菫の栞
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窓から見える外の天気は、とても良かった。
透き通った青空には、綿菓子のような白い雲がふかふか浮かび、じっと見ているうちにゆっくりとどこかへ流れていく。
部屋に差し込むお日様の光は温かくて、風には春の匂いが混じっていた。
「―――…、ミオリ」
「!」
ふと、父の声に呼ばれて、ミオリはハッと我に返る。
窓とは反対側に首を回せば、少しだけ厳しい顔をした父が、こちらを見ていた。
「ミオリ、また外ばかり見ているよ。ちゃんと集中しなさい」
「…はぁい…」
ミオリは眉を下げて返事をしながら、己の手元へと視線を戻す。
術式の書かれた巻物の上に置かれているのは、生きているのか死んでいるのか分からないような魚。
父が言うには、“まだ助けられる魚”らしい。
この魚を“助ける”のが、先週ようやくチャクラの練り方を覚えた、三歳のミオリの新たな修行だった。
「………」
ミオリは魚の虚ろな瞳を見つめながら、その上に両手をかざす。
集中してチャクラを練りながら、両手の手の平にそれを集めるイメージを繰り返した。
けれど―――
「…ぅ…」
ミオリは眉をしかめ、苦痛の声を漏らす。
ミオリの手の平には、緑色の光が薄っすら灯り、今にも消えそうな様子で点滅していた。
チャクラの練り方を“覚えた”とはいえ、ミオリはまだ、今年四歳になる幼子である。
チャクラを練るまでには、まだまだとても時間が掛かるし、しかもそれを目の前の魚を“助ける”為に使う、というのは余りに難しくて――…この修行は、ミオリの心身に大きな負荷をかけた。
「…はぁ…はぁ…」
ミオリは肩で息をしながら、苦痛に限界を感じて小さな手を降ろす。
おずおずと父を見上げれば、父は苦笑を浮かべた。
「…今日はこの辺にしようか。よく頑張ったね、ミオリ」
父は優しい声でそう言うと、ミオリの頭をその大きな手でくしゃくしゃと撫でてくれる。
「………」
ミオリはその手の温かさを感じながらも、父の瞳が少しだけ残念そうな事に気が付いて、しょんぼりと項垂れていた。
――――――……
「…はぁ…」
外に出たミオリは、庭にある木の根元に膝を抱えて座り、小さな溜息を付いた。
――…どうして、もっと上手にできないんだろう…。
ミオリは心の中でそう思いながら、先程の父の顔を思い出す。
父は笑っていたが、やっぱり少し残念そうだった。
それはきっと、何度教えてもミオリが上手に出来ないからだろう。
ミオリがもっと上手く出来ていれば、父はきっと笑顔で喜んでくれていた。
初めてチャクラが練れるようになった、あの時のように。
――父さんが手本を見せてくれたときは、お魚、すぐに生きかえったのに…。
わたしが何度やっても、全然だめ…。
ミオリはこの一週間繰り返してきた修行を思い出し、また溜息をつく。
ミオリの家は代々、“医療忍者”にならなければいけない家なのだと、修行を始める前に父から言われた。
医療忍者になるためには、沢山本を読んで勉強すること。
そして、チャクラを上手くコントロール出来るようにならなければいけないらしい。
本を読む事も勉強する事も楽しいけれど、このチャクラを使った修行が、ミオリは大の苦手だった。
本は、読めば内容が分かる。
分からない言葉があれば、父に聞けば教えてくれる。
そして、読めるようになる。分かるようになる。勉強も同じだ。
でも、チャクラを使った修行は違う。
父に聞いて教えてもらって、頭で分かったつもりになっても、いざやってみると出来ないのだ。
何度教えてもらっても、上手く出来ない。
その歯痒さと悔しさが、ミオリのやる気をどんどん削いでいた。
――…修行、やだなぁ…。明日もやらなきゃいけないんだなぁ…。
そう思うと、また溜息が出そうになる。
ミオリが小さく口を開いて、息を吐き出しかけたその時―――…
「――ミオリー!」
と、門の方から元気な声が聞こえてきた。
「!」
聞き馴染みのあるその声に、ミオリはすっくと立ち上がる。
声のした方を見つめていると、濃茶色の長髪を後ろでゆったりと結んだ、顔のよく似ている親子が、門をくぐってやってきた。
「!ネジ!ヒザシさま!」
ミオリは二人の顔を見るなり、ぱあっと瞳を輝かせて、彼等の方に駆け寄る。
ミオリと同じ位の背丈のその少年は、日向ネジ。
ミオリと同い年で、家同士でも仲の良い、日向家の男の子だ。
そして彼の側に立っているのが彼の父、日向ヒザシである。
ネジとは生まれた時からずっと幼馴染で家も近いので、よく互いの家を行き来していた。
それ故、ミオリはヒザシの事もよく知っている。
時間がある時はいつも、ミオリとネジの相手をして遊んでくれる、とても優しいお父さんだった。
だが、ネジが家に遊びに来ることはあっても、ヒザシがここに来るのは珍しい。
ミオリは、二人の前まで行って足を止めると、不思議に思いながら、ヒザシを見上げた。
「こんにちは、ヒザシさま。今日はどうしのたの?ネジと一緒だなんて…」
ミオリがそう問うと、ヒザシは腰を屈めてミオリの目線に合わせてくれる。
彼はミオリに苦笑を見せながら、隣にいる我が子に視線をやった。
「こんにちは、ミオリちゃん。実は、ネジが稽古の時に手首を捻ってしまったようでね。今日は、ヤヒロさんに診て貰いに来たんだよ」
ヤヒロ、というのは、ミオリの父の事である。
ミオリの父は、日向家専属の医療忍者であるため、日向家の人が怪我や病気でここを訪れる事は、よくあることだった。
だが、ネジが怪我をしてやってくるのは、これが初めてである。
ミオリはネジが心配になって、顔を青くさせながら、彼を振り返った。
「そうなの…!?ネジ、大丈夫…!?」
ミオリがオロオロした顔で問いかけると、ネジはいつものようににっこり笑って、大きく頷きを返す。
「ああ、もうほとんど痛くないんだけど…。父上が、念のため診てもらったほうがいいとおっしゃるから、来たんだ」
「…そうなんだ…!あまり痛くなくてよかった…。…まってて、すぐ父さんを呼んで来るから!」
ミオリはネジの変わらぬ表情と、その言葉に少しほっとしながら、慌てて踵を返した。
「頼んだよ。ミオリちゃん」
「うん!」
ヒザシの声に振り返って頷きながら、ミオリは父を呼びに、家の方へと走るのだった。
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