第三章 知らなかった事実
第三章 知らなかった事実
詳しい事情を話したいから……と、アベルは半ば強引に弧児院に案内させられていた。
涙まで浮かべて感激してみせた王様は、何故か感激が収まると急に笑顔になり、戸惑うアベルやレティシアたちを連れて、半ば強引に弧児院に案内させたのだ。
最初は尤もらしい理由を使っていた。
曰く、
「レティシアがどんなところで働いているか興味がある。案内してくれないか?」
という話で当のレティシアが恥ずかしいからこないで、と拒絶するとなぜか今度はレイティアに同意を求めた。
「レイだってレティがどういうところで働いているか興味があるだろう?」
とかなんとか同意を得ようとする始末。
レイティアはレティシアを預けるとき、貴族に偏見がありそうなシスター・エルを思い出して、このときの父の言葉にはこう答えた。
「でも、せっかくレティが自立しようと自分ひとりで頑張っているんですもの。お父さまが顔を出さない方がいいわ。子供の仕事場に親が顔を出すのは、あまり好かれませんから。レティが親離れできていないと思われますわ」
ふたりの娘に揃って反論された王様は、それはそれは拗ねてみせた。
ブツブツブツブツと愚痴りつづけ、それでも認めてもらえそうにないと悟ると、ついに開き直ってこう言った。
「……わたしはアルベルトが、アルが育った場所を見たいんだ。そんなに邪険にしなくても……」
大の大人がそれも一国の王様が、子供たちにつれなくされたと拗ねるのだ。
アベルは呆れてしまって、なんでもお好きにどうぞ、といった気分になった。
娘ふたりはまだ納得していない風情だったが、問題の当事者であるアベルが投げやりとはいえ認めてしまったので、仕方なく父親のワガママを受け入れた。
そうして現在、4人は弧児院の前にいる。
「ふうむ。ここがアルが育った場所か。なかなかに風情のある建物だ」
「はっきり言っていいよ、オンボロだって」
アベルがそういうとケルト王は困った顔になり、やがて諦めたのか堂々とこう言った。
「言ったら悪いかもしれないが、確かに貧相な建物だ。これで嵐に耐えられるのか?」
この國は火山はないし地震も滅多にないが、そのかわりといってはなんだが、実は台風やハリケーンなどが多いのだ。
それに海も近いので洪水や津波も多い。
この国に住んでいれば当然だが、それらに備えなくてはならない。
アベルの育った弧児院は、そういう意味でいつも問題を抱えていた。
それをなんとかしていたのもアベルである。
「お父さま、アベルさんってすごいのよ?」
「ふむふむ。どうすごいのだ、レティ?」
「嵐に備えて孤児院や教会を修繕するお金も、すべてアベルさんが用立てているの」
「ほう。それはすごい。一体どうやって? かなりの額になるのだろう?」
ケルトも王なので実際のところ、金銭的なことには疎いのだが、これだけ大きな建物なら修繕などでかなりの金額が必要なことは想像がつく。
もしやクレイが彼に遺産でも遺したのかと思ったが、レティシアの説明は意外なものだった。
「アベルさんってとても優れた吟遊詩人なの。孤児院や教会の維持費も日々の生活費もすべてアベルさんが用立てているのよ。どう? すごいでしょう?」
「それは……今彼がいなくなると、ここに住む人々は生活に困窮するということか?」
困惑気味の声にレティシアはため息をつく。
「この教会のシスター・エルは、とても貴族をきらっていて、寄付金なども受け取らないそうなの。そのせいでいつも困窮していた生活を立て直したのがアベルさんらしいのよ。いなくなったら困窮するどころではないでしょうね、きっと」
それは遠回しに餓死の可能性もあると言っているのと同じだった。
まさかそんなこととは思ってもいなかったケルトは言葉を失う。
(わたしのやろうとしていることが、まさかそんな意味を持っていたとはな。だが、現実に彼はもうここにはいられない。それとも今動き出すには時期尚早ということなのか? 今彼に事実を打ち明けても受け入れない気がする)
ケルトが彼を見るとアベルはなにか言いたげな顔でこちらを見ていた。
(やっぱりケルト王は、俺の生活を根底から変えかねない秘密を知っているのか? だから、今その話を聞いて顔色が変わった?)
問うには怖い問いを胸にアベルは孤児院の中へと入った。
その後をケルト王が娘たちを連れて入っていく。
(うーん。本当に貧相だ。彼がここで育ったというのは将来的には助かるのだろうが、わたしとしてはあまり歓迎できないな。王としては喜ばしいことだが)
これからのためには役に立つ得難い経験だ。
だが、個人的にはやはり喜べない。
孤児院の中に入ってすぐにアベルを呼ぶ幼い声が聞こえてきた。
「おかえりなさい、お兄ちゃんっ!!」
「ただいま、フィーリア」
当然のように頭をなでるアベルに、ケルトは首を傾げる。
「彼には妹がいるのか? いや。だが」
「アベルさんの孤児院仲間みたいな関係よ、お父さま。本当の兄妹ではないわ」
「そうなのか」
「孤児院で育つと年上のことは兄、姉と呼ぶようね。それと同じように年上の者も年下の者を実の弟や妹として扱う。そういうことらしいわ、お父さま」
ふたりの娘からの説明にケルトは複雑な気分になる。
実の兄妹のように振る舞うふたり。
だが、その関係を自分が壊すのだ。
そう思うと罪悪感が沸く。
「お客さんを連れてきたの? ひとりはこのあいだきたレティさんのお姉さんだよね? もうひとりのおじさんは?」
フィーリアにおじさんと呼ばれ、ケルトがイジける。
そんな王をチラリと見て、アベルはフィーリアに笑ってみせた。
「ふたりの父さんだよ。レティがどうやって働いているか知りたいから。そう言われて連れてきたんだ」
「ふうん。お兄ちゃんって本当に顔が広いよね。驚いちゃう」
「エル姉は?」
「教会だよ。懺悔にだれかきたみたいで、しばらく近づかないでって」
「へえ。最近多いよな、懺悔」
前はそれほどでもなかったが、最近特に増えた気がする。
エル姉に訊いても大したことじゃないからとしか言わないけど。
「アル。そろそろそなたの部屋に案内してくれないか?」
「ホントにそれしか用事がないんだな、アンタ」
呆れたように言ってアベルは3人を連れていこうとしたが、説明と違う行動にフィーリアは疑問を抱いたようだった。
通り過ぎようとした4人を振り返る。
「お兄ちゃん」
「なんだよ?」
振り向いたアベルが問いかける。
まっすぐなフィーリアの視線がアベルを貫いた。
ちょっと息を飲む。
「アルってもしかしてお兄ちゃんのこと? どうしてレティさんたちのお父さんが、お兄ちゃんの部屋に行きたがるの?」
「俺がレティの部屋には行けないって言ったからだよ。今はレティはフィーリアと同室だろ? それで俺が立ち入りは遠慮してくれって言ったんだ」
「そんなこと気にしなくていいのに」
「でも、フィーリアの私的空間だから、できるだけそっとしておいてやりたかったんだ。それで孤児院にきたら、俺の部屋に案内することになっててさ」
「部屋のことはわかったけど、お兄ちゃんをアルって呼ぶのはなんで? お兄ちゃんはアベルだよ?」
アベルはここにきた当初こそ、自分のことは「アルベルトだよ」と名乗っていたが、すぐにクレイ将軍に諌められていた。
そのおかげで実際にアベルが自分のことを「アルベルト」と名乗っていたことを知っているのは今ではシドニー神父くらいだ。
シスター・エルはその頃はまだ健在だった両親と一緒に住んでいて、この教会にはシスターの勉強を兼ねてくるくらいだったので、当然だがアベルがそう名乗ったことは知らない。
知っていたらアベルへの態度は、最初は絶対にぎこちなかっただろう。
さて。
どう答えようかと思っていると、ケルト王が自然な態度で口を挟んできた。
「本当はアベルという名なんだろう? だが、アベルという名のいとこがわたしにいてな。それでアルと呼んでいいかと本人に訊ねたら許可が出たというわけだ」
「ふうん」
フィーリアは納得したものの不満そうな顔だ。
それなら理由として理解できるが、アベルに対して失礼だと思ったから。
いくら同じ名のいとこがいても、それでアベルの名を変えようとするなんて横暴だ。
そんな感想を読み取ってくれたのか、アベルが頭を撫でてくれた。
「そんな顔するなよ、フィーリア。俺は気にしていないんだから」
「でも」
「それに俺は別にアルでもいいんだよ」
「どうして?」
「俺は昔はアルと呼ばれていたらしいから」
「お兄ちゃん?」
フィーリアの怪訝そうな顔にアベルはやるせない顔で笑う。
「アベルって名はさ。俺をここに連れてきてくれた人が名付けてくれた名前で、俺の本名じゃないんだよ」
「嘘。じゃあお兄ちゃんの本名って?」
「ごめん。それについては言いたくない。いつか言ってもいいと思えたら、フィーリアやエル姉には1番に教えるから。だから、今は知らないフリをしてくれよ」
「お兄ちゃん」
呆然としているフィーリアを置いて、アベルは3人を引き連れて部屋へと移動した。
アベルの部屋は大黒柱だけあってか、個室でわりと立派な部屋だった。
だが、それはあくまでも外観から見てという意味だ。
通されたケルトはすこし複雑な声を投げた。
「せっかくわたしがごまかしたのに言ってもよかったのか、アル?」
「いつかは言わなくちゃいけなかったことだ。俺がフィーリアたちを騙しているのは事実だからな」
「だが」
「お父さま。そのことではアベルさんが1番考えているはずよ。そのくらいにしてあげて」
レティシアに取りなされてケルトは渋々諦めた。
「それで? 詳しい事情って?」
寝台に腰掛けたアベルに言われ、部屋に4つしかない椅子を勧められたケルトたちは、勧められるままに腰掛けると話し出した。
「まずそなたの名付けについて」
「名付け?」
首を傾げるアベルにケルトは頷いた。
「おそらくそなたのアルベルト・オリオン・サークルというのは略称だ」
「略称」
「この国ではそういう名付けをされる人物というのはただひとりしかいない」
「どういうこと? お父さま?」
首を傾げるレティシアに姉であるレイティアが話し掛けた。
「今は黙って聞いていて、レティ」
「姉様は知っているの?」
「このあいだレティをを連れ戻しにきたときに、宮廷に戻ってからお父さまから伺ったわ」
レティシアは黙ってアベルの顔を見る。
強ばった彼の顔を。
「ファースト・セカンド・サードと続く名付け。そなたの名付けはそれを意味している」
「そんなの……サークルが苗字かもしれないじゃないか」
「そなたはわたしが国王だと忘れていないか? この国に住む人々の苗字はすべて把握している。サークルという苗字はないのだ」
サークルという苗字はないと言われ一度言葉に詰まったが、アベルはすぐに思いなおして言い返した。
「だったらよその国から流れ者かもしれないし。その場合サークルという苗字でもおかしくないだろう?」
「それはありえないな」
「どうして……」
「そなたの容姿だ」
「容姿?」
アベルは意外なことを指摘され、今度こそ言葉に詰まった。
(容姿?)
「わたしはな、王家の直系として他国の血はいっさい混じっていない。それは前王だった兄上にもいえるのだ」
「……」
レイティアからアベルが前王そっくりだと言われたことを思い出してアベルの顔がますます白くなる。
「兄上は紛れもないこの国特有の顔立ちの持ち主だった。その兄上とそっくり同じ顔をしていながら他国の血を引いている? それどころか他国からの流れ者? ありえぬな」
前王にそっくりだということは、アベルの身にはこの国の人間以外の血は流れていないことを意味する。
そう言われてアベルは言い返す言葉を探していた。
このままでは思わぬ形で自分の出自を証明されそうで。
だが、どうしても言い返すべき言葉が浮かばない。
この国でたったひとりにしか名付けられない名付け。
それが普通の意味ではないことは、アベルにもよくわかるので。
「この国でたったひとりだけサードまで名付けられる人物がいる。言っておくがわたしの名付けられた名はセカンドまでだ」
この言葉にはアベルは瞳を見開いた。
国王よりも長い名前?
ありえないと内心で動揺している。
顔には出していないけれども。
「前例はわたしが知っているかぎりでは、そうだな。そなたよりも以前はただひとり。その人より以前を逆上ればもっといるが」
「そんなにいるんなら別に特別な名前じゃないだろ」
言い返すアベルの声は震えていた。
その動揺を見抜いてケルトはため息を漏らす。
「言っただろう? この国でそう名付けられるべき人物はただひとり、と。つまりひとつの家系図でひとつの世代につきひとり、という意味だ。言い換えればそなたより以前に名付けられていた者は、そなたよりも以前の世代。つまり前代。そなたは当代。それ以前となると前々代とかそういう意味になる」
「ひとつの家系図でってことは、他の家系図にもいるんじゃ……」
「ああ。言い方が悪かったな。この国に存在するすべての家系図の中で、たったひとつの家系図でひとつの世代につきひとり、だ。つまりその家系図以外は実在しない」
「……」
聞けば聞くほど普通の意味には聞こえなくて、アベルは息を殺す。
なんだか聞きたくない現実を聞くような気がして。
「アルベルト。そなたの正式名をわたしは知っている。アルベルト・オリオン・サークル……ディアン」
アベルとレティシアの瞳が見開かれた。
「「ディアン? それって……」」
「そう。そなたの正式名はアルベルト・オリオン・サークル・ディアン。このディアン王国の正当な世継ぎの君だ」
「嘘だ……」
アベルは震えて頭を抱え込んだ。
「王家の代々の世継ぎのみが、サードまで名付けられる。国王の家系しかも第一子にしか受け継がれない名付けなのだ。従ってそなたより前にそう名付けられていたのはわたしの兄上。つまり前王だ」
「……信じらんない」
「アルベルト。そなたはわたしの兄上が残した唯一の忘れ形見。この国の正当な跡継ぎなのだ」
「そんなの俺は望んでいないっ!! それにそんな証拠がどこにあるんだっ!? 俺自身、自分の出自は憶えていないのにっ!!」
とっさに感情的に言い返したアベルに、ケルトは子供を言い聞かせるような顔をした。
「そなたのしている腕輪が証拠だ」
ビクリとアベルの身体が震えた。
無意識に服の下にある腕輪を隠すような仕種をしてしまう。
「そなたのしている腕輪こそが、第一王位継承者の腕輪。つまりその腕輪の所有者こそが、第一王位継承権を持っていることを証明しているのだ」
「そんなの他のだれが信じるっていうんだ?」
「わたしが信じさせてみせる。それにすこしでもわたしの腕輪について知っている臣下なら、その腕輪を前にしたら信じざるを得ない。何故なら第一王位継承者の腕輪も、わたしの所持している第二王位継承者の腕輪と同じく普通の腕輪ではないからだ」
これについてはアベルは答えなかった。
肯定も否定もしなかったのである。
「そなたはその腕輪を外したことがあるか?」
「……あるに決まってるだろ。風呂とかどうするんだよ?」
「だったら今外してみせてくれ」
こう言い返されるのはわかっていたのか、ケルトは即座にそう言った。
アベルはなにも言い返さない。
「できないだろう?」
優しい声にアベルは顔を背けた。
「その腕輪がどういう腕輪なのか、どういう仕組みになっているのか、なにも知らないそなたには外せないはずだ。わたしも生涯に一度しか外す気はないしな」
「え? 外せるのか、これ?」
つい驚いた声を出してしまい、アベルは暴露してしまった。
自分には外せない、と。
それに気づかないくらい驚いているらしいアベルにケルトは苦笑する。
「外せる。生涯に一度だけな」
「嘘だろ」
「そなたはまだその条件を満たしていない。だから、外せないのだ。それにそなたは条件そのものを知らない。それで外せるわけもないだろう」
これでうっかり暴露したことに気づいたアベルは慌てて口を噤んだ。
「その条件を今教える気はない」
「なんで……」
「そなたは今は条件を満たしていないから、教えてもいいような気もするが、条件を満たそうとして、不本意な行動に出る可能性も無ではないからな。だから、教えない」
「その心配はいらないんじゃないかしら?」
「レイ」
父の呼び声にレイティアは、自分なりに調べたアベルの人柄を思い出しながら答えた。
「アベル様。いえ。アル従兄さまと言うべきかしら? アル従兄さまはそういう行動には出ないと思うわ。自分が認めたくない境遇に追い込むような真似、アル従兄さまにはできないと思うのよ。わたしの調べた情報ではアル従兄さまってそういう人よ?」
「ごめんなさい。お話が見えないの。どういう意味なの?」
首を傾げるレティシアを見て、ケルトは覚悟を決めた。
それほどレイティアを信じていたということである。
「腕輪が外れる条件はただひとつ」
アベルは食い入るようにケルトの顔を見た。
「国王に子供が産まれ、その第一子が3歳になったとき、初めて王位を継承する条件が成立したことになる。そのときに時の国王が、我が子こそ後の王と認めた場合に限り、つまり王位を継承させてもいいと判断したときにだけ腕輪は外れる。第一王位継承権を3歳になった我が子に譲ることで」
自分に子供ができて、その子が3歳になると王位を継承することが許される?
それはアベルが自分の子に重責を押し付けるということだ。
国王として正式に子供を得て、その子に将来、王位を譲ってもいいと思えたなら、そういうこともいいかもしれない。
だが、レイティアの言ったように、自分が楽になるためにその手を使うのは……どうもアベルにはできないようだった。
「よく思い出してみるんだ。そなたがこの孤児院に預けられた当時、そなたはすでに3歳になっていたはずだ」
たしかにアベルがこの孤児院に預けられたのは3歳のときである。
そのとき、すでにこの腕輪をしていたらしいから、ケルト王の言っている条件は満たしていることになる。
前王がアベルに王位を譲ってもいいと思ったから、亡くなる前に前王からアベルへと王位は継承されていた。
そういうことなのだろう。
「言っておくが自分の子でもない子供に、自分の子と偽って王位を譲ろうとしたり、もしくは自分の子以外の子に王位を譲りたいと思うようなことは慎んだ方がいい」
「どうして?」
「お父さまから伺ったお話では、第一王位継承権の腕輪も、第二王位継承権を意味する腕輪も、王家直系の者しか身につけられないのだそうです」
「え?」
「もし王家直系の血を引く者以外が身につけると、全身黒焦げになって死んでしまうのだとか」
それはアベルがこの腕輪を譲る相手は、直接アベルの血を引いた子供でなければならないということだ。
自分の子供以外に譲ろうとしたら、その子は黒焦げになって死んでしまう。
アベルが殺すのだ。
それは……できない。
その方法を検討していたアベルは眼を伏せた。
「さてはその方法を検討していたな?」
瞳を覗き込まれてアベルはとっさに顔を背ける。
ケルトは大きなため息をついた。
「そんなに国王になるのがいやなのか?」
「いやだとかいやじゃないとか、そういうレベルですらない。俺はアベルなんだ。今更実は前王の子供でしたとか、あなたは世継ぎなので国王になってくださいなんて言われても頷けるわけがないだろ。第一」
「第一?」
「俺がそれを受け入れたらレイたちはどうなるんだ? ふたりともアンタの娘として、将来女王になるために頑張ってきたんじゃないのか?」
この言葉にはレイティアとレティシアが顔を見合わせた。
しかしなにも言い返しはしない。
ふたりとも王家の王女である。
自分たちよりも由緒正しい血筋の者が現れたら、その人が王位を継ぐべきだと思うから。
「国王になるためになにも勉強してこなかった俺より、女王になるために頑張ってきたふたりの方が王位を継ぐべきだろ。腕輪になんて拘らなくても」
「それはできないのだ、アルベルト」
言いかけたことを遮られて、アベルは不満を瞳に出す。
そんな甥にケルトは苦笑した。
「王位継承の腕輪は正当な物なのだ。それを無視して王位は継げない。その証拠にふたりの即位を臣下たちが認めていないのだ」
「え?」
驚いてふたりを見ると、ふたりは苦い笑みを浮かべていた。
「ふたりが第一王位継承権を意味する腕輪を受け継いでいないから、臣下たちはふたりが即位することを認めない。逆から言えば、だ。そなたはその腕輪をしているだけで即位ができる」
「そんなバカな」
そんな理不尽なことがあっていいのかとアベルは思う。
だが、ケルトたち親娘は至って真面目な顔をしていた。
彼らにとっては当たり前の事実らしい。
「それに国王になるための勉強ならこれからできるし、政とは王ひとりで行うものでもない。優秀な臣下たちをわたしが育んでおいたから、そなたはなんの心配もいらない。それにわたしもそなたが王として一人前になるまでは譲位する気もないし」
理路整然と言い立てられてアベルは言葉を失う。
そこにはどこにもアベルの意志がない。
それにあまりにレイティアやレティシアに悪い。
いきなり出てきたアベルが、ふたりからすべてを奪うなんて。
「ふたりのことを考えてくれるのか? だが、ふたりの問題はおそらくそなたにも降りかかるだろう」
「どういう意味なんだ?」
「つまり、だ。本来そなたが王位を継ぐべき場面で、臨時とはいえわたしが継いでしまったせいで、レイたちは王女を名乗っているわけだ。そこへ正当な王位継承権を持つそなたが出てきた場合、臣下たちはおそらくふたりのうち、どちらかとの婚約を進言してくるだろう」
「「「婚約っ!!」」」
3人の声がひっくり返る。
そんな3人にケルトは可笑しそうに笑う。
「ふたりは同等の王位継承権を持っている。おそらくそなたと婚約する方に、わたしはこの腕輪を譲ることになるだろうな」
「第二王位継承権の腕輪、か」
アベルはまだ赤い顔のまま唸る。
そんなこといきなり言われても困る。
それはまあふたりは可愛いが、それとこれとは別である。
結婚相手くらい自分で決めたいし、なによりも恋愛くらい自由にしたい。
これまでは可能だったことが、ケルト王の意見を受け入れると叶わないなんて、やはり認められないとアベルは思う。
なによりも今アベルがいなくなったら、この孤児院や教会はどうなるか。
それを思うとどうしても頷けないのだ。
それにアベルがこの孤児院に預けられた経緯も不明なままだし。
「俺はアベルだ」
「アルベルト」
「「アル従兄さま」」
「王位継承なんてくそ食らえだっ」
そこまで言ってアベルはそっぽを向いた。
やはりこうなったかとケルトは顔をしかめる。
彼の境遇や現在立たされている立場を思えば、素直に認めない気はしたのだ。
まだここまで素直に説明に耳を傾けてくれただけマシな方だろう。
説明の途中で追い出される覚悟もしていたし。
「まあ、いい。時間はまだたっぷりある。これからそなたを説得していけば済む話だ」
「いくら説得されても俺の答えは同じだ。王位なんて継がないし、そんなこと知ったことじゃない」
「そなたが真実、兄上の子供なら、いつまでもそんなことは言っていられなくなる」
「勝手に決めつけないでくれ」
「いや。兄上の子だからこそ、今素直に受け入れないのだろう。それがわかるからわたしは気長に説得するつもりだ」
諦めないという意思表示にアベルは迷惑そうにケルトを見る。
内心では兄の子が生きていたことを知ったときの、ケルトの様子を思い出して胸が痛かったけれど。
ケルト王の好意は本物だ。
わかるからアベルは迷惑そうな顔を崩すことができなかった。
自分が育った孤児院や教会に住む家族のために。
そして自分のせいですべてを失い、結婚まで左右されるかもしれないレイティアやレティシアのために。
「どうしてレイ様までがここにいるの?」
刺々しく文句を言ってくるのはマリンだ。
まあそれも当然だろう。
護衛対象がいきなりふたりになったのだ。
女の身で護衛騎士なんてやっているマリンにとってはいい迷惑だろうから。
責められたアベルは食事の席で肩を竦めてみせる。
国王がお忍びでここにきたことはマリンも知っている。
フィーリアからレティシアの父親がきたと知らされたからだ。
そのときマリンはちょうど国王への報告のため、宮殿に戻っていたので留守だったのはそのせいかと呆れたが。
が、何故かそれ以来レイティアもここにいるのだ。
アベルに訊いてもレイティアたちに訊いても埒があかない。
マリンが怒るのは自分はふたりの王女の専任護衛騎士なのに、この事態についてなにも詳しいことを知らされていないからである。
国王が戻ってくるのをじっと城で待っていたマリンが言われたのも、「レイティアは孤児院にいる。悪いがふたりの護衛をよろしく頼む」という内容だった。
事情はなにも聞いていない。
どうしてレイティアまで孤児院に行かせたのか。
マリンは王に問いかけたが、それについて返ってきたのは「秘密だ」という、楽しげな王の声だけだった。
事後承諾というこの状況が気に入らない。
おまけに1番気に入らないのは、どうやらアベルは詳しい事情を知っていそうだと読み取れることにあった。
何故ならレイティアが滞在することについて、唯一疑問視をぶつけなかったのがアベルだからだ。
アベルはこの件について問われると、ただ困ったような顔で肩を竦める。
それが気に入らないのだ。
「そう睨むなよ、マリン。俺だってあの人にレイは連れて帰れって言ったんだ」
「アベルはそんな恐れ多いことを言ったの!?」
驚愕するマリンに「やっぱり宮仕えしていると、こういう反応だよなあ」とアベルは内心で呆れる。
それを思えば自分は初対面から、ずいぶんな態度だったかもしれない。
それでもケルトが怒らなかったのは、おそらく甥ではないかと疑っていたせいだろう。
愛されていることを疑いはしないけれども、この状況は正直嬉しくなかった。
マリンはぶつぶつと怒っているが、1番怒りたいのは実はアベルなのだ。
なにしろ、あの規格外の王様は城へと戻るときにこう言い置いたのだ。
『そなたの言い分はわかった。だが、わたしの言っていることが紛れもない事実であることは確認済だ。いずれ間違いなくそなたとレイたちとの婚姻についての問題は持ち上がるだろう』
これについてアベルは「勝手に決めつけるなっ!!」と怒ったが、アベルの怒りなど怖くもない王様はシレッと言ってのけた。
『レティシアはここにいるからいいとしても、レイティアと全く面識をもてない現状はさすがに困るだろう?』
「困るわけないっ!!」とアベルは言い切ったが、唯我独尊の王様はサラリと無視した。
『そなたが自由に結婚相手を選べるように、レイティアもしばらくここに滞在させよう』
ふたりのあいだから結婚相手を選ぶことを前提にしている王様に、アベルは思わず「それって自由っていうのか?」と突っ込んだが、これも見事に無視された。
あまりに自由意志を無視されるので、アベルは帰城しようとしていた彼を捕まえて訊いてみた。
『アンタ。自分の娘を政略結婚させるのに全く疑問を抱かないのか?』と。
するとケルト王は振り返り、それは嬉しそうに笑った。
『他の貴族の子弟が相手だったならお断りだな』
『だったらっ』
『だが、相手がそなたであれば否やはない』
あのとき、眩しいほどの笑顔で断言され、アベルはついに言い返せなかった。
『むしろ兄上の唯一の忘れ形見であるそなたを他の貴族の令嬢に奪われる方が許せない』
これにはアベルはなにも言い返せず、ただひたすら口をパクパクさせた。
『わたしはな、欲しいものは絶対に手に入れる主義だ。今はなによりもそなたが欲しいから、そなたの結婚相手がわたしの娘以外の貴族の令嬢に決まるくらいなら、臣下たちの思惑に乗るのもためらわない』
要するにアベルを他の令嬢に奪われるのはいやだから、自分の娘に奪わせるということである。
さすがにあんぐりと口を開けてしまった。
この王様はなにを言い出したんだ? と。
アベルを自分の息子にするために臣下たちすら利用すると言い切られたのである。
ある意味で恐ろしいほどの執着だ。
アベルは呆れるのと同時に背筋が寒くなった。
この王様から本当に逃げられるのかどうか、自信がなくなってきたからだ。
しかしやはり彼も人の子。
立ち去り際にこう言い置いた。
『それに娘たちにも否やはなさそうだ。さすがに姉妹で奪い合うになるのは頭が痛いが』
この発言にはふたりの方が慌てていた。
アベルはなにも言い返せずに赤くなって俯いただけだが。
と、いうわけでレイティアは孤児院への滞在が決まったのだ。
国王の決定ではだれにも逆らう術がない。
アベルが彼の言うことを認めたら、もしかしたら意見する権利くらいはあるかもしれないが、現国王である彼を無視することは難しいだろう。
そんな理由をマリンに言えるわけがない。
どうやら国王にもなにも教えられなかったらしいマリンが、あまりにぶつぶつと愚痴るのでアベルとしては肩を竦めるしかなかったりするのだ。
「アベルはいつから隠し事をするようになったの?」
もうひとり刺々しい女性がいた。
エルだ。
アベルは困ったような視線を向ける。
「彼女まで預かる金銭的な余裕はウチにはないのよ? どうして勝手に引き受けたの?」
「そのことなら……マリン」
アベルに視線を向けられ、マリンは渋々席から立ち上がり彼女に近づいた。
シスター・エルがじっと見詰めていると、彼女の目の前にマリンがカバンを置く。
とても重そうなズシリという音がした。
だれもが息を飲んでその光景を見ている。
「おふたりの父上様が迷惑をかけるのだからと、おふたりの滞在のためにこれを用意されました」
「アベル!! 寄付金を受け取ったの!?」
血相を変えるシスター・エルにシドニーも顔色を青くする。
彼女の怒りが見えたからだが、同時に寄付金にしても、常軌を逸しているような金額であることがわかったからだ。
「寄付金じゃないよ。生活費」
「どっちにしても寄付金じゃないっ。貴族からでしょうっ!? どうして受け取ったのっ!?」
「いや。だから、寄付金じゃなくてふたりを預かるに当たっての生活費だってば、エル姉」
「生活費にこんなに必要っ!?」
バンッとテーブルを叩くシスター・エルにアベルも困る。
アベルもやりすぎだと言ったのだが、王様はあっさりこう言ったのだ。
『だが、そなたがいなくなったとき、この孤児院も教会も生活に困窮するのだろう? シスターが寄付金を受け取らないことは聞いたが、このくらいの額は受け取っておくべきだ。そなたがいなくなったとき、子供たちが餓死してもいいのか?』
と。
いなくなるような事態にはしないつもりだが、あの王様が相手だとそう断言することもためらわれて、結局アベルは押し切られたのだ。
しかし後でマリンに持ってこさせるからと言われたときは、正直ここまでの大金だとは思っていなかった。
エル姉を説得できない気がして不安だったが、やはりこうくるか。
王様はやはり金銭感覚が普通じゃない。
王になる前は庶民に紛れて暮らしていたらしいが、あの王様に平民の暮らしなんてできたのかと疑っていた。
「あの……シスター・エル」
レイティアが口を開いて、エルはなんの罪もない彼女を睨んだ。
睨まれてもレイティアは怯まないけれど。
「どうして生活費がその金額になったのかについては、いずれわかっていただけると思いますので、今は黙って受け取っていただけないでしょうか? 父も必要だと思ってしたことですし」
「本当に寄付金じゃないの?」
「違います。純粋に生活費です」
言い切るレイティアにエルは、ますますふたりの出自を疑うのだった。