みの恭
誘われて手をとる
どこへ行くのかと問いかければ「ちょっとね」と、みのりは何か含んだような物言いをした。
時計が二十一時半を少し回った頃。ラジオの収録が終わり、お疲れ様でしたと口々にしながらビルの外へと出た。プロデューサーは仕事の確認がある為事務所へ、ピエールはSPの車で帰路につく。ピエールを見送ったあと、みのりと恭二も駅へと向かった。
春といえど夜はまだ肌寒く、歩きながら恭二はお気に入りのスタジャンを羽織った。以前みのりが「そろそろ俺達も変装しないといけないと思う」と言っていたのを思い出し、鞄から慌ててマスクとメガネを取り出し装着する。しかしそんなことを言った当の本人は、おしゃれなハットを被るだけで特別変装などしていなかった。それどころかマスクをつけた恭二を見るなり「花粉症だったっけ?」と言う始末だ。これには恭二も呆れて「みのりさんが変装しろって言ったからだ」と声をあげた。
「そんなことも言ったかな。恭二は背も高いし目立つから、変装したほうがいいと思うけど……俺はしなくていいよ」
長髪の男性(しかも美形)の方が珍しいし目立つだろう。恭二とて、好きで変装をしているわけではないので、みのりの言い分にはいささか苛立ちを覚えた。人に変装させておいて自分はしないだなんて。
「納得いかないんで、これかけてください」
恭二は自分がかけていたPC用の度なしのメガネをみのりに差し出した。
電車には人がまばらに座っていた。平日ではこんなこともないだろうが、今日は日曜日だ。
空いている座席にマスクをした男と、ハットをかぶりメガネをかけた男が二人同時に腰掛けた。
「よっこいしょ」
一人からそんな声が聞こえた。
みのりがつい最近まで、同じ事務所の山下次郎と共に仕事をしていたことを恭二は思い出した。
事務所の寮まで、電車で8駅ほどだった。乗り換えもなく座っていればいいだけなので楽だった。有難いことに最近は、睡眠時間の確保が難しくなる程度には仕事が忙しかった。眠れる時に眠っておこう。少しの時間ではあるが恭二はそっと瞼を閉じた。
微睡みの中、みのりの声が聞こえる。
「恭二、ごめん。俺一つ前の駅で降りるから、ちゃんと次で降りてね」
「……ん」
眠い目を擦りながらぼんやりと窓の外を見る。降車駅付近の景色に見えた。
「恭二もくる?」
「……なに?」
まだ夢と現実の狭間にいる恭二は状況を把握することができなかった。
車体が揺れ、ゆっくりと停車する。扉の開く音がした。
「俺はここで降りるけど、恭二は次で降りるんだよ」
シンとした車内に、みのりの声だけが響く。
なんだか悲しいこと言われたような気がして、嫌だという言葉が喉まで出る。そんな恭二を見て、みのりは困ったように笑った。
「おいで」
差し出された手を、縋るように掴んだ。
引っ張り出されるような形で、恭二はホームに降ろされた。プシューーと音を立て扉が閉まる。
「んっ……?」
「悪いことしたみたいだ」
「はぁ」
「何でもない、こっちの話」
みのりはそう言うと、恭二の手を掴んだまま改札へと歩き出す。
「みのりさん!ここ、手前の駅!!」
「そうだよー」
いつもと違う景色に気が付いたのか、慌てて恭二が声をあげた。それを気にすることなくみのりは前へと進んだ。
改札を出ると春の風が強くあたった。飛ばされないようにとハットを空いた手でおさえる。
「あの、どこ行くんですか?」
「ちょっとね」
ちょっとってどこだよ、という恭二の訴えを無視しみのりは川沿いの遊歩道を歩く。よく分からないまま歩かされる。恭二は何も言わなかった。みのりも特別何も言わなかった。
離すタイミングをか逃した手は、繋がれたままだった。
「……すごいっすね」
「だろ?毎年この時期になると見に来てるんだ。今年はちょっと出遅れたね」
五分ほど歩くと、小さな公園に辿り着いた。そこには見頃から少し外れた桜の樹が一本だけ生えていた。三割ほど葉桜になってしまっているものの、立派な花を咲かせるそれはとても綺麗だった。小さな街灯に照らされた桜をぼんやりと眺めながら、恭二はふと考えた。
「本当は、一人で来るはずだったんですよね」
その言葉には多分に意味が含まれていた。その意味を幾つか拾い上げて、何でもないというように、みのりは握ったままの手に力を込めた。
「その予定だったけど、気が変わったんだ」
何でもないはずなのに意味ありげにそう答えてしまうのは、恭二の反応が見たいからなのかもしれない。我ながら悪い癖だとみのりは思う。晴れない顔をしている恭二が、今は自分のことを考えてくれているんだと思うと、何だか嬉しかった。
「今度、ピエールも連れてお花見しようか。ここはもう散りかけだけど、まだ咲いてるところもあるよね?」
はぐらかされてしまった。恭二はそんな風に思っているだろう。こんな風に恭二をからかうのは何回目だろうか。いい加減、意味も考えもないことに気がついて欲しい。純情すぎるのも危険だよなと二十歳の子供を心配する。
みのりは握っていた手をゆっくりと離した。また意味のない行為を意味ありげなタイミングでしてしまった。自分の一挙一動で恭二の表情がコロコロと変わるのはやはりとても面白かった。
突如、視界が薄いピンク色に染まった。
春の風に乗っていくつもの花びらが舞い降りてくる。花びら中で不安げな表情を見せる恭二に、素直に見惚れていた。
一歩、二歩、みのりは距離を縮める。
恭二の耳朶に指を這わせ、口許を覆うそれを外す。
「みのりさん……?」という言葉は紡がれることなくみのりの唇に吸い込まれた。
「あんた、なにして……!」
「メガネ掛けてするの初めてだったから、ごめん」
コツンと当たったメガネのフレームが、二人の距離を邪魔した。
「そういう問題じゃ……」
「ねぇ、外して?」
みのりのその声に、雄の目に、捕らえられてしまった。
外でするなんてありえない、とその行為を拒んでいた恭二だったが、外してと言われてしまえばそれに逆らうこともできず、みのりの熱に当てられ素直にフレームに手をかけた。
「いい子だ」
羞恥と期待に揺れる綺麗な碧がぎゅっと閉じられる。
人がいないことは分かってはいるが、みのりはまじない程度にハットで顔を隠した。二人の距離を邪魔するものは何もなかった。
桜よりもピンクに色付いた恭二の耳朶をふにふにと弄る。ありえない、と言った顔で、少し涙目になっている恭二が可愛かった。
「ごめんね」
あんまりにも可愛いから、つい。
そうみのりが言うと「ばか」と小さな返事が聞こえた。
どこへ行くのかと問いかければ「ちょっとね」と、みのりは何か含んだような物言いをした。
時計が二十一時半を少し回った頃。ラジオの収録が終わり、お疲れ様でしたと口々にしながらビルの外へと出た。プロデューサーは仕事の確認がある為事務所へ、ピエールはSPの車で帰路につく。ピエールを見送ったあと、みのりと恭二も駅へと向かった。
春といえど夜はまだ肌寒く、歩きながら恭二はお気に入りのスタジャンを羽織った。以前みのりが「そろそろ俺達も変装しないといけないと思う」と言っていたのを思い出し、鞄から慌ててマスクとメガネを取り出し装着する。しかしそんなことを言った当の本人は、おしゃれなハットを被るだけで特別変装などしていなかった。それどころかマスクをつけた恭二を見るなり「花粉症だったっけ?」と言う始末だ。これには恭二も呆れて「みのりさんが変装しろって言ったからだ」と声をあげた。
「そんなことも言ったかな。恭二は背も高いし目立つから、変装したほうがいいと思うけど……俺はしなくていいよ」
長髪の男性(しかも美形)の方が珍しいし目立つだろう。恭二とて、好きで変装をしているわけではないので、みのりの言い分にはいささか苛立ちを覚えた。人に変装させておいて自分はしないだなんて。
「納得いかないんで、これかけてください」
恭二は自分がかけていたPC用の度なしのメガネをみのりに差し出した。
電車には人がまばらに座っていた。平日ではこんなこともないだろうが、今日は日曜日だ。
空いている座席にマスクをした男と、ハットをかぶりメガネをかけた男が二人同時に腰掛けた。
「よっこいしょ」
一人からそんな声が聞こえた。
みのりがつい最近まで、同じ事務所の山下次郎と共に仕事をしていたことを恭二は思い出した。
事務所の寮まで、電車で8駅ほどだった。乗り換えもなく座っていればいいだけなので楽だった。有難いことに最近は、睡眠時間の確保が難しくなる程度には仕事が忙しかった。眠れる時に眠っておこう。少しの時間ではあるが恭二はそっと瞼を閉じた。
微睡みの中、みのりの声が聞こえる。
「恭二、ごめん。俺一つ前の駅で降りるから、ちゃんと次で降りてね」
「……ん」
眠い目を擦りながらぼんやりと窓の外を見る。降車駅付近の景色に見えた。
「恭二もくる?」
「……なに?」
まだ夢と現実の狭間にいる恭二は状況を把握することができなかった。
車体が揺れ、ゆっくりと停車する。扉の開く音がした。
「俺はここで降りるけど、恭二は次で降りるんだよ」
シンとした車内に、みのりの声だけが響く。
なんだか悲しいこと言われたような気がして、嫌だという言葉が喉まで出る。そんな恭二を見て、みのりは困ったように笑った。
「おいで」
差し出された手を、縋るように掴んだ。
引っ張り出されるような形で、恭二はホームに降ろされた。プシューーと音を立て扉が閉まる。
「んっ……?」
「悪いことしたみたいだ」
「はぁ」
「何でもない、こっちの話」
みのりはそう言うと、恭二の手を掴んだまま改札へと歩き出す。
「みのりさん!ここ、手前の駅!!」
「そうだよー」
いつもと違う景色に気が付いたのか、慌てて恭二が声をあげた。それを気にすることなくみのりは前へと進んだ。
改札を出ると春の風が強くあたった。飛ばされないようにとハットを空いた手でおさえる。
「あの、どこ行くんですか?」
「ちょっとね」
ちょっとってどこだよ、という恭二の訴えを無視しみのりは川沿いの遊歩道を歩く。よく分からないまま歩かされる。恭二は何も言わなかった。みのりも特別何も言わなかった。
離すタイミングをか逃した手は、繋がれたままだった。
「……すごいっすね」
「だろ?毎年この時期になると見に来てるんだ。今年はちょっと出遅れたね」
五分ほど歩くと、小さな公園に辿り着いた。そこには見頃から少し外れた桜の樹が一本だけ生えていた。三割ほど葉桜になってしまっているものの、立派な花を咲かせるそれはとても綺麗だった。小さな街灯に照らされた桜をぼんやりと眺めながら、恭二はふと考えた。
「本当は、一人で来るはずだったんですよね」
その言葉には多分に意味が含まれていた。その意味を幾つか拾い上げて、何でもないというように、みのりは握ったままの手に力を込めた。
「その予定だったけど、気が変わったんだ」
何でもないはずなのに意味ありげにそう答えてしまうのは、恭二の反応が見たいからなのかもしれない。我ながら悪い癖だとみのりは思う。晴れない顔をしている恭二が、今は自分のことを考えてくれているんだと思うと、何だか嬉しかった。
「今度、ピエールも連れてお花見しようか。ここはもう散りかけだけど、まだ咲いてるところもあるよね?」
はぐらかされてしまった。恭二はそんな風に思っているだろう。こんな風に恭二をからかうのは何回目だろうか。いい加減、意味も考えもないことに気がついて欲しい。純情すぎるのも危険だよなと二十歳の子供を心配する。
みのりは握っていた手をゆっくりと離した。また意味のない行為を意味ありげなタイミングでしてしまった。自分の一挙一動で恭二の表情がコロコロと変わるのはやはりとても面白かった。
突如、視界が薄いピンク色に染まった。
春の風に乗っていくつもの花びらが舞い降りてくる。花びら中で不安げな表情を見せる恭二に、素直に見惚れていた。
一歩、二歩、みのりは距離を縮める。
恭二の耳朶に指を這わせ、口許を覆うそれを外す。
「みのりさん……?」という言葉は紡がれることなくみのりの唇に吸い込まれた。
「あんた、なにして……!」
「メガネ掛けてするの初めてだったから、ごめん」
コツンと当たったメガネのフレームが、二人の距離を邪魔した。
「そういう問題じゃ……」
「ねぇ、外して?」
みのりのその声に、雄の目に、捕らえられてしまった。
外でするなんてありえない、とその行為を拒んでいた恭二だったが、外してと言われてしまえばそれに逆らうこともできず、みのりの熱に当てられ素直にフレームに手をかけた。
「いい子だ」
羞恥と期待に揺れる綺麗な碧がぎゅっと閉じられる。
人がいないことは分かってはいるが、みのりはまじない程度にハットで顔を隠した。二人の距離を邪魔するものは何もなかった。
桜よりもピンクに色付いた恭二の耳朶をふにふにと弄る。ありえない、と言った顔で、少し涙目になっている恭二が可愛かった。
「ごめんね」
あんまりにも可愛いから、つい。
そうみのりが言うと「ばか」と小さな返事が聞こえた。
