巻き(幸福)、蒔き(木:誠実さ)、槇(色褪せぬ恋)――甘く、まいて
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エルドラントでの激戦から二年。
タタル渓谷を吹き抜ける風は、あの日と変わらず第七音素(セブンスフォニム)の残響を孕んで震えていた。
ルークの成人の儀。
集まった仲間たちが、二年前の「約束」と、今も帰らぬ二人への想いを噛みしめる中、
ティアの唇から清廉な『大讃歌』が零れ落ちる。
歌が終わる。静寂が訪れたその瞬間、陽炎の向こうから二つの人影が重なるようにして現れた。
「…ただいま。心配かけて、ごめん。…ありがとう」
それは、紛れもないルークとアッシュの帰還であった。
奇跡を目の当たりにした仲間たちの歓喜が渓谷に響き渡る。
だが、再会の抱擁を交わす輪の中で、ルークだけが何かに気づいたように視線を彷徨わせた。
「…あれ? …なあ、あの子は?あの子はどうしたんだ?」
その問いが投げかけられた瞬間、弾んでいた空気は急速に凍りついた。
ガイは視線を逸らし、アニスは縋るようにナタリアの袖を握る。
「……まだ、戻っておられません」
沈黙を破ったのはジェイドだった。
その声には、冷徹な分析官としての響きよりも、隠しきれない無力感が滲んでいる。
「…いえ。おそらく我々の知る理(ことわり)の外――。
ローレライの意志すら届かぬ異世界へ、還られたのでしょう」
その言葉の意味を、ルークは拒絶するように首を振った。
二人が戻るための「路」を作るために、彼女が何を代償にしたのか。
身体を構成するフォニムごと、その存在を消滅させた事実が胸を突き上げる。
「嫌だ……。俺は、諦めたくない!」
ルークの叫びは、渓谷の岩肌に虚しく反響した。
彼女へ寄せる想いが、胸の奥で鋭い痛みとなって暴れている。
「ティア、もう一度だ。もう一度だけ、大讃歌を歌ってくれ!」
「……ちっ」
隣で苦々しく舌打ちをしたアッシュも、今回ばかりはルークを「クズ」と罵ることはしなかった。
その拳は白くなるほど握りしめられている。
自分たちが今こうして「二人」で立っていられるのは、
彼女がその身を削ってフォニムの均衡を保ったからだと、誰よりも理解していたからだ。
「なあアッシュ、頼む…。一緒にローレライとユリアに祈ってくれ。二人で呼べば、きっと…!」
ルークの切実な瞳を真正面から受け止め、アッシュはふいと顔を背けた。
「…一度だけだ。二度とは付き合わんぞ」
「ああ! …ありがとう。ティア、お願いだ。俺たちの声を、彼女に…!」
ティアは深く頷き、再びその唇を開いた。
かつて世界を救った歌が、今度はたった一人の少女を繋ぎ止めるための祈りとして、空へと溶けていく。
ティアの歌声が渓谷の岩肌に共鳴し、粒子となった音素(フォニム)が夜の帳を白く染めていく。
ルークは瞳を閉じ、その旋律の奔流に己の意識を委ねた。
―――トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ
(なぁ。この歌が聴こえてるか?)
クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レィ ネゥ リュオ ズェ
(俺、今アッシュと祈ってるんだぜ?)
脳裏に浮かぶのは、異世界の果てで自分たちの背中を押し、光の中に消えていった彼女の背中。
ヴァ レィ ズェ トゥエ ネゥ トゥエ リュオ トゥエ クロア
(俺の声、届いているなら応えてほしい)
リュオ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ ズェ レィ
(お前のおかげで、俺は変われた。自分を「出来損ない」だと蔑んで、
命を投げ出すのが償いだと思ってた俺を……お前が繋ぎ止めてくれたんだ)
ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ズェ レィ
(最後の地で、命を諦めようとした。でもお前は俺よりも前にすでに決めていて――)
隣で祈るアッシュの気配が、激しく震えている。
一人の人間として並び立つ奇跡と引き換えに、彼女を失った喪失感。
クロア リュオ クロア ネゥ トゥエ レィ クロア リュオ ズェ レィ ヴァ
(俺とアッシュを止めた。代わりにお前が。やっぱ、お前がいなきゃ俺は――)
レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ―――……
(お前を犠牲にして手に入れた「明日」なんて、俺には重すぎる。
独りで生きていくなんて、そんなの……無理なんだよ!)
その時、天を裂くような眩い閃光がタタル渓谷を貫いた。
流れ星ではない。それは、次元の壁を越えて溢れ出した純白のフォニムの輝き。
――レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ…
(ルーくん。みんな。…あいたい…)
「……っ!!」
耳元で囁かれたような、愛おしい声。ルークの目が見開かれる。
光の渦の向こう側、淡く発光する第七音素の吹雪の中に、一際濃い影が揺れていた。
彼女もまた、向こう側の世界で歌っていたのだ。帰りたいという、ただ一つの純粋な願いを込めて。
ルークは弾かれたように駆け出した。
足元の岩場も、止める仲間の声も耳に入らない。
舞い散る白い花弁と、夜風に踊る彼女の黒髪。
光の粒子が実体を結び、温かな「体温」を伴って世界に再構築されていく。
「――おかえり、なさい。……ただいま……!」
泣き笑いの表情を浮かべ、今まさに崩れ落ちそうになった彼女の身体を、
ルークは壊れ物を扱うように、けれど二度と離さないという意志を込めて、力強く抱き寄せた。
「ばっかやろう…っ! 心配、したんだぞ…!どれだけ、待ったと思ってんだ…!!」
胸の中に収まる、確かな重み。生存を証明する心臓の鼓動。
ルークの肩に顔を埋め、彼女もまた細い腕で彼を抱き返した。
「…うん。…ごめんね。でも、やっと…触れた…」
後から追いついたアッシュが、苦々しげに、けれど安堵を隠しきれない様子で鼻を鳴らす。
仲間たちの温かな「おかえり」の声が、祝福の鐘のように渓谷に鳴り響いた。
一度は死を覚悟した者同士。
ローレライとユリアが繋いだのは、ただの命ではない。
二度と解けない、魂の絆だ。
ルークは彼女を抱きしめる腕に力を込め、その愛おしい温もりを、
決して消えぬ刻印のように胸に刻みつけた。
アッシュは、立ち尽くすナタリアの前に無骨な足取りで歩み寄る。
「……ただいま。待たせたな、ナタリア」
短く、ぶっきらぼうな一言。
だがその声は、かつての刺々しさが削げ落ち、一人の男としての静かな響きを湛えていた。
ナタリアの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
彼女は王女としての虚飾を脱ぎ捨て、愛しい男の胸へと真っ直ぐに飛び込んだ。
「…遅い…遅すぎますわ、アッシュ…!私、信じて…信じて待っておりましたのよ!」
その呼び名に、アッシュの肩が一瞬、微かに跳ねた。
かつて彼が「奪われた」と呪い、執着した『ルーク(聖なる光)』の名。
けれど今、目の前の女性は、その名ではなく。
彼が彼自身として歩んできた証である『アッシュ(灰)』の名を、何よりも愛おしそうに呼んでいる。
「……フン、相変わらず泣き虫だな」
アッシュは少しだけ困ったように眉を下げ、けれど力強く、ナタリアの背中に腕を回した。
ルークの名は、あそこで笑っている「あいつ」のものだ。
俺は俺として、ナタリアの隣に立つ。
その覚悟が、彼女の温もりを通じて、アッシュの胸に確かな誇りとして刻まれていく。
「さあ、いつまで泣いている。……帰るぞ、バチカルへ。俺たちの家に」
「…はい…はいっ、アッシュ!」
その光景を少し離れた場所で見守っていたルークは、自分の名を呼ぶ主人公の手をギュッと握りしめた。
「…アッシュの奴、いい顔してんな」
「うん。……ルーくんも、すごくいい顔してるよ」
二人のルークが、それぞれの「個」を見出してくれる最愛の人の隣で、
ようやく本当の意味で「自分」になれた瞬間だった。
祝宴の火が穏やかな種火になる頃、ルークとアッシュは少しだけ輪を離れ、夜の風に当たっていた。
かつては剣を交え、憎しみすらぶつけ合った二人が、今は肩を並べて同じ月を見上げている。
「……なぁ、アッシュ」
「なんだ」
「ありがとな。お前が一緒に祈ってくれたから、あいつ……戻ってこれたんだと思う」
ルークが照れくさそうに頭をかくと、アッシュは「ふん」と鼻を鳴らして視線を逸らした。
「……勘違いするな。俺は、俺たちのために犠牲になろうとした、
あの女が気に入らなかっただけだ。礼を言われる筋合いはない」
その言葉の裏にある「俺も彼女に救われた」という不器用な肯定を、ルークは笑って受け流した。
翌朝。一行はそれぞれの想いを胸に、バチカルへと続く道を進む。
先頭を行くのは、ナタリアの隣で堂々と歩くアッシュだ。彼はもう顔を隠す必要もない。
ファブレ公爵家の「アッシュ」として、失われた十数年を取り戻すかのような力強い足取りだった。
その後ろを、ルークと彼女が手を繋いで歩く。
かつてルークが歩いたこの道は、スコアに怯え、自分が偽物であることに絶望した道だった。
けれど今は違う。
「見てくれよ、あのアスターの花。アッシュとナタリアが好きな花なんだ」
ルークが指差す先、風に揺れる花々は、誰のものでもない「今」を謳歌している。
「おい、何をぼさっとしている! 置いていくぞ、ルーク!」
前を行くアッシュが振り返り、あえて大きな声でその名を呼んだ。
ルークは一瞬驚いたように目を丸くし、それから最高の笑顔で応えた。
「わかってるよ、アッシュ! 今行くって!」
アッシュ(灰)の中から生まれ変わった聖なる光(ルーク)と、
かつて光であった場所から己の道を見出した灰(アッシュ)。
二人の足跡が、オールドラントの大地を力強く踏みしめていく。
その傍らには、もう二度と離れないと誓った彼女の温もりと、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。