第十章 嘘と真実
第十章 嘘と真実
宮殿で世継ぎのお披露目がされている頃、アベルが育った孤児院では皆笑えない日々を過ごしていた。
今まで生活を支えてくれたアベルが突然姿を消したからだ。
あの日のことはフィーリアもシスター・エルもはっきり覚えている。
「ちょっと出掛けてくるよ」
アベルはあの日、そう言って笑った。
レイたちの家に呼ばれているからちょっと行ってくる。
そう言って辻馬車に乗って出ていったのだ。
それっきり帰ってこない。
もう一月近い。
レイたちの素性はだれも知らないので、アベルが呼ばれた家というのが、どこにあるのかがまずわからない。
フィーリアは落ち込んで毎日毎日アベルの無事を祈っていた。
そんな妹代わりをシスター・エルは落ち込んで見守っている。
彼女には彼女にしかない心当たりがあったので。
自分が怪盗をやっていることをアベルに知られたのがあの前夜のこと。
アベルはあの夜にエルが盗んだリドリス公のネックレスを公爵に返すと言っていた。
その翌日にレイたちを連れて出掛けて、それっきり帰ってこないのだ。
レイたちの家に呼ばれていると聞いたとき、シスター・エルが疑ったのは、アベルが公爵へ繋ぎを取るために貴族であるレイたちを頼ったのではないか、ということだった。
彼女たちを通じて公爵に逢おうとしたのではないか。
そして帰れなくなったのではないか。
そんな気がして仕方がない。
だとしたら自分のせいだ。
あのネックレスを盗んだのはアベルじゃない。
エルだ。
なのにアベルが責められて帰れなくなっているとしたら?
そんなある日のことだった。
居なくなったアベルから直筆の手紙が届いたのは。
内容はごく素っ気ないものだった。
「俺は元気にしているよ。でも、ちょっと旅に出るから、しばらく戻れない。それじゃ元気で」
それしか書いていなかった。
行く先もどうして旅に出るのかも、なにひとつとして書いていなかった。
アベルを父親代わりとして育てていた神父のシドニーは、その手紙を読んで複雑そうに言ったものだ。
「アベルにもなにか事情があるのだろう。詮索はよくない。きっと戻ってくるから、皆はそれを信じて待ちなさい。幸いお金のアテはあるし」
アベルがあのふたりを連れてきたことで得た生活費がまだ沢山残っていた。
だから、アベルがいなくなっても困らない。
それが救いだったが、どう見てもあの手紙は戻れないことで心配をかけまいとしているとしか受け取れなかった。
必要最小限なことしか書いていなかったのも、詳しい事情を書いて心配をかけたくなかったから。
アベルの性格ならそうとしか読み取れない内容だった。
普通ならアベルはもっと詳しく近況を書くはずだ。
自分が突然いなくなったことで、子供たちもエルもそしてフィーリアもシドニーも、全員に心配をかけている。
それがわかっているから、何故戻れないのか、戻ってくるのにどのくらいかかるのか、今どこにいて、これからどこに行くのか。
そういうことを詳しく書いてくるはずだ。
だが、そういうことには一切触れていなかった。
それは書けなかったと受け取れた。
書けば心配をかけるなら、あの優しいアベルにはなにも書けない。
もしくはなんとかあの手紙は書いて届けてもらえたが、内容を閲覧されていて詳しいことは書けなかったか。
後者の場合はアベルが囚われていることを意味するが。
「あたしが助けなきゃ……。あたしが余計なことをしなければアベルは……」
弟分のアベルが自分のせいで危険な目に遭っているかもしれない。
それはエルには我慢できないことだった。
アテならある。
リドリス公爵だ。
忍び込んだときに城の間取り図なら頭に入っている。
「直談判しかないわね」
低く呟いたときに声がした。
「直談判ってだれに?」
「フィーリア」
驚いた。
今気配を感じさせなかった。
読めないほど取り乱していたのだろうか。
今までエルが気配を読めないのは、相当の腕前を持つアベルくらいだったが。
「お姉ちゃん……お兄ちゃんがいなくなった理由に心当たりでもあるの?」
「それはね」
「あったら教えてっ!! わたしだってお兄ちゃんが心配なのっ!!」
必死になって縋るフィーリアに責任を感じて、これまで隠していたことをすべて打ち明けた。
エルの家系が怪盗の家系であること。
アベルがいなくなった前夜、彼にそれを知られたこと。
盗んだものを宰相に返すと言っていたこと。
その翌日にいなくなり、残っていた荷物の中に、盗んだネックレスがなかったことを。
フィーリアは驚いた顔ですべてを聞いていた。
「お姉ちゃんが怪盗? シスターなのに?」
「シスターだから怪盗なのよ。神のお慈悲では片付かないことが、この世には多すぎるから」
「そのためにお兄ちゃんは帰ってこられなくなった?」
「その可能性は高いわね。あのネックレスを持っていたことから、宰相がアベルを怪盗だと思ったら?」
「……公爵の城にまた忍び込む気だったの?」
「それしかアベルを救い出す方法がないならね。あたしの責任なの。あたしがアベルを助けなきゃ……」
「お兄ちゃんは盗みをやめてくれって言ったんだよね?」
「これは盗みじゃないわ。人助けよ」
「お兄ちゃんが助かったら怪盗はやめてくれる?」
真剣な目をしてフィーリアはそう言った。
その目を真っ直ぐに見てエルは頷く。
今回のことで本当に懲りていたから。
「二度と盗みは働かないわ。さすがに懲りたもの。自分ひとりの責任になるならいい。こうして大事な家族を巻き込むのは、あたしだって辛いのよ」
「だったらわたしも連れていって」
「フィーリア」
頭を抱え込んで名を呼んだ。
フィーリアは真剣だったが、どう考えても連れていけるわけがない。
「お願いっ。わたしも連れていってっ!! 宰相が怒ってるなら許してもらうようにお願いするからっ!! お兄ちゃんもお姉ちゃんも助かるように宰相にお願いするからっ!!」
足手纏いだとはっきり言おうかとも思ったが、結局フィーリアの真剣さに負けて同行を許してしまった。
アベルが知ったら殺されるかも……と、内心でシスター・エルはため息をついた。
(どうしてこうなったんだろう?)
内心でフィーリアは頭を抱えていた。
すぐにでもアベルを助けたい。
そう主張したエルはフィーリアにバレたその夜に公爵の城に忍び込んだ。
フィーリアはかなり引っ張ったが、エルはそれをものともせずに城に潜入し公爵の自室を目指した。
しかしやはり二度目だったこともあり、警戒が厳重になっていたようで、その上に足手纏いなフィーリアをエルは連れていた。
その結果ふたりはすぐに発見され、城の中を逃げ回る結果になった。
そうして逃げ込んだ先に彼女がいたのだ。
「あの……リアンさん。あなたがここにいるの? そんなお姫様みたいな格好をして」
フィーリアは途方に暮れてそう声を投げる。
だが、途方に暮れているのはリアンも同じようだった。
エルは大体のことを掴んだのか、そっぽを向いたきり声を出さない。
そんな彼女にリアンもお手上げだったのだ。
「お訊ねします。おふたりともが怪盗さんだったのですか?」
「怪盗さん?」
フィーリアが首を傾げる。
リアンはやっぱり変わった人だ。
普通怪盗を「さん付け」はしないと思うのだが。
「わたしは怪盗じゃないよ。ただの付き添い」
「付き添い?」
その言葉からではエルが怪盗なのかと、リアンが彼女を見る。
アベルの言葉がすんなり納得できた。
彼女ならああいうことも言いそうだったから。
「ではシスター・エルが怪盗さんだったのですか?」
「その言葉あなたにそっくりお返しするわ。……公爵令嬢だったのね、リアン?」
逃げ込んだ部屋は豪華で、また女の子らしい部屋だった。
どう見ても彼女のための部屋。
その部屋に違和感なく住んでいる少女。
どこから見てもリアンはリドリス公爵令嬢だった。
「隠していてごめんなさい」
「……アベルはどこ?」
「アベル様……ですか?」
一言問われてリアンが困った顔になった。
「あたしはここへきたわ。あのネックレスを盗んだのはアベルじゃない。あたしよ。だから、アベルを解放してっ!! どうせ公爵が捕らえているんでしょうっ!?」
「ちょっと待ってください、シスター・エルっ!!」
とんでもない勘違いにリアンが言い募ろうとしたとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「リアンっ。無事かっ!? 今賊が潜入したと報告が」
言いかけて飛び込んできた公爵は目を丸くした。
どう見ても怪盗にしか見えない格好の女性がひとりと、普段着姿の幼い少女がひとり、娘の部屋にいたからだ。
「……父様」
振り向いた娘は困惑した顔をしていた。
黙って近付いて娘を背後に庇う。
怪盗姿の女性は真っ直ぐに睨んできていた。
貴族に不満を持っているという王子の言葉を思い出す。
「あなたが巷で騒ぎになっている怪盗か? この城に忍び込んで家宝のネックレスを盗んだ」
「わかっているなら話が早いわ。アベルは解放して。あれを盗んだのはあたしよ。あたしはこうして出頭した。だから、アベルは解放してっ!!」
今度は公爵が目を丸くする番だった。
背後に庇った娘と顔を見合わせる。
その様子に怪盗の女性と一緒にいた少女の方が違和感を抱いたようだった。
「お姉ちゃん。なんか様子が変だよ? このおじさんもリアンさんも、心当たりはないって顔してる」
「そんなはずないわっ。公爵以外のだれがアベルを捕らえるのっ!? あたしがあのネックレスを盗んだりしたからっ。だから、アベルが捕まって帰ってこられないのよっ!!」
決め付けに近い発言に公爵は頭を抱え込んだ。
確かに状況は似通っているが、アベルが帰れない理由は彼が世継ぎだからだ。
彼自身の立場が変わったから帰れない。
その切っ掛けは確かにネックレスだが、別段公爵がそう仕向けたわけではない。
思い込みの激しそうな怪盗だとは、話を聞いたときから思っていたが、まさかここまでとは……。
「リアン。きみはこのふたりを知っているのかい?」
「はい。アルベルト様の、アベルさんとしての妹代わりのシスター見習いフィーリア様と姉代わりのシスター・エルです」
「ふむ。それはまああの方も必死になって庇おうとはなさるだろうな。姉代わりの者が怪盗だったなら命懸けにもなる、か」
「「命懸け?」」
ふたりが青ざめた。
慌てて公爵は片手を振る。
「安心したまえ。彼は元気だ。多少毎日の暮らしに辟易はしているようだが、毎日とても平和……とは言えないかもしれないが、取り敢えず危害なく……これも違うような」
危険と隣り合わせのアベルの現状を思えば、どう言って安心させようとしても、すべて嘘になりそうな気がする。
案の定ふたりとも益々不安そうな顔付きになった。
「父様、それではおふたりが益々不安になってしまいますわ」
「わかってはいるんだが、適切な言葉が浮かばなくて」
「なんのことかわからないわっ。とにかくっ。あたしは罪を認めて出頭したのっ。アベルに逢わせてっ!! アベルを解放してっ!!」
強情に言い張るシスター・エルを前にして公爵は途方に暮れるのだった。
「ふうむ」
深夜に公爵から届けられた手紙を前にしてケルトは唸る。
「面白い事態に巻き込まれているな。公爵も」
手紙にはアベルの姉代わりで問題の怪盗だったシスター・エルと、アベルの身を心配して彼女についてきた妹代わりのシスター見習いフィーリアが、城に忍び込んできたという内容が書かれている。
彼女たちの言い分によれば、シスター・エルがネックレスを盗み、それをアベルが返そうとしたことから、アベルは公爵に捕まったのだとか。
フィーリアの方はアベルが本当に捕まっているのかどうか疑っているらしいが、シスター・エルの方は信じ込んでいて、とにかくアベルに逢わせろ、アベルを解放しろと言い張って譲らないらしい。
逢わせるまで一歩も譲らないと、迷惑なことに公爵令嬢リアンの部屋に座り込んでいるらしい。
これについて指示を仰いできたのが手紙の動機だった。