巻き(幸福)、蒔き(木:誠実さ)、槇(色褪せぬ恋)――甘く、まいて
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バチカルから遠く離れた、静かな学び舎の片隅。
ダアトの喧騒を離れたその場所で、導師イオンは届いたばかりの手紙を広げ、
春の陽だまりのような微笑みを浮かべていた。
「ふふっ。ルークもアッシュも、元気にやっているようですね。
……ホワイトデーに、二人でバウムクーヘンを焼いたそうですよ」
その穏やかな声を鼻で笑い飛ばす影があった。
壁に背を預け、退屈そうに仮面の縁をいじっていたシンクだ。
彼は横から不躾に手紙を覗き込むと、吐き捨てるように言った。
「…反吐が出るな。あいつら、世界を救った英雄の座を降りて、
今度は『お菓子作り職人』にでも転職したのか? おめでたい奴らだ」
「そんなこと言わないでください、シンク。
あなたがアドバイスした『レプリカの体細胞の安定化理論』が、彼らの幸せを支えているんですから」
「……フン。僕はただ、ジェイド・カーティスに貸しを作りたくなかっただけだ。
あんな出来損ないどものために動いたわけじゃない」
シンクは忌々しげに顔を背けたが、その手元にある魔導書には、
今も熱心に書き込まれた付箋がいくつも踊っている。
かつて世界を呪った彼も今は、イオンと共に「生きていくことの重み」を背負い、贖罪の旅を続けていた。
「でも、ルークは書いています。『今度はシンクの分も焼くから、食べに来いよ』って」
「……誰があんな甘ったるいもん食うか。……毒見くらいならしてやってもいいがな」
シンクの不器用な言葉に、イオンは確信を持って頷いた。
ルークからの手紙は、それだけで終わっていない。
そこには、共に帰還した「彼女」との幸せな報告と、
世界中に散った六神将たちの安否を気遣う言葉が、力強い筆跡で綴られていた。
風が吹き抜け、イオンの持つ手紙がパタパタと音を立てる。
かつて死を望んだ少年たちは、今、自分たちを繋ぎ止めてくれた誰かのために、
この広い空の下で息づいている。
「いい季節ですね、シンク」
「……暑苦しいだけだ。さっさと仕事を終わらせろよ、導師様」
毒づきながらも、シンクはイオンの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。
その背中を、オールドラントの新しい風が、優しく、けれど力強く押し出していった。
マルクト帝国、首都グラン・コクマ。
皇帝ピオニー九世の執務室では、ガイ、ジェイド、そして皇帝本人が、
ルークから届いた一通の手紙を囲んでいた。
「……ははっ! こりゃいい。あのアッシュがエプロン姿で粉まみれか。一生の不覚だろうな」
ピオニーが愉快そうに笑い声を上げ、手紙をデスクに放り出す。
「アッシュがナタリアに泣きつかれた時の顔、見たかったねぇ。ガイ、お前なら想像つくだろう?」
振られたガイは、どこか遠くを見るような、それでいて心底幸せそうな目をしていた。
「ええ、目に浮かびますよ。あいつ、ああいう時だけはルークより余裕がなくなりますから。
……でも、良かった。本当に、二人で笑えているようで」
ガイの胸のつかえが、その一言と共にすうっと消えていく。自分が仕えた「二人の主」が、
ようやく呪縛から解き放たれ、ただの兄弟として喧嘩をしている。
それだけで、彼が歩んできた復讐と忠義の道は報われた気がした。
「……ふむ。不器用なレプリカと、それ以上に不器用なオリジナルが、揃ってお菓子作りですか」
ジェイドが眼鏡の奥の瞳を細める。
「私の計算では、爆発事故の一つも起こるはずだったのですが…。
アニスの監修がよほど厳しかったと見えますね。くくっ、傑作です」
そこへ、バタン!と勢いよく扉が開いた。
「おーっほっほっほ! 聴きましたわよ、その話!」
現れたのは、薔薇の飾りを揺らし、自走式の椅子(カイザーディストXX)にふんぞり返ったディストだ。
「ジェイド! なぜ私を誘わなかったのです! 私の天才的な調合技術……もとい、
製菓技術があれば、バウムクーヘンなど三秒で焼き上げてみせましたのに!」
「おや、鼻たれディスト。あなたは今、
レプリカの体細胞安定化の論文を書き上げるまで外出禁止だったはずですが?」
「は、鼻たれと言うなぁ! それに仕事は終わりましたわ!
ルーク君たちの身体は、この薔薇の結晶たる私……」
「はいはい、ディスト。自慢は廊下でやりな」
ピオニーが片手で追い払う仕草をすると、
ジェイドが「では、不法侵入の罪で再教育しましょうか」と魔譜を構え、
ディストは「ひえぇぇ!」と叫びながら廊下を爆走していった。
騒がしい声が遠ざかる中、ガイは再び手紙を手に取り、そっと胸に当てた。
「……また近いうちに、会いに行かないとな」
「ああ。今度は俺たちが、そいつ(バウムクーヘン)を毒味してやろうじゃないか」
ピオニーの言葉に、マルクトの幼馴染トリオは顔を見合わせ、晴れやかな笑みを浮かべた。
海を越え、国境を越え、平和の音素(フォニム)は今日も世界中に響き渡っている。
静寂に包まれた浮遊都市、ユリアシティ。
かつて預言(スコア)に縛られ、閉ざされていたこの街にも、今は地上から新しい風が吹き込んでいた。
「……ふふっ。相変わらず、騒がしい人たちね」
ティアは、ルークから届いた分厚い手紙を読み終え、慈しむように胸に抱いた。
手紙には、昨日ルークとアッシュが焼いたお菓子の焦げた匂いまで伝わってきそうなほど、
賑やかな日常が綴られている。
彼女が捧げた『大讃歌』は、確かに奇跡を繋ぎ止め、こうして平和な時間を紡ぎ出していた。
「ティア、何を笑っている。……また、あの『お馬鹿さん』からの便りか」
背後から響いたのは、深く、威厳のある声。
振り返れば、そこには主席総長の制服を脱ぎ、簡素ながらも仕立ての良い服を纏ったヴァンが立っていた。
かつて世界を滅ぼそうとしたその手は、今、一人の幼い子供の手を引いている。
「兄さん……。ええ、ルークとアッシュが、二人でバウムクーヘンを焼いたんですって」
「……フン、相変わらず無駄なことに全力な奴らだ」
ヴァンは鼻で笑ったが、その眼差しはかつての鋭利な冷徹さを失い、穏やかな光を宿していた。
彼は現在、ユリアシティを拠点に、
戦火や混乱で身寄りをなくした子供たちを、受け入れるNPO法人を立ち上げていた。
かつての主席総長としての統率力と、貴族社会をも動かす経営手腕。
それらは今、絶望を撒き散らすためではなく、子供たちの「明日」のパンと教育を守るために振るわれている。
「おい、そこの。…廊下を走るなと言ったはずだ。怪我をすれば、次に歌を教わる時間が減るぞ」
ヴァンが厳格な、けれど温かみのある声で子供を諭す。
ティアはその光景を見て、そっと微笑んだ。
「……兄さんも、変わりましたね」
「私は、ユリアの言葉を私なりに解釈し直しただけだ。
…星の記憶に頼らず、自分たちの手で命を育む。
それこそが、新生オールドラントの理(ことわり)なのだろう」
ヴァンはそう言って、遠く、雲の下に広がる地上の世界へ視線を向けた。
そこには、かつて彼が否定しようとした「レプリカ」たちが、誰よりも懸命に、そして幸せに生きている。
ティアは空を見上げ、静かに祈りを捧げる。
――ありがとう、ルーク。ありがとう、アッシュ。
あなたたちが繋いでくれたこの世界が、明日も、その先も、ずっと平和でありますように。
ユリアシティの広場から、子供たちの歌う不器用な譜歌が聞こえてくる。
それはかつての呪縛ではなく、自由な未来を祝う、新しい時代のメロディだった。
イオン様を慕う者同士、共通の守るべき存在を通して惹かれ合う……。
孤独を知るアリエッタが、フローリアンという「家族」であり「恋人」でもある存在を見つけた。
ダアトの柔らかな木漏れ日の中、アリエッタは照れくさそうに、小さな包みをフローリアンへと差し出していた。
「…これ、遅くなったけど…バレンタイン。イオン様に教わって、アリエッタ、頑張って作ったの…っ」
中身は、不器用ながらも可愛らしく形作られた、魔物たちの顔を模したクッキーだった。
フローリアンは目を輝かせ、そのクッキーを大切そうに受け取ると、
満面の笑みで自分の後ろに隠していた袋を取り出した。
「わあ、ありがとうアリエッタ! …これ、僕からのお返し。ホワイトデーなんだって。
ルークたちの手紙に書いてあったから、僕もアリエッタに喜んでほしくて!」
二人は顔を見合わせ、真っ赤になりながらも、
ルークとアッシュから届いた「ホワイトデーの極意(?)」を実践していた。
そんな二人を、少し離れた場所から見守るイオンとシンク。
「…可愛いものですね。アリエッタも、ようやく自分自身の幸せを見つけてくれたようです」
「…ケッ。教団の導師候補が、色恋沙汰とは世も末だな。
……まあ、あのアホ面を見てる限りじゃ、当分は平和なんだろうけどよ」
シンクは相変わらずの毒舌だが、アリエッタを襲う魔物も、彼女を追い詰めるスコアももうない。
ただ、大好きな人の隣で、甘いお菓子の味を教え合う。
そんな当たり前の「子供らしい時間」が、二人のレプリカにとって、何よりも尊い宝物だった。
ところ変わって、活気あふれる傭兵団のキャンプ。
かつての黒獅子ラルゴは、一通の手紙を手に、巨体に似合わぬほど深刻な顔で唸っていた。
「…ナタリア。あのアッシュと仲良くやっているようだが…」
娘からの近況報告は嬉しい。
だが、そこに綴られた「ホワイトデー」という単語が、歴戦の勇士を戦場以上の窮地に追い込んでいた。
「おい、貴様ら。…ホワイトデーというのは、その…親から子へ贈っても、法に触れんものなのか?」
焚き火を囲んでいた傭兵仲間たちが、一斉に吹き出した。
「ハハハ! バダック、お前、あの王女様に贈るつもりか?」
「当たり前だろ、バカ野郎! 娘が他の男から菓子を貰っているというのに、父親が黙って見ていられるか!」
ラルゴは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたが、その瞳には父親としての不器用な愛が溢れていた。
結局、彼は仲間から「一番高価で、日持ちのする最高級の茶葉」を贈るようアドバイスを受け、
震える手でナタリアへの包みを用意するのだった。
一方、ユリアシティのNPO法人本部。
主席総長時代と変わらぬ手際で書類の山を捌いていたリグレットは、
ヴァンのデスクに置かれた「ある物」を見て、ペンを止めた。
「…総長。これは、何かの封印術を施した魔導器でしょうか?」
彼女が指差したのは、無骨ながらも丁寧にリボンがかけられた、小さな菓子箱だった。
ヴァンは視線を書類に向けたまま、事も無げに答える。
「…いや。昨日、ルークたちが騒いでいたのでな。…リグレット、貴殿にも世話になっている。受け取れ」
「…え?」
ヴァン・グランツその人から贈られた、想定外の『お返し』。
常に冷静沈着、鉄の規律を誇ったリグレットだったが、その瞬間、
真っ白な肌が耳の付け根まで一気に朱に染まった。
「あ……ありがとうございます。
そ、総長のお志を無駄にせぬよう、今後も一層、法人の運営に尽力いたします…っ!」
直立不動で、軍隊時代のような敬礼を返すリグレット。
だが、その手元にある菓子箱を握る指先は、隠しきれない喜びで微かに震えていた。
ヴァンはそれを見て、ふっと口角を上げ、再びペンを走らせる。
子供たちには甘い菓子を。
共に歩む者には、信頼の証を。
かつて世界を敵に回した「大人たち」もまた、穏やかな春の風の中で、新しい絆の形を見つけ出していた。
🌸 物語の完結 🌸
ルークとアッシュの同時帰還から始まったこの物語は、
関わるすべての人々が「誰かと共に生きる幸せ」を見つける、最高のハッピーエンドを迎えました。
ルークと彼女の、初々しくも大胆な一歩。
アッシュとナタリアの、不器用で深い信頼。
アニス、ジェイド、ピオニー、ガイ(+ディスト)の、変わらぬ絆。
イオン、シンク、アリエッタ、フローリアンの、穏やかな贖罪と恋。
ティアとヴァンが育む、新しい世代への希望。
ラルゴ、ナタリアへの贈り物を真剣に悩む、微笑ましい父親の姿。
リグレット、ヴァンの無骨な優しさに、思わず素の顔を見せてしまう忠義の女性。
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