第九章 世継ぎの帰還
第九章 世継ぎの帰還
「ほんとに犯人見付かってないのか?」
あれから半月。
すっかり元気になったアベルは自室でブスッとふくれていた。
毒を盛ったあの侍女がどうなったのかも教えてもらないままに、アベルは半監禁状態である。
アベルの部屋を訪れることができるのも、国王親娘と宰相親娘、後は例外でマリンのみで護衛の騎士以外は近付けてくれない。
ちょっとでも出歩こうとしたら、護衛役の騎士たちが飛んできて、アベルを引き止める。
なんでも国王から決して外に出すな、ひとりで出歩かせるな、なにかあったら処刑だと思えと厳命されているらしい。
おかげでアベルには自由がなかった。
気が狂わないのが不思議なくらいだが、まあある程度は仕方がないと諦めている面もあった。
アベルは生死の境を彷徨った上に、どうも助かったと保証された後も、10日間も意識が戻らなかったらしいのだ。
そのあいだ周囲にどれほどの心労を与えたのかは、マリンから苦笑しながら教えてもらった。
レイティアたちは10日も寝ずに看病してくれたらしいし、執務に追われ看病する暇のないケルト叔父も、時間があれば顔を出し、時間の許すかぎり付き添ってくれたらしい。
アベルが毒を盛られ倒れたと知った直後の話も聞いた。
こちらはマリンとローエン医師の両方から。
ローエン医師はどうやらアベルの素性を知っているらしく、彼からは「若」と呼ばれている。
こそばゆいのでやめてほしいが、どうやら彼はそう呼んでアベルが照れるのを見て楽しんでいるらしく、何度抗議してもやめてくれない。
おまけに「爺」と呼ばないと返事をしてくれないという悪戯付き。
これには頭を抱えた。
代々の王族には「爺」と呼ばれているのだから。当然アベルも「爺」と呼ぶべきだというのが、ローエン医師の主張である。
それは嘘ではないらしく、実際にケルト叔父をはじめとして、王族たちはみな彼のことは「爺」と呼んでいる。
だから、まあ当然だよなとは思うのだが、まさかこの自分がだれかを「爺」なんて呼ぶ立場になろうとは想像しなかった。
最初は……抵抗して呼ばなかった。
すると本当に返事をしないのだ。
診察中、リハビリ中に関わらずいっさい返事をしない。
これは本当にやりづらかった。
おかげでなし崩しに「爺」と呼ばされている。
王族たちは定期的な診察が義務づけられているらしく、特に毒殺未遂があったばかりである。
全快した今もアベルは定期的な診察が義務づけられている。
おかげで今も時々だが「爺」と慣れない呼び方をしなければならない。
そんな日々の中で疑問が浮かんだのだ。
本当に犯人は見付かっていないのだろうか、と。
目星もついてないにしては、ちょっと警戒が厳重すぎないか?
狙った相手。
狙われた動機。
そういうものがわかっている動きに見えて仕方がない。
つまり一言でいえばまた狙われるのがわかっているからアベルに自由を与えられない。
そんなふうにしか見えないのだ。
周囲をみればそこまで厳重に警戒されているのはアベルひとりである。
それこそ王であるケルトですら、アベルほどの厳重態勢の中には置かれていない。
「つまり狙われる可能性が高いのは俺ひとりってことだよな」
だれがアベルを狙っているんだろう?
どういう動機から?
アベルの素性は今も明かしていない。
その容姿から様々な憶測は飛んでいるらしいが、王が肯定も否定もしないので、今のところは灰色の疑惑のまま、アベルは一吟遊詩人として王宮に滞在している。
だれひとりとしてアベルがどこのだれなのか、確証を得ていない。
簡単に言えば前王の子なのかどうか、その確証を持っていないのだ。
「でも、笑えたよなあ。レイたちが俺のことを兄と呼んで、俺がふたりを呼び捨てにしてるからって、出てきた疑惑が国王の隠し子疑惑だもんなあ」
これには苦笑してしまった。
確かにアベルが前王に生き写しだからといって、即前王の子と結びつける必要はない。
前王と現王は実の兄弟なのだから、現王の子が前王に瓜二つでも、別に血筋的には変じゃないのだ。
前王の忘れ形見説が灰色のまま、白にも黒にもならないので、次に出てきた疑惑が国王の隠し子疑惑。
これを知ったとき、ケルト叔父はお腹を抱えて爆笑し、その後で真面目くさって言った。
「どうだ? 本当にわたしの子になるか? 喜んで父上と呼ばせてやるぞ?」
アベルは呆れすぎて反応できず、好きにやってくれと受け流したが、何故かレイティアとレティシアのふたりが、これには即座に反論していた。
「お父さま、そんなことを言ったら周囲の誤解を煽ってしまいます」
「それにアル従兄さまがお父さまの隠し子なんてことになったら、お母さまがお気の毒でしょう? 浮気されたと誤解されるなんて」
刺々しく嫌味を言われ、ケルト叔父は笑って言ったものだ。
「わかった。わかった。ふたりはアルベルトが兄だとイヤなだけだろう?」
と。
これにはふたりは真っ赤になって父王に食ってかかっていたが。
大人しいレティシアまでケルトに抗議しているので、アベルは「そんなに俺が兄だとイヤなのか?」とふたりに問いかけてしまった。
そういうとふたりにそれは悲しそうな顔をされたので、アベルは驚いたが。
マリンにはこっそり「アンタって正真正銘のバカ?」と小突かれた。
あのときはなにがなんだかわからなくて戸惑ったものだ。
そんなこんなで色んな疑惑を振り撒きながら、アベルは王宮で暮らしているが、そこまでされる理由として思い浮かぶのは、アベルの身がまだ安全じゃないということだった。
もう狙われないという保証がないから、むしろ狙われる確率の方が高いから、ケルトはアベルに自由を与えてくれない。
そうとしか思えなかった。
そうなると素性もハッキリしないアベルがどうして狙われるのか。
相手はアベルを殺すことでなにをしたいのか。
ケルト叔父は知っているとしか思えないのだ。
「一度問い詰めないとな。あの飄々とした叔父さんを」
腕組みをしてそう呟いた。
「あまり若を閉じ込めておいてはいけませんぞ、旦那様。すっかり色も白くなって。太陽を浴びるのは健康のためにも必要なんじゃから」
そう言ってケルトを説得してくれたのはローエン医師だった。
あまりにケルトがアベルを過保護に扱い、部屋に閉じ込めるので、それを見兼ねたのだという。
実際にアベルは長い間太陽を浴びていなかったので、このままでは健康に害が出るという事情もあったらしい。
お陰でアベルは中庭での散歩を許可されるようになった。
もちろん護衛付きではあるが。
中庭を散歩する前王に生き写しのアベルを見て、人々がコソコソと噂している。
どうせなら話しかけてきてくれないかなと、アベルは内心でため息をつく。
見られているのはわかっているのに、話し掛けてはもらえず、ただ噂されるというのは結構辛い。
ケルトたちは王族だから、衆人環視の中で生きるのには慣れているだろうが、アベルがそういう扱いを受けるようになったのはつい最近だ。
視線やコソコソ話が気になって仕方ない。
護衛は付かず離れずついてくる。
アベルになにかあればすぐに助けられる位置で。
それも慣れてはきたが気になる。
はあとため息をついたとき、いきなり目の前に女の人が飛び出してきた。
アベルが驚いて立ち止まると護衛の騎士たちも慌てて駆け付けてくる。
そうして女の人を引き離そうとしたが、彼女は必死になって叫んだ。
「お願いですっ。陛下にお取りなしくださいっ!! あれはリージアの本意ではないのですっ!! お願いですからリージアを処刑しないように、あなた様から陛下にお取りなしくださいっ!! お願いですっ!!」
引き離されながらも女性が必死になってアベルに嘆願する。
「離れろと言っているだろうっ」
「あなたが何者であろうと例外はないのだっ!!」
騎士たちの動きが乱暴になってきた辺りでアベルは声を投げた。
「ちょっと待ってくれ。話を聞くから」
「……ですが」
「陛下からだれも近付けてはならないと」
「俺を殺すつもりなら、俺の前に飛び出してきたときにでもできたんじゃないのか? とにかく女の人を手荒に扱うなよ。なにか事情がありそうだし」
こういうところがアベルが善人だと言われる所以なのだが、アベルには自覚はない。
彼女の嘆願の内容からして、アベルが聞く必要のある内容ではないと証明されているが、アベルは「処刑」とか、「お願い」とか、そういう「助けてほしい」というサインに弱かった。
自分が弱者として育ったからかもしれない。
おまけに今は一方的に庇護されている立場である。
そのせいでなにか迷惑をかけていたのかも、と思うと、どうしても無視できなかったのだ。
アベルに護る意思がなかったことと、頑として護らないときの彼が、とても国王に似ているということもあって、騎士たちは渋々アベルの言うことを認めた。
アベルには近付けないように女性を取り押さえたまま引き離すのはやめる。
まあそれだけでも妥協してくれたならいい方かなとアベルは諦めた。
「叔父……陛下に取りなしてほしいって一体なにを? 俺になんとかできること?」
「あなた様にしかできないことです」
震える声でそう言って女性は頭を下げた。
「最初に謝罪致します」
「は?」
「わたくしはあなた様に毒を盛った侍女リージアの母親です」
「おまえっ」
騎士たちは色めきたったが、アベルは自分が知らないことを知れるかもと、慌てて彼らを制した。
「ちょっと待てって。俺は話を聞くって言っただろ?」
「ですがっ」
「こんなことは陛下がお許しになりませんっ」
「あの人が怒っても俺は怖くないよー」
あっさり言われて騎士たちが苦虫を噛み潰したような顔になる。
バレたら殺されるかも……と騎士たちは青くなったが、アベルは気になることを優先した。
「俺を殺すことはあの侍女の本意じゃないって言ったよな?」
屈み込んだアベルにそう言われ、女性は震えながら頷いた。
「じゃあだれに命令されたんだ? 俺を殺してなんの得があるんだ?」
「それは……」
「言えない? なのに助けてくれ? 殺そうとした相手に縋るのに、それはすこし自分勝手すぎないか? 俺だってそこまでお人好しじゃないんだ」
「……言えません。言いたいけれど言えないのです」
「どうして?」
「言えば陛下から解放されても、わたくしもリージアもどうなるか」
つまり裏切り者として殺される恐れがあるから、黒幕の名前は言えないってことか。
「どっちにしても殺されるのなら、俺に縋るのは筋違いってものだよ」
「そんなっ」
不意に立ち上がったアベルにそう言われ、女性は絶望的な顔をする。
「俺だって自分が殺されそうになったことで、周囲にどれだけの迷惑をかけ、どれだけ不安を与えたか、理解していないわけじゃない。なのに俺を殺そうとした相手を助けてくれとあの人に頼むからには、それ相応の理由がなければならない。アンタにはその覚悟がない」
突き放すアベルの視線には王者の風格があった。
女性はアベルの背中に前王の影を見た気がして震えてしまう。
「アンタ二者択一って知ってるか? 選べるのはふたつにひとつだ。アンタみたいに両方得ようとしたって絶対に得られない。
危険を犯さずに危地を脱することなんてだれにもできないんだよ。ましてどちらに転んでも危険が付きまとうなら、それに立ち向かう覚悟も必要。
アンタにはそれがない。だったら俺が助けても助けなくても結果は変わらないから、俺が俺を大事にしてくれる人々の神経を逆撫でにする必要性も感じない」
アベルだって相手が相応の覚悟をみせてくれたなら、そしてそこには助けるだけの意味が価値があると思ったなら、手助けしようとは思っていた。
だが、自分に都合のいいように話を運ぼうとしてると気付いたら、とてもそんな気になれなかった。
それだけアベルにとっても自分が殺されそうになった事件で、周囲に心労を与えた件は気にしているということである。
それを承知で逆らうなら相手にも、それだけの誠意を見せてほしい。
高望みしているとはアベルは思わない。
当然の要求だ。
善人と言われるアベルでも、譲れない境界線は掴んでいた。
「どちらに殺されるか選べと申されるのですか」
震える声にアベルは首を傾げる。
「立ち向かって生を勝ち取る気概がない。そう言ってるんだよ。それじゃ俺が助けてもどっちみち殺されるだろ」
「だれもがあなた様のように強いわけではないのです」
「強いか強くないかじゃない。強くならないなら生きていけない。そういうことを言ってるんだけど?」
アベルは天涯孤独だった分、色んな意味で強かな面も持っている。
滅多にそれを発揮することはないが、生きていくための貪欲さも持ち合わせていた。
それを持っていない者が生き延びるなんて、アベルは最初から信じていない。
この女性とはこれ以上話しても無駄だなと思って、アベルが背中を向けようとした瞬間、女性が叫んだ。
「娘は明日処刑されるのですっ!!」
「……え」
さすがに立ち止まった。
アベルを殺そうとしたから処刑される?
それはさすがに……。
「弑逆の罪で……処刑されるのです。あらゆる罪の中で最も重く最も忌み嫌われる処刑です」
「……しいぎゃくってなに?」
アベルは近くにいた騎士を振り向いて問う。
庶民として生きてきたアベルには覚えのない単語だったから。
「君主様を殺した、または殺そうとした罪、という意味です」
「……君主」
「例えば国王陛下や次期国王であられる世継ぎの君ですね。このおふたりを殺そうとした者には弑逆の罪が問われ、確定した場合、処刑されます。最も重い罪であり、最も恥ずべき罪です」
それはアベルが世継ぎだったから、その人々が最も忌み嫌われる「しいぎゃくの罪」とかであの侍女が殺される、ということか?
しかしそれは事実だし、助けてくれと言われても。
「侯爵夫人。罪は罪として償われなければなりません。アルベルト様にそれを求められるのは筋違いではごさまいませんか?」
「ですがっ。娘が望んでしたことではないのですっ。仕方なくっ」
「それでもアルベルト様を殺そうとしたことは事実です」
「娘はまだ14なのです。14で最も酷い罪人の烙印を押され、死ねと申されますかっ!?」
(14……フィーリアと同じ歳?)
アベルが瞳を揺らすと侯爵夫人と呼ばれた女性は泣きながら叫んだ。
「そもそもあなた様はお世継ぎではありませんっ。なのにっ」
弑逆の罪に問われるのが納得できないと、彼女は泣き叫んだ。
世継ぎではない。
そう言われアベルの胸を痛みが貫く。
なにも言い返せずにいると声が響いた。
「何事かときてみれば、ずいぶん勝手な言い分だな?」
振り向けばそこに立っていたのは……。
「叔父さん」
アベルの呼び声にリドリス公を引き連れて現れたケルトが嫌悪の目を侯爵夫人に向けていた。
「弑逆の罪に問われるだけのことをしたから、わたしは弑逆の罪に問うた。アルベルトが世継ぎなのかどうか、それはそなたの知るべきところではない」
「娘が弑逆の罪で処刑されるというのに、そのような言い分は納得できませんっ」
「では理由も事情も説明はしないが言おう。わたしの後を継ぐのはアルベルトだ。だから、弑逆の罪に問うた。そう言えば満足か?」
すでに隠す気もなくなったのか、ケルトはそう吐き捨てた。
この言葉には周囲で見守っていた者たちもざわめき出す。
国王がハッキリ吟遊詩人のアベルことアルベルトが次期国王だと告げたからだ。
アベルは「やられたー」と頭を抱える。
どうやら腹に据えかねるほど怒っているらしい。
「そんな……」
「世継ぎを殺そうとしたから弑逆の罪に問うた。だから、処刑する。どこか変か?」
「どうか……どうかお慈悲を陛下っ」
「弑逆の罪を犯した者にかける慈悲など聞いたこともないな」
「では代わりにわたくしを処刑してくださいっ。娘の幼い生命だけはっ。どうかお願い致しますっ」
「ではもうひとつハッキリ言おうか? わたしはな? リージアを操りアルベルトを殺そうとした黒幕を処刑し、黒幕の家を断絶させるまで絶対に赦さない」
「……陛下」
青ざめる侯爵夫人にこれ以上の会話は無用とケルトはアベルに近付いて腕を掴んだ。
「叔父さん」
「戻るぞ」
「でも」
腕を引っ張られ歩いている間も背後では女性が泣き崩れている。
とても後味が悪かった。
アベルを部屋に連行するとケルトが苦々しく言ってきた。
「全く。そなたは油断も隙もないな。ちょっと目を離すとあんなことに巻き込まれるとは」
寝台に腰掛けさせられて叔父を見上げてアベルは困った顔だ。
「だって俺は普通に散歩してたんだ。そうしたらあの女性がきて」
「無視することもできたはずだ。だが、そなたは無視しなかった。違うか?」
指摘されてアベルは俯く。
それは事実だったので。
「陛下」
それまで黙っていたリドリス公爵がふと口を挟む。
「なんだ?」
振り向いたケルトに公爵はここ最近考えていたことを言ってみた。
「もうアルベルト王子の素性を明らかにしては如何ですか?」
「え?」
アベルはギョッとしたが、ケルトは思案しているようだった。
そうするべきかどうかを。
「陛下は不特定多数の前でアルベルト王子が、お世継ぎであることを明かしてしまわれました。おそらくそう時間が経たない間に謁見を求められるでしょう。このことについての説明を求めて。そうなるとなんらかの事情は打ち明けざるを得ません」
「それはそうだが」
簡単に彼を世継ぎだと認めさせる方法はある。
だが、それにはこれまで以上の危険が付きまとうのも事実だ。
「素性を明かしてしまえば……これまで以上に危険にならないか?」
「なるでしょうね。おそらくこれまでした推測がすべて事実なら、黒幕にとって前王陛下の忘れ形見である世継ぎの王子は恐怖の対象です。忌むへき存在。なんとしても殺そうとするでしょう」
「それがわかっていて打ち明けるのも」
気が進まないと言いたげなケルトに、公爵は自分の考えを打ち明ける。
「わたしはこう思うのですよ、陛下」
「なんだ?」
「おそらく黒幕は今も前王陛下の影に怯えている。前王陛下の柩に縋って流したあの涙。あれが演技だとは、わたしには思えないのです」
「まだ庇うつもりか、リドリス公?」
「いえ。そのようなつもりは毛頭ありません。公爵としてそして宰相として冷静に判断してのことです。あの涙は教え子を手にかけたことへの後悔ではないかと」
ふたりが交わす会話をアベルは黙って聞いていたが、とても意外な気がした。
話を聞いていれば、とても意外な人物が敵だったらしいが。
それに前王のことを教え子と言った。
つまり前王を育てた人が前王を殺したのだ。
(やっぱり父さんは殺されていたんだ……)
自覚なんてなくても怒りが沸いてくる。
逢えたかもしれない父を殺した人物に対して。
「あの状況から考えて盛られた毒は、おそらく遅効性。もしだれかがそのことに気付いていたら前王陛下は助かったかもしれない。それがあの人物の躊躇いに思えて仕方がないのです。だれかが発見してくれないか。助けてくれないか。毒を盛っていながら、それを期待していたような気がして仕方がないのです」
「それを身勝手と言わずになんと言う? そもそもどうして兄上を手にかけたのかすら不明だ。兄上は……彼を信頼していたのに」
「はい。言い訳の余地はないと、例え後悔していても庇う余地はないと、わたしも思います。ですがあの涙が後悔の涙なら、おそらく彼は今も前王の影に怯えている。そっくりなアルベルト王子を見ただけで殺すことを決意するほど」
「……ふむ」
アベルを殺そうとした動機が、過去の亡霊に怯えてのことだとしたら、確かに辻褄は合う。
あまりに早すぎた暗殺劇の。
「すべてが当たっていたと仮定した場合、そっくりなだけで殺したいほど目障りなアルベルト殿下が、実は前王の忘れ形見で正当な世継ぎであると彼が知ったら、一体どんな反応を見せると思われますか?」
「……怯えてボロを出す?」
掠れた問い掛けに公爵はしっかり頷く。
「その可能性が高いと思われます。過去の亡霊が実体を伴ったようなものです。なんとしても殺さなければ……という妄想に取り付かれるでしょう」
「アルが余計に危険になるだけの気もするが、尻尾をつかみやすくなるのも事実だな」
ケルトが気掛かりそうに黙って成り行きを見守っているアベルを見る。
アベルは敢えてなにも言わなかった。
父を殺した仇を捕まえたい。
それは彼も思っていることだったので。
「このままでは手が出せません。彼の関係者から得た話を聞いても常軌を逸しているのです。怯えてだれも本当のことは言いません。だったら本人に言わせるしかない。わたしはそう思います」
「アルベルトはどう思う? 素性を打ち明けられるのは嫌か? もちろん狙われても、そなたの身は必ず護るが」
「……父さんは……殺されたのか? 本当に?」
「ああ。爺がそう言っていた。そなたが毒を盛られたことで、それがハッキリした。兄上は毒殺されたと」
「そしてその犯人と俺を殺そうとした犯人は同一人物?」
「おそらくな。まだ状況証拠の段階ではあるが、ほぼ間違いないだろう。彼が犯人であることは」
「だったら俺はその犯人を捕まえたい」
「アルベルト」
ハッキリした意思表示にケルトは痛ましそうな顔になる。
例え面識なんてなくても、自覚もなくても、やはり父を殺した相手は憎いのだろう、と。
聖人君子のようなアベルでも。
「15年も野放しにされたんだ。このままじゃ父さんが浮かばれないよ。俺が囮になることで、そいつを捕まえられるなら、俺は……囮になるよ」
そこまで言ってから、アベルは気になっていたことを言ってみた。
「そいつが捕まるのも家を潰されるのも仕方ないと思う。でも、それ以上のことはしないよな?」
答えないケルトにアベルは不安になる。
「まさかあの侍女を処刑するように、そいつの家系の人をすべて殺す、なんて言わないよな?」
「そこまでされても仕方のない罪を犯したのだ。助かりたいと縋られても、わたしには助けるつもりはない」
「叔父さん」
「このことを明らかにした場合、おそらく民衆も一族朗党の処刑を望むだろう。わたしひとりの独断というわけではないのだ。
これについてはリドリス公も納得していることだ。やり過ぎとそなたは思うかもしれない。だが、そうではないのだ。必要だからする。それだけのことなのだから」
「必要……か」
俯いてアベルは諦めた。
本当はあの侍女を助けてくれと言うつもりだったが、事がそこまで大きくなっているなら、おそらくそれは望んでも無理だ。
アベルを、世継ぎを殺そうとしただけでなく、黒幕は前王まで手に掛けている。
それがどれだけ大きなことか、アベルにだってわかる。
だから、口を噤むしかなかった。
自分のせいで14歳という幼い少女が殺されることを苦く噛み締めながら。
「うっ。ちょっと待て」
アベルが突然ぼやき支度をしていた侍従たちが不思議そうに彼を見上げた。
今アベルは謁見のための支度の最中で、なにやら特別な服を着せられているらしい。
着方もわからないだろうからと、それまで拒絶していた侍従に手伝ってもらうように指示されたのが先程のこと。
ケルトがアベルが次期国王だと明かしてすぐに公爵の指摘通り、臣下たちから詳しい事情説明を求める声が上がった。
その場には是非当事者のアベルも出してほしい、と。
ケルトはそれを認め、アベルに支度をするように命じたという次第である。
支度が始まってすぐに侍従たちは不思議そうな顔をしていた。
何故かというと下着姿になったアベルの左腕に国王でも持っていなさそうな、それは見事な腕輪があったからだ。
身分的に侍従たちは王位継承権の腕輪については知らないらしく、ここではそのことで騒がれることはなかった。
だが、アベルが黙っていると侍従たちは複雑な顔で支度をしていったが、それは明らかにおかしな服だった。
左腕がすべてシースルーになっているのだ。
肌が透けてみえる布地で、くっきりと腕輪が浮き上がっている。
それだけでも特殊な服だが、重ね着に次ぐ重ね着の上に、これでもかというアクセサリー類を身につけられ、さすがのアベルも異変に気付いた。
それで「ちょっと待って」と言った次第だった。
「あのさ、これ、普通の服? なんかすごく特殊な気がするんだけど?」
「いえ。普通の服ではございません」
「だったらどんなときに着る服?」
そもそもだれの服だとアベルは思う。
この王宮にアベルの服があるわけもなく、今までは適当な服を着ていたが、これはあきらかに年代物だ。
アベルの身体に合っていない。
問いかけると侍従は恭しく頭を垂れた。
「前の国王様がお世継ぎの頃に召されていたお衣装です」
父さんの服?
「それも謁見などのときに召されていたお衣装らしく、我々も直に目にするのは初めてです。現王陛下は第二王子でしたので、こういったお世継ぎの正装を身につけられたことがございませんので」
なるほど。
だから、左腕の部分がすべてシースルーになっているのだ。
世継ぎであることを証明する腕輪を見せ付けることができるように。
今になって気付くのもマヌケだなとは思うが、腕輪が見える部分は特に布地が薄い。
デモンストレーションは効果的に、ということだろうか。
「さあ。お支度を急ぎませんと。そろそろアルベルト様のご登場のお時間です」
謁見はすでに始まっていて、アベルは後で呼ばれることになっていた。
その時間は刻々と迫っている。
気が重いなとアベルはため息をついてみせた。
「アルベルト様の御成りです」
そんな声に導かれてアベルは渋々玉座に向かって歩いていった。
王族専用の扉から入ってきたアベルの姿を見て、すべての者が息を飲んでいる。
それまでも前王に生き写しだとは思っていた。
だが、前王が身に纏っていた世継ぎの正装を着たアベルは、まるで前王の若かりし頃の姿そのまま。
前王が生き返ってきたようにしか見えなかった。
アベルが玉座の隣に立って正面を向く。
人々はすべて青ざめて固まっているが、ひとりだけ明らかに挙動不審な者がいた。
驚いているとかそんな顔ではなく、まるで怯えているよう。
(?)
アベルは首を傾げて彼を見る。
すると彼は怯えて後ずさった。
(まさか、あいつなのか?)
アベルの目が据わる。
父王そっくりなアベルを見て怯える者。
それは暗殺者以外考えられなかった。
「皆に紹介するのが遅れたが、ここにいるのはアルベルト・オリオン・サークル・ディアン。正当なる第一王位継承権を継ぐ者。現在の正式なる世継ぎの王子だ」
「……申し訳ございませんが陛下のお子さまですか?」
「レイティア様やレティシア様の兄君ですか?」
臣下たちの問いかける声にケルトはうっすら笑う。
「何れそうなる」
「叔父さん……俺はまだ認めてない。勝手に話を進めるなよ」
アベルがそう呼べば、またざわめきが広がっていった。
アベルがケルトを「父」ではなく「叔父」と呼んだからだ。
そう呼べる者がいるとしたら、それは前王の子以外あり得ない。
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