優しさの味……甘くて、ほろ苦い

 悪魔絡みの事件により崩壊した建物が多く、復興作業に追われるフォルトゥナの街。
 ネロは地獄門から溢れ出した悪魔の後始末と、崩壊した建物の再建作業に追われていた。
 一方キリエは、以前から面倒を見ていた孤児院の子どもたちと、今回の事件で親を亡くした子どもの世話をする日々だった。
(さてと、今日も孤児院に行かないと……)
 毎日、朝早くから夜遅くまで孤児院で働き詰めのキリエ。
 今日もキリエは早朝から起き上がり、身支度を整えたあと、ネロの分の朝食を作っていた。
(早く、孤児院も復興できればいいんだけど……)
 街の被害が大きく人手が足りないため、復興作業はなかなか進んでいない状況だった。
 大歌劇場や孤児院の敷地内に建てた仮設住宅で寝る場所を確保できているが、キリエは一刻も早く孤児院を建て直し、子どもたちが安心して暮らせる場所を与えたい気持ちでいっぱいだった。
 だが、自分の気持ちとは裏腹に復興の兆しが見えない孤児院。
そんな状況に、キリエは大きくため息をついた。
 その時、リビングの扉が静かに開く音が聞こえた。
「あ、ネロ……おはよう」
 朝食の準備をしながら、扉のほうを一瞬チラッと見つめるキリエ。そこには、浮かない顔をしたネロが佇んでいた。
「おはようキリエ。……今日も行くのか?」
「ええ。あの事件で孤児院が崩壊してから、居場所を無くした子どもたちが不安な日々を過ごしているでしょう。それに、親を亡くした子どもたちの面倒を見る人手が足りなくて……。少しでも早く孤児院の復興作業を進めて、子どもたちを安心させないと……」
「なら、俺も行くよ。孤児院を建て直す作業なら、男手があったほうがいいだろ?」
 キリエは料理をしている手を止めると、首を横に振った。
「今日はネロの当番の日じゃないでしょ?ネロは今日一日、ゆっくり休んでて」
「でも……」
「私は力仕事をしているわけじゃないし、子どもたちのお世話も好きでやっているの。だから、平気よ……」
 そうは言いつつ、表情が曇り気味のキリエ。ネロは彼女が心配になるが、寝起きで思考が働かないせいで上手く声をかけられなかった。
「あ……そろそろ出かけないと……」
 時計を見ながらポツリと呟き、キリエは作り終わった朝食をテーブルに並べる。
「朝ご飯作っておいたから、好きな時に食べてね。それじゃあ、行ってくるわね……」
 力なくネロに微笑んだあと、キリエは必要な手荷物を持ち、顔を背けながらリビングを後にする。そして、小さくうずくまる背中をネロに向けたまま、家を出て孤児院へと向かったのだった。

「……」
 リビングに一人残されたネロ。食卓へとつき、キリエが用意してくれた朝食を食べ始めた。
(キリエ……無理していないだろうか)
 彼女が心配でたまらない。ネロは朝食を素早く平らげると、出かけるために身支度を整え始めた。

***

 孤児院にて、午前中の業務を終えたキリエは、休憩室にて紅茶を飲みながらひと息ついていた。
(子どもたちの不安、どうすれば取り除いてあげられるのかしら……)
 親を亡くした寂しさに耐えられず、今日も多くの子どもたちがキリエに縋りついて泣いていた。
(一人ずつ、ゆっくり話を聞いてあげる時間を取れればいいのに……)
 だが、人手不足や復興作業に忙しいため、キリエ一人では全員の子どもたちに向き合えることができない。そんな現状に、彼女はもどかしさを感じていた。
(私だって親を亡くした身なのに……あの子たちにどう接していいのか分からなんて……)
 自分はなんて頼りないのだろう。そう思った瞬間、キリエは目の奥が熱くなった。
(ダメよ……泣いちゃ……)
 そう心の中で呟きながら、キリエは目を押さえるように両手で顔を覆った。 
 その時、机に置いてあるタイマーが鳴り響き、休憩時間の終わりを告げる。
(午後の業務もあるんだから、しっかりしないと……!)
 キリエは残りの紅茶を一気に飲み干すと、休憩室を後にした。

 休憩室を出て子どもたちが待っている部屋へ戻ろうとした時、キリエは孤児院の院長に呼び止められ、夕食の買い出しを頼まれた。
 子どもたちのことが気掛かりだが、頼まれたことは断れないキリエ。
 キリエは浮かない顔をしつつ、材料が書かれているメモを見ながら孤児院の門に向かって歩いていた。
「キリエ」
 門に辿り着くまであと数メートルというところで、キリエの耳に聞き覚えのある声が聞こえる。彼女はメモをポケットにしまうと、ゆっくりと顔を上げて声の主を見た。
「ネロ……?どうしてここに……?」
 声の主はネロだった。
 ネロは、門の扉を開けて孤児院の敷地内へと入る。
「キリエが心配だったんだよ。ひどく疲れている様子だったから……」
 穏やかな言葉とは裏腹に、キリエを鋭い眼差しで見つめるネロ。その目の奥には小さな怒りが宿っており、彼女の無理を許せない気持ちの表れだった。
 そんなネロの心情を悟ったのか、キリエは精一杯笑顔を浮かべながらネロに話しかける。
「大丈夫よ!確かに少しは疲れているけど、大したことないわ!だから……心配しないで!」
 無理して笑顔で話すキリエの姿に苛立ちが募り、ネロは小さくため息をついた。
「どこが大丈夫なんだよ。顔色だって、悪いじゃねえか……」
「少し寝不足なだけよ……!本当に平気……!」
「あのさぁ、キリエ……」
「それより、ネロは早く帰ってゆっくり休んで?ネロだって、ここ最近ずっと街の復興作業で忙しかったでしょう?私は本当に大丈……」
「だから、無茶するなって言ってるだろ!いい加減にしなよキリエ!そんなフラフラの体して……どう見ても大丈夫じゃないだろ?!」
 ネロが言うとおり、心も体もつらいはずのキリエ。それを認めようとせず、明らかに無理をしている彼女の行動や言動に、ネロは心配する気持ちとは裏腹に怒りの感情が湧き上がってしまい、つい声をあげてしまった。
 そのことに驚き、一瞬肩を震わせるキリエ。彼女は目元が熱くなり、頬にひと筋の涙がつたった。
「私、無茶なんかしてないわ……」
 涙声になり、俯きながらネロにそう告げるキリエ。
 これ以上、何を言っても聞く耳を持ってくれない。そう思ったネロはやるせない気持ちになり、再びため息をついた。
 二人の間に、暫しの沈黙が流れる。キリエは溢れ出しそうな涙を拭ったあと、ゆっくりと顔を上げた。
「私、買い出し頼まれているから、出かけてくるわね……」
 弱々しく涙声でそう言ったあと、キリエは震える足を踏み出した。
「っ……」
 その時、ひどい眩暈が彼女を襲う。キリエは勢いよく、前方向に倒れこんできた。
「!キリエ?!」
 ネロは慌ててキリエの近くに駆け寄り、自身の体にもたれかかってくる彼女を支えると、ゆっくりとその場に座り込んだ。
「キリエ!大丈夫か?!キリエ……!」
 キリエの体を抱きしめながら、必死に呼びかけるネロ。
 苦しそうにうなり声をあげる彼女の体は、以前より細くなっているのをネロは感じた。
「キリエ、どうしてこんなになるまで……。まともに食べてなかったんだろ……?」 
 ネロにそう聞かれたキリエは、重い口を開いた。
「だって、子どもたちが心配で……。親を亡くして毎日泣いている子もいるのよ……」
「……」
「私が母親代わりにならないと……。少しでも早く、あの子たちの不安や悲しみを取り除けるなら、自分の時間なんて惜しくないわ……」
 こんな状態でも、自分のことよりも他人のことを想う。その姿に胸が締めつけられたネロは、彼女の体を強く抱きしめた。
「キリエ……俺は今のキリエがやっていること、正しいとは思えない」
「え……」
「キリエが自分を犠牲にしてまで他人に優しく接するところは、キリエのいいところではある。だけど、自分を労われないようじゃ他人に本当の優しさを与えるなんて、できないと思う」
「……」
「キリエが今やっていることは、優しさじゃない。ただの自己犠牲だよ……」
「っ……」
「俺はキリエに、自分をもっと大切にしてほしい……」
 彼女の耳元でそう告げたあと、ネロはキリエの体を更に強く抱きしめた。
 キリエの頬に、ひとすじの温かな雫がつたってくる。
その温もりに触れた瞬間、キリエの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「ネロ……ごめん……なさ……い……っぅぅ」
 一番大切な人に、心配ばかりかけてしまった。
 彼の温もりに触れ、そのことを痛いほど実感したキリエ。
 キリエは、それまで堪えてきた悲しみも苦しみも押し寄せるままに、ネロの胸で声を殺して泣き始めた。
 その時、遠目に二人の姿を見た孤児院の院長が、ネロとキリエのそばに慌てた様子で駆け寄ってくる。
 ネロは院長に事情を話し、今日はキリエを連れて帰って休ませる旨を伝えると、彼女の体を抱えながら孤児院を後にした。

***

(あれ……ここは……)
 普段の疲労に加え泣き疲れたキリエは、いつの間にかネロの腕の中で眠っており、目を覚ますと見慣れている天井が目に入った。
(……ネロ、私を運んでくれたのね)
 重い体をゆっくりと起こし、キリエはベッドの上に座る。ちょうどその時、彼女の部屋の扉が開かれた。
「キリエ、おはよう。よく眠れたか?」
「ネロ……。今、何時?」
「十五時くらいだよ。ちょうどおやつの時間だし、これを持ってきたんだ」
 ネロは、プリンが入った器とスプーンをキリエに手渡した。
「このプリン……もしかしてネロが作ったの?」
「ああ。食べやすくて栄養があるデザートっていったら、プリンかなって。その……キリエが寝ている間に作ったんだよ」
 少し気恥ずかしそうにしながら、頬を掻くネロ。そんな彼の仕草を見て、キリエは静かに微笑んだ。
「ありがとう、ネロ……。さっそく、頂くわね」
 キリエはスプーンでプリンをすくうと、口に含んだ。甘くてほろ苦いカラメルの味と、柔らかくて滑らかな食感が彼女の口内に広がる。同時に、ネロの優しさが体中に広がっていくのをキリエは感じた。
「おいしい……」
 キリエはネロの優しさに涙ぐみながら、手に持っているプリンを次々に口の中へと含んでいった。
「ははっ。お口にあって、何よりだよ」
 暫くの間、ネロは自分が作ったプリンをおいしそうに頬張るキリエの姿を、愛おしく見つめていた。


「ふぅ……ごちそうさま。ありがとう、ネロ。本当においしかったわ」
 プリンを平らげたキリエはネロに礼を言ったあと、器とスプーンをベッドサイドのテーブルに置いた。
「そういえばあの子たち、今日のおやつはどうしているかしら……」
 空になった器を見ながら、ポツリと呟くキリエ。そんな彼女の言動に、ネロはため息をつくと苦笑いした。
「まったく……相変わらずだなキリエは。こんな時にでも、子どもたちの心配をして」
「だって、やっぱり気になってしまうもの……。今日はさすがに休むけど、明日からまた孤児院に行かないと……」
「だーめ!キリエはしばらく、働くの禁止!しっかり回復するまで、ゆっくり休むこと!」
「だけど……」
「なあに、心配することはないさ。孤児院の院長にはちゃんと事情を話したし、それに……子どもたちだって、キリエが思っているほど弱くないさ」
 ネロは浮かない顔をしているキリエの頬に、そっと右手を添えた。
「大丈夫だよキリエ。街の復興も、確実に進んでいる。子どもたちのことも、焦らず向き合っていけばいい。キリエがちゃんと元気になれば、また笑顔を取り戻してくれるさ。必ずな」
「ネロ……。うん、そうね……」
 キリエは、優しく微笑みながら自分を見つめてくるネロの瞳を見つめ返すと、彼の右手に自身の左手をそっと重ねる。
 そして、お互い瞼を閉じると、触れるだけの口づけを交わした。
「甘いな……キリエの唇」
「そう?プリン食べたからかな……」
「ははっ。そうかもな」
 ネロはキリエの甘い唇を堪能しようと、彼女にもう一度口づけた。
「あれ?少し苦い……」
 唇を離す瞬間、ほんの少し舌で感じた苦味にネロは首を傾げる。
「苦いのは、カラメルじゃないかしら?」
「ああ……。ちょっと焦がしちゃったからな……」
「でも、私はネロだったら……甘いのも苦いのも好きよ?」
「キリエ、それってどういう意味……?」
「……わかってるくせに」
 二人だけの秘密の会話を交わし微笑み合ったあと、キリエは小さくあくびをした。
「キリエ、眠い?」
「うん……。甘いもの食べたら、眠くなってしまって……」
「そっか。まだ疲れも溜まっているだろうし、もう少し寝ていな。夕食の時間に、また起こしにくるから」
 ネロはキリエの部屋を出ていこうと、扉のほうに体を向けようとする。だがその時、ネロの服をキリエが掴んできた。
「待って、ネロ……」
「?どうした、キリエ……」
「……よければ、一緒に寝ない?ネロも疲れているでしょう。せっかくだから、二人で一緒に……」
 そう言って、頬を赤く染めながらネロのことを見つめるキリエ。ネロは軽く微笑んだあと、彼女が寝ているベッドの中へゆっくり潜り込んできた。
「添い寝がご希望かい?女神様」
 ネロの問いに、キリエは静かに頷く。
「了解。それ以上のことは、また今度な」
 ネロの言葉に、キリエは頬を更に赤く染める。
「もう……!何言ってるのよ……」
「ははっ、冗談だよ。久しぶりにキスできただけで、今は十分だし……」
 ネロの言葉に、キリエは胸の奥がちくりと痛んだ。
(そういえば最後にキスをしたのって、いつだったかしら……)
 知らないうちに、彼に寂しい思いをさせてしまった。そのことに申し訳なさが込み上げてきたキリエは、そっと体を横たえると顔をそむけるように俯いた。
「ごめんね、ネロ……」
「ん?」
「私が無茶したせいで、こんなことになってしまって……」
「いや、俺もさっきはキツく言いすぎたよ。もっと君に優しい言葉をかけてあげられたらよかったのに……」
 ネロは孤児院での彼女との会話を思い出し、罪悪感から唇を噛み締める。
「ううん、いいの。ネロの言うことは正しいから。それに、あなたはとても優しい人よ」
 そう言ってキリエはネロの頬に手を添えると、優しく微笑みかけた。
「……そうか?」
「ええ。誰よりも優しい人よ。あなたの作ったプリンが、その証拠」
「ははっ。なんだそれ」
「甘くてほろ苦い……。それがあなたの、優しさだから……」
 うとうとしながら、ネロにそう伝えるキリエ。
 しばらくすると、静かな寝息がネロの耳に入ってきた。
(……甘くてほろ苦いか。おかしなこと言うなあ、キリエ)
 ネロはクスクスと小さく笑いながらキリエの頭を優しく撫でたあと、眠りに落ちている彼女の唇に口づけた。
(やっぱり甘いな、キリエの唇)
 その甘さに酔いしれながら、彼女の唇にネロは再び口づけた。
(あれ……?やっぱり苦い?……まぁいっか、どっちでも)
 夕食は何を作ろう。デザートにはまた、作ったプリンを食べようか。
 そんなことを考えているうちに、ネロは眠気に誘われていく。
(俺も、キリエだったら甘いのも苦いのも、好きだぜ……)
 そう心の中で呟き、甘くてほろ苦い彼女の唇に口づけをしたあと、ネロは眠りに落ちていった。


 甘さも苦さも分かち合った二人は、少しずつ前に進んでいく。
優しさの、本当の形を知りながら。
 

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