巻き(幸福)、蒔き(木:誠実さ)、槇(色褪せぬ恋)――甘く、まいて
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世界が激動の二年間を乗り越え、ようやく平和の萌芽が根付き始めた頃。
かつて死線を潜り抜けた二人の少年…今はファブレ公爵家の令息にして、
若き子爵となったルークとアッシュは、山積みにされた書類の山と格闘していた。
「あー、もう、かったりぃ…っ! なんで俺がこんな数字の羅列と睨み合わなきゃいけないんだよ」
「うるせぇ。文句言う暇があったら手を動かせ。…おい、ここの予算報告、桁が一個間違ってるぞ。書き直せ」
「げっ、マジかよ……。アッシュ、お前よく見てんなぁ」
ジェイドとディスト――かつての宿敵同士が奇跡的な共同戦線を張り、
フォニムの異常振動を克服するためのレプリカ研究は飛躍的に進歩した。
その恩恵を受け、二人は今、同じ屋根の下で「兄弟」として、当たり前の明日を過ごしている。
時に親善大使としてマルクトの空を飛び、時に領地運営の重圧に文句を垂れる。
それは、かつて「自分はレプリカだ」と絶望していた頃には想像もできなかった、
あまりにも泥臭くて、けれど何よりも眩しい日常だった。
「…そういやアッシュ。ナタリアとはどうなんだよ。先月のバレンタイン、山ほど貰ってただろ、あいつから」
ペンを止めたルークの唐突な振りに、アッシュの背中が目に見えて跳ねた。
「ぐっ…! て、てめぇこそ、あいつ(ヒロイン)から貰ってただろーが! 溶けそうな顔して食いやがって!」
「へへっ、美味かったからさ。…で、今月の『お返し』、どうすんのかなって思って。アッシュはもう決めたのか?」
「知るか! てめぇで考えろ!!」
アッシュは顔を真っ赤にして怒鳴るが、
その視線は机の引き出しにある「宝石商のカタログ」にちらりと泳いでいる。
「冷てぇなぁ。一人で母上の分も用意するの、結構大変なんだぞ。アッシュは母上にやらない気か?」
「う……うるせぇ! 誰がそんなこと言った! ……シュザンヌ様には、もう、手配してあるっ」
「おっ、流石アッシュ。気が利くなぁ」
「黙れ! さっさと仕事終わらせろ、てめぇは!」
ルークは「はぁ~あ」とわざとらしく大きなため息をついた。
「あーあ、今ここにガイがいればなぁ。
女性の扱いについては完璧に相談に乗ってくれただろうに。
……今頃あいつも、屋敷で女性奉公人たちのお返しに追われて、真っ青になってんのかな」
窓の外には、二年前とは違う穏やかな光が注いでいる。
罵り合いながらも、二人のペンは止まらない。
愛する人へ贈るためのプレゼント代を、そして彼女たちが笑って暮らせる未来を、
自分たちの手で守り抜くために。
「よし、終わった! 終わらせたぞアッシュ! 今から街に行ってくる!」
「待ちやがれ! 俺も行く! ……ついでだ、母上の分の花も選ばせてやる」
ドタバタと廊下へ飛び出していく足音。
ファブレ邸の静かな午後は、二人の「ルーク」の元気な喧嘩声によって、今日も賑やかに彩られていく。
活気あふれるバチカルの街角。高級食材店の一角で、
若き子爵ルーク・フォン・ファブレは、命懸けの決闘に挑むような険しい顔で棚を睨みつけていた。
「うーん、どうしよう。あいつの喜びそうなもの…。あいつ、美味そうに食うからなぁ」
唸り声を上げる青年の背後に、音もなく影が忍び寄る銭ゲバ。
「るーぅーく!!!」
「うわぁ!!!」
バシン! と豪快な音を立てて背中を叩かれ、ルークはあやうく目の前のクッキー缶をなぎ倒すところだった。
慌てて振り返れば、そこにはくるんと髪をなびかせ、計算高い……、
もとい、愛らしい笑みを浮かべた少女が立っていた。
「あ、アニス!!? な、なんでお前がここに……」
「えへへ~、久しぶりぃ~! ローレライ教団の使いでバチカルに来たんだよ。
そしたら、不審な挙動で棚を凝視してるルークが見えたからさ」
「不審って言うな……!」
「でさでさ、なんでルーク様が『お菓子コーナー』に一人で居るのかなぁ~?」
アニスは獲物を見つけた肉食獣のような瞳で、ルークと棚を交互に見つめる。
やがて、彼女の頭上で見えない電球がピカリと光った。ニヤリ。
「ははぁ~ん? アニスちゃん、閃いちゃった! ルーク、お返しの品に悩んでたんだ~?」
「うぅっ…!そうだよ、悪いかよ。あいつ、せっかく一生懸命作ってくれたのに、適当なもん返したくねーんだよ」
そっぽを向いて赤くなるルークに、アニスは「うーん」とあごに手を当てた。
「そんなこと言ってないでしょ~? だったらさ、ルーク。思い切って『手作り』に挑戦してみない?」
「て、手作り!? 無理無理無理! 俺、菓子作るのは苦手なんだぞだぞ!?
旅の頃、お前も知ってるだろーが!」
「そんなこと言わないの! 私がちゃーんと監修してあげるからさ。
それにさ……贈るお菓子にはそれぞれ『意味』があるんだよ?」
「意味……?」
「そう! クッキーは『友達』、マシュマロは『嫌い』、マカロンは『特別な人』……とかね。
女の子はそういうの詳しいんだから。最悪なの贈って嫌われたくないでしょ?」
「き、嫌われるのは……嫌だ」
ガシッ、とルークの肩を掴んだアニスが、悪魔の…いや、恋のキューピッドの囁きを耳元に届けた。
「じゃあルーク、耳貸して。どの意味で贈りたいか、ちゃんと選んでよ?」
ごにょごにょ、と吹き込まれる「お菓子の花言葉」ならぬ「スイーツ言葉」。
『大好き』『ずっと一緒にいたい』『あなたは私にとって特別な存在』……。
聴いていくうちに、ルークの顔は見る間に沸騰し、耳まで真っ赤に染まっていく。
「そ、そそそ、そんなの……言えるかぁ! 恥ずかしすぎるだろ!!」
「うふふ、照れちゃって~。でも、女の子はそういうストレートなのが一番嬉しいんだよ?
手作りの『意味あり』お菓子……これ、最強!」
「……本当に、喜んでくれるか?」
「アニスちゃんの鑑定眼に狂いなし! 断言する、おっ任せ☆」
――そして悩みに悩んでルークが選んだお菓子は…。
「…よし。これなら、俺にも…。意味も、あいつにぴったりだ」
「坊ちゃま…! 包丁など、ましてや火など、万が一お怪我をなされてはファブレ公爵家に顔向けできません!」
「うるせーラムダス! これは、これは……男の決闘なんだよ! 邪魔すんな!」
ルークのゴリ押しに、百戦錬磨の執事ラムダスも最後には折れるしかなかった。
バチカル広しといえど、子爵自らが厨房に立ち、
教団の奏官(アニス)を監督に据えるなどという前代未聞の事態に、
料理人たちは隅っこで震えながら見守っている。
アニスには、食材店で材料を選んでもらった。
失敗してもいいように、かなり多めに買い足したつもりだ。
「ふんふんふ~ん♪あ、ついでにアッシュも呼んで来たら?」
「なんでだよ」
「どーせ一人で悩んでるんでしょ。ルークにそっくりだもん。アッシュ」
「それ言うな!」
ルークはぶすくれて一度、厨房から出て行った。
その間にアニスはざっと見まわして、さすが貴族の厨房…!と感心した。
すると、2人のうるさい声が近づいてきた。あー予想通りでアニスは笑う。
「いいか、ルーク。俺は一秒でも早くここから立ち去りたい。てめぇの遊びに付き合う義理は…」
「逃げるなよアッシュ!ナタリアに、また今年も、
『あーあ、アッシュは私のために選んでもくれなかったんですのね』って、
あのトーンで言われたいのかよ!」
「ぐっ……! それは……」
図星だった。あの王女様の「悲しげな微笑み」の破壊力を知っているアッシュが怯んだ隙に、
アニスが手近なボウルを二人の頭にスコーンと叩き込んだ。
「あだっ!!」
「…っ!? 貴様、奏官の分際で…!」
ガランガランと音がし、しーんと静寂が訪れる。
「はいはーい、そこまで! 兄弟喧嘩は終わった? お菓子はとっても繊細で、
作り手の『イライラ』が全部味に出ちゃうんだからね。
そんなの贈ってナタリア様とあの子を不幸せにしたいの? え? どっち?」
アニスの黒い微笑みに、二人の「英雄」は蛇に睨まれたカエルのように硬直した。
かかあ天下がここに居る…!こと料理でアニスを怒らせてはいけない。
それは旅をしていた時に知っている。
「…わかったよ。やればいいんだろ、やれば」
「…チッ。教団の教育はどうなっているんだ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、二人は不格好にエプロンの紐を結び合った。
背中の高いアッシュが、ルークに紐を引っ張られて「苦しいぞ、バカ!」と喚いている。
厨房に充満する、甘く香ばしいバターの香りと、焦げ付くような殺気。
ルークとアッシュは、もはや戦場でも見せないような必死の形相で、
心臓の鼓動を刻むように生地を焼き続けていた。
「だああああ! やってられっか!! なんで焼いても焼いても終わらねぇんだ、これ!」
アッシュが火床の前で叫ぶ。
バウムクーヘン――それは「芯」に生地を薄く塗り、焼いては塗り、焼いては塗りを繰り返す、忍耐の結晶だ。
「アッシュ~、根を上げるの早すぎ。ルークを見習いなさいよ」
「…だけど、お菓子作りがこんなに大変だなんて思わなかった。腕がパンパンだぜ」
「ルークがこれ(バウムクーヘン)を選んだのは、特に根気と繊細さがモノを言うからね。
愛が試されてるんだよ、愛が!」
「てめぇ、よりによって何でこんな面倒なものを選びやがった!!」
アッシュの怒声に、ルークはひたすら集中したまま、慎重に芯を回す。
「…だって、これだろ? ナタリアも、あいつも…これから俺たちと過ごす時間が、
この層みたいにずっと積み重なっていくんだ。一番いいじゃんか、これ」
「くっ…! …チッ、理屈をこねやがって」
ナタリアとの「未来」を暗に突きつけられ、アッシュは毒気を抜かれたように黙り込んだ。
彼は乱暴に小麦粉を払うと、ルークよりもさらに几帳面な手つきで生地を塗り始めた。
「お、ルーク、だいぶ上手になってるよ! アッシュもさっきよりマシ。
……ふふ、二人ともいい『層』になってるじゃん」
アニスが満足げにエールを送る。数時間後。
厨房は小麦粉とシュガーパウダーで真っ白、英雄二人の顔も泥遊びをした子供のように汚れていたが、
そこには黄金色の立派な年輪が二本、誇らしげに鎮座していた。
「うん! これなら合格。やるじゃん二人とも、アニスちゃん感動しちゃった!」
「……フン、それで、どうするんだこれ。このまま突き出すわけにもいかんだろう」
「決まってるじゃん! 可愛くラッピングするの☆」
「なっ! 俺はそこまで付き合いきれねぇ! これを持って帰るだけで十分だろうが!」
「あーあ、いいのかなぁ? ナタリア様、こういう『特別感』が一番楽しみなのになぁ~?」
「てめぇ……俺で遊んでんじゃねぇだろうな?」
「えへ。そんなこと(あるに決まってるじゃん)」
アニスがカバンから取り出したのは、パステルカラーの箱と色とりどりのリボンだ。
「んー、アッシュは緑の箱に銀のリボンかな。瞳の色とお揃いで、
絶対ナタリア様が『アッシュのセンス、素敵ですわ!』って喜ぶよ」
「…フン。おい、…包み方を教えろ」
「はいはーい♪ あ、ルークはピンクが似合うな~。なんか、初々しくて可愛いし!」
「えっ!? ぴ、ピンク……? 俺、そんなガラじゃねーって!」
「くくっ…お似合いだぜ、ルーク?」
「笑うなアッシュ!!」
完成したのは、世界に二つとない「子爵兄弟特製・重なる幸せのバウムクーヘン」。
アニスは「それじゃ、健闘を祈る!」と、獲物を仕留めたハンターのような……いや、
仲間の幸せを願う少女らしいグッドラックを言い残し、嵐のように去っていった。
夕暮れの厨房に、不器用ながらも美しく包まれた二つの箱が残る。
ルークはピンクの箱を抱え、少しだけ照れくさそうに笑った。
「…アッシュ。俺、行ってくるわ」
「…ああ。俺もだ。てめぇ、ナタリアに変なこと吹き込むんじゃねぇぞ」
二人の足取りは、先ほどまでの疲れを感じさせないほどに軽やかだった。