好きにはTPOが必要
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「かっこいいですね」
無駄のない動きで実験器具を操る姿に、ふと浮かんだ言葉が本人の耳へ届いた。
背後のガラスから射した光が反射してより洗練された佇まいに見えることもあり、きっと可笑しな褒め方ではなかったはずだが、手に取ったビーカーが音を立てて先生の手から滑り落ちた。思わず出た大きな声と同時に着地先を見れば、テーブルの端を転がっていて亀裂も入っていない。無事なようだ。……が、止まっていない軌道は半円を描いていて、放置していれば硬い床へ叩きつけられてしまうだろう。
「これ、」
近寄りながら先生へ知らせようと指差せば、彼の視線は宙を彷徨っていて、時折まばたきはするもののビーカーに気づく様子は欠片もない。状況からして、動揺させてしまった原因は私の発言だと予想された。仕方がない、と手を伸ばし止めて渡そうと正面に立てば、ぱち、と奥二重の目がこちらを捉えた。
「マジで言ってる?」
「……初めて言われたわ」
珍しくフランクな口調で聞かれたそれは、今にも割れそうだったガラスのことなど眼中にないようで。まさか時差で反応されるとは思っていなかった上、こういった、勢いありきの発言を深く掘り下げられると気恥ずかしさを感じるのは、誰だって同じだろう。
「嘘ではない、ですけど……彼女でもできたんですか?」
絶妙な甘さを醸し出してきた空気がいたたまれなくて、話の延長線上で茶化して誤魔化そうと付け足したからかいは伝わらず、「できてないよ」といつものトーンで返したその顔がズレていたマスクを直しても隠れないほど、火照って……赤く、なっていて。
「え、」小さく震えた声と、一気に熱くなる顔。なにかの夢でも見てるみたいだった。
◇
「ねぇ、今日はどう?」
「……今日も、かっこいいですよ」
この奇妙なやりとりは、授業で習ったどんな化学反応よりも衝撃的なあの出来事から、ずっと続いている。わざわざ隣に来て聞いてくる癖に、絶対に顔を逸らして口元を覆い隠す先生に今までのなんとなく好きな気がする、なんて曖昧な想いがはっきりとした形へ変わるのはもはや必然で。
日を追うごとに胸に渦巻くそれは甘いだけでなく、痛みも与えるようになる。気づかないようにするのも大変だというのに、私の中に潜むもう一つの感情が暴走してもっと先生が喜ぶ褒め方を探しだす。気づかせるのは本能で、見て見ぬふりするのは理性。あいにく、高校生の身である私にはどちらがより強いかなどわかりきっていた。
ただ褒めているだけ。茶化す周囲に言い訳をしながらも、一番は自分自身に言い聞かせる。大人であり、立場があり、決して超えてはいけない線がある先生に迷惑はかけたくなかった。……だというのに、生徒の苦労も知らぬまま聞かれた質問。息が止まって、頭がまっしろになった。
「なに、梨音って俺のこと好きなの?」
調子づいて、ふざけているのだと、わかっている。だから早く同じテンションで笑いながら返さないと、数秒で楽しそうに細められた目が変わってしまうと、そうわかっているのに。言葉が、喉を詰まらせて声にならない。
……結果、俯いて熱くなった顔を見られないよう手で覆い隠すしかなかった。これではYesと言っているようなものだ。怖くて、ちらりと反応を窺おうとした時、ちょうど予鈴が鳴る。先生が授業するクラスとは反対側の教室だから、正当な理由で離れられた。
くるりと向きを変えたとき、ぽん、と頭に軽いなにかが乗る。ぴたりと動きが止まってしまって、そのあいだに柔らかく髪に指を通す感触が、数回繰り返される。最後にもう一回撫でられたそれの正体は、悪戯に笑う先生の手。
認識した途端、指の先から頭までやけどしてしまうほどの熱が沸き起こる。ゴツゴツした指先が撫でていた髪に、触れられていない肌が嫉妬の炎を燃やしているよう。
——思わせぶりなことをされても、従順で純粋な生徒でいたかった。