10話 縛られた傷
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――……新選組屯所……――
既に日が暮れて暗くなってしまった八木邸の廊下を、斎藤は音も立てずに歩いていた。
「副長、斎藤です」
斎藤は灯りの灯った土方の部屋の障子戸の前に膝をついて、中にいる彼に声を掛けた。
斎藤が彼の部屋を訪れたのは、他でもない。
今日の捕り物の検分をした土方が、斎藤を呼んでいるという隊士からの言伝を聞いたからだった。
「ああ、斎藤か。入れ」
「はっ、失礼致します」
程なくして中から土方の声が聞こえ、斎藤は膝を着いたまま静かに戸を開ける。
ぺこりと頭を下げると、土方は文机から顔を上げて、斎藤を振り返った。
「呼びたてちまって悪いな。まあ、こっちに来て座れ」
「はい」
斎藤は頷くと、室内に入って腰を下ろす。
土方は斎藤の方を向き直り、腕を組んだまま口を開いた。
「今日の捕り物の件だが、やはりお前の言っていた通りだった。あの旅籠は長州の連中を匿っていただけでなく、裏で武器も調達して流していたらしい。蔵の中から銃や弾薬、大砲がいくつか見つかった」
「やはりそうでしたか」
「ああ。とりあえず武器に関してはこちらが取り押さえたが、屯所に持ってくるわけにもいかねえ…。だから一旦、別の商家の蔵に置かせている。明日にでも、本陣に持って行くつもりだ」
「分かりました。その蔵の警護に当たっているのは、二番組ですか?」
「ああ…あと十番組もだ。いつ連中の仲間が取り返しに来るか分からねえからな…。まあ新八と原田なら大丈夫だろ」
「そうですね。…では、報告書にはそのように認めておきます」
「ああ、頼んだ。それから――……これは、捕り物とは関係のねえ話なんだが…」
「何でしょう」
斎藤が尋ねると、土方は斎藤の顔をじっと見て言う。
「千歳のことだ」
「……彼女が何か」
まさか土方の口から出て来るとは思っていなかった名前に内心反応するも、あくまで表情を変えないように努めた。
「もう屯所には来るなと言ったらしいな」
責めるというのではなく、確認する、という口調で土方に問われ、斎藤は頷きを返す。
「はい。その方が彼女の為であり、新選組の為であると判断しました」
「確かに、お前の判断は間違っちゃいねえ。ただこちらとしても、あいつが屯所に来た方が、色々と都合がいいんだよ」
「……と、申しますと…?」
まさか、と思いつつ斎藤が尋ねると、土方は僅かに眉を寄せた。
「あいつに、屯所に来る許可を出した。その方がこちらとしても手間がかからねえから、監視の機会が増える。それにあいつがここに来なくなったときには、俺達を裏切ったかもしれねえと、こちらで想像がつくからな」
「……確かに、副長のお考えは理に適っていらっしゃいます。ただ……」
斎藤は言い淀んで、言葉を続けるか躊躇う。
すると土方が、斎藤の代りに言葉を紡いだ。
「ただあいつの身を考えると、賛成しかねる…か?」
「はい…。彼女が“何か”を知ってしまい、我々が始末することになる可能性は否定出来ません」
斎藤がそう言うと、土方は少し表情を緩める。
「珍しいな、お前が誰かに肩入れするなんて」
「肩入れをしているつもりはありません。ただ、京の民を守るのが我々新選組の務め。俺はただ、己の任を全うしようと思ったまでです。それに、京で顔の知れた彼女を始末する事は、我々の評判を落としかねません」
整然と己の考えを述べる斎藤に、土方は苦笑した。
「そうか、お前の考えはよく分かった。だが、あいつも屯所に来るを望んでいる。“自己責任”だと言ったうえで、な」
「……我々に殺されても構わぬと?」
「そんなにはっきり言っちゃあいねえよ。あいつも、そう簡単に死にたくはねえだろうが……俺達と過ごした時間が大切だったと言っていた」
「…………」
土方の言葉に、斎藤は千歳の顔を思い出す。
確かに屯所に来るたび、彼女はいつも嬉しそうだった。
斎藤以外の幹部隊士と話す時も楽しそうで、斎藤の稽古を受けているときも真剣に向き合っていた。
興味がなければ、あそこまで熱心に稽古に励むことはないだろう。
それに、屯所で料理を作っていたとき。
斎藤がその腕を褒めると、恥ずかしそうに頬を染めながらも、嬉しそうに微笑んでいた。
千歳はいつも、笑顔だった。
いつの間にか新選組という存在は、彼女にとって大きなものになっていたのかもしれない。
それは斎藤があの日、「もう来るな」と告げたときの、彼女の悲し気な表情からも明らかだった。
「…お前にも言い分はあるかもしれねえが、そう言う事だ。あいつには中庭と勝手場と…あと、雪村の部屋にしか出入りを許しちゃあいねえが……万が一ってこともある。お前はあいつに稽古をつけていたし、あいつが屯所に来たとき、変な事に巻き込まれねえか見てやってくれ」
そう言う土方の顔を斎藤はじっと見つめ、目を伏せる。
「元より、俺が副長に意見することなどありません。承知しました」
「ああ、頼んだぜ斎藤。俺も、あいつは出来れば殺してやりたくはねえからな」
土方のその言葉には本音が込められていて、斎藤は小さく頷いた。
すると、丁度話が纏まったときに、廊下の向こうからバタバタと足音が聞こえて来る。
どうやらこちらに駆けて来ているようだ。
何事かと思って二人が廊下の方を見ると、障子戸が勢いよく開いて、平助が顔を覗かせた。
「土方さん!一君!大変だ!」
「どうした、平助」
血相を変えた平助の顔を見て、土方が眉を寄せる。
平助は慌てた様子で、早口に捲し立てた。
「今、藤屋の伊織って奴が来てさ…!千歳が浪士たちに連れ去られたって……!」
「!!」
「何…っ!」
平助の言葉に、斎藤は思わず息を呑む。
土方はさらに険しく眉間を寄せて、勢いよく立ち上がった。
「平助と斎藤は、隊を連れて先に市中を探せ。後で残っている奴らも向かわせる。俺は、その伊織とかいう奴に話を聞いてくる」
「わかった!」
「御意」
斎藤は平助と共に土方の部屋を出て、すぐに三番組の隊士に出動の声を掛ける。
そして自室に戻ると、素早く身支度を整えた。
羽織を纏い、刀を差しながら、斎藤は千歳の姿を思い浮かべる。
彼女は、あのときも恐怖で震えていた。
浪士に連れ去られた今も、どこかで怯えて震えているかもしれない。
浪士達が何の目的で千歳を連れ去ったのかは不明だが、危険な状況である事は確かだ。
そう思うと珍しく胸が逸り、斎藤は鉢金を巻きながら玄関を出る。
「行くぞ!」
だんだら羽織を着た三番組の隊士を率いて、斎藤は市中に駆け出した。
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