光はある
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なにが、正解だったのだろう。白い蛍光灯を眺め、まとまりそうにない思考をどうにかしようと手足をほぐす。身体の動かし方を教える立場なのに、些細な怪我を続けざまにしてしまった。結果、情けなくも日常での柔軟を体育科主任から指示されていた。
桜とともに散ってしまった、とでも表現できればよかったが生憎、詩になるほど立派ではなく、醜い感情の寄せ集めだった。自分を求めて欲しくて、教師ではなく男として見て欲しくて。不相応というよりも罪に近いそれを素面で表に出す俺は、教育者として最低だ。
照れた様子を見せようと、それは俺の外面に対してであって俺じゃない。ダメだと言った彼女の瞳には教師の俺しか映っていなくて、恋愛対象の土俵にも上がれなかった。
最後にしつこくも結んだ約束。
結果がどうなろうと、届かない場所へ行ってしまうことだけは避けたくて、都合の良すぎる言葉だとわかっていても友人でいる選択肢をとるつもりの自分が、醜く思える。皮肉なことに、教員になる前は恋やら愛やらが曖昧で自分には無関係なものだと思い、なんでもない男友達の立場に甘んじていた。気づいていても、彼女のようにはぐらかしていたのだ。
これまでの信頼で来てくれるとは思う。けれど、それから先は俺次第だった。試されるとき。1度しかないチャンスを逃すつもりは無い。
一年間変わらなかった赤信号が緑に変わる時、再び赤になる前に渡ってしまえば、すべてが実る。
あの日から始まり、何もかも失ってしまいそうで不安な夜。もう明ける日が近づいていた。光を、求めている。
あの日取り付けられた約束の断わり方を、二十歳を迎えても見つけられずにいる。
大学進学後、続けざまにある式やらサークル勧誘に揉まれつつもそこそこに満足できる毎日だった。美談になるほど大袈裟ではないものの感謝の言葉を貰うこともあれば、至らない行動で迷惑をかけることもあった。実際環境が変わってしまえば高校時代の衝撃だなんて話のタネとして思い出す程度で、すぐに頭の中から押し出された。
けれど、異性と恋人という形で距離を縮め、理由さえも濁され目の前から消えていくそのたびに、どうしてもあの時に向けられた瞳が、言葉が、脳内を埋め尽くした。
——ねえ、俺のこと、どう思ってる? ……そっか。
——もし、梨音が大人になっても答えが変わらなかったら、その時は友人として隣にいるから、もう一度、俺にチャンスをくれませんか。
一言一句覚えているそれは振り返るほど都合が良くて馬鹿馬鹿しいのに、付箋にボールペンでくっきりと書かれた場所と日時を、捨てられず未だ手元に残している。そして、日付けは今日になっていた。外はまだ暗いのに、時計の針が十二を越えた途端に浅い呼吸を繰り返す。きょう、今日なんだ。
一年。長いと感じるか短いと感じるかは完全にその人自身の感覚によるが、少なくとも私にとってはあっという間だった。それでも、時が流れて四月を迎えた時点で変化は強制的に生じていた。生徒が、元生徒、教え子などと呼ばれるようになり、世の中の倫理観が急に白と言いだす。自分にとっては大きすぎる変化。
「行かなくていい」いや、「行かせない」と言ってくれる人が欲しかった。もう男女という括りに入るということが、自己責任を意味している。何があっても、無条件に盾となってくれる存在はない。学校という組織に縛られていない場である以上、先生は先生ではなくなっている。
警告を鳴らすのも、忠告を無視するのも、約束の店で店員に声をかけているのも、すべて私の行動であり、思考であり、感情だった。
「久しぶり」
先に座っていた先生が、着席をうながす。立ち止まった足をぎこちなく動かし、真正面を避けて座れば少しだけ眉を下げるのが見えた。
「飲み物、何にする?」
流れる沈黙を一年前と同じようにかき消して、見せているのはアルコールのページ。確かに未成年ではなくなったけれど、なんとなく抵抗があった。
「烏龍茶がいいです」
「つれないなぁ」
不満げに口を尖らせるその仕草は若さを感じさせる、やたら大人の象徴に見えた先生は十数ヶ月で違う見え方になるのだと、息をついた。
運ばれてきたドリンクを居心地わるさをごまかしたくてちびちび飲んでいれば、先生がストローに視線を向けとんでもない呟きをこぼす。
「可愛くなったよね」
まだまともに話していないのに、その一言が今この場にいる理由を強く思い出させた。異性に対する好意が乗せられているのは、きっと気のせいじゃない。
「彼氏とか、いるの?」
かなり差がある座高を前屈みで無理やり合わせて、平行に瞳を覗かれる。揺らぎが大きいのが、真剣さを演出しているようで体が重くなる。いま、私に先を予測して嘘をつく度胸は生まれない。芽生える前に素直な風で根こそぎ奪われていく。
「いないです」
「恋愛を目的に知り合うの難しくて、元々知ってる人じゃないとどうしても好きになれないんですよ」
「周りは最初から狙ってる、とかが多いみたいで。理解されないんですよね」
……どうしてぺらぺらと喋っているのか。返事だけで済ませようと確かに思っていたはずなのに、ぴくりと動いた口の端が喜びを表しているのを見てしまってから、止まらなくなった。一息つけば、ふわりと笑う先生が大変だったね? と表情も声調も言葉に合っていない慰めをする。苛つくこともなく、久しぶりに見た顔に安心感を覚えてしまったあたり、私も重症のようだ。
何気ない近況報告が始まって、料理を頼みだして、空気が軽くなっていく。口も軽くなって言う予定のないことまで話し出せば、時間は体感よりもずっと早く進んでいた。
「あ、やばい。終電あと十分です」
かなり砕けてきて、お互いの話に熱が入りだした頃。ふと来たなんでもない通知とともに時間が見えて、一気に頭が冷える。
「ちょ、帰りますね!ごめんなさい!」
家からだいぶ遠く、慣れない土地でホテル探しは勘弁だった。
テーブルをざっと眺め、適当にお札を置こうとすれば大きな手が遮った。いつの間にか帰り支度を済ませていた先生が、当然のように伝票を持ちレジに向かう。困惑の声は聞き入れてもらえる様子もなくて、決済音が鳴ったあと躊躇いながら五千円札を差し出すしかなかった。
「ん、大丈夫」
いらないよ、と大人の余裕を見せられるも、借りを作ってしまうのは申し訳ない。……ただ、遠慮問答をしている時間はなくて、ごちそうさまです、とお礼をするくらいしかできなかった。