第九章 世継ぎの帰還
「まさか……前王陛下のお子さま?」
「そうだ。この衣装を見て、この顔立ちを見て、普通は悟らないか? アルベルトは兄上と姉上の忘れ形見。本来ならわたしではなく、彼が王位を継いだはずだった。彼が王子として暮らしていたら」
「どういうことでしょうか?」
王子でありながら王子としては暮らしていなかったと言われ、臣下たちの顔が難しくなる。
その中でアドレアン公爵だけが、怯えて瞳を見開いたまま、一言も言葉を発しなかった。
「当時の状況をよく思い出してくれ。あの当時は政争が酷く、兄上の身も安全とは言えなかった。わたしも王宮を去ったほど乱れきっていた。とても世継ぎが産まれたことを明らかにできなかったほどに」
「だから、前王陛下はお世継ぎの存在そのものを隠された?」
ざわざわとざわめきが広がる中で、ケルトはアドレアン公爵を見据えたまま頷く。
公爵の顔は真っ白だった。
「アルベルトが3歳になったとき、兄上は正式に王位継承権を息子に譲った。その証拠がこれだ」
ケルトが顎をしゃくる。
アベルの左腕に視線が集まった。
そこには確かに失われていた腕輪があった。
だれもが捜し求めていた第一王位継承権を意味する腕輪が。
前王の腕から消えていた腕輪をアベルがしている。
そのことから彼は確かに世継ぎなのだと大臣たちも認めるしかなかった。
あの腕輪は王家の直系の血を引く者しか受け継げないので。
それをしているということは、彼が直系王族であるという証になる。
「その直後に兄上が亡くなったんだ。本来ならわたしの出る幕はなく、アルベルトが王位を継ぐべき場面だった。だが、兄上の死は普通の死ではない可能性があった。兄上が毒殺された恐れがあったのだ」
「陛下っ」
「そのようなことは決してっ」
言い募る大臣たちを見据えて、ケルトはその言葉には答えず言葉を続けていく。
「だから、アルベルトの身柄を一任されていた当時の近衛隊の将軍クレイは、彼に王位を継がせるのではなく隠す方を選んだ。彼の身の安全のために」
「クレイ将軍が?」
「なんということ」
広がるざわめきからだれもがクレイ将軍が、このことに関わっていたとは思っていなかったことが伝わってくる。
「彼の英断のお陰でアルベルトは18になる現在まで、無事に生き長らえることができた。彼が今も生きていたら、わたしはきっと彼に報いようとしただろう。彼には感謝してもし足りないほどだ」
この言葉はケルトの本心だった。
クレイ将軍には本当に感謝しているのだ。
彼が道を誤っていたらアベルには逢えなかったかもしれないので。
「わたしは本来なら今すぐ彼に王位を譲りたい。また譲るべきなのだろう」
「しかし。そのアルベルト王子は」
「そう。アルベルトは王子としては暮らしていなかったために、国王になるために必要な勉学を一切していない。今の状態では譲位したくてもできないのだ」
今譲位されてもアベルはお飾りの国王にしかなれない。
そう言われ、アベルは「やっぱり俺ってお荷物だなあ」と感じていた。
「だから、これから彼には国王になるために必要な勉学に勤しんでもらう」
「……うげっ」
アベルは周囲には聞こえないようにそう言った。
だが、傍にいたケルトには聞こえる。
思わず笑ってしまう。
「そして譲位できそうだと判断したときに、わたしは正式に彼に王位を譲る。これで本来の正しい流れに戻るのだ。王となるべき者が王となる。そんな本来の流れに」
「ひとつだけお訊きしたいことがございます」
「なんだ?」
「世継ぎの君のご婚約については、どう判断されていらっしゃいますか?」
早速突かれたくないところを突かれ、アベルはげんなりする。
やっぱりレイティアたちとの婚約を進言されるのだろうか。
「お血筋の正統性は認めております。ですが本来なら決まっているはずのご婚約が定まっていない。そのことをどうお考えですか?」
「世継ぎの君はもう18になられたとか。本来なら後2年程後にはご婚礼を挙げなくてはなりません」
「ちょっと待ってくれよ、叔父さん。どういうことだよ? 後2年後には結婚って」
「ああ。言っていなかったか。世継ぎは幼少の頃に婚約して、成人と共に婚礼を挙げる義務があるのだ」
「そんなこと一言も言わなかったじゃないかっ。この詐欺師!!」
恐れ知らずな発言に臣下たちが青ざめて黙り込む。
しかし臣下が相手だったら許していない王も、甥が相手だったら形無しだった。
蕩けるような笑顔で言い返す。
「だから、前以て言っておいただろう? そなたの素性が発覚したら婚約は進言される、と」
「2年後だなんて言わなかっただろっ。俺は御免だからなっ」
「大丈夫だ。2年もあればその気になるから」
「なんのその気だよっ!? なんのっ!?」
アベルは事情が事情だったので、実は初恋もまだ体験していなかった。
その状態でいきなり結婚なんて言われても頷けない。
しかしケルト叔父には馬耳東風だったらしい。
シレッと言い返された。
「わたしの娘たちでは不満があるか? あれでもかなりの美少女だと、わたしは自負しているが」
「……妹のようにしか感じてないよ。それで結婚相手とか言われても」
顔を背けて言い募るアベルにケルトは苦く笑う。
彼は年齢より余程幼いな、と。
しかしそんな呑気とも言えるやり取りを臣下たちは聞き逃さなかった。
「陛下。それはレイティア様方のどちらかを世継ぎの君のご正妃にと考えられているという意味でしょうか?」
「わたしが言い出さなくても、そなたたちが進言したのではないのか? ふたりの間から婚約者を選べ、と」
「……否定は致しません」
「王家の純粋な血統を守るためには、これが理想的な婚姻なのだろう。幸いわたしの娘たちもアルベルトのことは嫌っていないようだ。後は本人が同意すれば、この婚約については進めていくつもりだ。元々リドリス公爵に確認を取ったときも、この婚約は必然とまで言われていたからな」
この王の発言に臣下たちが驚いたようにリドリス公を振り向いた。
「宰相はご存じだったのですか? 世継ぎの君のことを」
「知ってはおりました。陛下からご報告を受けていましたので」
「宰相もお人が悪い。知っていらしたのなら教えてくださっても」
「忘れてはいませんか? 世継ぎの君はごく最近にお生命を狙われたばかりだと」
突然忘れていたことを突っ込まれて、人々がざわめき出した。
「そうだ。あの事件はどうなるのだ?」
「アルベルト様がお世継ぎなら、あの事件は世継ぎの君の暗殺未遂」
「立派な弑逆ではないか」
人々の目がゆっくりとアドレアン公に向いた。
見られた公爵はまだ正気に返っていないようだった。
怯えたようにアベルを見るだけで、どんな反応も返さない。
ここにいるすべての者が疑っていた。
世継ぎ暗殺未遂も、もしかしたら前王の弑逆も、アドレアン公爵が裏で糸を引いていたのかと。
「世継ぎの君の弑逆は国王陛下の弑逆に匹敵するほどの重罪。ですから我々は侯爵令嬢リージアの処刑を決定しました。罪状は世継ぎの君の暗殺未遂。弑逆の罪によるものです」
このときアドレアン公はようやく正気に返った。
わしの孫娘を処刑するのかと叫びたかったが、周囲の疑惑の眼を見てここは我慢した。
するしかなかった。
それは確かに大罪人を見る眼差しだったので。
「反論があるというのなら御聞きしましょう。アドレアン公爵」
「わしは……」
「あなたの孫娘はもうすぐ処刑されます。残念ですね」
冷酷とも言える声に公爵は燃えるような眼でリドリス公爵を睨んだ。
その眼に恨みが籠っているのを見て、リドリス公爵は自分の推測が当たっていたことを知る。
彼は決して自分のことを好敵手とは思っていなかったのだと。
彼にとって自分は単なる分不相応な若造でしかなかった。
好敵手と認めていたのは自分だけだと知って苦い気分だった。
裏切られたのも騙されたのも前王だけではないのだと。
「アルベルトの暗殺未遂はまだ片付いていない。わたしはリージアの処刑程度で満足はしない」
ざわざわとざわめきが広がり、人々はじっとアドレアン公爵を見る。
王の言葉の意味するところを考えながら。
だれもがなにかが起きることを予感していた。
「そうだ。この衣装を見て、この顔立ちを見て、普通は悟らないか? アルベルトは兄上と姉上の忘れ形見。本来ならわたしではなく、彼が王位を継いだはずだった。彼が王子として暮らしていたら」
「どういうことでしょうか?」
王子でありながら王子としては暮らしていなかったと言われ、臣下たちの顔が難しくなる。
その中でアドレアン公爵だけが、怯えて瞳を見開いたまま、一言も言葉を発しなかった。
「当時の状況をよく思い出してくれ。あの当時は政争が酷く、兄上の身も安全とは言えなかった。わたしも王宮を去ったほど乱れきっていた。とても世継ぎが産まれたことを明らかにできなかったほどに」
「だから、前王陛下はお世継ぎの存在そのものを隠された?」
ざわざわとざわめきが広がる中で、ケルトはアドレアン公爵を見据えたまま頷く。
公爵の顔は真っ白だった。
「アルベルトが3歳になったとき、兄上は正式に王位継承権を息子に譲った。その証拠がこれだ」
ケルトが顎をしゃくる。
アベルの左腕に視線が集まった。
そこには確かに失われていた腕輪があった。
だれもが捜し求めていた第一王位継承権を意味する腕輪が。
前王の腕から消えていた腕輪をアベルがしている。
そのことから彼は確かに世継ぎなのだと大臣たちも認めるしかなかった。
あの腕輪は王家の直系の血を引く者しか受け継げないので。
それをしているということは、彼が直系王族であるという証になる。
「その直後に兄上が亡くなったんだ。本来ならわたしの出る幕はなく、アルベルトが王位を継ぐべき場面だった。だが、兄上の死は普通の死ではない可能性があった。兄上が毒殺された恐れがあったのだ」
「陛下っ」
「そのようなことは決してっ」
言い募る大臣たちを見据えて、ケルトはその言葉には答えず言葉を続けていく。
「だから、アルベルトの身柄を一任されていた当時の近衛隊の将軍クレイは、彼に王位を継がせるのではなく隠す方を選んだ。彼の身の安全のために」
「クレイ将軍が?」
「なんということ」
広がるざわめきからだれもがクレイ将軍が、このことに関わっていたとは思っていなかったことが伝わってくる。
「彼の英断のお陰でアルベルトは18になる現在まで、無事に生き長らえることができた。彼が今も生きていたら、わたしはきっと彼に報いようとしただろう。彼には感謝してもし足りないほどだ」
この言葉はケルトの本心だった。
クレイ将軍には本当に感謝しているのだ。
彼が道を誤っていたらアベルには逢えなかったかもしれないので。
「わたしは本来なら今すぐ彼に王位を譲りたい。また譲るべきなのだろう」
「しかし。そのアルベルト王子は」
「そう。アルベルトは王子としては暮らしていなかったために、国王になるために必要な勉学を一切していない。今の状態では譲位したくてもできないのだ」
今譲位されてもアベルはお飾りの国王にしかなれない。
そう言われ、アベルは「やっぱり俺ってお荷物だなあ」と感じていた。
「だから、これから彼には国王になるために必要な勉学に勤しんでもらう」
「……うげっ」
アベルは周囲には聞こえないようにそう言った。
だが、傍にいたケルトには聞こえる。
思わず笑ってしまう。
「そして譲位できそうだと判断したときに、わたしは正式に彼に王位を譲る。これで本来の正しい流れに戻るのだ。王となるべき者が王となる。そんな本来の流れに」
「ひとつだけお訊きしたいことがございます」
「なんだ?」
「世継ぎの君のご婚約については、どう判断されていらっしゃいますか?」
早速突かれたくないところを突かれ、アベルはげんなりする。
やっぱりレイティアたちとの婚約を進言されるのだろうか。
「お血筋の正統性は認めております。ですが本来なら決まっているはずのご婚約が定まっていない。そのことをどうお考えですか?」
「世継ぎの君はもう18になられたとか。本来なら後2年程後にはご婚礼を挙げなくてはなりません」
「ちょっと待ってくれよ、叔父さん。どういうことだよ? 後2年後には結婚って」
「ああ。言っていなかったか。世継ぎは幼少の頃に婚約して、成人と共に婚礼を挙げる義務があるのだ」
「そんなこと一言も言わなかったじゃないかっ。この詐欺師!!」
恐れ知らずな発言に臣下たちが青ざめて黙り込む。
しかし臣下が相手だったら許していない王も、甥が相手だったら形無しだった。
蕩けるような笑顔で言い返す。
「だから、前以て言っておいただろう? そなたの素性が発覚したら婚約は進言される、と」
「2年後だなんて言わなかっただろっ。俺は御免だからなっ」
「大丈夫だ。2年もあればその気になるから」
「なんのその気だよっ!? なんのっ!?」
アベルは事情が事情だったので、実は初恋もまだ体験していなかった。
その状態でいきなり結婚なんて言われても頷けない。
しかしケルト叔父には馬耳東風だったらしい。
シレッと言い返された。
「わたしの娘たちでは不満があるか? あれでもかなりの美少女だと、わたしは自負しているが」
「……妹のようにしか感じてないよ。それで結婚相手とか言われても」
顔を背けて言い募るアベルにケルトは苦く笑う。
彼は年齢より余程幼いな、と。
しかしそんな呑気とも言えるやり取りを臣下たちは聞き逃さなかった。
「陛下。それはレイティア様方のどちらかを世継ぎの君のご正妃にと考えられているという意味でしょうか?」
「わたしが言い出さなくても、そなたたちが進言したのではないのか? ふたりの間から婚約者を選べ、と」
「……否定は致しません」
「王家の純粋な血統を守るためには、これが理想的な婚姻なのだろう。幸いわたしの娘たちもアルベルトのことは嫌っていないようだ。後は本人が同意すれば、この婚約については進めていくつもりだ。元々リドリス公爵に確認を取ったときも、この婚約は必然とまで言われていたからな」
この王の発言に臣下たちが驚いたようにリドリス公を振り向いた。
「宰相はご存じだったのですか? 世継ぎの君のことを」
「知ってはおりました。陛下からご報告を受けていましたので」
「宰相もお人が悪い。知っていらしたのなら教えてくださっても」
「忘れてはいませんか? 世継ぎの君はごく最近にお生命を狙われたばかりだと」
突然忘れていたことを突っ込まれて、人々がざわめき出した。
「そうだ。あの事件はどうなるのだ?」
「アルベルト様がお世継ぎなら、あの事件は世継ぎの君の暗殺未遂」
「立派な弑逆ではないか」
人々の目がゆっくりとアドレアン公に向いた。
見られた公爵はまだ正気に返っていないようだった。
怯えたようにアベルを見るだけで、どんな反応も返さない。
ここにいるすべての者が疑っていた。
世継ぎ暗殺未遂も、もしかしたら前王の弑逆も、アドレアン公爵が裏で糸を引いていたのかと。
「世継ぎの君の弑逆は国王陛下の弑逆に匹敵するほどの重罪。ですから我々は侯爵令嬢リージアの処刑を決定しました。罪状は世継ぎの君の暗殺未遂。弑逆の罪によるものです」
このときアドレアン公はようやく正気に返った。
わしの孫娘を処刑するのかと叫びたかったが、周囲の疑惑の眼を見てここは我慢した。
するしかなかった。
それは確かに大罪人を見る眼差しだったので。
「反論があるというのなら御聞きしましょう。アドレアン公爵」
「わしは……」
「あなたの孫娘はもうすぐ処刑されます。残念ですね」
冷酷とも言える声に公爵は燃えるような眼でリドリス公爵を睨んだ。
その眼に恨みが籠っているのを見て、リドリス公爵は自分の推測が当たっていたことを知る。
彼は決して自分のことを好敵手とは思っていなかったのだと。
彼にとって自分は単なる分不相応な若造でしかなかった。
好敵手と認めていたのは自分だけだと知って苦い気分だった。
裏切られたのも騙されたのも前王だけではないのだと。
「アルベルトの暗殺未遂はまだ片付いていない。わたしはリージアの処刑程度で満足はしない」
ざわざわとざわめきが広がり、人々はじっとアドレアン公爵を見る。
王の言葉の意味するところを考えながら。
だれもがなにかが起きることを予感していた。