三部・承太郎
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これは幻なのだろうか。
承太郎は考える。
だがそれにしては、自分の頭の中だけで起こっている都合の良い現象とは到底、思えないほどに現実味が濃い。
言っておくが酒は一滴も呑んでいないし、日々の忙しさにやられて、とうとう気が触れてしまった線も、断じて、ない。
いくら考えても答えが一向に出てこないので、いい加減に気が滅入りそうだ。
ごたついた思考を少しでも纏めたくて、承太郎は窓越しに隣の家を見やった。
視界を遮るための高い塀を隔てた向こうに建つその家は、空条邸と比べて控えめな造りに見えるが、それなりに立派な日本家屋だ。
姓は秋山。
承太郎の幼馴染が住んでいる家でもある。
どうやら今は自由時間のようだ。
部屋によって明かりが点いていたり、いなかったりしている。
その中から当然のように、幼馴染の部屋にも明かりが点っているのを見つけ、承太郎は笑みを刷いた。
昔に何度か遊びにいった覚えがあるから、どの位置に、どの部屋があるのかは、なんとなしに分かるのだ。
勝手知ったる馴染みの家。
もし幼馴染がこのことを知ったら、気持ち悪がられるだろうか。
あの頃はまだ思春期から程遠いほどに幼く、親の都合で互いに、一晩か二晩ほど預けられることも少なくなかった。
自分だって不可抗力だったのだから、これくらいは許されていいだろう。
薄いカーテン生地の向こう側に時たま浮かび上がる彼女の影が、たいそう暇そうに伸びをして、消えた。
呑気なものだ。
自分に何が起こっているのか知らないでいやがる。
「さて。本物はあそこにいるらしいが・・・」
隣人観察も程々に、承太郎は目の前の人物に視線を戻した。
高校の制服を着用した女が、濡れた瞳でこちらを見返している。
何かを抱えていないと不安なのだろうか。
胸元で握り締めている枕は承太郎のもので、かつ、彼女がいるのは承太郎が日常的に使用しているベッドの上だ。
意図した行動でないのは分かっているつもりでも、まあ、なんというか、そういう意味でないにしても、気が気でないというのが正直な感想だ。
同時に、どこか喜ばしく思う自分がいることも自覚している。
ひょっとして、問題なのはおれの方なんじゃあないか?
ふと過った考えに嫌な汗が頬を伝った。
承太郎とて大人の男だ。
持つべき欲は持っている。
もし、ちょびっとでも酒を煽っていたなら、幻覚と思い込んだまま、何を仕出かしていたかなんていうのは想像に難くない。
早くこの情況をどうにかしないと本当におかしくなりそうだ。
「どういう状況なのか、手っ取り早く説明してもらおうか」
「ひっ」
存外、強めに問いかけてしまったのがいけなかった。
少女が肩をすぼめて、小柄な体をより小さくして枕で顔を隠してしまったのを見てから後悔する。
子供かおまえは。
おかしいだろ。
背後を守るように、背中を壁にくっつけた体勢のまま動こうとしない彼女は、正真正銘、承太郎の幼馴染で間違いはないのだが。
年甲斐もなく妙に落ち着かない承太郎の指先が、無意識に膝を叩き始めた。
ここで承太郎は、あることに気がついた。
「気のせいかもしれないが・・・・・・」
承太郎は確かめるように一人ごちた。
「見たところ、十六・・・十八、それくらいの容姿をしているな。それにその制服、高校の時ンだろ。イサミ、おまえ今年でいくつになる?いい歳してコスプレとは頂けないな、しばらく会わない間に趣味が拗れたか?なあ。おれの知る、「現在のおまえ」は、もうちっとばかし大人びていたはずなんだが・・・」
こんなことがあっていいものだろうか。
自分で導きだした答えに、そんなはずはないと頭で否定しながらも、承太郎は問わずにいられなかった。
どうか笑わないで聞いてほしい。
「・・・過去のイサミか?」
大真面目に考えた結果、絞り出した答えがこれだ。
タイムパラドックスだのタイムトラベラーだの、そういった類いのものは信じちゃいない質なのだが、奇しくもこの世にはスタンドという未知の能力が存在している。
承太郎は、これまでに多種多様なスタンドを目にし、体験してきた。
中でも、時を止めるなどという突拍子のない事を成し遂げたスタンドがいた前例がある以上、タイムトラベラーが現れたところで、何ら不思議ではあるまい。
だからもし仮に、そういうスタンドがいて、彼女に何らかの影響を及ぼしているのなら、イサミという人間が二人いる現象に、少なくとも納得がいくというものだ。
他の可能性として、これとはまた別に、他人に成り済ますことのできるスタンド使いがいる可能性を考慮してみた。
が、そいつはあのエジプトへ向かう旅以降、承太郎の前に姿を現したがらないでいるらしい。
SPW財団のメンバー曰く、承太郎の名前を聞くだけでも身震いするそうだ。
あの一件がよほど堪えたと見える。
どちらにせよ雇い主のいない今、幼馴染に化けてまで襲ってくるメリットなど、奴にありはしない。
たとえあったとしても、返り討ちに遭って病院送りにされるのが関の山といったところだ。
「聞こえなかったか。ならもう一度、訊くぞ。おまえは高校時代のイサミなのか?」
「高校・・・」
質問になかなか答えないイサミに痺れを切らした承太郎が、急かすようにして再度、問いかけたところ、イサミは小さいながらに反応を見せた。
ちょっとだけ顔を上げて、そして、「過去」と呟くと悲しそうに顔を歪ませた。
「・・・そうだけど、でも、そうじゃない」
「なに?」
「過去だけど、過去じゃない」
「どういうことだ」
蚊の鳴くような声だった。
枕に顔を押し付けたままで喋るものだから、よく耳を済ましておかなければ聞き逃してしまいそうなくらいだ。
「・・・いらないって、持っていたら、辛いからって言われたから・・・ここにいる・・・」
暫しの沈黙。
「おれが馬鹿なのか、おまえが馬鹿なのかは分からんが・・・。イマイチ話が読めんな」
承太郎は前髪をかき上げた。
彼のトレードマークでもある白い帽子を被っていない今、その仕草はどこか色気があった。
解決策を見出すのは二の次として、とりあえず、今は話を進めていくしかないようだ。
答えはいずれ出るだろう。
「おまえの家は親も兄弟も仲が良かったろ。喧嘩をして言われたってーなら、そんなものは一時的なものに決まってる」
「でも言われた!」
言われたんだもん。
イサミは泣きそうな声になりながら呟やくと、そのまま黙りこくってしまった。
やはり、彼女は子供になったらしい。
「誰にだ」
語気を強めて訴えるイサミとは対照的に、承太郎は落ち着いた口調で、ゆっくりと尋ねる。
「誰に言われた、そんなこと」
「言ったって、信じてもらえるわけないよ。自分でもよく分かんないのに」
「おれが信じられないのか」
淡いエメラルドグリーンがイサミの瞳を射抜いた。
思わず、どきりとしてしまうような真っ直ぐな目だ。
「そ、そんなこと・・・ない、けど・・・」
真剣な眼差しにしどろもどろになりながら、イサミは言った。
「信じてるよ、承太郎のこと。大事な幼馴染だもん」
大事な、か。
承太郎は目を細めた。
幼馴染という言葉は軽いようで存外、重いものだ。
だがこの関係だからこそ、こうして頼られている状況に、ほんの少しだけ感謝していなくもない。
「なら話せ。このままだと、おれはお前を助けてやれんからな」
「・・・・・・うん」
イサミが頷いて、壁際からベッドの手前まで移動すると、承太郎もそれに合わせて彼女の隣へと腰掛けた。
がっしりとした体型の承太郎が座ったことにより、ベッドが上下に大きく軋んだ。
「わたしのことをいらないって言ったのは、現在の・・・大人の、わたしなんだけど・・・」
「ああ。そいつは今、てめーの部屋で暢気しているな」
「あれはまだ気がついていないだけ。わたしを捨てたのも、ほぼ無意識に近かったんだから」
だから、とイサミは神妙な顔つきで続けた。
「このまま放っておいたら、どんどん捨てちゃうかも」
「まて。イサミが何を捨てるっていうんだ?」
「それなんだけど」
今度はイサミが承太郎の目を見る番だった。
場違いと分かっていても、その瞳が少しばかり熱っぽく見えたことに気がつかないふりをして、承太郎は続きを待った。
「感情をね、捨てるの。ありえないと思うでしょ?わたしだって思ってる」
承太郎は愕然とした。
どうやら、思っていた以上に酷い事態のようだ。
自分の知らない間に、幼馴染みはとんだ厄介事を抱えていたというのだから。
だが、これには腹立たしいを通り越して呆れさえ覚える。
感情を捨てるなんて馬鹿げたことをよく思いついたものだ。
そうやって紙くずのように感情を捨てて、何も感じない、機械のような人間になりたいとでもいうのか。
こんなことなら、タイムトラベラーの方が断然に良かった。
その方が、きっと気持ちよく対処できただろう。
そして恐らく、というよりこれは確定事項だが、イサミはスタンド使いと結論付けていいだろう。
おまけに無意識のスタンド使いときた。
能力の正体が掴みかけてきた矢先だというのに、これはなかなか骨が折れそうだ。
それにしても。
承太郎は、改めて腹が立ってきたのを抑えながら思う。
感情を捨てるという行為を物理的にやってのけるとは、一体どういう心理状況だったんだ。
捨てたらあとでどうなるか、そこは考えなかったのか。
そうやって、捨ててしまいたくなるほど追い詰められていたのなら、どうして。
「けどね。わたしのことを一番に捨てちゃうくらいには、大人のわたしには重たかったみたい」
「イサミ・・・」
「うん?」
隣にいるイサミは、今でこそ落ち着いて会話ができているが、内面では不安で堪らないだろうに。
信じきった眼差しでこちらを見やる、この小さな体を抱きしめてやれば、少しは不安を拭ってやれるだろうか。
それこそ馬鹿げた考えだ。
いや。
「馬鹿なのはお前もだったな」
「えっ、なに、いきなり」
「今起こっている問題は別として、そう易々と男の部屋に上がりこむなんてのは、感心できることじゃあねえっつってんだ」
「うッ!」
痛いところを突かれたイサミは口ごもり、再び、枕に顔の半分を埋めた。
「しょ、しょうがないじゃない・・・。その、承太郎にしか、わたしのこと見えてなかったんだから・・・・・・」
イサミは理由を話すが、始終、ゴニョゴニョ声だったせいでちゃんとした言葉になっておらず、承太郎にはイサミが何を言っているのかさっぱり伝わらなかった。
「いま何か言ったか?」
「・・・承太郎のバカ!!」
女性特有の高い声を真横から受け、その喧しさに、承太郎は反射的に耳を塞ぎたくなるのを堪えた。
「ひどい!ひどすぎる、このっ、無神経男!」
「分かった。分かったから、大きい声を出すのはよせ」
訴えながら、何度も振り上げられる枕を承太郎は片手で防いだ。
人の枕をこうも好き勝手に扱われるのは頂けない。
「おふくろに見つかると、ますます、面倒な、ことに、なるだろ」
「聖子さんなら真面目に相談に乗ってくれそうだから、むしろそっちの方がいい!代わってよ承太郎ー!」
「やれやれだぜ・・・」
そういえば、学生時代のこいつはワガママが激しかったなと、承太郎は今頃になって思い出した。
せっかく機嫌よく話が進みそうだったのに、余計な口を利いたのが悪かった。
このまま険悪な雰囲気になることだけは避けなければ。
「性格すら学生時代のままとは、逆に安心したぜ。とはいえ、現在のおまえが・・・・・・。この言い方だとややこしいな・・・」
時代が違うとはいえ、同一人物が身近にいた例が過去にないため呼び名に困る。
双方とも、秋山イサミというところが簡単なようで、とんでもなくややこしく思えた。
ポルナレフ。
ムードメーカーでもある彼ならば、両手に花だとかなんとか言って、この状況を楽観的に考えながら解決の糸口を探るのだろうか。
しかし残念なことに、彼はいま遠い地にいて連絡をとれる状況ではないし、そもそも、そのような茶目っ気を承太郎は持ち合わせていない。
「とにかく、だ。イサミがどうして、てめーの感情をいらないと言ったのか、そこだけ納得がいかねえ。そこんとこは、あとで本人から聞き出すとして・・・」
承太郎は、イサミの腕から枕をむしり取って顔を見た。
「方法は分からないのか?」
「は?」
「感情を捨てるとかいう方法だ。イサミがどうやっておまえを捨てたのか、それと、元に戻す方法に心当たりはないのか」
「えぇ!?そんな無茶振りなこと言わないでよ!」
それもそうだ。
知っていたら、わざわざ承太郎の部屋を訪れる必要などないのだから。
「どんな些細なことでもいいから教えろ。ひょっとすると、そいつが何かのヒントになるかもしれねえからな」
「う~~~ん?そんなこと言われても、わたしだって、気がついたら捨てられてたんだから、心当たりなんて・・・」
無い頭を振り絞っているのか、腕を組み、何かしら思い出そうとする様は非常時とは思えない、ありふれた日常のワンシーンのようだ。
分離した感情の一つでも、どうやら根本的な性格は本体と変わらないらしい。
そういえば、目の前の彼女はどの感情を司っているのだろう。
気になるから訊いてみるか。
承太郎が尋ねようと口を開いたその時、イサミが、「あっ」と声を出した。
どうやら心当たりがあったらしい。
「そういえば、見慣れないゴミ箱があった」
これは、有益な情報なのだろうか。
承太郎は考える。
だがそれにしては、自分の頭の中だけで起こっている都合の良い現象とは到底、思えないほどに現実味が濃い。
言っておくが酒は一滴も呑んでいないし、日々の忙しさにやられて、とうとう気が触れてしまった線も、断じて、ない。
いくら考えても答えが一向に出てこないので、いい加減に気が滅入りそうだ。
ごたついた思考を少しでも纏めたくて、承太郎は窓越しに隣の家を見やった。
視界を遮るための高い塀を隔てた向こうに建つその家は、空条邸と比べて控えめな造りに見えるが、それなりに立派な日本家屋だ。
姓は秋山。
承太郎の幼馴染が住んでいる家でもある。
どうやら今は自由時間のようだ。
部屋によって明かりが点いていたり、いなかったりしている。
その中から当然のように、幼馴染の部屋にも明かりが点っているのを見つけ、承太郎は笑みを刷いた。
昔に何度か遊びにいった覚えがあるから、どの位置に、どの部屋があるのかは、なんとなしに分かるのだ。
勝手知ったる馴染みの家。
もし幼馴染がこのことを知ったら、気持ち悪がられるだろうか。
あの頃はまだ思春期から程遠いほどに幼く、親の都合で互いに、一晩か二晩ほど預けられることも少なくなかった。
自分だって不可抗力だったのだから、これくらいは許されていいだろう。
薄いカーテン生地の向こう側に時たま浮かび上がる彼女の影が、たいそう暇そうに伸びをして、消えた。
呑気なものだ。
自分に何が起こっているのか知らないでいやがる。
「さて。本物はあそこにいるらしいが・・・」
隣人観察も程々に、承太郎は目の前の人物に視線を戻した。
高校の制服を着用した女が、濡れた瞳でこちらを見返している。
何かを抱えていないと不安なのだろうか。
胸元で握り締めている枕は承太郎のもので、かつ、彼女がいるのは承太郎が日常的に使用しているベッドの上だ。
意図した行動でないのは分かっているつもりでも、まあ、なんというか、そういう意味でないにしても、気が気でないというのが正直な感想だ。
同時に、どこか喜ばしく思う自分がいることも自覚している。
ひょっとして、問題なのはおれの方なんじゃあないか?
ふと過った考えに嫌な汗が頬を伝った。
承太郎とて大人の男だ。
持つべき欲は持っている。
もし、ちょびっとでも酒を煽っていたなら、幻覚と思い込んだまま、何を仕出かしていたかなんていうのは想像に難くない。
早くこの情況をどうにかしないと本当におかしくなりそうだ。
「どういう状況なのか、手っ取り早く説明してもらおうか」
「ひっ」
存外、強めに問いかけてしまったのがいけなかった。
少女が肩をすぼめて、小柄な体をより小さくして枕で顔を隠してしまったのを見てから後悔する。
子供かおまえは。
おかしいだろ。
背後を守るように、背中を壁にくっつけた体勢のまま動こうとしない彼女は、正真正銘、承太郎の幼馴染で間違いはないのだが。
年甲斐もなく妙に落ち着かない承太郎の指先が、無意識に膝を叩き始めた。
ここで承太郎は、あることに気がついた。
「気のせいかもしれないが・・・・・・」
承太郎は確かめるように一人ごちた。
「見たところ、十六・・・十八、それくらいの容姿をしているな。それにその制服、高校の時ンだろ。イサミ、おまえ今年でいくつになる?いい歳してコスプレとは頂けないな、しばらく会わない間に趣味が拗れたか?なあ。おれの知る、「現在のおまえ」は、もうちっとばかし大人びていたはずなんだが・・・」
こんなことがあっていいものだろうか。
自分で導きだした答えに、そんなはずはないと頭で否定しながらも、承太郎は問わずにいられなかった。
どうか笑わないで聞いてほしい。
「・・・過去のイサミか?」
大真面目に考えた結果、絞り出した答えがこれだ。
タイムパラドックスだのタイムトラベラーだの、そういった類いのものは信じちゃいない質なのだが、奇しくもこの世にはスタンドという未知の能力が存在している。
承太郎は、これまでに多種多様なスタンドを目にし、体験してきた。
中でも、時を止めるなどという突拍子のない事を成し遂げたスタンドがいた前例がある以上、タイムトラベラーが現れたところで、何ら不思議ではあるまい。
だからもし仮に、そういうスタンドがいて、彼女に何らかの影響を及ぼしているのなら、イサミという人間が二人いる現象に、少なくとも納得がいくというものだ。
他の可能性として、これとはまた別に、他人に成り済ますことのできるスタンド使いがいる可能性を考慮してみた。
が、そいつはあのエジプトへ向かう旅以降、承太郎の前に姿を現したがらないでいるらしい。
SPW財団のメンバー曰く、承太郎の名前を聞くだけでも身震いするそうだ。
あの一件がよほど堪えたと見える。
どちらにせよ雇い主のいない今、幼馴染に化けてまで襲ってくるメリットなど、奴にありはしない。
たとえあったとしても、返り討ちに遭って病院送りにされるのが関の山といったところだ。
「聞こえなかったか。ならもう一度、訊くぞ。おまえは高校時代のイサミなのか?」
「高校・・・」
質問になかなか答えないイサミに痺れを切らした承太郎が、急かすようにして再度、問いかけたところ、イサミは小さいながらに反応を見せた。
ちょっとだけ顔を上げて、そして、「過去」と呟くと悲しそうに顔を歪ませた。
「・・・そうだけど、でも、そうじゃない」
「なに?」
「過去だけど、過去じゃない」
「どういうことだ」
蚊の鳴くような声だった。
枕に顔を押し付けたままで喋るものだから、よく耳を済ましておかなければ聞き逃してしまいそうなくらいだ。
「・・・いらないって、持っていたら、辛いからって言われたから・・・ここにいる・・・」
暫しの沈黙。
「おれが馬鹿なのか、おまえが馬鹿なのかは分からんが・・・。イマイチ話が読めんな」
承太郎は前髪をかき上げた。
彼のトレードマークでもある白い帽子を被っていない今、その仕草はどこか色気があった。
解決策を見出すのは二の次として、とりあえず、今は話を進めていくしかないようだ。
答えはいずれ出るだろう。
「おまえの家は親も兄弟も仲が良かったろ。喧嘩をして言われたってーなら、そんなものは一時的なものに決まってる」
「でも言われた!」
言われたんだもん。
イサミは泣きそうな声になりながら呟やくと、そのまま黙りこくってしまった。
やはり、彼女は子供になったらしい。
「誰にだ」
語気を強めて訴えるイサミとは対照的に、承太郎は落ち着いた口調で、ゆっくりと尋ねる。
「誰に言われた、そんなこと」
「言ったって、信じてもらえるわけないよ。自分でもよく分かんないのに」
「おれが信じられないのか」
淡いエメラルドグリーンがイサミの瞳を射抜いた。
思わず、どきりとしてしまうような真っ直ぐな目だ。
「そ、そんなこと・・・ない、けど・・・」
真剣な眼差しにしどろもどろになりながら、イサミは言った。
「信じてるよ、承太郎のこと。大事な幼馴染だもん」
大事な、か。
承太郎は目を細めた。
幼馴染という言葉は軽いようで存外、重いものだ。
だがこの関係だからこそ、こうして頼られている状況に、ほんの少しだけ感謝していなくもない。
「なら話せ。このままだと、おれはお前を助けてやれんからな」
「・・・・・・うん」
イサミが頷いて、壁際からベッドの手前まで移動すると、承太郎もそれに合わせて彼女の隣へと腰掛けた。
がっしりとした体型の承太郎が座ったことにより、ベッドが上下に大きく軋んだ。
「わたしのことをいらないって言ったのは、現在の・・・大人の、わたしなんだけど・・・」
「ああ。そいつは今、てめーの部屋で暢気しているな」
「あれはまだ気がついていないだけ。わたしを捨てたのも、ほぼ無意識に近かったんだから」
だから、とイサミは神妙な顔つきで続けた。
「このまま放っておいたら、どんどん捨てちゃうかも」
「まて。イサミが何を捨てるっていうんだ?」
「それなんだけど」
今度はイサミが承太郎の目を見る番だった。
場違いと分かっていても、その瞳が少しばかり熱っぽく見えたことに気がつかないふりをして、承太郎は続きを待った。
「感情をね、捨てるの。ありえないと思うでしょ?わたしだって思ってる」
承太郎は愕然とした。
どうやら、思っていた以上に酷い事態のようだ。
自分の知らない間に、幼馴染みはとんだ厄介事を抱えていたというのだから。
だが、これには腹立たしいを通り越して呆れさえ覚える。
感情を捨てるなんて馬鹿げたことをよく思いついたものだ。
そうやって紙くずのように感情を捨てて、何も感じない、機械のような人間になりたいとでもいうのか。
こんなことなら、タイムトラベラーの方が断然に良かった。
その方が、きっと気持ちよく対処できただろう。
そして恐らく、というよりこれは確定事項だが、イサミはスタンド使いと結論付けていいだろう。
おまけに無意識のスタンド使いときた。
能力の正体が掴みかけてきた矢先だというのに、これはなかなか骨が折れそうだ。
それにしても。
承太郎は、改めて腹が立ってきたのを抑えながら思う。
感情を捨てるという行為を物理的にやってのけるとは、一体どういう心理状況だったんだ。
捨てたらあとでどうなるか、そこは考えなかったのか。
そうやって、捨ててしまいたくなるほど追い詰められていたのなら、どうして。
「けどね。わたしのことを一番に捨てちゃうくらいには、大人のわたしには重たかったみたい」
「イサミ・・・」
「うん?」
隣にいるイサミは、今でこそ落ち着いて会話ができているが、内面では不安で堪らないだろうに。
信じきった眼差しでこちらを見やる、この小さな体を抱きしめてやれば、少しは不安を拭ってやれるだろうか。
それこそ馬鹿げた考えだ。
いや。
「馬鹿なのはお前もだったな」
「えっ、なに、いきなり」
「今起こっている問題は別として、そう易々と男の部屋に上がりこむなんてのは、感心できることじゃあねえっつってんだ」
「うッ!」
痛いところを突かれたイサミは口ごもり、再び、枕に顔の半分を埋めた。
「しょ、しょうがないじゃない・・・。その、承太郎にしか、わたしのこと見えてなかったんだから・・・・・・」
イサミは理由を話すが、始終、ゴニョゴニョ声だったせいでちゃんとした言葉になっておらず、承太郎にはイサミが何を言っているのかさっぱり伝わらなかった。
「いま何か言ったか?」
「・・・承太郎のバカ!!」
女性特有の高い声を真横から受け、その喧しさに、承太郎は反射的に耳を塞ぎたくなるのを堪えた。
「ひどい!ひどすぎる、このっ、無神経男!」
「分かった。分かったから、大きい声を出すのはよせ」
訴えながら、何度も振り上げられる枕を承太郎は片手で防いだ。
人の枕をこうも好き勝手に扱われるのは頂けない。
「おふくろに見つかると、ますます、面倒な、ことに、なるだろ」
「聖子さんなら真面目に相談に乗ってくれそうだから、むしろそっちの方がいい!代わってよ承太郎ー!」
「やれやれだぜ・・・」
そういえば、学生時代のこいつはワガママが激しかったなと、承太郎は今頃になって思い出した。
せっかく機嫌よく話が進みそうだったのに、余計な口を利いたのが悪かった。
このまま険悪な雰囲気になることだけは避けなければ。
「性格すら学生時代のままとは、逆に安心したぜ。とはいえ、現在のおまえが・・・・・・。この言い方だとややこしいな・・・」
時代が違うとはいえ、同一人物が身近にいた例が過去にないため呼び名に困る。
双方とも、秋山イサミというところが簡単なようで、とんでもなくややこしく思えた。
ポルナレフ。
ムードメーカーでもある彼ならば、両手に花だとかなんとか言って、この状況を楽観的に考えながら解決の糸口を探るのだろうか。
しかし残念なことに、彼はいま遠い地にいて連絡をとれる状況ではないし、そもそも、そのような茶目っ気を承太郎は持ち合わせていない。
「とにかく、だ。イサミがどうして、てめーの感情をいらないと言ったのか、そこだけ納得がいかねえ。そこんとこは、あとで本人から聞き出すとして・・・」
承太郎は、イサミの腕から枕をむしり取って顔を見た。
「方法は分からないのか?」
「は?」
「感情を捨てるとかいう方法だ。イサミがどうやっておまえを捨てたのか、それと、元に戻す方法に心当たりはないのか」
「えぇ!?そんな無茶振りなこと言わないでよ!」
それもそうだ。
知っていたら、わざわざ承太郎の部屋を訪れる必要などないのだから。
「どんな些細なことでもいいから教えろ。ひょっとすると、そいつが何かのヒントになるかもしれねえからな」
「う~~~ん?そんなこと言われても、わたしだって、気がついたら捨てられてたんだから、心当たりなんて・・・」
無い頭を振り絞っているのか、腕を組み、何かしら思い出そうとする様は非常時とは思えない、ありふれた日常のワンシーンのようだ。
分離した感情の一つでも、どうやら根本的な性格は本体と変わらないらしい。
そういえば、目の前の彼女はどの感情を司っているのだろう。
気になるから訊いてみるか。
承太郎が尋ねようと口を開いたその時、イサミが、「あっ」と声を出した。
どうやら心当たりがあったらしい。
「そういえば、見慣れないゴミ箱があった」
これは、有益な情報なのだろうか。