第一章
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お洒落なカフェ。可愛く彩られたスイーツ。楽しげに話す人。目の端に映る青い空の景色。
恋の話で盛り上がる女子達でいっぱいな空間。その中で、名無と友も同じくそれに当てはまる。
______だが今の言葉は、友から放たれた言葉ではないと信じたかった。
「・・・・嘘・・・・・・ですよね・・・・?
・・・・・・それって、本当に最善の方法なんですかっ・・・・?」
「そう。その好きな人に名無ちゃんのありのままの気持ちを伝える。
それがあたしが考えた策だよ。」
なにかの冗談だと言ってほしい。本当に意味を理解した上で言っているのだろうか?
これでは相談した意味もなく、八方塞がりもいいところだ。
名無の脳内はますます混乱していく。このままではいけないはず。
だから告白する?何を?どうやって?
それは兄に今までの気持ちをぶつけるという事。そんな事にならない為に相談したのではなかったのだろうか。
「_____ッそれでは駄目です!!そんなのっ・・・・そんなの何の解決にもなってません!!」
涙ごと振り払うように首を横に振る。思わず立ち上がりそうになるほど興奮していた。
友は名無を見て少し目を細め、俯きがちに語りかける。
「・・・・ごめんね。・・・あたしの頭では、せいぜいこれぐらいしか思いつかなくて・・・・。
どんな事情かは分からないけど・・・・いつかは好きな人が自分の元から離れちゃうって思いながら過ごすの・・・・辛くない・・・・?
だったらね・・・・名無ちゃんが一か八かアタックしてみて、その人が振り向いてくれる可能性に賭けてみたら?って思ったの・・・・。」
「・・・・・っ・・・・。」
「だって・・・名無ちゃん自身どうしたいの?ずっとこのまま?それとも恋人同士になりたい?」
「なっ・・・・・。」
急に何を言い出すのだろうと思い顔を上げる。すると悲しげな顔でどうにか笑って友は問いかけてきた。
こんな表情を見るのは初めてだった。それだけ自分の事を考えてくれている。分かった上で尚答えに詰まってしまう。
「・・・・・なれる訳ないです・・・。私と・・・・恋人だなんて・・・・・。」
「ううん。なれるかどうかじゃない。名無ちゃんの"気持ち"が知りたいの。実現どうこうじゃなく、本当はこうしたいって"本音"の話だよ。」
「・・・・・・_______」
空想や絵空事はあまり好きではない。妄想や想像の類は元からあまり得意でもない。
だからこんな事を考えたって意味がない。有りもしないことなんて。起きもしない非現実な事なんて。
_______分かってはいたけれど、思い描いた事がないと言ったらそれは嘘になる。
頭の隅に追いやって考えようとしなかった。切り捨てようとした夢の欠片。
本当に見る夢ではあんな悪夢しか見ないというのに、僅かながら求めた泡沫の物語が。
「今のままでもいいです・・・。でもっ・・・もしあの人と・・・・。・・・・・本音を・・・・・言うなら・・・・。
一緒に歩みたいって・・・・。ずっと、側にいて・・・・・手、繋いだりっ・・・・。
・・・・なんでもない事で笑い合ったり、時にあの人の・・・・助けになれるようなサポートしたり・・・。」
「・・・・・・。」
「私で・・・・私でよければ・・・!あの人の抱えているものを少しでも楽に出来たらっ・・・・
そんな・・・・。・・・・・そんな風にっ・・・・なれたら、なーって・・・・・。
・・・・思ったり・・・・っ、します・・・。・・・・・ごめ、なさっ・・・・・上手く、言葉にできなくて・・・・・。」
話している内に胸がいっぱいになってしまう。込み上げたものはなんなのか。その感情が自分でも分からない。
罪悪感か。悲壮感か。はたまた言葉に出来た満足感からか。本当に心臓辺りが締め付けられるような痛みすら感じる。
自然と利き手が胸に当てられているのに気付く。そしてその景色も涙で少しぼやけていて、虚しさだけが残った。
「・・・・あたしはね。名無ちゃんの真面目で、一生懸命なところ好きだよ。それに一途なんだろうな、って・・・凄く思うし・・・・。
だから相手がどんな人か知らないけど、悪い様には思われてないんじゃないかな?
向こうも名無ちゃんの事良い子だって思ってるはずだよ。」
「・・・・・それは・・・・そうかも知れませんがっ・・・・。
_______ですが、私は・・・・友さんや、あの人が思う程全然良い子じゃないです・・・・。
浅はかで、迷惑ばかりかけて・・・・・。それでいて、好きになったなんて・・・あの人は困るに決まってますっ・・・!」
自分がどれだけ良い人間を演じてきたか。友の前でも、兄の前でさえも、本音を隠し通そうと今の今まで引っ張ってきた。
この一途な気持ちそのものが汚れている。そんな風に卑屈になる程名無は自分の気持ちを押し殺して生きている。
義理の兄を恋愛感情という目で見てしまうのは、一般的にも家庭からしても、罪なのだから。
「・・・・・・なんで、その人が困るの?」
「えっ・・・・。」
「名無ちゃんとその人、信頼あるんだよね?なのになんで・・・向こうが困るって決めつけてるのさ?
どこまでの関係か分からないけど・・・・仲が良い人から急に告白されたら、そりゃあ驚くぐらいはあるだろうけど・・・。」
「・・・・・あの、ですね・・・・友さん・・・・。
実は私・・・・その人と手を繋いだ事があるんです・・・。
でも、告白して・・・異性と意識して手を繋いでたってバレたら・・・。やっぱり困るし、気持ち悪がられます・・・・よね・・・?」
本当は手を繋ぐよりもっと近付いた事をしているがそれは意地でも黙っておく。
俯く視界の端で、友の飲み物を持つ手がピタリと止まるのが見えた。
そのあとゆっくりと飲み物を置くと、なにか考え込んで急に黙り込んでしまった。
「_____・・・・・・。」
「あ・・・・あの・・・・友さん・・・・?」
「・・・・ちなみに、その手繋いだ経緯は?」
「えっと・・・・・お、お恥ずかしながらっ・・・・。この前の体育祭の・・・ダンスの練習という体で・・・・。」
すると小さな声で「・・・マジか」と呟く。いつもの友とは思えないような真剣な表情で微動だにしない。
流石に引かれるような出来事だったか?言うべきではなかった?などと名無もモヤモヤ考えてしまい溶けて残り少なくなったパフェに手を伸ばす。
そして暫くして。何かを決意したよう友にが顔を上げた。
「・・・・・名無ちゃん。多分なんだけど・・・・・。
・・・相手に好きだって事、もうバレてると思うよ・・・・。」
ドクンッ
と心臓が大きな音を立てて響く。
「・・・・・・え・・・・?」
心の声のようなか細さで、ひとり言のようなポツンとした声で、自然と驚きが言葉に出ていた。
「だって手、繋いだんでしょ?しかもフォークダンスの練習で誘うって相手に絶対バレてるよ!?」
「・・・・いいえ。あの人と私の関係上誘っても不思議じゃないんです。勇気は入りましたけど・・・それでも勘付かれてるとは思えません!」
「名無ちゃん、男の人ってのはたとえ相手が親友だろうが教師と生徒だろうが、常に頭のどっかでは"異性"として意識しちゃう生き物なの。
だから信頼関係があろうがなかろうが同じ。フォークダンスって好きな人と踊るもんでしょ?
向こうもその認識があるなら・・・・薄々でもきっと思ってるはず。『この子は俺に気があるかも知れない』って・・・。」
友の認識はおそらく一般の感覚で言えば正しい。けれど対象を"兄"だと言っていないので余計に話がややこしくなる。
兄と言っても義理。赤の他人である以上、たとえ"義理の妹"でもそんな対象で見れるのだろうか?
義兄がそんな人だとはとても思えなくて。そんな観点で考えた事がないので戸惑ってしまう。
「気、だなんてっ・・・・。あの人は私に優しいですが・・・・そういう意味じゃないような・・・・。」
「・・・・じゃあ逆に、その時の名無ちゃんの事聞くよ・・・。
フォークダンスの練習した時。その人の前で嬉しそうにしたり、どこか緊張する素振りとか見せた?」
「・・・・・っ・・・!!」
心当たりはある。というか、一つ一つの大切な思い出を忘れられるはずもない。
あの時の手の感触。砂利を踏む音。後ろで輝く月の眩しささえ記憶にある。
自分で自分の顔は見れないが、あの時踊ってくれた事が嬉しくて。勘違いされたかも、と思った事が切なくて苦しくて。
________間違いなく、兄もその事に気付かない人ではない。
背筋が下から上へと瞬時に冷たくなる。嫌な予感は、名無の五感も通して的中だと伝達するようだった。
「・・・・・やっぱり顔に出るよね。分かるよ・・・・好きな人の前だと誰だって浮かれちゃう。私だってそうだもん。
だとしたら、相手も気付いてるんじゃないかな・・・・。・・・・もう手遅れかも知んない・・・・。」
「・・・・・・・。」
言葉にならない。否定したかった可能性をこうも引き出されてはどうしようもない。
バレそう、ではなくもう既にバレているかも知れない。
やはりダンスの件も、この前の涙を見せてしまったのも最早決定打になってしまう。
何もかも隠したかった。隠さなければいけない真実があって、それに気付かれないよう尽力してきたつもりだった。
ブラコンだとバレたくない。兄に好きだと気付かれてはいけない。
その相談をしたはずが、結果。全く真逆の答え合わせになってしまった。
「・・・・つまり・・・・。私が、片想いしている事はバレていて・・・・。・・・・私が隠し通したい秘密も、いずれバレるかも・・・・。
そういう・・・・・事ですよね・・・・?」
「・・・・・あくまで私が聞いた限りはね・・・。でも可能性ってだけだし、名無ちゃんが告白してみて変わるかもしれないよ?
さっきも言ったけど名無ちゃんの事悪いようには思ってないはず。手繋いだあとも仲良くしてくれてるなら、尚更じゃない?」
「・・・・・・・。」
名無の頭の中は酷く混乱していた。正直友の話も半分聞いていないくらい色々悩んでいる。
片想い=秘密といっても同義。もう相談するしないよりも後に引けない状況を自分で作ってしまっていた。
大半はああすればよかった、こうすればよかったといった後悔ばかり残る。
けれどそんな事今更考えても問題が解決する訳もない。
どんどんドツボに嵌っていく感覚。考えれば考える程頭は痛いし思考が複雑に絡まっていく。
「_____・・・・・・名無ちゃん、大丈夫・・・・?
ごめんね・・・・考えこませちゃって・・・・。」
「・・・・っいいえ。大丈夫です・・・・。
・・・でも今は、色々考えても仕方なさそうです・・・・。打開策が他に思いつかないです・・・。」
「うん・・・・。あくまでもそっちの問題だし、首突っ込んだあたしが悪いけど・・・。
今すぐ答え出なくてもあとで浮かぶって事もあるかもだし。」
確か友にの言う事も一理ある。とりあえず今は何も結論を急ぐ事はないはず。
次に兄が来ると仮定してもまだ半月以上の余裕がある。
こんなに深刻で長い間抱え続けた問題がすぐ決着するだなんて思えないのだ。
名無は一回頭を左右に振って前を向き直す。
「そうですね・・・・。友さんのおかげで色々周りが見えました。
本当に感謝しています。私一人じゃどうにもならなかったかも知れませんから・・・。」
「ううん、またなんかあったら言ってよ。こんなあたしで良ければいつでも相談乗るよ!
でも余計な事だったり、言い過ぎてると思ったらまた言ってね・・・思い込みで歯止め効かなくなっちゃうとあれだし・・・。」
「大丈夫ですよ。友さんの言葉は正論ですし、第三者からアドバイスを貰えてるだけ私は嬉しいんです。
むしろちょっと感情的になってしまう私の方が・・・迷惑かけてるかと・・・。」
「いやいや!大丈夫だって!それだけ真剣に話してくれてるの分かってるもんっ!
・・・・・きっと、なんとかなるって信じてみようよ。」
「____・・・・・はい。そうですね。」
最後の言葉だけ、少し間を開けて返事した。口元は笑っているが顔は若干俯き気味で。
態度で明るく示そうとはするものの事が重大すぎてダメージの方が大きくなってしまっている。
けれど友に言った事は嘘ではなく本当の気持ちで。結論はどうにもならないが少しでも楽になった気がした。
その後は気晴らしにゲームセンターやウィンドウショッピングをして楽しく過ごせた。
それが上辺なのか本音なのかは自分でも正直分からないところだが。
元々今日は楽しい一日のはずだったのだ。
しかし家に帰って思い出してしまうのはやはり相談の事で。
(・・・・・・・・・お兄様・・・・。
・・・・・私、薫お兄様と・・・・どう向き合えばいいの・・・・・?)
告白だなんて一番避けたい選択肢。けれど自分の想いと、兄の顔を思い浮かべる度に泣きそうになる。
布団に入っても暫く寝付けず。月の光に背を向けて眠りについた。
『______・・・薫おにいさま、どこ行くの・・・?』
『・・・・・・。』
ぼんやりと浮かぶ影。ゆっくり立ち上がるとそれが兄の姿をしていると
何故か舌っ足らずでしか自分の言葉が出てこない。というか、兄の姿がいつもより大きく見える。
『やだ・・・・!またどこか行っちゃうの!?おねがい、行かないで!!』
『ワガママ言うな。・・・・・・もう行くぞ。』
『待っ・・・・待ってぇっ!おにいさまぁ!待ってえ!!』
呆れた表情で見下されて、見慣れた廊下からどこか知らない光の中へとまた消えていく。
その光はどこかの街のように見える。自分の知らない街。知らない兄の姿。
手を伸ばすと自分の手がやたら小さい。そうか、自分は子供だったんだと気付かされる。
そんな子供の足ではいつまで経っても追いつけるはずなどない。
だからひたすらに、叫ぶ事しか出来なかった。
『やだやだやだ・・・・!!おにいさまなんかっ・・・・おにいさまなんか嫌いっ!!
私を置いていっちゃうなんてヒドい!!きらいきらいきらいっ!!だいっっきらい!!!』
「____っっ!!」
急に怒りのような感情が込み上げてきてガバッと布団から飛び起きる。
名無は冷や汗をかいていて、突然飛び起きたからか心臓もバクバクと嫌な程鳴っていた。
外はまだ暗い。夢だったと知っても尚収まらない。こんなケースで起きるのはなかなかない事だった。
「・・・・・っやめて・・・・。私が・・・・お兄様の事嫌いな訳ないじゃない・・・・!!」
夢の感情と裏腹な心に戸惑う。首を横に振って必死に否定する。
自分の罪悪感と過去の記憶がとても嫌な形で混ざり合い具現化されている。
夢の中というのは愛されたい・甘えたい・素直になれないなどの気持ちが誰に向けたものかなんて関係ない。
親であれ、義理の兄でさえ、感情を抑えに抑えた結果見るのは悪夢でしかなかった。
「っは・・・・はあっ・・・。やっと、おさまった・・・・。
・・・・・・私・・・・ほんっとワガママだよね・・・・。こんな夢まで見て・・・・。
大好きって・・・・迷惑、だよねっ・・・・・お兄様・・・・・?」
誰もいない部屋でポツリと小さな独り言が落ちる。自分に対話するように、自分の心に問いかけるように俯く。
友にいくら『迷惑じゃないはず』と言われようとも、とてもそんな風には思えなくて。
現実では優しい兄があんな夢のような言葉をぶつけてくるはずない。理解しているはずなのに、今は上手く飲み込めない。
「・・・・・・・ごめんなさい・・・・・薫お兄様っ・・・・。
私・・・・・・・・・。もう、"決めても"いいですか・・・・・・・?」
月の明かりに目を向けて。涙ぐむ瞳で見上げた。
ここでの月は直接見ると少しだけ眩しかった。
そんな眩しい月は、次第に雲に覆われて見えなくなってしまった_______
キーン コーン カーン コーン...
暫く経ってのある日。休憩時間、名無は窓際に立ってぼんやりと外を眺めていた。
外の景色というより真正面。空を見るでもなくグラウンドを見下ろすでもない真っ直ぐな視点で。
窓枠に両手を置いて、少しでも身を乗り出せば飛び降りてしまえる。どこか虚ろな放心状態に近かった。
「・・・・名無ちゃん・・・・?」
見かねた友が心配そうにそっと隣に来る。顔を覗き込んでみるが表情に変化はない。
「・・・・・友さん。・・・・聞いてくれますか?
・・・・・私、決めたんです・・・・。自分が今どうしたいのか・・・・。」
穏やかな風に吹かれて友の方を向いた名無の顔は微笑んでいた。
その言葉に相談の事を思い出し、真剣に話を聞いてみる。
「あのですね・・・・・______」
「_____・・・ちょっと待って・・・・。それでいいの?本当に!?」
「私がそうしたいんです。・・・・もう決めた事です・・・。」
「・・・・・。・・・・・何言っても、結局私は部外者だからよく分からないけど・・・
"それで後悔しない"んだね?」
「ええ。・・・しません。」
名無が笑顔で答えるものだから友の方が逆に狼狽えてしまう。
名無の決断は正しいのかどうか。これは流石に本人にしか分からない。
「・・・私のアドバイス、役に立てたかな・・・?
・・・・本当に、名無ちゃんが後悔しない道に・・・進ませてあげられたのかな・・・・?」
「・・・・友さんのおかげで結論が出たんです。だから、凄く感謝していますよ。
・・・・・・きっと・・・・貴方のような人を親友と呼ぶんでしょうね・・・・。」
「・・・親友・・・・か・・・・・。私もそう思ってる。
これからもずっとだよ。どんな事があったって・・・・絶対変わらないから!」
名無は頷いて、穏やかに笑った。さっきの虚ろな顔ではなく本当に笑顔で。
友もそれを見て微笑み返す。名無の決断がどうであれ、この二人の笑顔は本物だった。
まるで迷いを振り払うように。悩みなどなかったかのように。
二人して、同じように笑えたのだと。
それから数週間後。
学校から帰った名無に世話役が話しかける。
「お帰りなさいませ。・・・今、薫坊ちゃまが来られてますよ。」
「ええ、そうでしょうね・・・・。玄関の大きな靴が目に入ったもの。」
「・・・・・・・・・・・名無様・・・・。あの・・・・。」
とりあえず荷物を置きに自室に戻ろうとすると、世話役の様子が少しおかしい。
何か言いたげな様子。けれど息詰まったような表情で下を向いたまま顔を上げようとしない。
「・・・どうしたの?何かあったの・・・?」
「・・・・いいえ。何でもありません。忘れてください・・・・・。」
少し首を横に振って、そのまま逆方向へと消えていってしまった。
なんの事だかさっぱり分からないが大事な用ならすぐにでも言うはず。
と、あまり気にしていなかった。
「______でさあ、そん時のアイツの顔ったらよォ!」
「わっははは!!傑作だなこりゃ!!はははは!!」
大広間からガヤガヤと声が聞こえる。普段ならガランとしていて静かだが、兄が来る日は違う。
事務所にいる組員の何人かも連れてきているので騒がしいとすぐ分かる。
そこには大抵、兄も一緒にいる事が多い。
「_____・・・お兄様。」
「あっ、お嬢様!?ご、ご無沙汰しておりますッッ!!!」
「・・・・・・・。」
声をかけると皆一斉にこちらを向く。この感じがどうも苦手で、いつもなら絶対話しかけないのだが。
「・・・あとで少しだけ、お話したい事があります。
すぐ済みますのであとで私の部屋にいらしてください。・・・・・失礼します。」
何も言わないのを横目に軽く礼をして自室へと戻る。
表面上はクールに接しては見たが名無の心臓は早まっていた。
・・・・言わなくては。決断の時。もう後戻りは出来ないのだから。
「・・・・ふう。」
静かに深呼吸して気持ちを落ち着かせようとする。
制服から着替えたし、あとは来るのを待つだけ。
すると程なくして足音と共に襖の向こうに大きな影が映る。
「・・・・どうぞ、入ってください。」
ガラッ
やはり入ってきたのは兄。先程と表情は何も変わらない。
まだ夜ではないが名無がここに呼び出した理由。それは"決意を伝える為"だった。
後ろ手で襖を閉めたのを確認し、静かに切り出した。
「・・・・・・お兄様・・・・あのねっ・・・。言いたい事があるの・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「私・・・・暫く、お兄様とは夜会わないようにしたいの・・・!」
「・・・・!」
僅かだが兄が驚いたように目を見開いた。
名無の決断は"兄とは暫く距離を置くこと"。
名無は気まずそうに目をそらしてからどうにか言葉を紡ごうとする。
「・・・・お兄様と会いたくない訳じゃないの・・・・。
ただ、これからはもっと将来の事を考える時間を増やしたくて・・・・。
・・・・・私も・・・色々悩む時期だから・・・・。」
俯きがちな瞳に少し光が反射する。
______本当はそんな訳ない。悩む事はあるが、自分や相手がこれ以上苦しまない為の策だった。
恋心という呪いのような感情に振り回されて、兄を困らせてしまうくらいなら。自分から道を閉ざしてしまえばいい。
たとえ兄がこの気持ちに気付いていようとも"将来の為"という万能な言い訳がカバーしてくれる。
これは"名無の気持ちの問題"で。決して兄を巻き込みたくはない。苦渋の決断だった。
「・・・・・
________だが今夜だけは別だ。」
「・・・・えっ・・・!?」
そう言って前を向いた時、既に兄は襖を開けて歩きだしていた。
「あ、ちょっ・・・・お兄様っ!?」
慌てて追いかけようとしたがチラッとこちらを振り返っただけでまた普通に部屋へ戻ってしまった。
その眼差しが何を意味するのか分からないまま。
てっきりもう今日から一人だと決め込んでいた為に心の準備が出来ていない。
(今夜って・・・・一体何を話せばいいの・・・?・・・・私、もうお兄様に話す事なんてない・・・・。
さっきの事でも追求されるのかなっ・・・・。分からない・・・・。誤魔化すのなんてあれっきりだと思ったのに・・・・。)
先程の言葉が嘘だと見破られたからなのか。けれどなんだかそんな風にはあまり思えなくて。
ただ単に名残惜しいだけだと良いのだが、演技を続けられる程今は精神的余裕がない。
どういう意味でかドキリドキリと鳴り続ける胸にそっと手を当てていた。
「・・・・・・。」
夜。今は真冬なので特にこの時間帯は冷える。
あれから気が気でなかったので、用事を早々と済ませてさっさと自室に戻っていた。
その道中にまだ兄の姿はない。好都合だと思いとにかく部屋で待つ事にする。
先月までは縁側でも喋れたが息が白くなりそうな今日はとても外には居られない。
だから自室で本を開いてじっと待つ。その本が読めているかどうかはまた別として。
「・・・・・・名無。」
「・・・・入って。今日は寒いから、中で話そうと思って・・・。」
静かに来た大きな影が部屋の前で立ち止まる。戸を開けると外のひやりとした空気が一瞬部屋へ入ってくる。
名無は本を閉じて正座で向かい合う。といっても相手は正座ではなく胡座で楽な姿勢だが。
兄はポツリと、静かに言った。
「・・・・・・女中からもう聞いたのか・・・?」
「・・・・え・・・・?」
独り言のような声量で言うので一瞬なにを言ったか分からなかったが。
女中から聞いた?とは一体なんの話なのか。
てっきり兄の口から出るのは自分に関する事で、離れる理由でも追求されるものとばかり思っていたが。
「なに・・・一体なんのこと・・・?私、何も聞いてないけど・・・・。」
「・・・・・・・・・・話して、ねェのか・・・・・・。木崎も・・・・・・。」
すると少し驚いたようで目を見開く。夕方自分がした時のように少し俯きがちに呟いた。
そこで名無が思い出したのは帰宅時の事。・・・・そういえば女中が何か言いかけていた気がする。
あの時は大したことないと切り捨てていたが、何か重大なことだったのだろうかと。
「・・・・誰も言ってねェなら俺から言う。
・・・・・名無。『苗字』という名前、心当たりあるか?」
「・・・・・『苗字』・・・・・?・・・・・いいえ。何も・・・・。」
「・・・・・事務所に、ある日中年の女が訪ねてきた。ヤクザの事務所に、何度もだ。
あまりにしつこいんで話を聞くとだ。『捨てた子供がこっちで世話になってるかも』と抜かしやがる。」
急に背筋が寒くなった。なんだか聞きたくない話な気がする。
そしてこの話は、自分に関係のない話であってほしい。急にそう感じた。
「・・・調べてみるとそいつは・・・・。名無の姿に、どっかで自分の子供の面影があると言いやがった。」
「待っ・・・・て・・・・。それって・・・・・。」
「・・・・・・・多分だが・・・・・そいつは"お前の母親"かも知れねェ。
最近になると父親まで連れてきて、事務所に来やがるんだ。『名無と話がしたい』ってな・・・・・。」
「____っ!?」
嫌だ。嘘だ。信じられるものか。
頭が理解しようとするのを拒否している。体は冷え切って、冬なのに変な汗が出てくる。
親だとか、捨て子だとか、もう嫌という程自分の中で繰り返した言葉がここで一気に押し寄せてくる。
感情が波になって襲いかかってくる。ただ首を横に振る事しか出来ない。
「・・・・・・。・・・・・そいつ等としては、名無ともう一度やり直してェとか・・・・都合の良い言葉ばかり並べやがる・・・・。
だが木崎や組の何人かは、調べるうちに
「何、をっ・・・・。今更・・・・そんなっ・・・・。」
「・・・・・言いてェ事があるなら・・・・俺から伝えとくが・・・・。」
暫く兄と離れると決意した瞬間に、それどころではない事態が押し寄せる。
これでは暫くどころか、もう会えないかも知れない。否。それよりもこの組との縁はどうなる?
本当にそれは親なのか?血の繋がりの確証は?仮にそうだとして会って何をしろと言う?
頭に渦巻く疑問をそのままぶつけてしまいたい。けれど口を開こうとすると冷ややかな空気が口の中に入って喉を乾かせる。
「・・・・っ・・・・!!い、やっ・・・・・嫌ぁっ・・・!!」
この感情が怒りなのか悲しみなのかさえ分からない。
けれどやっぱり言葉には出来なくて。信じたくないと首を振って、溢れる涙が床へと次々落ちていくだけ。
「そんなの・・・・どうして・・・・・!なんで・・・・・ッ!!」
「名無・・・・・・・・俺は・・・・・・。」
「いやっ!!もう聞きたくないっ・・・・・もう、これ以上・・・・!!私・・・・!!」
耐えられない、と言葉にしようとした。もうたくさんだと。
感情と想いと嘆きで押しつぶされそうになっていく。
そんな時。
「・・・・・!!」
気がつくと兄に、強く抱き締められていて。
「________・・・行くな・・・・。」
耳元で囁くような低い声で、名無の涙が止まった。
Next...