の死に顔でさえ、この時ばかりは頭になかったのだ。
だが、見知らぬ男は違った。
部屋の外から聞こえた音に気が付いて、男はゆらりと顔を上げ、千歳の方を振り返る。
闇に溶けるような黒髪の隙間から、血のように真っ赤な瞳がちらりと覗いた。
狂気に満ちたその瞳は、千歳の姿を捉えると、強い好奇の色を宿す。
『そうか……お前が本当の―――』
男は愉悦に満ちた低い声でそう言うと、闇の中で薄気味悪い笑みを浮かべた。
『……ひ…っ……』
その、邪悪で冷たい瞳と声に、千歳は声にならない悲鳴を漏らす。
体中の血が無くなってしまったのではないかと思うほど、どこもかしこも冷たくて。
混乱した頭は上手く働かず、指一本も動かす事が出来ない。
逃げなければ、でも母を置いてはいけない。
どうしよう、どうしよう。
千歳が恐怖と焦燥に駆られているその間に、男が千歳の方を向いたまま、ゆっくりと体を動かした。
その時だった。
『――っ…千歳……!母の事は構わず、は、やく…、逃げなさい…っ!!父上のその刀を持って、早く…!!早く逃げてっ…!!』
『―――!!』
これまでに聞いたことがないような、母の苦しみに満ちた掠れた声に、千歳は我に返った。
深い暗闇に慣れた目を、すぐさま母に向ければ、男の刀が母の首に食い込んでいる事に気が付く。
喉を潰されかけながら、母が千歳の為に、力を振り絞って告げてくれた言葉だった。
母の目の端には涙が流れ、請うように千歳を見ている。
その瞳を見たとき、千歳は母の全ての想いを悟った。
千歳を生かすために、母は自ら犠牲になったのだ。
その事が、はっきりと分かった。
母が千歳に向かって言葉を発した事に男が激昂するのと、千歳が父の亡骸に走ったのは、殆ど同時の事だった。
父の顔ばかり見ていて気が付かなかったが、母の言葉通り、父は鞘に入ったままの長脇差を手に握っていた。
狭い室内で応戦しようと、この刀を取ったのだろうが、間に合わなかったのだ――。
『―――っ…!!』
男の怒号が響く中、千歳は父の手からもぎ取るように刀を取って、振り返らずに駆け出した。
振り返れば、その分男が追い付いてくる。
どこまでもどこまでも、千歳は逃げなければならなかった。
千歳の為に自らの命を投げ出した母の想いを、無駄にするわけにはいかなかった。
『貴様…!!余計な口をききおって…!!貴様にもう用はない!!!』
『―――っあ』
背後から。
そう叫ぶ男の声が、
不自然に途切れた母の悲鳴が、
ドン、という不気味な音が、
千歳の耳にはっきり届いた。
きっと母は―――…
あの食い込んだ刀を押し込まれ、首を刎ねられて殺されたのだと思いながら。
千歳はただただ、走り続けた。
『っ……!』
ちゃんと息をしている感覚もないまま、ただボロボロと涙が溢れて。
心はもうぐちゃぐちゃだった。
千歳は屋敷を飛び出し、燃え盛る里から―――あの赤い瞳の男から、逃げ出した。
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