一部
アリシア
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どうやらこの世界の神様は、とにかく人間の人生を面白おかしく引っ掻き回すのがお好きらしい。
「アリシア、天気もいいし、たまには町へ気晴らしに行こうか。外出用の服に着替えていなさい。私は御者を呼んでこよう」
父の思わぬ誘いに私は笑顔で喜んだ。
それと同時に胸の内で、ある疑念が渦巻いた。
私の知る範囲では、母とでさえ町へ気晴らしに行くことをしなかったあの人が、野菜を売りに行くわけでもないのに、急にあんなことを言い出すなんて。
何か事情があるとしか考えられない。
あえて私にそれを話そうとしないのは、父なりの配慮なのだろう。
私は、生前に母が作ってくれた白いワンピースに袖を通し、大き目の麦藁帽子を深めに被って、ついでに仄暗い感情にも蓋をした。
その昼、父はカバン一つ分の荷物をまとめて私を町へ連れ出した。
町へ着くまでには十分に時間がある。
無言で過ごすのも惜しいと感じたのかもしれない。
父は、今まで語ることのなかった過去――母と出会った時のこと、私が生まれるまでのことや、昔に喧嘩別れしてしまった友人のことなど――を教えてくれた。
荷馬車に揺られてお尻が痛いのをガマンしながら、彼の言葉に私は耳を傾ける。
時おり相槌を打つと、ふっと、父の瞳が柔らかいアーチを描く。
そうして、がしがしと私の頭を撫でる父の、豆だらけで、がっしりとした手のひらの温かさといったら。
私は知っている、この時の彼の目尻に光るものがあったことを。
・・・この温もりがこの先もずっと続けばいいのに。
しかし、やはり世界は子どもに対しても容赦がないのだ。
「お腹が空いただろう。これでも食べなさい」
父が私に差し出してきたのはベイクウェルタルトだった。
いつの間に用意したのだろう、それも1ホールもある。
既に切り口が入っていたから、私はそこから一つを選んで遠慮がちに取り出した。
少量のアーモンドとラズベリージャムをたっぷりと使って焼き上げた、イギリスの家庭菓子。
よくよく見てみると、表面がちょっとばかし焦げかけている。
と、ここでようやく、このタルトは父が焼いてくれたのではないかと気がついた。
試しにちらと視線を横へずらせば、案の定、そこには不安げな父の姿が。
私は、慣れない菓子作りに奮闘する父を想像してしまい、口元がほころびそうなるのを誤魔化そうとタルトを口いっぱいに頬張った。
あまい、甘いラズベリー。
・・・・・・あれ、変なの。
甘いお菓子のはずなのに、しょっぱい味がするよ。
きっと、料理下手な父が塩の分量を間違えたせいだ。
久しぶりの甘いものに満足し、お腹も膨れた私は、ゆりかごに揺られた赤ん坊のように、いつの間にか寝入ってしまった。
「どうやら着いたようだ」
荷馬車が停まる振動で意識が浮上する。
どうやら自然と寝入ってしまっていたらしい、私は瞼をこすりながら起き上がった。
周囲を見渡すと、そこは見慣れた町の入り口付近だった。
「こんな遠方までご苦労様。助かったよ」
「まいど。縁があればまた呼んどくれや。こんなボロ馬車で良けりゃあ、いつでも乗せてってやらぁ。そんじゃァな!」
御車が2頭の馬に鞭を打てば、馬は力強く地面を蹴って、荷馬車を引いて歩き出した。
石ころや雑草だらけで荒れた地面を堂々と歩く姿には、関心する。
「さあ、そろそろ行くとしよう」
本当はついて行きたくない。
今すぐにでも、大好きな母と暮らしたあの家へ帰りたい。
この気持ちを父に打ち明けたなら、彼は、うんと頷いてくれるだろうか。
「アリシア?どうしたんだ、アリシア」
先を歩いていた父が、私を気にかけてか、早足に引き返してきた。
それから私の背丈に合わせるよう姿勢を低くし、顔をのぞき込もうとする父に、私は思い切り抱きついた。
「・・・お前がこんなに甘えてくるのは、何年ぶりだろうか」
まったく、困った娘だよ。
そう、ため息交じりに言いながら、父もまた、私を強く抱き返してくれたのだった。